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第二章
私の居場所
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歓迎会を楽しく過ごした晩から一夜が明けた。
「朝だよぅ、あざだょぅ、おぎてぇ……」
くぐもった声で私を起こしてくれる、にわとりの目覚まし時計は今も健在だ。ただし、音量はこれまでと違って最小に設定してある。それでも静かな朝には、それなりに響く声だ。
「はーい、今起きるよ、にわとり君」
手を伸ばして、慌てて目覚まし時計を止める。そっと隣の様子を伺うと、信さんは気持ち良さそうに眠っていた。
目覚まし時計の音量を最小にしたのは、今の私はひとりぼっちではないから。共に眠る相手がいるのだ。
すやすやと眠る信さんの寝顔はどこかあどけなく、その顔をいつまでも眺めていたくなる可愛さだ。
ダメダメ。こんなことしてたら何のために早起きしたのかわからないじゃない。
「おはよう、信さん」
小声で挨拶をして、その頬にそっとキスをした。
私を抱きしめるように伸ばしていた信さんの腕から逃れると、音をたてないように素早く着替える。
「じゃあ、行ってくるね」
再び小声で声をかけると、そうっと外に出た。
ひんやりとした早朝の空気を感じると、静かに深呼吸する。
信さんの水の結界で守られたみなも荘は、人の目からはその存在を確認することができないという。信さんが許可した者のみ、入居者となれる特別な場所なのだ。
私は新しく入居者となった。しかも信さんの妻として、温かく迎えてもらった。本当に幸せな夜だった。
幸せを噛みしめながら、私は考えていた。
「信さんと、みなも荘の皆さんに、何をお返ししてあげられるだろう? 私の役目は何?」
そして私はささやかな決意をした。私にできること。それは得意なことをすべきだと。
「さて、始めますか」
ほうきを手に取ると、音をたてないように注意しながら、みなも荘を掃除し始めた。
私の得意なことは、掃除。かつては親戚のおじさんやおばさんに喜んでもらうためにしていたけど、今は私の大切な人たちのためにしてあげたい。それが信さんとみなも荘の家族にしてあげられる、ささやかな恩返しだから。
「楓さん? 早朝から何をしてるの?」
黙々と掃除をしていると、優花さんが声をかけてきた。小太郎さんと一緒に、朝の散歩をしていたようだ。
「掃除してます。優花さん、小太郎さん」
「みなも荘のお手入れってこと? それなら当番制にして、みんなで順番にお掃除していけばいいわ。これまでそうしていたし」
「これからは私が、担当しようと思ってます」
「楓さんひとりで背負い込む必要はないわ。結構大変よ」
「掃除は得意なんですよ、私」
片腕をあげ、ガッツポーズをした時だった。
「楓!」
信さんが慌てるように、歩いてくるのが見えた。私が寝床にいなかったから、探しに来たようだ。
「楓、おまえはみなも荘に来たばかりだ。しばらくは、ゆっくりしておればよい」
私からほうきをとりあげようとするので、手でそれを制止した。ほうきはこれからの私の、必須アイテムだもの。
「私は信さんと一緒に、みなも荘を管理していくのでしょう? なら掃除は私の役目だと思う」
「いや、しかしだな、楓」
信さんは納得できないのか、腕を組み、少し不機嫌そうな顔をしている。
「優花さん、小太郎さん。お聞きしていいですか?
お仕事ってされてます?」
急に話をふられた優花さんが、驚くような声をあげる。
「仕事? ええ。近くのスポーツセンターで受付の仕事をしてるわ」
「僕はそこで、水泳のインストラクターとして働いてるよ」
小太郎さん、さすがは元河童だわ。前職(?)を活かした仕事をしてるのね。
「そうですよね、皆さん生きていくために、働いてる方がほとんどですよね。だとしたら私がなすべきことは、皆さんが気持ち良くお仕事に行けるように、しっかり管理していくことだと思うんです」
「楓……」
信さんがまぶしそうに、私を見つめている。
「朝は皆さんに『いってらっしゃい』って見送って、帰ってきたら『お帰りなさい』ってお迎える。昔から憧れだったのよ? 家族をお見送りするのって」
ずっとひとりぼっちだった私にとって、家族への何気ない挨拶さえも憧れだったのだ。
「だから私の仕事だと思ってやらせて? お願い、信さん」
「わかった。楓がそこまで言うのなら」
信さんは優しく微笑んでくれた。
「楓さんは、しっかり者ねぇ。信さんには、ぴったりの奥さんね」
「優花、それはどういう意味だ?」
「信さんはちょっとぐーたらしてる……ううん、ちょっとだらしないところがあるから、楓さんは信さんとお似合いだね、って」
「小太郎、それはフォローになっとらん……」
信さんが頭をかきながら、少しだけ気まずそうに笑っている。
みなも荘で暮らしている者は、事情がある人ばかりだけど、全員優しい。これまでの苦労がそうさせているのかもしれない。私はその仲間であり、家族の一員になれるのだと思うと、たまらなく嬉しい。
改めて実感すると、なぜだか泣けてきそうになる。目元が涙でぼやけてくるのを手でぬぐいとりながら、精一杯の笑顔を見せる。
「掃除はあと少しだから、全部私にさせて下さいね!」
私の声に応えるように信さんが笑い、みなも荘も輝きを増していくように思えるのだった。
