上 下
79 / 191
第二章

31.執事とアリスと浴室の淫魔1

しおりを挟む
 ルイスがアリシティアを抱えたまま扉の前まで歩くと、館の使用人が恭しく頭を下げた。



「おかえりなさいませ主様」

「ただいま」

 馬車が入ってくると同時に外に控えた使用人は、ルイスの姿を確認しエントランスの扉を開く。
開かれた扉の先には、豪華な外観に遜色ないホールが広がっていた。

 ホールの入り口には、黒髪を後ろに撫で付け、髭を綺麗に切りそろえた40代後半の執事が立っていた。彼はアリシティアを荷物のように抱え上げたルイスに対して、一切表情を乱す事なく頭を下げた。

「おかえりなさいませ、ご主人さま」

「ただいま、何も問題はない?」

「ええ、ございません。本日はローヴェル邸にお戻りになると伺っておりましたが、お屋敷の方に何か伝言はございますか?」

「御者に頼んだから大丈夫」

「お嬢様のお部屋のご用意は、いかが致しましょう?」

「僕の部屋を使うから必要ない。明日の朝に、彼女の着替えを1式用意しておいてくれる?」

「かしこまりました。朝食はお嬢様のお好きなメープルシロップとクリームたっぷりのパンケーキに、ライチや新鮮なフルーツ、それに搾りたてのオレンジジュースをご用意させて頂きます」

 この執事は、アリシティアのツボをしっかりと心得ている。この後間違いなく盛大にやらかして、婚約者を怒らせるか泣かせるかするであろう主人の失態を埋める為、策を巡らせる。

「ライチ?」

 執事の言葉に、アリシティアは反射的に反応した。

「はい、アリヴェイル領より届いたばかりでございます」

「嬉しい! 私の分のライチはほんの少し凍らせておいてね」

「噛んだ時に、少しシャリっとするくらい…で、ございますね。かしこまりました」

「そう!!ありがとうバトラー」



 単純過ぎるアリシティアは、執事にこれでもかと言う程に、純美な笑顔を向ける。


「もう休むね」

 先程までより低くなった声で、僅かに苛立ったルイスが執事に告げる。

 そんな主人の心情を十二分に理解した執事は、軽く頭を下げた。

「かしこまりました。おやすみなさいませ、ご主人さま」

「おやすみ。ディーノ」

 執事に挨拶を残して、ルイスは軽い足取りで階段を登っていく。

 そんなルイスに子供のように縦抱きにされたままのアリシティアと、階段の下で見送る執事の目が合う。

 彼の名前はディーノだが、アリシティアはここでも勝手に執事に名前をつけて呼んでいた。アリシティアは彼が執事だから執事バトラーと呼んでいる訳ではない。前世のアリシティアが愛した映画の登場人物、レット・バトラーに、彼がとても似ているために、勝手にバトラーと命名した。
 そのせいで今は館のお姉様達まで彼をバトラーと呼んでいた。



 渋さに磨きがかかった執事に、アリシティアは小さく手をふる。執事は微苦笑し、人から見えないように小さく手を振り返してくれた。

 その渋すぎる外見と行動のギャップに、アリシティアが毎回悶えている事を、彼は知らない。







 「ねえ、いい加減諦めよう? ね?」

 だだをこねる子供をあやすように、ルイスは甘ったるい声で話しかける。

 ルイスの目前では、壁際に追い詰められたアリシティアが、彼を威嚇するように睨みつけていた。

「なんで、私がわがままを言っているような扱いなの? おかしいのはあなたよね? 私はね、いつも 一人で入浴してるし、自分で自分の体くらい洗えるの。うちはこう見えても、お金があるからなんとか対面を保っているだけの、何もかも中流の伯爵家なんだからね?!」

 最後の抵抗とばかりに、脱がされたドレスを抱え込んで前を必死に隠しながらも、アリシティアはふんっと鼻息を荒く答える。

「なんで中流そこが得意げなの? なんにしても、そういうのは時間の無駄だから。それに今更だよね?」

 そうは言われても、アリシティアにだって譲れないものはあるし、超えたくない一線はある。


「無駄でも今更でも嫌なものは嫌。それに、男性の脳は視覚で興奮するから、一緒に入浴しちゃうと、女性の裸になれてしまって、性的な刺激を感じなくなるのよ。セックスレスにつながる可能性が高くなるの。脳が興奮の仕方を忘れるのよ? そうなるとEDまっしぐら。そんなことになると困るでしょ?!」

 最後の抵抗とばかりに、アリシティアは前世で得た知識に、自己流理論を絡めて披露してみせる。

 いくら女神様が美人で垂れてない巨乳を与えてくれたとはいえ、アリシティアは所詮はモブ。番外編だけの登場人物で、なおかつ名前が出た時には死んでいる。

 そんな彼女の目の前にいるのは、神の世界線小説内の美形担当だ。造形の神が一週間は眠らずに、ハイテンションのまま、これでもかと言うほど精巧に作り上げたような完璧過ぎるクオリティの男。

 いくら女神様が贔屓してくれたとはいえ、アリシティアとはそもそものレベルが違うのだ。
比べるのもおこがましいと、アリシティアは思っている。

 そんな美しい男に体を洗われるなど、恥ずかしすぎて死ねる自信があった。



 アリシティアの必死の抵抗に、ルイスは首をかしげてみせた。

「ED?」

「勃起不全、もしくは勃起障害!!」

「……そう。うん。なんというか、あまり口にして欲しくはない台詞だけど、アリスの言いたいことはわかった。君さ、本当にそういう変な知識だけは豊富だよね」

「そういう変な知識 ”だけ” じゃなくて、そういう知識 ”も” よ。私のモットーは『自分に関係のない知識は広く浅く』です」

「はいはい。つまり、僕の脳が刺激を感じなくなって、僕が君の身体に興奮しなくなると困るから、一緒にシャワーを浴びるのは嫌だと?」

「違っ…」 

「違う?」

 アリシティアは、答えに詰まった。
違うと言いたい。でも、違わない気もする。

「大丈夫。そんな事にはならないと証明するから、身体中隅々まで見せて?」

 ルイスは天上人のような慈愛に満ち溢れた笑みで、あり得ないことを言う。


 目前の羞恥を回避するために、適当に言い訳を並べたせいで、アリシティアは何やら余計に取り返しがつかない事態を招いているような気がしないでもなかった。



 だが、そこまで考えた時、彼女は唐突に思い出した。そもそもなぜ、こんな事態に陥っているのかという事を。元はと言えば…。




「答えて頂かなくてもかまいません!!」

 あまりにも唐突に、アリシティアは勢いよく言い切った。


 ルイスがアリシティアを迎えに来た時、アリシティアは彼が馬車の中にいる理由を聞いた。そして、答える代わりにと提示された条件が、『一緒にシャワーを浴びて』だったのだ。



 だったらその質問を撤回すれば良い。
そう、それだけで済む筈だった。





──────────────── 

レット・バトラー
映画界の永遠の名作、『風と共に去りぬ』の男性主人公の名前。
(俳優はクラーク・ゲーブル)


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。