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第一章
二度目の求婚
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「楓、楓……」
私を呼ぶ声がする。とても大切で、大好きな人の声。
ゆっくりと目を開けると、心配そうに私の顔をのぞき込む人がいた。涙をため込んだような青い瞳、流れる銀色の髪。水神と人間のハナさんが愛し合って生まれた人の名は……。
「信さん……」
「楓、良かった。意識を取り戻したんだね。気を失ってしまったから心配していた」
私と信さんは湖からあがっていた。
腕に抱き、心配そうに私を見つめている。
昔のことを思い出し始めた私が意識を失ってしまったため、慌てて地上に戻ってきたようだ。
「信さん、私全てを思いだしたわ。あなたとの記憶を失ったのは、私が望んだことだったのね……」
「思いだしたのだね。そうだ、わたしと君の絆を、父に証明するためにね。そしてわたしが楓の記憶を消した。辛かったけれど、わたしも君を信じたよ、必ずわたしの元へ帰ってきてくれると」
「ええ。私、戻ってきたわ……。あなたの腕の中に」
信さんの胸元に顔をうずめた。再び出会えたこの人が、愛しくてたまらない。信さんも私の髪を優しく撫でてくれた。
「楓、約束通り、大人になった君に全ての真実を伝えた。そのうえで、楓に聞きたい。水神の子であるわたしと共に生きてくれるかい?」
それは二度目の求婚だった。今なら、その意味がよくわかる。
「君に決めてほしい。無理強いはしたくない。わたしと親しくなったばかりに、余計な苦労を背負うことになったのだから。すまない……」
信さんが申し訳なさそうに、私に頭を下げた。その顔にそっとふれ、頭をあげてもらった。
「謝らないで、信さん。私ね、心の中でずっと、どうして私だけ不幸なの? って思ってた。幼い頃に両親を失い、頑張って大人になっても仕事や住む場所を失ったり、災難続きで。他の人はあたりまえのように幸せを手にしてる人も多いのに、なぜ私だけこんな運命なんだろう、と。でも、違った」
信さんの頬をつつみこむように、両手を添えた。彼も手を重ね合わせる。
「私にも、こんな素敵な運命があったのね。頑張って生きてこれたのも、きっとこの日のためだったんだわ。ねぇ、教えて、信さん。私でも幸せになっていいのかな?」
「あたりまえだ。楓は誰より幸せになっていい。いや、わたしが幸せにする。もう一度言うよ、どうかわたしの妻になっておくれ。生きるかたちは違えど、共に生きよう。幸せになるために」
今まで生きてきた中で、こんなにも幸福を感じる言葉があっただろうか? 歓びで涙があふれてくる。
「秋山楓は、水神の子である信さんの妻になります……」
「生涯、君だけを愛すると誓うよ、楓」
引き寄せられるように、かたく抱きしめ合った。少しひんやりとした、でも温かな温もりに、涙が止まらない。私はこの腕の中に、ずっと帰ってきたかったのだ。
互いの存在を確認し合うように、泣きながらいつまでも抱き合う私達を、風になびかれた湖面は優しくせせらいでいた。
「楓と離れていた間、わたしが何をしていたと思う?」
信さんは私の髪を、愛おしげに撫でながら言った。
「楓と再会できると信じていたが、待ち続けるのもなかなか辛いものでね。ならばせめて、未来に繋がることをしようと思ったんだ」
「未来に繋がることって? 聞かせて」
彼は優しく微笑み、少し嬉しそうに語り始めた。
「人と人ならざるものが惹かれ合い愛し合い、婚姻関係を結ぶ。人はそれを『異類婚姻譚』と呼ぶ。異類婚姻した夫婦は落ち着いて暮らせるを場所を、なかなか見つけられなかったりする。なぜだかわかるかい?」
信さんのご両親の話を知った今ならわかる。
「人ならざる者の正体を知られたり、興味を持たれてはいけないから、ね」
「そうだ。正体や事情を知っても、楓のように理解してくれる人もいるが、残念ながらそんな人間ばかりではない。騒がれ、世間にひろめられたりしたら、大変なことになるからね。正体を隠しながら夫婦として共に生活していくのは、なかなか大変なものだ。そんな彼らが安心して暮らせる場所を、与えてやりたいと思ったのだ」
信さん自身も経験した悲劇を、二度と繰り返させたくないという願いもあったのだろう。彼の思いが痛いほど理解できた。
「わたしの力で神域に特別な住まいを用意したんだ。結界で守られているから、わたしの知らないものは中に入ることはできない。異類婚姻した夫妻にその住まいを提供してやったら、とても喜ばれてね。いつしか何組かの異類婚姻の夫妻が、そこで暮らすようになった」
「それは良い事ね」
信さんは満足そうに微笑んだ。
異類婚姻した夫妻を助けてあげることで、信さんの心の傷も少しずつ癒えていったのではないだろうか。前向きに動く信さんが頼もしかった。
