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第二章
18.戦闘メイドと鞭と悪女 1
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空はどんよりと重く、今朝より雲は低く周囲は薄暗くなっている。
空気に含まれる湿気が増え、今にも雨が降り出しそうだった。
アリシティアの前にルイスが立ち、スモールソードを構える。
ルイスのスモールソードは、一般的な刺突にしか使えない物とは違い、切り付ける為の刃がついている。
剣の柄には氷花の花飾りと、蔦の形をした白金が取り巻く。その美しさに、アリシティアは羨ましさを覚えた。
彼女の簡素な茶色い鞭と、思わず見比べてしまう。
悪女としては、もっと芸術的な鞭を使った方が……等と、アリシティアが鞭のデザインを思い浮かべた時。ルイスが口を開く。
「場所は?」
ルイスの一言で、アリシティアは現実に引き戻された。
「礼拝堂左手すぐ横の高木。白い花が咲いている二メートル程の低木の後ろ。正面のカシの木の中央当たり。その2本どなりの枝が張った大きな木。あと、その斜め下のクチナシの後ろ。矢を放ってきてるのはその5箇所。距離が離れてるから、真正面から飛んでこない限り、剣でも落とせると思うの」
ルイスと話している間も、空気を切り裂き矢が飛んでくる。アリシティアは頭上で鞭をしならせ、先端で矢を叩き落としていく。
アリシティアが報告した、射手が隠れているだろう箇所をルイスが確認する。
「わかった。この距離では、矢に毒でも塗っていない限り殺傷力があるとは思えないけど、何故出てこないのかな」
「おそらく、こちらが矢を受けた後に剣で襲撃する気なのだと思います。最初は暗殺者かと思いましたが、素人の寄せ集めのようです。護衛を相手に剣で戦うよりも、離れた場所から射止めたいのではないかしら」
「なら、まずは射手をどうにかしないとね。どうするの?つっこむ?」
ルイスの質問にアリシティアはコロコロと笑う。
「うーん、やめておきます。向こうが出てこないのに、こちらから行くのもなんですから…。ヴェル様は少しの間、矢を防いで頂けます?」
「わかった。だけど剣では君の周囲しか守れない」
「まあ、それで大丈夫だとは思いますが…。これ、使います?」
アリシティアは、手に持った鞭をルイスに差し出す。牛や馬の調教に用いるターゲットウィップだ。しかし、それを横目に、ルイスはとてつもなく嫌そうな顔をした。
「いや、普通の人は使えないから。僕は君がそれを自在に操れる事に、いつも驚愕してるよ」
「何を仰っているの?鞭の先端の速度は音速を越えるんですよ?武器としては最適です」
「音速?」
「音の速度です。それに鞭は悪女の必須アイテムですから、私が扱えるのは当然です」
アリシティアは「なんなの、この世間知らずは」…とでも言いたげな顔をする。
もしベアトリーチェがこの会話を聞いていたら、「鞭が必須アイテムな女性は、悪女じゃなく、調教師かSMの女王様じゃないかしら?」と、突っ込んだかもしれない。けれど、あいにく二人の会話が聞こえる範囲にはだれもいなかった。
ルイスはアリシティアの前に出て、空気を切り裂く音とともに飛んで来る矢を、剣で叩き落とす。ただアリシティアの鞭よりも範囲が狭い為、何本かは撃ちもらし、後ろに飛んでいく。
だが後方で王太子を守る護衛は、飛んできた矢を全て切り落とした。
それを横目に確認したアリシティアは、瞬時に鞭をくるりと巻き取り、うさぎのぬいぐるみが鎮座した籠にいれる。代わりに小型の弓に似た物をとりだした。
一番多く矢が飛んでくる方向に、小型の弓の先を向ける。カチッ、と小さな音が響いたと同時に、短い矢が勢いよく放たれた。
