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蘇る恐怖
十一話 下
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十一話 下
気を失うほどまで抱かれた俺はいつも自分の寝室で寝ていた。行為の最後まで朧げに記憶があるものの、その後の映像は途絶えている。だから後始末は結局晴がしているということになる。せめてもの情けだとでもいうのだろうか。
それでも週末には抱かれ続けた。もし毎日抱かれていたら、身体がもたなかっただろう。けれど、週一で抱かれれば少しは慣れてしまうもの。
シャワーを浴びようと起き上がるも足にまだ力が入らず再びベッドへと崩れる。そのとき、ほのかに交わった残り香のようなものが漂って昨日の行為が蘇る。
炎に揺れる瞳が頭の中で再生された。晴は色をつけた瞳で俺を見る。黒、白、橙、青、赤。そのときの感情によって変わり、混ざり合う。最近は赤黒の色で見られていることが多い。そしてその感情を読めないでいた。
そんな瞳の目線を覚えるようになったのは、抱かれるようになって三週間ほど経った頃だった。
週末ライブは、いつもピアノから始まり、ピアノで終わる。最初のオープニングとして演奏しているのは「春」という曲だ。季節の始まりということでそよ風でも吹いているかのようなテンポの演奏をする。
新しい出逢いを暖かく迎えにいくのような、はじめましてよろしくね、といった気持ちで作曲したものだ。アレンジとしてギターで弾くこともある。
そして最後、エンディングとして演奏しているのが「桜」。最初季節をイメージして作っていたから冬にしようとした。けれどなかなかいいものが浮かばなかった。どうも華やかなものも哀しいものも俺が考えるエンディングとして合わなくて悩んでいた。
休み中だったある日。ベンチでぼんやり桜並木の下でメモを持って読書していたときだった。ふと木陰に座っていると頬に張りつくようなものが触れる。刹那、ぶわっと風が吹いた。
桜吹雪だった。ただ尋常じゃないほど強い風が吹き、背もたれに押しつけられてしまった。吹き飛ばされないように手を強めていると境界線でも引かれたかのようにピタッと止む。そこで見た世界は別世界のようで息をするのを忘れるほどだった。
最後に、はらり、と雨のように散る桜に言葉を失う。ひらりと心を奪ったまま消えていく花弁をみて衝動に駆られるまま作曲したものだ。
出会いがあって当然別れがある。けれど、また約束したかのように人は再会するだろう。そんな、さようなら、よりも、またね、という巡り合わせに想いを寄せて作った曲だった。
基本的にこの二つはピアノのみで歌はついていない。ただここ最近晴とのことで少なからずも悲哀し、心身ともに疲労していた蓮。ストレス発散のつもりで鼻歌を入れて演奏してしまった。しかし、かなりの高評価だったようで歌詞もつけて歌ってほしいと叫ばれる。
そのときだった。肌に舌がまとわりつくような目線にぞくり、と身体を揺らしたのは。
じっとりと煮込まれるかのようなドロドロとした熱を帯びた眼差し。熱というよりも別の固着したような鋭い目線。それが身に覚えのあるもので、ぞわぞわとしたものが腰から背中にかけて燃えていく。
最初は勘違いだと思っていた。こんなライブハウスに来るわけない。それに教えてもいない。けれど、目線の先には壁にもたれて立っていた晴がいた。
ただ真っ直ぐに俺を見つめていた。そのとき目と目が合った、気がした。その瞳だけはなぜか穏やかな風が吹いたような柔らかいものだった。
(橙色。昔にもみた、晴の笑うときの色だ)
どきりとその色に心が彩りだした。
その日の帰り道。バーに寄りたい気分でもあったが、歩く足はまっすぐ家へと進んでいた。