「異類婚姻した夫妻のための住まいを、提供してやったのはいいのだが……。その管理がなかなか大変でね。アクが強い……いや、個性豊かな夫妻ばかりで」
いったいどんな夫婦たちが暮らしているのやら。
頭の中でいろんなことを想像していたら、信さんは私の顔をのぞきこむように言った。
「楓、わたしの妻となったら、共にその住まいで暮らさないか? そしてできたら、住まいの管理を一緒にしてやってほしいのだ」
「管理人になるってこと?」
「まぁ、そんな形かな」
突然の誘いに戸惑ってしまう。でも安心して暮らせる場所は確かに必要だ。
「|異類婚姻した夫妻の暮らしを手助けしながら、いつかしかわたしも願うようになった。楓と再会し、許されるなら、共にそこで暮らしたいと。事情を抱えた者同士、助け合えるだろうから」
「そうね、きっとそうだわ」
人と人ならざる者が結婚したら、普通の夫婦ではありえない苦労や悩みもありそうだ。近くに似たような状況の夫妻がいれば、悩みを相談することもできる。
「どうだろう? 楓」
心配そうに私を見つめている。精悍な肉体をもつ大人になっても、その眼差しは幼い頃とあまり変わらなくて、なんだか可愛いと思ってしまう。
「何を笑ってるんだ?」
「なんでもない。ねぇ、異類婚姻した夫妻が暮らす場所はなんて名前なの?」
「特に名はつけてなかったのだが、いつのまにか『みなも荘』と呼ばれるようにったな」
「みなも? なんて意味?」
「古来の呼び方で『水面』を意味するそうだ」
「なるほど。信さんのことを現してるのね」
指摘すると、わずかに頬を染め、照れくさそうに目をそらす。こういうところも昔と変わらない。
「みなも荘を守り、支えていくことが、信さんの夢なのね」
「夢か……。そうかもしれない。事情を抱えた夫妻に幸せになってほしいから」
「その夢、私にも手伝わせて。あなたの夢は、私の夢でもあるもの」
「楓、いいのかい?」
「こう見えても掃除は得意なのよ。少しは力になれると思う」
「ありがとう、楓!」
「きやっ!」
再びかたく抱きしめられ、慌てる私の頬に、ちゅっとキスをされてしまった。
「し、信さん、どさくさにまぎれて」
「続きは今度だな」
「続き」を想像して、思わず赤面する。
「今度は楓が赤くなったな」
「もうっ! からかわないで」
「慌てる君も、可愛いよ。楓は昔から可愛いけどね」
昔と変わらないと思っていたけれど、いつのまにか、大人の余裕も身につけていたようだ。私が知らない部分も、これから教えてくれのかもしれない。
信さんとの新生活は、どんな未来を私にもたらしてくれるのだろう。
私を呼ぶ声がする。とても大切で、大好きな人の声。
ゆっくりと目を開けると、心配そうに私の顔をのぞき込む人がいた。涙をため込んだような青い瞳、流れる銀色の髪。水神と人間のハナさんが愛し合って生まれた人の名は……。
「信さん……」
「楓、良かった。意識を取り戻したんだね。気を失ってしまったから心配していた」
私と信さんは湖からあがっていた。
腕に抱き、心配そうに私を見つめている。
昔のことを思い出し始めた私が意識を失ってしまったため、慌てて地上に戻ってきたようだ。
「信さん、私全てを思いだしたわ。あなたとの記憶を失ったのは、私が望んだことだったのね……」
「思いだしたのだね。そうだ、わたしと君の絆を、父に証明するためにね。そしてわたしが楓の記憶を消した。辛かったけれど、わたしも君を信じたよ、必ずわたしの元へ帰ってきてくれると」
「ええ。私、戻ってきたわ……。あなたの腕の中に」
信さんの胸元に顔をうずめた。再び出会えたこの人が、愛しくてたまらない。信さんも私の髪を優しく撫でてくれた。
「楓、約束通り、大人になった君に全ての真実を伝えた。そのうえで、楓に聞きたい。水神の子であるわたしと共に生きてくれるかい?」
それは二度目の求婚だった。今なら、その意味がよくわかる。
「君に決めてほしい。無理強いはしたくない。わたしと親しくなったばかりに、余計な苦労を背負うことになったのだから。すまない……」
信さんが申し訳なさそうに、私に頭を下げた。その顔にそっとふれ、頭をあげてもらった。
「謝らないで、信さん。私ね、心の中でずっと、どうして私だけ不幸なの? って思ってた。幼い頃に両親を失い、頑張って大人になっても仕事や住む場所を失ったり、災難続きで。他の人はあたりまえのように幸せを手にしてる人も多いのに、なぜ私だけこんな運命なんだろう、と。でも、違った」
信さんの頬をつつみこむように、両手を添えた。彼も手を重ね合わせる。
「私にも、こんな素敵な運命があったのね。頑張って生きてこれたのも、きっとこの日のためだったんだわ。ねぇ、教えて、信さん。私でも幸せになっていいのかな?」
「あたりまえだ。楓は誰より幸せになっていい。いや、わたしが幸せにする。もう一度言うよ、どうかわたしの妻になっておくれ。生きるかたちは違えど、共に生きよう。幸せになるために」
