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あかの章 朱里

なじめない父親

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 学校が終わると、友達と遊ぶ日以外は、まっすく家に帰る。
 家事というほどのものでもないけど、家の手伝いがあるからだ。洗濯物を取り込んでたたみ、お米を研いでおく。食器の後片付けや簡単な掃除などもする。その後、勉強や宿題を済ませ、おじさんが帰ってきたら夕食の支度を手伝う。おじさんが残業で遅くなるときは、私が夕食を作ることだってある。残念ながら、おじさんほどの腕はないけど、そこそこのものは作れると思ってる。
 大好きなおじさんと仲良く暮らしていくために、私だってそれなりの努力はしているのだ。

 そして現在。私は慣れ親しんだ我が家の玄関の前で仁王立ちしている。いつもなら合鍵で鍵を開けて、さっさと家の中に入るのだけれど、さすがに今日は少し気が引けた。家の中にいるのだろうか。あの父親が。

 おじさんが仕事から帰ってくるまで、まだ少し時間がある。ということは、あの父親とふたりきりってことだ。私にとっては、顔しか知らない父親。どんなタイプの人間なのかは朝の会話でなんとなくわかったけど、それでもなじみのない男性でしかない。「ただいま」っていうのも、なんだか違う気がする。

 しばし悶々と考えていたが、時間が経過するばかりで答えはでない。このまま玄関に立ち尽くしているわけにもいかないし、いつも通り家に帰ろう。
 小さく決意した私は鍵を開け、わざと大きめな声で「ただいま!」と言った。父親はいるのだろうか? しばらく様子を伺っていると、奥から男がのっそりと現れた。シャツのボタンを真ん中数個しか留めておらず、隙間から胸元とお腹が見えている。おじさんのシャツを、どうしてあんなにだらしなく着れるんだろう。

「お帰り、朱里。学校お疲れさん」

 ひげを剃り、こざっぱりとした父親は、おじさんによく似ていた。顔だけ見れば、すぐには見分けがつかないほどだ。やっぱり一卵性の双子だって思う。

「朱里、どーよ。お父さん、いい男になったろ? 朝の姿は仮の姿なんだぜ?」

 口さえ開かなければ、だ。似てるのは顔だけだ。中身はまるで違う。おじさんはもっと上品だ。

「シャツのボタン、ちゃんと留めなさいよ。そうしたら少しはマシになるわ。おじさんには負けるけど」
「よく見てくれよ。俺だって十分かっこいいだろ?」

 あごに手をあて、モデルのようなポーズを気取るが、全くかっこいいとは思えないから不思議だ。顔はおじさんによく似てるのに。

「何も話さなければ少しはね」
「何も話さなかったら、それはそれで不気味だろ? これでも少しは気を使ってるんだぜ。ほとんど覚えていない実の父親と、いきなり仲良くなれるわけないもんな」
「へぇ。ちゃんとわかってるんだ」
「そりゃあ、わかりますよ。俺が朱里と同じ立場なら、父親を一発殴ってるところだ」
「私は殴ったりしないわよ。あきれてはいるけれど」

 へらへら笑っていた父が、急に真顔になった。じっと私を見つめてくる。その眼差しはおじさんによく似ていて、不覚にも少しだけどきっとしてしまった。

「怒られても、あきられても、蔑まれてもいい。それでも俺は、おまえに会いたかったんだよ、朱里」

 少し悲しげに見えるほど、真剣な顔をしている。嘘をついてるようには思えなかった。

『娘を、私を捨てたくせに』

 そう言ってやりたかった。けれど言いたくなかった。言えば認めたことになってしまう。そして一度口にしてしまえば、自分を抑えられなくなりそうだった。父親とは思えない男だけど、おじさんの弟なんだ。感情が荒ぶるのを感じながらも、必死に自分を抑えた。

「ちょっとそこ、どいてくれる? 洗濯物を取り込みたいから」

 愛用のスリッパに履き替え、わざと大きな足音を立てながら、父に向って突進していく。

「俺、邪魔? それはすみませんね」

 飛び跳ねるように、父は後ろに下がった。それは今朝の私の行動に似ている気がして、少し癇に障る。

 洗濯物が干してある庭に出ると、風にあおられた私のシャツが今にも飛んでいきそうだった。慌ててシャツを掴むと、洗濯かごに放り込む。吹き込む風が制服のスカートをもちあげ、めくれあがりそうになった。いつもならおじさんが帰宅するまで一人だから、スカートが風にあおられてもあまり気にしない。先に着替えてくるべきだったと思いながら、スカートを抑えつつ、洗濯物を取り込むのはちょっと大変だった。

「家の手伝いとかしてんの?」

 気付くと、父が洗濯物を取り込む私を見ていた。ずっと見ていたのだろうか? 少し嫌な気分になってしまった。

「私にできることはね」
「へぇ、偉いね」

 ほめてくれたらしい。ここは喜ぶべきなんだろうか? 
 取り込んだ洗濯物を手早くたたみ、タンスの引き出しにしまっていく。毎日していることだから慣れているはずなのに、なぜか今日は服をしまうのに時間がかかってしまった。

「次はお米、お米」

 わざとらしい声をあげながら、キッチンへと向かう。いつも通り三合のお米を計ったところで、あることに気付いた。そういえばあの父親、今日はここでご飯を食べていくんだろうか? 