矢の向かった先で野太い呻き声が響き、高木の枝から人が落ちた。
アリシティアはさらにその2本隣の広く枝が張った木に弓先を向け、ふたたび指先にかるく力を込める。空気を切り裂き、短いが殺傷力の高い矢が、襲撃犯に向かって次々と放たれていく。
短い悲鳴が何度か上がり、やがてあたりは静かになった。
アリシティアが手にしているのは小型の連射式クロスボウで、指の動き一つで連続して矢を放つ事ができるという、優れものだ。
本来の弓矢と違い、矢をつがえ、弦を引くという作業が省かれる。しかも小型でありながら、太く短い特有の矢は、中距離では相当の威力を発揮する。
それは錬金術師の塔に住む魔女が作った物だった。
アリシティアがクロスボウに新たな矢が収まった弾倉を取り付けたのを確認し、ルイスが走り出した。礼拝堂の壁際に潜んで、成り行きを見守っていた者に向けて、切先を打ち込む。
キンッと刃が弾かれる。黒いフードを被った男が、剣で応戦した。
数度切り結んだ後、一息にルイスが男の懐に潜り込み足を払う。
体勢を崩し地面についた男の利き手に、ルイスは剣を突き刺す。男の右手が地面に縫い付けられた。
同時に男の顔面に勢いよく蹴りを入れ、そのまま地表に押さえ込んだ。男は胴体を捻り、足を跳ね上げる。だが地面に串刺しにされた手と、踏みつけられた顔のせいで、起き上がることもできなかった。
ルイスは男の顔から足を退け、フードを足先で払う。そのまま肩を踏みつけて、その顔を覗き込んだ。
「…こいつ誰?」
ルイスのせいで、男の鼻は折れ、血と土が顔面にこびりつき、顔の判別がつかない。
ルイスが首を捻っていると、アリシティアが来て後ろから覗き込んだ。
「これじゃあ、顔がわからないですね。手足はもいでも良いと言われましたが、顔を潰してはいけなかったのでは?」
アリシティアの呑気な問いに、ルイスは「あっ……」と、やってしまったと言わんばかりの声をこぼした。
空気に含まれる湿気が増え、今にも雨が降り出しそうだった。
アリシティアの前にルイスが立ち、スモールソードを構える。
ルイスのスモールソードは、一般的な刺突にしか使えない物とは違い、切り付ける為の刃がついている。
剣の柄には氷花の花飾りと、蔦の形をした白金が取り巻く。その美しさに、アリシティアは羨ましさを覚えた。
彼女の簡素な茶色い鞭と、思わず見比べてしまう。
悪女としては、もっと芸術的な鞭を使った方が……等と、アリシティアが鞭のデザインを思い浮かべた時。ルイスが口を開く。
「場所は?」
ルイスの一言で、アリシティアは現実に引き戻された。
「礼拝堂左手すぐ横の高木。白い花が咲いている二メートル程の低木の後ろ。正面のカシの木の中央当たり。その2本どなりの枝が張った大きな木。あと、その斜め下のクチナシの後ろ。矢を放ってきてるのはその5箇所。距離が離れてるから、真正面から飛んでこない限り、剣でも落とせると思うの」
ルイスと話している間も、空気を切り裂き矢が飛んでくる。アリシティアは頭上で鞭をしならせ、先端で矢を叩き落としていく。
アリシティアが報告した、射手が隠れているだろう箇所をルイスが確認する。
「わかった。この距離では、矢に毒でも塗っていない限り殺傷力があるとは思えないけど、何故出てこないのかな」
「おそらく、こちらが矢を受けた後に剣で襲撃する気なのだと思います。最初は暗殺者かと思いましたが、素人の寄せ集めのようです。護衛を相手に剣で戦うよりも、離れた場所から射止めたいのではないかしら」
「なら、まずは射手をどうにかしないとね。どうするの?つっこむ?」
ルイスの質問にアリシティアはコロコロと笑う。