玄関を開ければ先に帰っていた晴にいつも通り抱かれた。けれど、この日からソファーまで連れていかれて、セックスするようになった。どういう心境なのかわからなかったが、多少の変化に期待しないわけがなかった。もうしないと決めたというのに、予測していなかった行動に胸が高鳴る。今なら穏やかに話し合いができるかもしれない。
どうやってあのライブハウス知ったんだ。いつから来てたんだ。
聞きたいことは山ほどあるのに、恐ろしいほど感じてしまう快感に呑み込まれてひたすら淫らな声を上げていた。
晴がライブハウスに来てから、二回目。俺からすれば二回目で合ってるはずなんだが、気づく前から来ていたような気がして正確な回数はわからない。けれどずっと見られていたわけで、急に恥ずかしくなってきた。
それでも蓮は晴への目線を外せず、目を閉じた。暗闇の中、まるで世界に二人しかいない星の瞬く夜を作りだす。流れる星を眺め、願いを込める。集中に入った蓮は深呼吸と共に演奏を始める。泳ぐような手つきでピアノを弾いていく。水の流れを感じ取る魚のように泳ぐ声をピアノの波に乗せる。
しかし、数秒で集中が切れて声を失ったかのように掠れる。蓮は内心焦っていたが、誤魔化すようにせつない演技を披露する。調整するようにピアノまで変えて。
今更ながら、今まで作った曲は全部晴への想いを忘れられず作った曲がほとんどだ。それを今、本人を目の前にして歌うというのが、とてつもなく恥ずかしいことなんだと蓮は感じていた。
ピアノの音と声がバラバラになりそうなほど緊張していた。手や背中に異常なほど汗が流れる。いつもやりたいように、と自由に表現しているのにまるでそれができない。緊張なんてものは今までしてこなかった。
晴の視線が誰よりもわかって、身体に刺さる。まるでその目で俺を審判しているみたいだった。
(しっかりしろ。今更見られたところでなにもないだろ)
動揺する自分に言い聞かせるように透き通る声に熱量を集中させる。
堂々としていればいい。これが俺の姿で、歌うことが好きなのだ。なにも恥じることなんてない。むしろ届けるチャンスだと思えばいい。今ここにいるのなら直接お前への愛を歌ってやる。どうか、伝われ。俺はずっと、おまえが好きなんだ。
『私をみて。あなたに恋をしている私は誰よりも綺麗でしょう』
蓮は自然と声に力が入り、いつも以上に名残惜しいと感じるほど散れ散れな声を上げる。目を開けて、ただ一人を見つめる。
瞬きすらさせない。立つことすらできないほど身惚れさせる。
『交わした言葉一つ一つあなたの声で覚えてる。どこまでも大切な人だから』
晴は真っ直ぐと焼きつけるかのように俺を逸らさず見ていた。赤黒い炎を瞳に宿しながらじっと見入っている。
けれど、どうしてもその目で見られると非難されているようで内心生きた心地がしない。せめて笑ってくれれば、と思っていた。以前みたいな橙色の、太陽のような色をみせてほしい。難しい顔をしてほしくない。歌っているすべては晴に捧げているものだからと、余計に喉が痛かった。
『あなたじゃなきゃ意味がない。行かないで。そばにいて。抱きしめて。好きだと口づけて』
好きだという歌詞のフレーズでどうしても震えてしまった。ここはもっと色っぽく歌うところなのに、言い知れぬ羞恥の情に駆られて声のトーンさえ変わってしまった。もっと恥ずかしいことをしているというのに、言葉にする方がいたたまれないなんて笑えてくる。
せめて伴奏だけは無駄がないようにと魂をかけて打ち込む。触れるように優しく。引き止めるように強く、伸びるように叩く。
愛を歌えば言葉が足りないことはわかっている。何度押韻しても伝わらないこともある。伝わらない愛だとしても、叫ばずにはいられない。誰かを愛するということはその人を必要とし、大切に思っていることなのだから。
