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第三章 父と娘、蓉子の正体
おりんの過去
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「さち姐さん、今日は何を作るでやんすか!」
一つ目小僧が今日も元気よく、さちがいる台所へと飛び込んできた。
いつもなら、さちが笑顔で返事をしてくれるのだが、今日のさちは普段と違っていた。さちは味噌汁を作りながら、ぼぅっと呆けた顔をしている。すでに味噌を入れた味噌汁は、ぐつぐつと煮えて、地獄絵図のような状態になっている。
「さち姐さーん、味噌汁、煮立ってやんすよぉ~」
「え? あっ、やだっ!」
さちは慌てて味噌汁をかまどから下ろそうとしたが、うっかり鍋を素手で持とうとしてしまった。
「あつっ!」
味噌汁の鍋はかまどから滑り落ちようとしていた。このままでは火傷してしまう。
「さち姐さん、あぶないっ!!」
一つ目小僧の声と共に、さちの背後に飛び込んでくるものがいた。さちの代わりに熱々の鍋を、素手でつかみとった。
「ぬ、ぬらりひょん様!?」
「さち、火傷はしておらぬか?」
「私は大丈夫です。ですが、ぬらりひょん様がお怪我を……!」
「わしなら、大丈夫だ。だてにあやかしとして長く生きておらん」
「でも……」
「それより、さち。呆けたまま料理をするのは感心せぬな」
「も、申し訳……」
「謝られるのは、好きではないと言ったろう」
「はい……」
父の壱郎がぬらりひょんの屋敷に来て以降、さちはぼんやりすることが多くなっていた。父親の不可解な行動、何かを象徴してるかのような夢、思い出したいのに思い出せない懐かしい香りのこと。すぐそこに答えはあるように思うのに、さちには何もわからない。
「さち、しばし台所の仕事は止めて、休んだほうがいい」
「でも私はお料理を……」
「その状態では、いずれ大怪我をするぞ。そうなったら、わしも困る。今は言うことを聞きなさい」
「そうでやんすよ、さち姐さん。たまには休んでくだせぇ」
さちを心配する、一つ目小僧もぬらりひょんに同意した。
「はい……。しばらくお休みいたします……」
さちはすごすごと自らの部屋に戻っていった。
「さち姐さん、最近ぼんやりが多いでやんすねぇ……」
「九桜院家と離れたとはいえ、気になっているのだろう。父親のことが」
「そういうことなら、おいらには何もできませんや……」
一つ目小僧もしょんぼりと肩を落とす。
「おまえまで落ち込む出ない。さちはしばし休ませるから、そのつもりで」
「へい、わかりやした、おやびん!」
ぬらりひょんは真っ赤になった自分の手を隠しながら、さちのことを思った。
**
「さーち、元気してるかい?」
「あ、おりんさん……」
おりんがさちのところへやってきたが、さちはぼんやりとした表情で、おりんを出迎えた。
「さち、だいぶ重症みたいだねぇ。本当に大丈夫かい?」
おりんに問われ、さちは「大丈夫です」と答えようとしたが、うまく答えることができない。代わりに涙がこぼれてきてしまった。
「しょうがない子だねぇ。このおりんさんに話してみなよ。相談にのってやるからさ」
おりんの優しい言葉に、さちを涙を袂で拭い取りながら、ゆっくり話し始めた。
「父のことが気になるんです……。私はこれまで、父に嫌われ、憎まれていると思っていました。でもそれはひょっとしたら誤解だったのかもって。でもやっぱり、父に嫌われている気もして、よくわからなくて……」
「なるほど。実家である九桜院家と決別したはずなのに、気になってしまうわけかい。人間の家族への情はあたしらみたいな、あやかしには理解できないほど強いものだからねぇ」
「おりんさん……」
おりんはどこか寂しげに微笑み、さちを見つめた。
「ねぇ、さち。ちょっとあたしの昔話を聞いてくれるかい?」
「おりんさんに昔のことですか?」
「ああ、そうだよ」
「はい、聞かせてください」
さちがお茶を淹れると、二人はお茶を飲みながら、おりんの話を聞くこととなった。
