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幼なじみの三人

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 「名は体を表す」
 有名なことわざだが、オレほど皮肉な名前はないだだろう。
 健やかに生きられるようにと願い名付けられたのに、十六歳にして余命宣告を受けてしまったのだから。
 だがオレは、この名前を案外気に入ってる。先天性心疾患をもって生まれた息子の幸せを願ってつけてくれた名前だとよくわかっているし、アイツらに名前を呼ばれるのが好きだから。
 アイツらというのはオレの幼なじみで、沢村すみれと佐々木信という。かかりつけの大学病院に近い新興住宅地に越してきた時に、隣近所になったことが縁で親しくなった。優しく愛らしいすみれと義理人情に厚い信。持病のせいで体が弱く、散々甘やかされてしまったオレとは真逆の、お人好しと言ってもいいほど良いヤツらだ。そんなすみれと信と過ごす時間が、オレは何より好き、だった。
 オレとすみれ、そして信。三人で過ごせるのもあと一年、ということになるのだろう。今はまだ考えたくもないけれど、無視することもできない事実だった。


「健、朝よ。起きれそう? 大丈夫?」

 布団の中でまどろむオレを、母さんが起こしにきた。体調が悪くて起きれない時もあるから、来てくれるのはちょっと嬉しい。高校生にもなって甘えすぎかもしれないけど、こればかりは許してほしい。

「おはよう、母さん。今日は体調も良さそうだよ」
「そうね、顔色も悪くないものね」

 息子が生きて息をしていることに安堵したのか、母さんは軽く微笑んだ。

「高校はどうする? もうじき、すみれちゃんと信くんが迎えに来てくれると思うけど」
「もちろん行くよ」 
「健、無理しなくていいのよ。学校には事情を話してあるし」
「わかってる。でも通えるうちは高校に行きたいんだ。いつまで通えるかわからないからさ」
「健……」

 笑みが消えた母さんの顔を見ているだけで、こちらまで辛くなる。

「やだな、母さん。そんなに悲しそうな顔をしないでよ。余命宣告は隠さず伝えてほしい、って言ったのはオレ自身だよ。だいぶ前から覚悟はしてたからさ」

 笑顔で話すと母さんはうつむき、すすり泣く声が聞こえてきた。母を励まそうと強がって見せたが、逆効果だったらしい。

「母さん、朝ごはん用意してよ。食べて薬飲まないと学校に行けないしさ」
「そうね。すぐに用意するわ」

 目頭をエプロンで拭うと、母さんはキッチンへ走っていった。

「よしっ! 起きるか」

 わざとらしい気合いを入れるのは理由がある。いきなり立ち上がるとふらつくこともあるから、布団の中で適度に体を動かしてみる必要があるからだ。体がひどく重く感じることも多く、正直朝は辛い。それでも今はできるだけ学校に通いたいし、したいこともあるのだ。
 けだるさを振り払うように学校へ行く準備をして軽い朝食を済ませたところで、すみれと信が迎えに来てくれた。

「健、すみれちゃんと信くん来たわよ」
「わかった。薬飲んだらすぐ行くって伝えて」

 靴を履いて玄関を出ると、すみれと信がオレを待っていた。

「おはよう、健」

 いつも通り、可憐で輝くような笑顔を見せるすみれ。しかしその目は赤く、昨夜泣いたのがすぐにわかる。

「健、おはよ。今日は体調、大丈夫か?」

 さりげなく体調を気遣ってくれる信。優しくて頼りがいのある男だ。オレにとっては数少ない親友でもある。幼い頃はオレと変わらないぐらい小さい体だったのに、小学生高学年ぐらいからめきめきと身長が伸びて、現在は180㎝近くまで伸びてしまった。信の横に立つと、今じゃ大人と子どもかよってぐらい身長差があるが、オレも信も一切気にしてない。