伝わって届けばいいと蓮は今日も晴への想いをぶつけた。
ライブを終えた蓮は妙な高揚感の中にいた。しばらく晴に顔を合わせられないなと思い、久しぶりにバーへと足を運んだ。あいにくイクミは今日に限って休みだった。そういえばライブの中にいたような気がするな、と蓮はその間に酒を頼んだ。相談を一応したかったが、これは自分で考えて答えを出せということなんだろう。蓮は酒に頼るかのように二、三杯してから家へと帰った。
ただいま、と声をかけたはずなのに、玄関に晴は待ってはいなかった。恐る恐るリビングに行くと、ソファーで寝ている晴がいた。器用に横にはならず、首だけ垂らして寝ている。リビングテーブルには大学の勉強をしていたのか、ノートが開いたままだった。
「寝顔なんて、久しぶりに見たかも」
かわいい。
寝ているときの晴は割と幼く見えた。普段は大きくて垂れがちだが、少しきつめの眼をしている。笑ったり、目を閉じたりする仕草は大きい犬のように和む。ただそのわりに怒ると怖いものだ。大きい瞳が全てを知っているような感覚に陥って、現に少しだけ怯えている自分がいる。
蓮はその場から離れて、寝室から掛け布団を持ってきて晴の隣に座った。起こさないように晴の身体を少し動かす。寄り添い合うように肩を並べ、晴の方に布団をかけてから自分にもかけた。
こうして一緒に寝るなんていつぶりだろうか。なにもない、こういった時間が何気なく大事だったりする。蓮の心がほんのりと柔らぐ。隣で心臓の鼓動を規則正しく漏らしている吐息が耳をこそばゆくさせる。
今日はしないのか…と明らかに残念に思っている自分がいて人知れず顔を赤める。
「っ~~今日は、静かに寝る。本来それでいいんだって…」
しかし自分の手は未練がましく、晴の指先をそっと触れてから頭を撫でた。
(これぐらい許されるよな)
「おやすみ、晴。いい夢を」
蓮は頭にキスを与えると熱を帯びた肩を寄せて目を閉じていった。
翌朝目覚めると机に置き手紙が置いてあった。見ると「風邪引いたらあんたのせいだから」と書いてあった。顔に似合わず口が悪い。俺に似てしまったのだろうか。昔はそんなんじゃなかったのに、と肩を落とすと隅の方になにか書いてあった。
小さく「布団ありがとう」と照れ臭かったのか乱雑に書いてある。その後捨てようか取っておくべきかと悩んでいると裏にも書いてあったのを見る。「一緒に寝たかったのなら起こせば抱いてやったのに悪かったな」と書いてあり思わずゴミ箱に捨てた。
けれどその一時間後ゴミ箱から取り出し自分の部屋に隠した。その間の行動をハルちゃんに見られ、監視されていた。なんだかあいつに似てきたなと笑った。
あれから三、四回と晴がライブを毎回見に来ているのを確認した。最初こそ緊張していたが、今は直接伝えられる喜びに満ちていた。晴を見つめながら歌えばいつか笑ってもらえる気がしたからだ。
なぜならその証拠に晴の顔がだんだん緩んでいるように見えた。蓮はそろそろ新曲が作れそうだとわくわくしていた。だから、順風満帆の、はずだった。
晴がライブに通って約一ヶ月経った五回目の日。早く家に帰ろうと裏口から出ると、もう現れることはないと信じたかったある男が待っていた。
「お久しぶりですね~RENさん。今日も盛り上がってました。流石、男を虜にする魔性の声。私までうっとりですよ」
「…なんで、ここが…」
頭の中で警告音が鳴り響く。本能で、ざり、と後ずさりする足。目を合わせるだけでも吐きそうなほど気持ちが悪い。
「いや流石に分かりますよ。匿ってるようであなたの人気は今でも衰えてないんですから」
にやにやと見え透いた薄笑いを浮かべ距離を縮めてくる。夏だというのに、身を隠すような黒い服装に眼鏡をかけて帽子を奥深く被っている。