「あやかしは今、幽世に帰りつつあるって話を、ぬらりひょん様から聞いたかい?」
「はい、目まぐるしく変わっていく日本についていけなくなったのだと聞きました。近代化する世界にあやかしが住まう場所はなくなってきている、とも」
「その通りだよ。でもあたしや一つ目小僧みたいに、いまだに人間の世界にふらふらしているものもいる。なぜだかわかるかい?」
さちは静かに首を振った。
おりんはかすかに微笑み、さちの頭を撫でながら語り始めた。
「あたしはね、今よりもう少し若い時に、人間の男と恋仲になったんだ。酒の席で気が合って、その後あたしの正体もうっかり見せてしまったのに、怖いって逃げるどころか、『きれいだ』っていいやがって。驚いたよ。首が伸びる女をきれいっていう男は、相当な変わり者だと思ってたし、最初は遊びのつもりだったんだ。だけど、だんだんと本気になっていってね。だって、あいつすごく優しいんだもん」
おりんは頬をほんのりと赤く染めながら、少女のような顔で語っていた。
「相手の男は弥吉って言うんだけどね、弥吉も同じ気持ちだったみたいで、ある日、求婚されたよ。『おれと家族になってくれ』って。最初は断った。だって、あたしはあやかしで、ろくろ首の女だからね。でも弥吉はあきらめなかった。何度もあたしのところに来ては、粘り強く求婚してくるんだ。あたしも根負けしてね、しょうがないから結婚してやった」
おりんが人間の男と結婚していたとは、さちは全く知らなかった。
「最初はすごく幸せだったよ。弥吉も、弥吉のお義母さんもあたしを大事にしてくれたし。それから数年後、あたしに子どもができたんだ。生まれた子はそれは愛らしい女の子でね。あたしも弥吉も夢中になった。この幸せは永遠に続くと思っていたよ」
おりんの表情から微笑みが消え、遠くを見つめながら寂しげに語った。
「時代が変わるにつれて、弥吉も少しずつ変わっていった。大工だった弥吉が、仕事を辞めて、外国と取引する仕事を始めるようになった。英語っていうのかな、海外の言葉まで猛勉強して身に付けていったよ。今思えば、弥吉はあたしたち家族を、時代が変わってもしっかりと守っていきたかったんだろうね。でも、あたしはそんな弥吉についていけなかった。だんだんとケンカが多くなっていって、会話もなくなっていったよ。弥吉はどんどん歳を重ねていくのに、あやかしである、あたしの見た目は変わらなかったから、戸惑いもあったんだと思う。で、ある日言われたよ、『人間の妻ができたから、離縁してほしい』って」
「そんな……そんなの、勝手すぎます、弥吉さんって方、ひどいです」
さちが弥吉の身勝手さに腹をたてると、おりんはかすかに微笑んだ。
「あたしも最初はそう思った。でもそこには、別の事情があったんだ」
「別の事情?」
「ああ。あたしと弥吉の娘は成長して、年頃の娘になっていてね。そろそろ嫁入り先を探さなくては、ってことになったんだけど、母親があやかしのあたしだとわかると、縁談がまとまらないって。娘のために、弥吉の家から出ていってほしい、言われたよ」
おりんは淡々と話しているが、母と娘のことを思えば、あまりに残酷な話だった。
おりんはさちと出会ったばかりの頃、さちが勝手にぬらりひょんのところに嫁いできたと思って、さちを怖がらせ、出ていかせようとした。そこには、こんな事情があったのだ。
「弥吉に対しての情はもうほとんど残ってなかったけど、娘のことは別だ。あたしが弥吉の家から出ることで、娘が幸せになるならそれでいいって思って、離縁して出ていったんだ。でも娘のことが今でも気がかりでねぇ。つい何度も見に行ってしまうんだ。そうこうするうちに、幽世へ帰る機会を見失ってしまった。そんな時、ぬらりひょん様に声をかけていただいて、時折ここに来るようになったのさ。今は声をかけていただいて本当に良かったと思ってるよ。だって、さち。あんたみたいな子と出会えたもの。さちは迷惑かもしれないけど、あたしはさちのこと、もうひとりの娘みたいに思ってるんだよ?」
「おりんさん……」
さちはおりんの言葉が、本当に嬉しかった。さちの実母は幼い頃に亡くなってしまったから、母の温もりをあまり覚えてないからだ。
