上 下
43 / 192
第二章

20.懸念と逃避と官能と蛸 1

しおりを挟む
 アリシティアは再びカップを手に取り、ゆっくりと口をつける。
ほんの少し考える時間が欲しかった。
手が震えないように、必死に力を入れる。だが、そうすると余計に手が震えている気がする。ゆっくり紅茶を喉に流し込んだ。



 ベアトリーチェと名乗ったアリシティア好みの、イケメンのオネェサンは、同じ世界、同じ時間軸の、前世の記憶を持っていた。それだけの理由で、何故か絶対的な信頼を置き、信じて疑うことすらしなかった。



 母が死んで、父はアリシティアを王都に残して、領地へと戻った。

父にまで捨てられたのだと気づき、ずっと一人で泣いていたアリシティアを心配して、エリアスが連れ出してくれた。

 けれど、エリアスに連れられて移り住んだ離宮では、アリシティアがそこにいる事は完全に隠された。使用人も最小限に抑えられて、子供達の交流の場にも、お茶会にも行く事は禁じられた。

 理由は今も知らない。エリアスに聞くと、彼は泣きそうな顔をするから、それ以上は聞けなかった。


 けれどそれは、この世界にアリシティアが存在する事自体が罪だと言われているように思えた。

 アリシティアがいたのは、何もかも満ち足りた鳥籠の中。それでも本当に欲しいものは与えられなかった。





 ルイスと母を失った後、アリシティアには無条件に人目をはばかる事なく、愛していると、大事だと、抱きしめてくれる人は誰一人いなくなった。


 多分、無意識のうちにアリシティアは求めていたのだろう。誰の目があっても、アリシティアにどんな過去があっても、変わらず接してくれる存在を。



 だから、ベアトリーチェと出会った時、救われた気がした。人の目があってもなくても、アリシティアへの態度を変えることなく、常にアリシティアの本来の姿を受け入れてくれる大好きな親友。




 アリシティアはいつしか、自分自身はこの美しくも残酷な世界から、拒絶され、忘れられた存在だと思うようになっていた。


 だけど、ずっと孤独だと思っていたアリシティアに、「そんな訳ないじゃない馬鹿な子ね」とベアトリーチェは笑ってくれた。




──── ベアトリーチェがウィルキウス様? エヴァンジェリンの為に、ベアトリーチェは私を殺すの?




 思考回路がまともには働かなかった。
それでもなんとか口を開いた。




「……昔聞いたことがあるだけです。宰相閣下の親戚筋に、天才と名高い少年がいることを。その名前が確か、ウィルキウス様でその時に聞いた話があまりに素晴らしかったので、覚えていたのです」 


 結局一番無難な言葉しか出なかった。


「噂に聞くウィルキウス様は貴族だと思っていました。だから、平民のベアトリーチェと同一人物だとは思いもしなかったのです」

 思いついたままに嘘を並べていく。少しだけ事実を混ぜながら。本当の事など告げられるはずはないのだから。





 アリシティアに前世の記憶があって、その前世で読んだ小説と、この世界が類似しているなどとルイスに告げたとしても、決して信じては貰えないだろう。



(貴方は11歳で出会ったお姫様に恋して、19歳の夏至祭に暗殺者からお姫様を守って死ぬの。あなたはお姫様を守れた事に勝手に1人で満足して、私の存在なんて思い出しもせず、私を残していってしまう……)


 ルイスがアリシティアに執着している事は、しっかりと理解している。だけど、その執着がどんな感情なのかはよくわからない。

 アリシティアの最愛で最悪の婚約者は、アリシティアを抱きながら、アリシティアではない別の人に恋をしている。
その人の為なら、自らの命を投げだしてしまうくらいに。




「本当にそれだけ? あいつが錬金術師の塔に入れられた時から君たちはずっと仲が良いよね。なのに何も知らなかったの?本当の名前すらも?」


 アリシティアは頷いた。


「だって、ベアトリーチェはベアトリーチェ以外の何者でもなくて…。彼女がベアトリーチェと名乗ったのなら、私の中では本当の名前とか、気にもならなくて…」

 本来ならば、アリシティアは貴族としても、王家の影としても、自分の近くにいる人間について調べなくてはいけなかった。だけど無意識の中で、前世のアリシティアが嫌がった。


「うん…。そうだね。本来ならば、君はそういう子だよね」



 ルイスの表情に、淡く儚い微笑みが浮かんで消えた。
しおりを挟む
お知らせ
一年後に死亡予定の嫌われ婚約者が、貴方の幸せのためにできること (モブで悪女な私の最愛で最悪の婚約者は、お姫様に恋している)第二章ラストシーンに伴い、ベアトリーチェがストーリーテラーとなる、大人のマザーグースっぽい作風のお話を掲載しました。
私が愛した彼は、私に愛を囁きながら三度姉を選ぶ(天狗庵の客人の元のお話です)
7000文字の一話完結のショートショートです。
この物語を読んでいただけますと、ラストシーンの言葉の意味がほんの少しわかっていただけるかと思います。ただ、救いも何もない悲惨なバッドエンドですので、DVや復習が苦手な方は避けてください。
第三章のスピンオフ、令嬢誘拐事件の誘拐された令嬢サイドのお話もよろしければお楽しみください。
強欲令嬢が誘拐事件に巻き込まれたら、黒幕?な王子様に溺愛されました【R18】
感想 111

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。