紙谷喜章。俺を芸能界から去らせた張本人であり、長年俺をストーカーしていた男だった。
気を失うほどまで抱かれた俺はいつも自分の寝室で寝ていた。行為の最後まで朧げに記憶があるものの、その後の映像は途絶えている。だから後始末は結局晴がしているということになる。せめてもの情けだとでもいうのだろうか。
それでも週末には抱かれ続けた。もし毎日抱かれていたら、身体がもたなかっただろう。けれど、週一で抱かれれば少しは慣れてしまうもの。
シャワーを浴びようと起き上がるも足にまだ力が入らず再びベッドへと崩れる。そのとき、ほのかに交わった残り香のようなものが漂って昨日の行為が蘇る。
炎に揺れる瞳が頭の中で再生された。晴は色をつけた瞳で俺を見る。黒、白、橙、青、赤。そのときの感情によって変わり、混ざり合う。最近は赤黒の色で見られていることが多い。そしてその感情を読めないでいた。
そんな瞳の目線を覚えるようになったのは、抱かれるようになって三週間ほど経った頃だった。
週末ライブは、いつもピアノから始まり、ピアノで終わる。最初のオープニングとして演奏しているのは「春」という曲だ。季節の始まりということでそよ風でも吹いているかのようなテンポの演奏をする。
新しい出逢いを暖かく迎えにいくのような、はじめましてよろしくね、といった気持ちで作曲したものだ。アレンジとしてギターで弾くこともある。
そして最後、エンディングとして演奏しているのが「桜」。最初季節をイメージして作っていたから冬にしようとした。けれどなかなかいいものが浮かばなかった。どうも華やかなものも哀しいものも俺が考えるエンディングとして合わなくて悩んでいた。
休み中だったある日。ベンチでぼんやり桜並木の下でメモを持って読書していたときだった。ふと木陰に座っていると頬に張りつくようなものが触れる。刹那、ぶわっと風が吹いた。
桜吹雪だった。ただ尋常じゃないほど強い風が吹き、背もたれに押しつけられてしまった。吹き飛ばされないように手を強めていると境界線でも引かれたかのようにピタッと止む。そこで見た世界は別世界のようで息をするのを忘れるほどだった。
最後に、はらり、と雨のように散る桜に言葉を失う。ひらりと心を奪ったまま消えていく花弁をみて衝動に駆られるまま作曲したものだ。
出会いがあって当然別れがある。けれど、また約束したかのように人は再会するだろう。そんな、さようなら、よりも、またね、という巡り合わせに想いを寄せて作った曲だった。
基本的にこの二つはピアノのみで歌はついていない。ただここ最近晴とのことで少なからずも悲哀し、心身ともに疲労していた蓮。ストレス発散のつもりで鼻歌を入れて演奏してしまった。しかし、かなりの高評価だったようで歌詞もつけて歌ってほしいと叫ばれる。
そのときだった。肌に舌がまとわりつくような目線にぞくり、と身体を揺らしたのは。
じっとりと煮込まれるかのようなドロドロとした熱を帯びた眼差し。熱というよりも別の固着したような鋭い目線。それが身に覚えのあるもので、ぞわぞわとしたものが腰から背中にかけて燃えていく。
最初は勘違いだと思っていた。こんなライブハウスに来るわけない。それに教えてもいない。けれど、目線の先には壁にもたれて立っていた晴がいた。
ただ真っ直ぐに俺を見つめていた。そのとき目と目が合った、気がした。その瞳だけはなぜか穏やかな風が吹いたような柔らかいものだった。
(橙色。昔にもみた、晴の笑うときの色だ)
どきりとその色に心が彩りだした。
その日の帰り道。バーに寄りたい気分でもあったが、歩く足はまっすぐ家へと進んでいた。