ここが私の居場所であり、生きていく世界。
みなも荘を守るために、精一杯頑張ろう。
「朝だよぅ、あざだょぅ、おぎてぇ……」
くぐもった声で私を起こしてくれる、にわとりの目覚まし時計は今も健在だ。ただし、音量はこれまでと違って最小に設定してある。それでも静かな朝には、それなりに響く声だ。
「はーい、今起きるよ、にわとり君」
手を伸ばして、慌てて目覚まし時計を止める。そっと隣の様子を伺うと、信さんは気持ち良さそうに眠っていた。
目覚まし時計の音量を最小にしたのは、今の私はひとりぼっちではないから。共に眠る相手がいるのだ。
すやすやと眠る信さんの寝顔はどこかあどけなく、その顔をいつまでも眺めていたくなる可愛さだ。
ダメダメ。こんなことしてたら何のために早起きしたのかわからないじゃない。
「おはよう、信さん」
小声で挨拶をして、その頬にそっとキスをした。
私を抱きしめるように伸ばしていた信さんの腕から逃れると、音をたてないように素早く着替える。
「じゃあ、行ってくるね」
再び小声で声をかけると、そうっと外に出た。
ひんやりとした早朝の空気を感じると、静かに深呼吸する。
信さんの水の結界で守られたみなも荘は、人の目からはその存在を確認することができないという。信さんが許可した者のみ、入居者となれる特別な場所なのだ。
私は新しく入居者となった。しかも信さんの妻として、温かく迎えてもらった。本当に幸せな夜だった。
幸せを噛みしめながら、私は考えていた。
「信さんと、みなも荘の皆さんに、何をお返ししてあげられるだろう? 私の役目は何?」
そして私はささやかな決意をした。私にできること。それは得意なことをすべきだと。
「さて、始めますか」
ほうきを手に取ると、音をたてないように注意しながら、みなも荘を掃除し始めた。
私の得意なことは、掃除。かつては親戚のおじさんやおばさんに喜んでもらうためにしていたけど、今は私の大切な人たちのためにしてあげたい。それが信さんとみなも荘の家族にしてあげられる、ささやかな恩返しだから。
「楓さん? 早朝から何をしてるの?」
黙々と掃除をしていると、優花さんが声をかけてきた。小太郎さんと一緒に、朝の散歩をしていたようだ。
「掃除してます。優花さん、小太郎さん」
「みなも荘のお手入れってこと? それなら当番制にして、みんなで順番にお掃除していけばいいわ。これまでそうしていたし」
「これからは私が、担当しようと思ってます」
「楓さんひとりで背負い込む必要はないわ。結構大変よ」
「掃除は得意なんですよ、私」
片腕をあげ、ガッツポーズをした時だった。
「楓!」
信さんが慌てるように、歩いてくるのが見えた。私が寝床にいなかったから、探しに来たようだ。
「楓、おまえはみなも荘に来たばかりだ。しばらくは、ゆっくりしておればよい」
私からほうきをとりあげようとするので、手でそれを制止した。ほうきはこれからの私の、必須アイテムだもの。
「私は信さんと一緒に、みなも荘を管理していくのでしょう? なら掃除は私の役目だと思う」
「いや、しかしだな、楓」
信さんは納得できないのか、腕を組み、少し不機嫌そうな顔をしている。
「優花さん、小太郎さん。お聞きしていいですか?
お仕事ってされてます?」
急に話をふられた優花さんが、驚くような声をあげる。
「仕事? ええ。近くのスポーツセンターで受付の仕事をしてるわ」
「僕はそこで、水泳のインストラクターとして働いてるよ」
小太郎さん、さすがは元河童だわ。前職(?)を活かした仕事をしてるのね。
「そうですよね、皆さん生きていくために、働いてる方がほとんどですよね。だとしたら私がなすべきことは、皆さんが気持ち良くお仕事に行けるように、しっかり管理していくことだと思うんです」
「楓……」
信さんがまぶしそうに、私を見つめている。
「朝は皆さんに『いってらっしゃい』って見送って、帰ってきたら『お帰りなさい』ってお迎える。昔から憧れだったのよ? 家族をお見送りするのって」
ずっとひとりぼっちだった私にとって、家族への何気ない挨拶さえも憧れだったのだ。
「だから私の仕事だと思ってやらせて? お願い、信さん」
「わかった。楓がそこまで言うのなら」
信さんは優しく微笑んでくれた。
「楓さんは、しっかり者ねぇ。信さんには、ぴったりの奥さんね」
「優花、それはどういう意味だ?」
「信さんはちょっとぐーたらしてる……ううん、ちょっとだらしないところがあるから、楓さんは信さんとお似合いだね、って」
「小太郎、それはフォローになっとらん……」
信さんが頭をかきながら、少しだけ気まずそうに笑っている。
みなも荘で暮らしている者は、事情がある人ばかりだけど、全員優しい。これまでの苦労がそうさせているのかもしれない。私はその仲間であり、家族の一員になれるのだと思うと、たまらなく嬉しい。
改めて実感すると、なぜだか泣けてきそうになる。目元が涙でぼやけてくるのを手でぬぐいとりながら、精一杯の笑顔を見せる。
「掃除はあと少しだから、全部私にさせて下さいね!」
私の声に応えるように信さんが笑い、みなも荘も輝きを増していくように思えるのだった。
ここが私の居場所であり、生きていく世界。
みなも荘を守るために、精一杯頑張ろう。
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