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あおの章 青葉

後悔

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 その光景を、僕は決して忘れることはできない。いや、忘れてはいけないのだ。僕と水樹の過ちだから──。


 慣れない子育てと、心身が安定していない水樹の見守り。疲れ切っていた僕は、ついうとうと寝してしまっていた。のどかな昼下がり。赤ん坊の朱里あかりもすやすやと眠っていた。

「ふ……ぶぁ……」

 朱里の泣き声が聞こえる。そろそろ起きないと……。でも声がいつもと違う、おかしいな……。
 そう感じてうっすら目を開けた瞬間。信じられない光景が目に飛び込んできた。

 幼い娘の首を、水樹が自らの手で絞めていたのだ。むせび泣き、その手は震ふるえていた。

「朱里、ママがいる天国へ一緒に行こうな? パパもすぐに行くから。天国でママとパパと朱里、三人で家族になるんだ。家族になることはママの、桃子の夢だったから。ママもきっと、おまえに会いたいよ。だから共に天国へ行こう……」

 小さな朱里は手足を懸命にばたつかせ、必死に抵抗しているように見えた。

「やめろ、水樹!!」

 必死で弟の身体に飛びつき、力いっぱい突き飛ばした。水樹は抗うことなく、倒れるように壁に体を打ち付けた。

「朱里、大丈夫か!?」

 くたっとした小さな体は、しばし動かず、慌てて腕に抱きかかえたその瞬間。

「ふ……ふぇ、あふっ、ふぎゃ~!!」

 朱里は力強く泣いた。

 わたし、生きてる、生きてるよ。死にたくなんかない!

 父である水樹に訴えているような、大きな泣き声だった。

「よかった、生きてる……」

 響きわたる泣き声に安堵し、その場にしゃがみ込んでしまった。今になって体が震えてきた。もしも、かすかな泣き声に気付いていなければ、一体どうなっていたのか。考えただけで恐ろしい。

「水樹、おまえはなんて馬鹿ばかなことを……!」

 泣き続ける朱里をあやしながら、力なく壁にもたれかかる水樹を罵倒した。

「朱里は桃子が遺した、ただひとつの希望なんだぞ。なのになぜ、こんなことをする? 無理心中なんて、あの桃子が喜ぶと思うのか!?」

 壁から崩れ落ちた水樹は号泣し、床に頭を打ち付けた。

「桃子がいない世界に、生きてる価値なんて……ないんだ……」
「だからこそ、朱里を育てることに意味があるんだ! 桃子の娘なら、おまえの希望になる。そうだろ?」

 四つん這ばいになった水樹は、みっともなく泣き続ける。

「青葉は、正しい。おまえの言う通りだよ……」
「そう思うなら、二度とこんなことはするな!」
「青葉はいつだって正しくて、真面目で。だから……」

 ゆっくり顔をあげた水樹は、涙と鼻水を垂れ流しながら、小さく叫んだ。

「だから天国へ朱里を連れて行って、やり直したかった、んだ。桃子は俺が殺したようなものだから……」
「馬鹿なことを言うな! 桃子が死んだのはおまえのせいじゃない。まして、死んでやり直すことなんて、できるはずがない!」
「そうじゃない、そうじゃないんだ、青葉。もしも桃子が俺じゃなくて、真面目で、いつでも正しい青葉を選んでいたら。きっと、こんなことにはならなかった……。桃子は、俺が殺したようなもんだ。そうだろ!?」

 なぜだが、すぐには否定できなかった。
 がもしも桃子が水樹ではなく、僕を選んでいたら。桃子は死なずにすんだ……?

「桃子は俺が死なせたんだ! そんな俺に朱里を育てる資格も、生きる理由もないんだ……!!」

 泣き叫びながら立ち上がった水樹は走り出し、そのまま外へ飛び出してしまった。

「水樹、待て!」

 慌てて追いかけようとしたが、依然として泣き続ける朱里を抱いたままではうまく走れず、すぐに姿を見失ってしまった。
 朱里は腕の中で、僕を責めるように泣き続ける。

「なんで……すぐに否定しなかったんだ……」

 僕がいつだって正しい? そんなわけない。今だってこうして、判断できなかったのだから。

「すべてに正しい人間なんて、いるわけないじゃないか、水樹。おまえも僕も、まちがえるんだよ……」

 朱里を抱く腕にそっと力を込め、自分自身を責め続けた。



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