愛のカタチ

如月あこ

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 レンジは持ち帰りではなく宅配で自宅に届けてもらうこととなり、購入したキッチン用具の袋を持って、私は人込みに流されるように雑踏を歩いていた。
 隣には、涼しげな水色のシャツとジーパンを着た奈良先生が歩いている。
「届くのが楽しみですね」
「ああ」
「レンジがあると料理の幅も広がりますし、作り置きした食事を温めることが出来るので、とっても便利ですね」
「ああ」
 ずいぶんと気のない返事である。もしかしたら疲れているのかもしれない、と私は心配になった。
 どこかで休憩したほうがいいのだろうか。それとも早く帰ったほうが楽なのか。
 悶々と考えていた私は、ふいに手に感じた温もりに驚いた。
 見下ろせば、手を繋いでいる――私と、奈良先生が。
 一気に顔に熱がのぼるのを感じた。ひと目が気になって周りを確認してしまい、歩くことに集中できず手足を同じ順番で出してしまう。
 どうしよう、なにか言及したほうがいいのだろうか。「なんで手を繋ぐ必要があるんですか?」とでも聞くべきか。だがそれを言うと、何かこう、大事なものをぶち壊してしまう気がして、なかなか言い出せない。
 結局私は、あまり関係のない話題を出すことにした。
「……そういえば今日って平日ですよね。どうしてお休みなんですか?」
「先週休日返上したからな、その分だ」
「そういうことってあるんですか」
「ここのところ仕事尽くしだったから、今日は特別だ。またしばらく学会の準備で忙しくなるだろうから、今のうちに休んでおこうと思ってな」
 学会。なにやら凄そうな響きである。医者というのは、患者を診るだけが仕事ではないのだと知った。
「欲しいものは買えたか? ほかに寄りたい店があったら言ってくれ」
「いえ、特には。大体買いましたし。あ、先生がよかったら、近所のスーパー寄って帰ってもいいですか? 夕食の材料買っちゃいます」
「ああ、わかった」
 今夜は何を作ろうか。安売りしている野菜があったら、それを中心に肉料理も一品ほど作って――と考えていると。
「愛花?」
 聞き覚えのある声がして、私は勢いよく振り返った。
 半袖のキャミソールに白いレースの上着を着た琴音がいた。ハーフパンツから覗く足と黒いニーソとのあいだの絶対領域がたまらなく美しい。
 琴音は私を見て、そして隣にいた奈良先生を見た。そして首を傾げる。
「……どこかで会ったような?」
「あ、えっと。奈良先生だよ。ほら、産婦人科の」
「あ。ああ、白衣じゃないからわからなかった。そっか、髭だもんね」
 どうやら髭で認識されているらしい。気持ちはわかる。
「琴音、ここで何してるの? 一人?」
「ううん、お母さんと。お墓参りに行くの。ご先祖様にね、ちゃんと報告に行くんだ。いろいろあったから」
 後ろを仰ぐ琴音の視線を辿ると、そこには琴音のお母さんが微笑んで立っていた。そうか、よかった。自暴自棄になってナンパでもしまくっていたらどうしようと思ってしまってけれど、杞憂に済んだようだ。
 琴音はもう立ち直りつつある。それを改めて知ることが出来て、私の胸はほっこりと温まった。
「ねぇ、愛花って」
 ふと、琴音が言いにくそうに、けれどもはっきりとした口調で言った。
「先生と付き合ってるの?」
「えっ、付き合ってないよ」
「でも、手を繋いでるじゃん」
 言われて気づいた。
そうだ、手を繋いだままだった。
 慌てて手を放そうとしたが、なぜか奈良先生が放してくれない。むしろ強く握り込まれて、私は一人で慌てだす。
「ち、違うの。あのね」
「いいよ、あたしに遠慮しなくても。ちゃんと、愛花の幸せを願えるようになりたいんだ。だから、おめでとうって言うよ?」
 琴音はにっこり微笑むと、手を振ってお母さんのところへ駆けて行った。琴音がいい子過ぎて、優しすぎて、じんわり涙が浮かんでくる。
 いつまでも手を振っている琴音の姿が見えなくなると、私は奈良先生を睨みつけた。
「もう、なんで放してくれないんですか」
「このまま付き合っちまおうぜ」
「はい?」
「恋人いねぇんだろ。だったら、俺と付き合おうぜ」
「……え。あの、それはどういう」
「言葉のままだけど」
 一泊ののち、意味を理解した私は顔を真っ赤にした。顔面が茹るほどに熱い。彼氏、という言葉が脳裏をしめた。けれどすぐに、彼氏の文字が愛人へと変わる。
「……先生って、既婚者ですよね」
「偽装結婚だから問題ない」
 そうなのかな。
問題ないのかな。……いや、あるよね。
私の表情を見て納得していないと悟ったのか、奈良先生はなぜかふんぞり返って言葉を紡ぐ。
「お前は前に、愛し愛されるなら同姓でもいいって言ってたろ。つまり、法律的に夫婦にならなくても、子どもが出来なくても、いいってことだ」
「う、うん」
「俺と付き合っても条件は同じだろ」
 そう言われてみれば、そうかもしれない。
 奈良先生は既婚者だから私と結婚できないが、結婚できないのは同姓恋愛でも同じである。恋愛した相手が異性だからといって、その恋に結婚を求めるのはおかしいのではないか。
 なぜならば、愛の形は自由だからだ。お姉ちゃんも言っていたではないか、人間は誰とでも愛を育むことができると。
 そこに、結婚などという紙切れ一枚の関係は、まったく意味をなさないのだ――と、何かが違うと思いつつも、私は流されつつあった。
 それに。
 私は、奈良先生のことが好きなのかもしれない、という自覚もまた、芽生えつつあったのだ。
 乙女心はぐらぐらと揺れる。
 悩む私の手を引いて、奈良先生は歩き出した。
「お前は俺がEDだと知っている」
「……はい」
「ビキニ趣味にも寛容だ。しかも、俺はお前が気に入っている」
 気に入っているという言葉に一際心音が高鳴った。
 本当に私は単純である。好きだと思いかけていた相手から好意を寄せられて、それを断れるはずがなかった。
「じゃ、じゃあ、付き合う」
 か細い声で告げた私を、奈良先生が振り返った。
 明らかに歓喜を貼りつけたあまりにも鮮やかな笑みで微笑むものだから、私は頬を熱くする。
 やっぱり、好きだ。
 私は、奈良先生のことが。
自覚してしまえば、ただあとは緩やかだが心地よい恋心が胸を満たした。
「そうか、よかった」
「なんか、ドキドキする」
「さっそく帰ったらやってみよう」
「……やる?」
「セックス」
 なにか大変な関係を結んでしまったのではないか、と後悔するものの、私はもう奈良先生のことが好きなのだと自覚してしまったので、この申し出を拒否する勇気はなかった。
 ぎゅ、と手を握り込まれて、優しい笑みで顔を覗き込まれれば、ただただ好きだと思うばかりで、私は小声で「よろしくお願いします」と告げた。

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