「さち、あんたの生家である九桜院家は、いろいろと複雑みたいで、あたしなんかが簡単に口をはさめないけどさ。でもね、あんたは九桜院家から決別して、ただのさちとして、ぬらりひょん様と一緒に暮らすつもりなんだろ? だったら、いつまでも泣いたり、ぼうっとしたりしないで、ちゃんと幸せにならないと。さちのお父さんは、『幸せになれ』っていったんなら、なおさらだよ。あんたが幸せにならないと、お父さんだって悲しむよ? 親っていうのは、そういうものだからねぇ」
おりんの話は、さちにとって、深く納得できるものだった。
「まずは私が幸せになること。それが父への恩返しになるってことですね、おりんさん」
「そう、その通りだよ、さち。あんたはやっぱりお利口だねぇ」
おりんはさちの頭を優しく撫でる。それはきっと、もう簡単には会えなくなってしまった実の娘にしてあげたかったことを、さちにしてくれているのだろう。そう思うと、おりんへの感謝の気持ちでいっぱいだった。
「ああ、やだ。泣くんじゃないよ、さち。あんたに泣いてほしかったり、感謝してほしくて、こんな話をしてるんじゃないの。幸せってのはね、自分でつかみとってこそだよ。それで泣くこともあるけどさ、自分で選んだ道なら、後悔はないだろ?」
「はい、わかります。おりんさん。私は自分で選んで、ぬらりひょん様の元に残りました。そこに後悔はありません」
「わかってくれたらいいんだ。あとは自分で考えることだ。ちょいと湿っぽい話になっちまったね。あたしは今日はこれで帰らせてもらうよ。ああ、見送りはいいよ」
おりんはさちに手を振り、さっさと帰っていってしまった。
(おりんさん、今頃ひとりで泣いてるんじゃないかしら。でもその涙をあたしに見せたくないんだと思う)
辛くなるとわかっていても、さちのことも思い、過去のことを話してくれた。その気持ちが何よりありがたかった。
「ありがとうございます、おりんさん。あたしはちゃんと自分の力で幸せになります。それが父への恩返しになるはずだから」
ぼんやりとした迷いの気持ちは、きれいにさちの中から消えていた。
一つ目小僧が今日も元気よく、さちがいる台所へと飛び込んできた。
いつもなら、さちが笑顔で返事をしてくれるのだが、今日のさちは普段と違っていた。さちは味噌汁を作りながら、ぼぅっと呆けた顔をしている。すでに味噌を入れた味噌汁は、ぐつぐつと煮えて、地獄絵図のような状態になっている。
「さち姐さーん、味噌汁、煮立ってやんすよぉ~」
「え? あっ、やだっ!」
さちは慌てて味噌汁をかまどから下ろそうとしたが、うっかり鍋を素手で持とうとしてしまった。
「あつっ!」
味噌汁の鍋はかまどから滑り落ちようとしていた。このままでは火傷してしまう。
「さち姐さん、あぶないっ!!」
一つ目小僧の声と共に、さちの背後に飛び込んでくるものがいた。さちの代わりに熱々の鍋を、素手でつかみとった。
「ぬ、ぬらりひょん様!?」
「さち、火傷はしておらぬか?」
「私は大丈夫です。ですが、ぬらりひょん様がお怪我を……!」
「わしなら、大丈夫だ。だてにあやかしとして長く生きておらん」
「でも……」
「それより、さち。呆けたまま料理をするのは感心せぬな」
「も、申し訳……」
「謝られるのは、好きではないと言ったろう」
「はい……」
父の壱郎がぬらりひょんの屋敷に来て以降、さちはぼんやりすることが多くなっていた。父親の不可解な行動、何かを象徴してるかのような夢、思い出したいのに思い出せない懐かしい香りのこと。すぐそこに答えはあるように思うのに、さちには何もわからない。
「さち、しばし台所の仕事は止めて、休んだほうがいい」
「でも私はお料理を……」
「その状態では、いずれ大怪我をするぞ。そうなったら、わしも困る。今は言うことを聞きなさい」
「そうでやんすよ、さち姐さん。たまには休んでくだせぇ」
さちを心配する、一つ目小僧もぬらりひょんに同意した。
「はい……。しばらくお休みいたします……」
さちはすごすごと自らの部屋に戻っていった。