「うーん、やめておきます。向こうが出てこないのに、こちらから行くのもなんですから…。ヴェル様は少しの間、矢を防いで頂けます?」
「わかった。だけど剣では君の周囲しか守れない」
「まあ、それで大丈夫だとは思いますが…。これ、使います?」
アリシティアは、手に持った鞭をルイスに差し出す。牛や馬の調教に用いるターゲットウィップだ。しかし、それを横目に、ルイスはとてつもなく嫌そうな顔をした。
「いや、普通の人は使えないから。僕は君がそれを自在に操れる事に、いつも驚愕してるよ」
「何を仰っているの?鞭の先端の速度は音速を越えるんですよ?武器としては最適です」
「音速?」
「音の速度です。それに鞭は悪女の必須アイテムですから、私が扱えるのは当然です」
アリシティアは「なんなの、この世間知らずは」…とでも言いたげな顔をする。
もしベアトリーチェがこの会話を聞いていたら、「鞭が必須アイテムな女性は、悪女じゃなく、調教師かSMの女王様じゃないかしら?」と、突っ込んだかもしれない。けれど、あいにく二人の会話が聞こえる範囲にはだれもいなかった。
ルイスはアリシティアの前に出て、空気を切り裂く音とともに飛んで来る矢を、剣で叩き落とす。ただアリシティアの鞭よりも範囲が狭い為、何本かは撃ちもらし、後ろに飛んでいく。
だが後方で王太子を守る護衛は、飛んできた矢を全て切り落とした。
それを横目に確認したアリシティアは、瞬時に鞭をくるりと巻き取り、うさぎのぬいぐるみが鎮座した籠にいれる。代わりに小型の弓に似た物をとりだした。
一番多く矢が飛んでくる方向に、小型の弓の先を向ける。カチッ、と小さな音が響いたと同時に、短い矢が勢いよく放たれた。
矢の向かった先で野太い呻き声が響き、高木の枝から人が落ちた。
アリシティアはさらにその2本隣の広く枝が張った木に弓先を向け、ふたたび指先にかるく力を込める。空気を切り裂き、短いが殺傷力の高い矢が、襲撃犯に向かって次々と放たれていく。
短い悲鳴が何度か上がり、やがてあたりは静かになった。
アリシティアが手にしているのは小型の連射式クロスボウで、指の動き一つで連続して矢を放つ事ができるという、優れものだ。
本来の弓矢と違い、矢をつがえ、弦を引くという作業が省かれる。しかも小型でありながら、太く短い特有の矢は、中距離では相当の威力を発揮する。
それは錬金術師の塔に住む魔女が作った物だった。
アリシティアがクロスボウに新たな矢が収まった弾倉を取り付けたのを確認し、ルイスが走り出した。礼拝堂の壁際に潜んで、成り行きを見守っていた者に向けて、切先を打ち込む。
キンッと刃が弾かれる。黒いフードを被った男が、剣で応戦した。
数度切り結んだ後、一息にルイスが男の懐に潜り込み足を払う。
体勢を崩し地面についた男の利き手に、ルイスは剣を突き刺す。男の右手が地面に縫い付けられた。
同時に男の顔面に勢いよく蹴りを入れ、そのまま地表に押さえ込んだ。男は胴体を捻り、足を跳ね上げる。だが地面に串刺しにされた手と、踏みつけられた顔のせいで、起き上がることもできなかった。
ルイスは男の顔から足を退け、フードを足先で払う。そのまま肩を踏みつけて、その顔を覗き込んだ。
「…こいつ誰?」
ルイスのせいで、男の鼻は折れ、血と土が顔面にこびりつき、顔の判別がつかない。
ルイスが首を捻っていると、アリシティアが来て後ろから覗き込んだ。
「これじゃあ、顔がわからないですね。手足はもいでも良いと言われましたが、顔を潰してはいけなかったのでは?」
アリシティアの呑気な問いに、ルイスは「あっ……」と、やってしまったと言わんばかりの声をこぼした。
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