「おっす、信。今日もデカいな。その身長、オレに少しでもいいから分けてくれよ」

 苦笑いを浮かべる親友の顔を見るのも、毎朝の恒例だ。体が小さいのはしかたないと理解しつつも、信を見るとちょっぴりうらやましくなるのも、いつものことだった。

「そうだ、信。おまえに伝えたいことがあるんだ」
「なに? 改まって」

 すみれの横に立つと、細い肩をやや乱暴に抱き寄せた。

「オレとすみれ、つきあうことになったから」
「え……?」

 笑顔が消えていく信の様子を注意深く見つめながら、すみれの彼氏になったことを親友に告げる。

「ちょ、健。何も今言わなくても」

 オレから体を離そうと、すみれが軽くもがいた。

「照れるなよ、すみれ。いいだろ、本当のことなんだから」
「で、でも」

 肩から手を離し、今度はすみれの手を握りしめる。あえて見せつけるように。
 呆然とオレとすみれを見つめていた信だったが、やがてさわやかに笑った、普段通りに。

「良かったな、ふたりとも。それとも、こういう時はおめでとうって言えばいいのかな」

 わずかだか、片方の口もとが歪んでいることを見逃さなかった。平静を装っているが、心の中は穏やかではないはずだ。

「信、ありがと。それで悪いんだけど、これから朝のお迎えはすみれだけにしてもらえないかな? できるだけ長く一緒にいたいんだ、彼女とね」

 少しだけ目を見開いた信は、ひきつるように笑顔を浮かべる。無理して笑わなくてもいいのに。コイツの気持ちはわかっている。信は幼い頃からずっと、すみれに惚れていたのだから。

「そっか。気が利かなくて悪かったな。これからは二人で仲良く過ごしてくれ。もしも俺の手助けが必要な時があったら、その時は呼んでくれ」

『もしも』というのは、オレが体調不良で倒れた時のことだろう。確かに信には何度も助けられてきた。お姫様抱っこ状態で保健室に運んでくれたことも、一度や二度ではない。

「ありがとう、信。おまえにはいつも助けてもらってるもんな。これからは、できるだけ世話をかけないよう努力するよ」
「そうしてくれると助かる。健とすみれの中を邪魔したくないからな」
「ああ、わかったよ」
「俺は先に行く。健、すみれ、また学校で会おう」

 ちらりとすみれの顔を見て、かすかに微笑む。オレの彼女になったすみれに、心の中で別れを告げているのかもしれない。

「じゃあな」

 大きくてたくましい背中を晒しながら、信は走り去っていった。
 信の体が見えなくなったところで、もう我慢できないといった様子ですみれが口を開く。

「健、なぜ信にあんなことを?」
「あんなことって? おまえがオレの彼女になったってことを今話したこと?」 
「それもあるけど健は、『これからは世話にならないようにする』って言った。ひょっとして信には一切話すつもりはないの? その、健の体のこと……」
「言ったろ、アイツに話すとバカみたいに気を遣われるって」
「でも、このまま黙っておく必要もなくない?」
「別にいいだろ。いずれ嫌でもわかるんだから」
「そ、それは……」

 オレの言葉の意味を悟ったすみれは、口をつぐんでしまった。うつむいたすみれは、体をかすかに震わせている。泣いているのかもしれない。弱々しく感じるすみれを抱きしめてやりたい。信よりずっと小さい体だけれど、オレだってひとりの男なのだから。
 けれど今はまだダメだ。

「すみれ、朝から泣くんじゃないよ。彼女になったオンナがめそめそしてると、彼氏のオレが辛いだろ」

 すみれの体がびくりと揺れた。慌てて顔をあげると、目にたまった涙を手で拭いとる。

「ご、ごめんね」

 涙をごまかそうと、すみれは懸命に目元をこする。かえって目が赤くなっていくだけなのに。ずきりと痛む心臓に気づかないふりをして、自分のカバンをすみれに差し出した。

「んじゃ早速で悪いけど、これ持って」

 すみれはきょとんした顔をしている。意味がわからないのだろう。

「え?」
「『え?』じゃないよ、彼氏のオレは朝が一番キツイの。だからカバン持ってよ。彼女なんだから少しは気を遣えよ」
「う、うん。そうだね」

 すみれは自分のカバンを肩に背負うと、胸元にオレのかばんを抱えた。

「学校が終わったら一緒に帰るんだぞ。オレの彼女なんだから」
「わかった」
「学校ではオレ以外の男と、必要以上に親しくするなよ」
「うん」
「オレが呼んだらすぐに来ること。三回呼ぶまでにだぞ」
「……わかったよ。健は体調がツライし、わたしは健の彼女だもんね」
「おう。その通りだ」