玄関を開ければ先に帰っていた晴にいつも通り抱かれた。けれど、この日からソファーまで連れていかれて、セックスするようになった。どういう心境なのかわからなかったが、多少の変化に期待しないわけがなかった。もうしないと決めたというのに、予測していなかった行動に胸が高鳴る。今なら穏やかに話し合いができるかもしれない。
どうやってあのライブハウス知ったんだ。いつから来てたんだ。
聞きたいことは山ほどあるのに、恐ろしいほど感じてしまう快感に呑み込まれてひたすら淫らな声を上げていた。
晴がライブハウスに来てから、二回目。俺からすれば二回目で合ってるはずなんだが、気づく前から来ていたような気がして正確な回数はわからない。けれどずっと見られていたわけで、急に恥ずかしくなってきた。
それでも蓮は晴への目線を外せず、目を閉じた。暗闇の中、まるで世界に二人しかいない星の瞬く夜を作りだす。流れる星を眺め、願いを込める。集中に入った蓮は深呼吸と共に演奏を始める。泳ぐような手つきでピアノを弾いていく。水の流れを感じ取る魚のように泳ぐ声をピアノの波に乗せる。
しかし、数秒で集中が切れて声を失ったかのように掠れる。蓮は内心焦っていたが、誤魔化すようにせつない演技を披露する。調整するようにピアノまで変えて。
今更ながら、今まで作った曲は全部晴への想いを忘れられず作った曲がほとんどだ。それを今、本人を目の前にして歌うというのが、とてつもなく恥ずかしいことなんだと蓮は感じていた。
ピアノの音と声がバラバラになりそうなほど緊張していた。手や背中に異常なほど汗が流れる。いつもやりたいように、と自由に表現しているのにまるでそれができない。緊張なんてものは今までしてこなかった。
晴の視線が誰よりもわかって、身体に刺さる。まるでその目で俺を審判しているみたいだった。
(しっかりしろ。今更見られたところでなにもないだろ)
動揺する自分に言い聞かせるように透き通る声に熱量を集中させる。
堂々としていればいい。これが俺の姿で、歌うことが好きなのだ。なにも恥じることなんてない。むしろ届けるチャンスだと思えばいい。今ここにいるのなら直接お前への愛を歌ってやる。どうか、伝われ。俺はずっと、おまえが好きなんだ。
『私をみて。あなたに恋をしている私は誰よりも綺麗でしょう』
蓮は自然と声に力が入り、いつも以上に名残惜しいと感じるほど散れ散れな声を上げる。目を開けて、ただ一人を見つめる。
瞬きすらさせない。立つことすらできないほど身惚れさせる。
『交わした言葉一つ一つあなたの声で覚えてる。どこまでも大切な人だから』
晴は真っ直ぐと焼きつけるかのように俺を逸らさず見ていた。赤黒い炎を瞳に宿しながらじっと見入っている。
けれど、どうしてもその目で見られると非難されているようで内心生きた心地がしない。せめて笑ってくれれば、と思っていた。以前みたいな橙色の、太陽のような色をみせてほしい。難しい顔をしてほしくない。歌っているすべては晴に捧げているものだからと、余計に喉が痛かった。
『あなたじゃなきゃ意味がない。行かないで。そばにいて。抱きしめて。好きだと口づけて』
好きだという歌詞のフレーズでどうしても震えてしまった。ここはもっと色っぽく歌うところなのに、言い知れぬ羞恥の情に駆られて声のトーンさえ変わってしまった。もっと恥ずかしいことをしているというのに、言葉にする方がいたたまれないなんて笑えてくる。
せめて伴奏だけは無駄がないようにと魂をかけて打ち込む。触れるように優しく。引き止めるように強く、伸びるように叩く。
愛を歌えば言葉が足りないことはわかっている。何度押韻しても伝わらないこともある。伝わらない愛だとしても、叫ばずにはいられない。誰かを愛するということはその人を必要とし、大切に思っていることなのだから。
伝わって届けばいいと蓮は今日も晴への想いをぶつけた。
