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第二章
ご近所さん
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信さんが再び私を抱き寄せる。その胸に顔を埋めると、愛しげに私の髪を撫でながら、ソファーにゆっくりと押し倒していく。紅く染まり始めた空が、私たちを静かに包み込んでいった。
「楓、愛してる……」
うっとりとした眼で見つめながら覆い被さると、首筋に軽いキス。その冷ややかな感触が、甘美な夢から現実へと引き戻した。
あれ、私なんか忘れてる……?
「そうだ、ご近所に引越しの挨拶しないと!」
胸元に手を滑り込ませていた信さんを、ぐいっと押し退けると私はすくっと立ち上がった。
「ほらほら、信さんも起きて! ご近所に挨拶しないと」
「挨拶など明日でもよいではないか。それより今はおまえと大切な初夜をだな……」
「それはあとで!」
信さんの目が一瞬点になったが、ややあってにんまりと笑った。
「『あとで』とな。了解した。夜のお楽しみとするわけだな」
いたずらっ子のような微笑み。その蠱惑的な魅力に我を忘れてしまいそうになるけど、今はそれにかまっている場合じゃない。
「信さん、冗談はいいから。一緒に挨拶にいこう?」
「いや、冗談のつもりはないが。楓からのお誘いであるし」
「もうっ!」
赤くなる顔を必死にごまかしながら、信さんの背中を押して玄関へと向かわせる。
手早く靴を履きながら、信さんのみだれた衣を直していく。予め用意しておいた手土産の袋を掴むと、玄関の扉を開けた。
「引越しの挨拶は最初が肝心だと思うの。これから良いお付き合いをするためにね」
「挨拶といっても。私はすでに知っているものばかりだぞ。この長屋は私が作ったのだから」
「信さんは知っていても、私が皆さんを知らないの。きちんとご挨拶しないとね。これからよろしくお願いします、って」
「そんなものか?」
渋る信さんの腕を引っ張りながら、お隣の部屋102号室のインターホンを押した。
「はぁい」
軽やかな女性の声が響いた。パタパタと足音がして、玄関の扉がさっと開かれた。現れたのは艶やかな黒髪が美しい女性だった。
「あら、信さん」
鈴を転がすような声で気さくに呼び掛ける女性。細い体なのに、胸元から腰は女性らしい見事な曲線を描いている。
口元にはほくろ。それが大人の女性らしい色気を加えている。すごい美女……。見惚れてしまいそうになったが、美女が小首を傾げて私を見つめていることに気付き、当初の目的を思い出した。
「初めまして! お隣の信さんに嫁いでまいりました、楓と申します。今日からお世話になります。よろしくお願い致します!」
美女は艶やかに微笑んだ。
「信さんのところに来たお嫁さんね! 伺ってるわ。信さんってば、『もうじき嫁が来るんだ』と大騒ぎだったもの」
楽しそうにころころと笑う。笑うと途端に子供っぽくなるところに、少しだけ安心した。良かった、仲良くなれそう。
「こらこら、優花さん。花嫁さんをからかってはダメだよ」
「小太郎ちゃん」
優花と呼ばれた美女の後ろから、若い男性が現れた。少年のようなあどけない顔立ちをした人は、アイドルのような甘いルックスで、優花さんとは別の華やかさがあった。美女と美少年。すごいカップルだ。一枚の絵みたい。
「おお、小太郎。今日は体は乾いてないのか?」
信さんが愉快そうに話しかける。
「信さん、こんにちは。大丈夫だよ。今日はもう水に入ってきたからね」
「体が乾いていたら遠慮なく言うといいぞ。俺が癒してやるから」
「ありがと、信さん」
話についていけず、ぽかんとしてしまった。
体を癒す……?
「楓ちゃんには、なんのことかわからないわよね」
優花さんが一早く気付いてくれた。
「小太郎ちゃんはね、河童なの。正確に『元・河童』だけど。そして私は普通の人間。私と小太郎ちゃんは、人間と河童の夫婦なの」
優花さんは実に愉快そうに語ったのだった。
「楓、愛してる……」
うっとりとした眼で見つめながら覆い被さると、首筋に軽いキス。その冷ややかな感触が、甘美な夢から現実へと引き戻した。
あれ、私なんか忘れてる……?
「そうだ、ご近所に引越しの挨拶しないと!」
胸元に手を滑り込ませていた信さんを、ぐいっと押し退けると私はすくっと立ち上がった。
「ほらほら、信さんも起きて! ご近所に挨拶しないと」
「挨拶など明日でもよいではないか。それより今はおまえと大切な初夜をだな……」
「それはあとで!」
信さんの目が一瞬点になったが、ややあってにんまりと笑った。
「『あとで』とな。了解した。夜のお楽しみとするわけだな」
いたずらっ子のような微笑み。その蠱惑的な魅力に我を忘れてしまいそうになるけど、今はそれにかまっている場合じゃない。
「信さん、冗談はいいから。一緒に挨拶にいこう?」
「いや、冗談のつもりはないが。楓からのお誘いであるし」
「もうっ!」
赤くなる顔を必死にごまかしながら、信さんの背中を押して玄関へと向かわせる。
手早く靴を履きながら、信さんのみだれた衣を直していく。予め用意しておいた手土産の袋を掴むと、玄関の扉を開けた。
「引越しの挨拶は最初が肝心だと思うの。これから良いお付き合いをするためにね」
「挨拶といっても。私はすでに知っているものばかりだぞ。この長屋は私が作ったのだから」
「信さんは知っていても、私が皆さんを知らないの。きちんとご挨拶しないとね。これからよろしくお願いします、って」
「そんなものか?」
渋る信さんの腕を引っ張りながら、お隣の部屋102号室のインターホンを押した。
「はぁい」
軽やかな女性の声が響いた。パタパタと足音がして、玄関の扉がさっと開かれた。現れたのは艶やかな黒髪が美しい女性だった。
「あら、信さん」
鈴を転がすような声で気さくに呼び掛ける女性。細い体なのに、胸元から腰は女性らしい見事な曲線を描いている。
口元にはほくろ。それが大人の女性らしい色気を加えている。すごい美女……。見惚れてしまいそうになったが、美女が小首を傾げて私を見つめていることに気付き、当初の目的を思い出した。
「初めまして! お隣の信さんに嫁いでまいりました、楓と申します。今日からお世話になります。よろしくお願い致します!」
美女は艶やかに微笑んだ。
「信さんのところに来たお嫁さんね! 伺ってるわ。信さんってば、『もうじき嫁が来るんだ』と大騒ぎだったもの」
楽しそうにころころと笑う。笑うと途端に子供っぽくなるところに、少しだけ安心した。良かった、仲良くなれそう。
「こらこら、優花さん。花嫁さんをからかってはダメだよ」
「小太郎ちゃん」
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「おお、小太郎。今日は体は乾いてないのか?」
信さんが愉快そうに話しかける。
「信さん、こんにちは。大丈夫だよ。今日はもう水に入ってきたからね」
「体が乾いていたら遠慮なく言うといいぞ。俺が癒してやるから」
「ありがと、信さん」
話についていけず、ぽかんとしてしまった。
体を癒す……?
「楓ちゃんには、なんのことかわからないわよね」
優花さんが一早く気付いてくれた。
「小太郎ちゃんはね、河童なの。正確に『元・河童』だけど。そして私は普通の人間。私と小太郎ちゃんは、人間と河童の夫婦なの」
優花さんは実に愉快そうに語ったのだった。
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