「お米研ぐとこ、見ててもいい?」

 気付くと、父親がキッチンの入り口にもたれるように立っていた。ずっと私を見ていたの?

「別にいいけど、ただお米を研ぐだけだよ?」
「そのお米を研ぐところが見たいんだよ」

 意味がわからなかった。今更断るわけにもいかず、視線を感じながら、制服のままお米を研ぎ始めた。手にかかる水が、いつもより冷たく感じる。お米を研ぐのもほぼ毎日してるから慣れてるけど、見られてると思うと緊張してしまう。ちらりと横目で父親を見ると、微笑みながら私を見ている。
 三~四回水を替えながら研げばいいのに、今日は八回も水を交換してしまった。おかげで手がかじかむように冷たい。
 炊飯器にセットして、予約ボタンを押せば完了。父親はまだ私を見ている。このままでは部屋までついて来そうだ。

「あのさ、やっぱり見ないでくれる?」
「見てていいって言ったよ?」

 父親が不思議そうに私を見ている。

「そうだけど、もうこれ以上見ないでほしい」
「なんで?」
「なんでって、それは気持ち悪いから……」

 何のためらいもなく、「気持ち悪い」という言葉が口から発せらえてしまった。慌てて口を抑えたけれど、すでに遅かった。

「気持ち悪いか……ごめん、当然だよな」

 父親が哀しげな笑顔を浮かべ、私を見ていた。

「いや、あの、そうじゃなくて」
「いいよ、気にしなくて」
「気にしなくていいって言われても……」

 ああ、もう。どうしたらいいの? 実の父親との接し方が、まるでわからない。
 おじさん、助けてよ。
 そう思った瞬間、玄関の扉が開く音がした。

「おじさん、お帰り!」

 立ち尽くす父親の脇をすり抜けるように玄関へ走ると、帰宅したおじさんを出迎えた。

「朱里、ただいま」
「待ってたよ、おじさん。お仕事お疲れ様!」
「どうした、朱里。いつもより大歓迎だな」
「だって、待ってたから……」

 おじさんが帰ってきてくれて良かった。これ以上、あの父親と二人きりでいたくなかった。おじさんの腕にしがみつくように、体を寄せた。

「お帰り、青葉。お疲れさん」

 ゆっくりと歩いてきた父も、おじさんを出迎えた。

「水樹、おまえ朱里に何かしたのか?」

 私の頭をぽんぽんと軽く撫でながら、おじさんが問う。

「何も。ただ見てただけ。あと少し話をした」
「朱里? そうなのか?」

 おじさんが私の顔をそっと覗ぎこむ。優しい眼差しで、心配そうに私をみている。ああ、この目は昔から変わらない。いつだって私を見守ってくれてる。

「何もされてないよ、おじさん。ただ少し混乱しちゃっただけ。ごめんね、驚かせて」

 おじさんのおかげで、なんとか落ち着きを取り戻すことができたみたいだ。

「ならいいけど……本当に大丈夫か?」
「うん、もう大丈夫」
「そうか、安心したよ」

 よほど心配してくれたのか、ほっとした顔をしている。心配かけたくないのに、また心配させてしまった。

「ずいぶんと朱里がなついてるな」

 まるで飼い猫とでも言いたげな言葉。なにあれ、あんな言い方しなくてもいいのに。

「朱里、おやつのプリンが冷蔵庫に入ってるから、手を洗ってきて食べなさい」

 むっとする私を気遣うように、おじさんが言った。

「プリン? おじさん手作りの?」
「かぼちゃのプリンだ。朱里、好きだろ?」
「うん、大好き!」

 ぷっと失笑する父親の声で、我に返る。しまった、子供っぽいところを見せてしまった。おじさんの前だと、つい甘えてしまう。

「朱里は愛されてるんだな。だから素直な子に育ったんだ。俺には到底できそうにない」

 父親は寂しげな顔だった。なのに、顔は笑っているのだ。こんなに悲しそうに笑う人を、私はこれまで見たことがなかった。

「水樹、かぼちゃのプリン、一緒に食べるか? 多めに作ってあるから」

 おじさんがさりげなく気遣っている。

「ありがたいけど、仕事の連絡があったから行くよ。今日はビジネスホテルに泊る。許されるなら、またここに来たいけど、来てもいいか?」

 父は私を見ている。おじさんではなく、私に聞いているのだ。おじさんも私を見ている。私がちゃんと答えを出さないといけない。

「手土産にダーキンドーナッツ、買ってきてくれたらね」

 子どもっぽいけど仕方ない。おじさんの手前、来るなとは言えなかった。

「山ほど買ってくるよ。ありがとな、朱里」

 優しそうに笑う父の顔は、おじさんによく似ていた。幼い私を捨てた人には、とても思えなかった。この人は一体どういう人なんだろう? 
 父親という人間をもう少し知ってみたい気持ちと、これ以上かかわりたくないという気持ち。相反する思いが、私の中で交錯していた。
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