今まで生きてきた中で、こんなにも幸福を感じる言葉があっただろうか? 歓びで涙があふれてくる。
「秋山楓は、水神の子である信さんの妻になります……」
「生涯、君だけを愛すると誓うよ、楓」
引き寄せられるように、かたく抱きしめ合った。少しひんやりとした、でも温かな温もりに、涙が止まらない。私はこの腕の中に、ずっと帰ってきたかったのだ。
互いの存在を確認し合うように、泣きながらいつまでも抱き合う私達を、風になびかれた湖面は優しくせせらいでいた。
「楓と離れていた間、わたしが何をしていたと思う?」
信さんは私の髪を、愛おしげに撫でながら言った。
「楓と再会できると信じていたが、待ち続けるのもなかなか辛いものでね。ならばせめて、未来に繋がることをしようと思ったんだ」
「未来に繋がることって? 聞かせて」
彼は優しく微笑み、少し嬉しそうに語り始めた。
「人と人ならざるものが惹かれ合い愛し合い、婚姻関係を結ぶ。人はそれを『異類婚姻譚』と呼ぶ。異類婚姻した夫婦は落ち着いて暮らせるを場所を、なかなか見つけられなかったりする。なぜだかわかるかい?」
信さんのご両親の話を知った今ならわかる。
「人ならざる者の正体を知られたり、興味を持たれてはいけないから、ね」
「そうだ。正体や事情を知っても、楓のように理解してくれる人もいるが、残念ながらそんな人間ばかりではない。騒がれ、世間にひろめられたりしたら、大変なことになるからね。正体を隠しながら夫婦として共に生活していくのは、なかなか大変なものだ。そんな彼らが安心して暮らせる場所を、与えてやりたいと思ったのだ」
信さん自身も経験した悲劇を、二度と繰り返させたくないという願いもあったのだろう。彼の思いが痛いほど理解できた。
「わたしの力で神域に特別な住まいを用意したんだ。結界で守られているから、わたしの知らないものは中に入ることはできない。異類婚姻した夫妻にその住まいを提供してやったら、とても喜ばれてね。いつしか何組かの異類婚姻の夫妻が、そこで暮らすようになった」
「それは良い事ね」
信さんは満足そうに微笑んだ。
異類婚姻した夫妻を助けてあげることで、信さんの心の傷も少しずつ癒えていったのではないだろうか。前向きに動く信さんが頼もしかった。
「異類婚姻した夫妻のための住まいを、提供してやったのはいいのだが……。その管理がなかなか大変でね。アクが強い……いや、個性豊かな夫妻ばかりで」
いったいどんな夫婦たちが暮らしているのやら。
頭の中でいろんなことを想像していたら、信さんは私の顔をのぞきこむように言った。
「楓、わたしの妻となったら、共にその住まいで暮らさないか? そしてできたら、住まいの管理を一緒にしてやってほしいのだ」
「管理人になるってこと?」
「まぁ、そんな形かな」
突然の誘いに戸惑ってしまう。でも安心して暮らせる場所は確かに必要だ。
「|異類婚姻した夫妻の暮らしを手助けしながら、いつかしかわたしも願うようになった。楓と再会し、許されるなら、共にそこで暮らしたいと。事情を抱えた者同士、助け合えるだろうから」
「そうね、きっとそうだわ」
人と人ならざる者が結婚したら、普通の夫婦ではありえない苦労や悩みもありそうだ。近くに似たような状況の夫妻がいれば、悩みを相談することもできる。
「どうだろう? 楓」
心配そうに私を見つめている。精悍な肉体をもつ大人になっても、その眼差しは幼い頃とあまり変わらなくて、なんだか可愛いと思ってしまう。
「何を笑ってるんだ?」
「なんでもない。ねぇ、異類婚姻した夫妻が暮らす場所はなんて名前なの?」
「特に名はつけてなかったのだが、いつのまにか『みなも荘』と呼ばれるようにったな」
「みなも? なんて意味?」
「古来の呼び方で『水面』を意味するそうだ」
「なるほど。信さんのことを現してるのね」
指摘すると、わずかに頬を染め、照れくさそうに目をそらす。こういうところも昔と変わらない。
「みなも荘を守り、支えていくことが、信さんの夢なのね」
「夢か……。そうかもしれない。事情を抱えた夫妻に幸せになってほしいから」
「その夢、私にも手伝わせて。あなたの夢は、私の夢でもあるもの」
「楓、いいのかい?」
「こう見えても掃除は得意なのよ。少しは力になれると思う」
「ありがとう、楓!」
「きやっ!」
再びかたく抱きしめられ、慌てる私の頬に、ちゅっとキスをされてしまった。
「し、信さん、どさくさにまぎれて」
「続きは今度だな」
「続き」を想像して、思わず赤面する。
「今度は楓が赤くなったな」
「もうっ! からかわないで」
「慌てる君も、可愛いよ。楓は昔から可愛いけどね」
昔と変わらないと思っていたけれど、いつのまにか、大人の余裕も身につけていたようだ。私が知らない部分も、これから教えてくれのかもしれない。
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