「さち姐さん、最近ぼんやりが多いでやんすねぇ……」
「九桜院家と離れたとはいえ、気になっているのだろう。父親のことが」
「そういうことなら、おいらには何もできませんや……」
一つ目小僧もしょんぼりと肩を落とす。
「おまえまで落ち込む出ない。さちはしばし休ませるから、そのつもりで」
「へい、わかりやした、おやびん!」
ぬらりひょんは真っ赤になった自分の手を隠しながら、さちのことを思った。
**
「さーち、元気してるかい?」
「あ、おりんさん……」
おりんがさちのところへやってきたが、さちはぼんやりとした表情で、おりんを出迎えた。
「さち、だいぶ重症みたいだねぇ。本当に大丈夫かい?」
おりんに問われ、さちは「大丈夫です」と答えようとしたが、うまく答えることができない。代わりに涙がこぼれてきてしまった。
「しょうがない子だねぇ。このおりんさんに話してみなよ。相談にのってやるからさ」
おりんの優しい言葉に、さちを涙を袂で拭い取りながら、ゆっくり話し始めた。
「父のことが気になるんです……。私はこれまで、父に嫌われ、憎まれていると思っていました。でもそれはひょっとしたら誤解だったのかもって。でもやっぱり、父に嫌われている気もして、よくわからなくて……」
「なるほど。実家である九桜院家と決別したはずなのに、気になってしまうわけかい。人間の家族への情はあたしらみたいな、あやかしには理解できないほど強いものだからねぇ」
「おりんさん……」
おりんはどこか寂しげに微笑み、さちを見つめた。
「ねぇ、さち。ちょっとあたしの昔話を聞いてくれるかい?」
「おりんさんに昔のことですか?」
「ああ、そうだよ」
「はい、聞かせてください」
さちがお茶を淹れると、二人はお茶を飲みながら、おりんの話を聞くこととなった。
「あやかしは今、幽世に帰りつつあるって話を、ぬらりひょん様から聞いたかい?」
「はい、目まぐるしく変わっていく日本についていけなくなったのだと聞きました。近代化する世界にあやかしが住まう場所はなくなってきている、とも」
「その通りだよ。でもあたしや一つ目小僧みたいに、いまだに人間の世界にふらふらしているものもいる。なぜだかわかるかい?」
さちは静かに首を振った。
おりんはかすかに微笑み、さちの頭を撫でながら語り始めた。
「あたしはね、今よりもう少し若い時に、人間の男と恋仲になったんだ。酒の席で気が合って、その後あたしの正体もうっかり見せてしまったのに、怖いって逃げるどころか、『きれいだ』っていいやがって。驚いたよ。首が伸びる女をきれいっていう男は、相当な変わり者だと思ってたし、最初は遊びのつもりだったんだ。だけど、だんだんと本気になっていってね。だって、あいつすごく優しいんだもん」
おりんは頬をほんのりと赤く染めながら、少女のような顔で語っていた。
「相手の男は弥吉って言うんだけどね、弥吉も同じ気持ちだったみたいで、ある日、求婚されたよ。『おれと家族になってくれ』って。最初は断った。だって、あたしはあやかしで、ろくろ首の女だからね。でも弥吉はあきらめなかった。何度もあたしのところに来ては、粘り強く求婚してくるんだ。あたしも根負けしてね、しょうがないから結婚してやった」
おりんが人間の男と結婚していたとは、さちは全く知らなかった。
「最初はすごく幸せだったよ。弥吉も、弥吉のお義母さんもあたしを大事にしてくれたし。それから数年後、あたしに子どもができたんだ。生まれた子はそれは愛らしい女の子でね。あたしも弥吉も夢中になった。この幸せは永遠に続くと思っていたよ」
おりんの表情から微笑みが消え、遠くを見つめながら寂しげに語った。
「時代が変わるにつれて、弥吉も少しずつ変わっていった。大工だった弥吉が、仕事を辞めて、外国と取引する仕事を始めるようになった。英語っていうのかな、海外の言葉まで猛勉強して身に付けていったよ。今思えば、弥吉はあたしたち家族を、時代が変わってもしっかりと守っていきたかったんだろうね。でも、あたしはそんな弥吉についていけなかった。だんだんとケンカが多くなっていって、会話もなくなっていったよ。弥吉はどんどん歳を重ねていくのに、あやかしである、あたしの見た目は変わらなかったから、戸惑いもあったんだと思う。で、ある日言われたよ、『人間の妻ができたから、離縁してほしい』って」