 すみれはオレのすぐ後ろを、二人分のカバンを持ってついてくる。最初は普通に歩いていたが、だんだんと彼女の息遣いが荒くなってくるのがわかる。二人分のカバンともなればそれなりの重さだから当然だろう。でもあえて、後ろは振り向かない。今見たらきっと後悔してしまうから。

 オレとすみれがつきあっていることは、すぐに学校中の噂になった。可愛くて素直なすみれは高校で人気者だ。そのすみれの彼氏が、病弱で影がうすいオレだったからといのもある。話題になっているのは、すみれの彼氏がワガママすぎるというところだった。

「すみれ、カバンもってついてきてくれ。ああ、帰りもな」
「水買ってくてくれよ。薬を飲まないといけないから」
「手が疲れちゃった。すみれ、ちょっとマッサージしてよ」
「すみれ~。ちょっと肩貸して。立ち上がりたいんだ」

 何かにつけてはすみれを呼び出し、用事や荷物持ちをさせる彼氏。体が弱いことを理由に、彼女であるすみれを小間使いのように扱う男。

「中山健って男、なんなの。すみれを自分のメイドとでも思ってるのんじゃない?」
「いくら何でもあれはひどいよね……」
「持病だか病弱だが知らないけど、あんなのただのワガママだし」
「すみれの彼氏は佐々木くんだと思ってたのになぁ」
「佐々木くんとすみれなら、お似合いだよね」

『病弱で最低な男』として、高校での認知度が急速に高まっていく。
 すみれに同情した女子たちは、「あんなサイテー男とはすぐに別れたほうがいい」と忠告しているらしい。けれどすみれは、オレに別れ話を切り出すことはなかったし、傲慢な指図に文句を言うこともないのだった。

「なぁ、健。ちょっといいか?」

 昼休み、隣のクラスの信がオレのところにやってきた。すみれと恋人になったと信に告げてからは、用事がなければオレのところに来なかったのに。どうやら信にも、『病弱でサイテーな男』の噂は伝わったらしい。

「なんだよ、信」

 クラス中の奴らが、ちらちらとがオレと信を見ている。すみれのことで、信が話し合いに来たのだと気づいているのだ。

「ここじゃ話しにくいから、場所を変えようぜ」
「オレはここでいいよ。動くのも億劫だし」

 場所を移動するぐらいの体力はあるが、あえてここで話したい。信はしばし迷っていたようだが、オレの体調のことを気にしたのだろう。声のボリュームを落としながら、ゆっくりと話し始める。

「健、すみれはおまえの彼女だろ? もう少し優しくしてやれよ。その、体のこともあるってわかってるけど」

 遠回しではあるが、オレの傲慢さを非難しているのだ。

「別にいいだろ。すみれはオレの彼女なんだから」
「よくないよ。すみれは女の子だぞ。少なくとも荷物は持たせるな」
「だって、体がツライんだもん。持病があるのは信もよく知ってるだろ」
「それなら、俺が持ってやるから」
「ふぅん。そう言ってオレとすみれの間に入ろうとしてるんだ」
「そんなわけないだろ。俺はただ……」
「はっきり言えよ。そこで止まんな」
「俺はただ、すみれに優しくしてほしいだけで」
「それって嫉妬だろ? すみれのことが好きだったのに、とられて悔しいってはっきり言えよ」

 図星だったのだろう、信の顔がみるみる赤くなっていく。

「健、いい加減にしてくれ!」

 信の怒声が教室に響き渡った。水を打ったように静まり返り、クラス中の視線が一気に集中する。

「なんだよ、大きな声を出すんじゃねぇよ。ここは教室だぞ」

 言われて現状を思い出したのか、信は恥ずかしそうにうつむいた。

「と、とにかく! すみれへの対応を少し考えてくれ。伝えたいことはそれだけだ」

 視線に耐えられなくなったのか、信は逃げるように去っていった。
 体はあれだけ大きくなってるのに、心のほうは昔と変わらず小心者だな。欲しいものがあるなら、是が非でも手に入れればいいのに。周囲がどうとか道理どうとか言ってられるのは、時間と余裕がある人間だけだ。

「おまえがその気になれば、なんだって叶うよ。なんでもっと本気でぶつかってこないんだよ……」

 誰にも聞こえないように、机に向かって独りごちた。
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