ライブを終えた蓮は妙な高揚感の中にいた。しばらく晴に顔を合わせられないなと思い、久しぶりにバーへと足を運んだ。あいにくイクミは今日に限って休みだった。そういえばライブの中にいたような気がするな、と蓮はその間に酒を頼んだ。相談を一応したかったが、これは自分で考えて答えを出せということなんだろう。蓮は酒に頼るかのように二、三杯してから家へと帰った。
ただいま、と声をかけたはずなのに、玄関に晴は待ってはいなかった。恐る恐るリビングに行くと、ソファーで寝ている晴がいた。器用に横にはならず、首だけ垂らして寝ている。リビングテーブルには大学の勉強をしていたのか、ノートが開いたままだった。
「寝顔なんて、久しぶりに見たかも」
かわいい。
寝ているときの晴は割と幼く見えた。普段は大きくて垂れがちだが、少しきつめの眼をしている。笑ったり、目を閉じたりする仕草は大きい犬のように和む。ただそのわりに怒ると怖いものだ。大きい瞳が全てを知っているような感覚に陥って、現に少しだけ怯えている自分がいる。
蓮はその場から離れて、寝室から掛け布団を持ってきて晴の隣に座った。起こさないように晴の身体を少し動かす。寄り添い合うように肩を並べ、晴の方に布団をかけてから自分にもかけた。
こうして一緒に寝るなんていつぶりだろうか。なにもない、こういった時間が何気なく大事だったりする。蓮の心がほんのりと柔らぐ。隣で心臓の鼓動を規則正しく漏らしている吐息が耳をこそばゆくさせる。
今日はしないのか…と明らかに残念に思っている自分がいて人知れず顔を赤める。
「っ~~今日は、静かに寝る。本来それでいいんだって…」
しかし自分の手は未練がましく、晴の指先をそっと触れてから頭を撫でた。
(これぐらい許されるよな)
「おやすみ、晴。いい夢を」
蓮は頭にキスを与えると熱を帯びた肩を寄せて目を閉じていった。
翌朝目覚めると机に置き手紙が置いてあった。見ると「風邪引いたらあんたのせいだから」と書いてあった。顔に似合わず口が悪い。俺に似てしまったのだろうか。昔はそんなんじゃなかったのに、と肩を落とすと隅の方になにか書いてあった。
小さく「布団ありがとう」と照れ臭かったのか乱雑に書いてある。その後捨てようか取っておくべきかと悩んでいると裏にも書いてあったのを見る。「一緒に寝たかったのなら起こせば抱いてやったのに悪かったな」と書いてあり思わずゴミ箱に捨てた。
けれどその一時間後ゴミ箱から取り出し自分の部屋に隠した。その間の行動をハルちゃんに見られ、監視されていた。なんだかあいつに似てきたなと笑った。
あれから三、四回と晴がライブを毎回見に来ているのを確認した。最初こそ緊張していたが、今は直接伝えられる喜びに満ちていた。晴を見つめながら歌えばいつか笑ってもらえる気がしたからだ。
なぜならその証拠に晴の顔がだんだん緩んでいるように見えた。蓮はそろそろ新曲が作れそうだとわくわくしていた。だから、順風満帆の、はずだった。
晴がライブに通って約一ヶ月経った五回目の日。早く家に帰ろうと裏口から出ると、もう現れることはないと信じたかったある男が待っていた。
「お久しぶりですね~RENさん。今日も盛り上がってました。流石、男を虜にする魔性の声。私までうっとりですよ」
「…なんで、ここが…」
頭の中で警告音が鳴り響く。本能で、ざり、と後ずさりする足。目を合わせるだけでも吐きそうなほど気持ちが悪い。
「いや流石に分かりますよ。匿ってるようであなたの人気は今でも衰えてないんですから」
にやにやと見え透いた薄笑いを浮かべ距離を縮めてくる。夏だというのに、身を隠すような黒い服装に眼鏡をかけて帽子を奥深く被っている。
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