「そんな……そんなの、勝手すぎます、弥吉さんって方、ひどいです」
さちが弥吉の身勝手さに腹をたてると、おりんはかすかに微笑んだ。
「あたしも最初はそう思った。でもそこには、別の事情があったんだ」
「別の事情?」
「ああ。あたしと弥吉の娘は成長して、年頃の娘になっていてね。そろそろ嫁入り先を探さなくては、ってことになったんだけど、母親があやかしのあたしだとわかると、縁談がまとまらないって。娘のために、弥吉の家から出ていってほしい、言われたよ」
おりんは淡々と話しているが、母と娘のことを思えば、あまりに残酷な話だった。
おりんはさちと出会ったばかりの頃、さちが勝手にぬらりひょんのところに嫁いできたと思って、さちを怖がらせ、出ていかせようとした。そこには、こんな事情があったのだ。
「弥吉に対しての情はもうほとんど残ってなかったけど、娘のことは別だ。あたしが弥吉の家から出ることで、娘が幸せになるならそれでいいって思って、離縁して出ていったんだ。でも娘のことが今でも気がかりでねぇ。つい何度も見に行ってしまうんだ。そうこうするうちに、幽世へ帰る機会を見失ってしまった。そんな時、ぬらりひょん様に声をかけていただいて、時折ここに来るようになったのさ。今は声をかけていただいて本当に良かったと思ってるよ。だって、さち。あんたみたいな子と出会えたもの。さちは迷惑かもしれないけど、あたしはさちのこと、もうひとりの娘みたいに思ってるんだよ?」
「おりんさん……」
さちはおりんの言葉が、本当に嬉しかった。さちの実母は幼い頃に亡くなってしまったから、母の温もりをあまり覚えてないからだ。
「さち、あんたの生家である九桜院家は、いろいろと複雑みたいで、あたしなんかが簡単に口をはさめないけどさ。でもね、あんたは九桜院家から決別して、ただのさちとして、ぬらりひょん様と一緒に暮らすつもりなんだろ? だったら、いつまでも泣いたり、ぼうっとしたりしないで、ちゃんと幸せにならないと。さちのお父さんは、『幸せになれ』っていったんなら、なおさらだよ。あんたが幸せにならないと、お父さんだって悲しむよ? 親っていうのは、そういうものだからねぇ」
おりんの話は、さちにとって、深く納得できるものだった。
「まずは私が幸せになること。それが父への恩返しになるってことですね、おりんさん」
「そう、その通りだよ、さち。あんたはやっぱりお利口だねぇ」
おりんはさちの頭を優しく撫でる。それはきっと、もう簡単には会えなくなってしまった実の娘にしてあげたかったことを、さちにしてくれているのだろう。そう思うと、おりんへの感謝の気持ちでいっぱいだった。
「ああ、やだ。泣くんじゃないよ、さち。あんたに泣いてほしかったり、感謝してほしくて、こんな話をしてるんじゃないの。幸せってのはね、自分でつかみとってこそだよ。それで泣くこともあるけどさ、自分で選んだ道なら、後悔はないだろ?」
「はい、わかります。おりんさん。私は自分で選んで、ぬらりひょん様の元に残りました。そこに後悔はありません」
「わかってくれたらいいんだ。あとは自分で考えることだ。ちょいと湿っぽい話になっちまったね。あたしは今日はこれで帰らせてもらうよ。ああ、見送りはいいよ」
おりんはさちに手を振り、さっさと帰っていってしまった。
(おりんさん、今頃ひとりで泣いてるんじゃないかしら。でもその涙をあたしに見せたくないんだと思う)
辛くなるとわかっていても、さちのことも思い、過去のことを話してくれた。その気持ちが何よりありがたかった。
「ありがとうございます、おりんさん。あたしはちゃんと自分の力で幸せになります。それが父への恩返しになるはずだから」
ぼんやりとした迷いの気持ちは、きれいにさちの中から消えていた。
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