魔法のことば

蒼真まこ

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妻の笑顔

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 その後、昌也はできるだけ毎日、「ありがとう」という言葉を伝えるようにした。
 最初は有美子同様に怪訝けげんな顔をされ、もう二度と言うもんか、と思うこともあったが、続けるうちに少しずつ変わっていった。
 
 まず妻の有美子が少しずつ笑顔を見せるようになったのだ。
 初めこそ昌也の気持ちを疑っていた有美子だったが、「ありがとう」を続けるうちに確実に笑顔が増えていった。昌也も「ありがとう」ということで、自分が恵まれた環境にあることを認識できる気がした。
 笑顔が増えると、自然と夫婦の会話も増えてくる。やがて有美子は子育てで秘かに悩んでいることがあるの、と話してくれた。

「達哉ね、三歳になるのに言葉も遅くて、食べ物の好き嫌いも多いの。いろんな本を読んだり、相談したりしてるけど、なかなかうまくいかなくて……」
「僕も早く帰れた日は、できるだけ達哉と一緒に過ごすようにするよ。有美子、話してくれてありがとな」
「私こそ話を聞いてくれてありがとう、あなた」

 有美子は穏やかな微笑みを浮かべている。
 妻の悩みを聞くようになると、彼女もまた様々な葛藤を抱え、苦しんでいることがわかってきた。有美子はずっと家庭にいるし、外で働く自分よりずっと楽だと思い込んでいた。

(有美子が家の中で苛ついていたのは、僕の無関心のせいでもあったのかもしれないな……)

 その気付きもまた、「ありがとう」という言葉から知ったことだった。

「ねぇ、昌也さん。最近のあなたって、笑顔が増えたわね。一緒にいて私も嬉しいわ」

 それはまさに自分が感じていたことだと思い、思わず笑ってしまった昌也だった。

「以前、世話になってる人から教わったんだ。『ありがとうは魔法のことば』って。最初聞いたときは嘘だと思ったけど、今は本当だって思ってる。人間生きてればいろんなことがあって、『ありがとう』なんて言葉じゃ済まないこともある。でもさ、それでも『ありがとう』って言える人生でありたいよね」

 待ち望んでいた本社栄転が、部下の松本が起こした揉め事のせいで話が流れてしまった時は、さすがの昌也も部下と人生を恨んだ。
 それでも感謝する気持ちを忘れないようにすることで、松本だけでなく支社の社員全員が一丸となって働くようになり、支社の営業成績は本社より勝ったのだ。

「そうね。私も忘れないようにしたいわ」

 有美子が穏やかに微笑んだ。その笑顔は出会った頃の、若くて美しい妻の顔だった。

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