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七月も下旬となり、学校は夏休みに入った。
私は相変わらず自宅とお姉ちゃんの新居を行ったり来たりして、家事に明け暮れている。琴音からは連絡がなく、終業式にも姿は見せなかった。クラス内では、このまま琴音が退学するという噂まであったが、私は信じていない。……信じたくなかった。
そして八月に入ってすぐ、伸二さんの出張日になった。
「それじゃあ行ってくるけど、一人でも大丈夫だね?」
トランクを持った伸二さんが、玄関で微笑みながら告げてくる。
「ちゃんと毎晩メールか電話を入れるように。絶対だよ」
「うん。伸二さんは仕事忙しかったら無理に連絡しなくていいよ」
「こら、つれないこと言わないの」
軽く頭を小突かれて、私も微笑んだ。
伸二さんがタクシーで出かけるのを見送り、部屋に戻る。
夏休みというのは基本的に暇なものだ、というのが私の認識だった。友人がたくさんいれば出かけたり毎日会ったりして時間をつぶせるのだろうが、あいにくと私にはそこまで親しい友人は琴音だけである。
「……久しぶりにお姉ちゃんのアパートに片付けにいこうかな」
お姉ちゃんは新居で寝泊まりするようになったので、アパートには帰っていなかった。それでも稀に荷物を取りに行く際に帰宅しているようなので、もしかしたら散らかっているかもしれない。
よし、そうしよう。
決めた瞬間、ふと、机のうえに置きっぱなしだった携帯電話がチカチカと光っていることに気がついた。メールがきていたようだ。
内容を見た瞬間、私は固まった。
――『会いたい』
琴音からだ。
間違いない。アドレスまで表示して確かめたけれど、間違いなく琴音からである。
受信時間を見ると、ほんの十分前に来たばかりだ。
私は慌てて返信した
――『私も会いたいよ。家に行ってもいい?』
返信はすぐにきた。
――『いつも行ってたファミレスにいる』
私は鞄をひったくるように持つと、携帯電話を握りしめて自宅を飛び出した。
ファミレスに入ると、店員が「お一人様ですか?」と聞いてきた。
私は「連れが来てるんです」と告げて、店内を見回す。角の席に、琴音の姿を発見した。一度会ったときに見たガリガリに痩せた壮絶な姿が脳裏に焼き付いていたが、こうしてみる琴音は思っていたよりも健康的で頬の色もよく、私を見ると口元を緩めた。
「琴音!」
駆け寄り、琴音の向かい側に座った。
「久しぶりだね。会いたかったよ、身体の具合は大丈夫?」
「うん。……あたしも、琴音に会いたかった」
その言葉に私の心は優しくほぐれ、歓喜でいっぱいになる。「会いたかった」――なんて素敵な言葉だろう。
店員が水を運んできて、それを会釈で受け取った。
「あ、ねぇ、なにか食べる? パフェの新作が出てるよ!」
「うん、じゃあ、食べようかな。愛花、半分こしてくれる?」
「する!」
まるで、以前の関係に戻ったようだ。
マンゴーのパフェを一つ注文して、二人で微笑みあう。
さて、なにから話そうか。このまま全部なかったことにして、元の関係に戻ってしまおうか。仲良くしていくことを考えると、それも一つの手だろう。なにも辛かった過去を蒸し返す必要はない。
だから私は、中絶には触れずに話をすすめた。
「夏休み、予定ある?」
「ないよ。担任の先生が宿題持ってきてくれたから、それするくらい」
「どこか遊びいかない? プールとか」
「いいね、行こう行こう」
これでいいのだ。
ややのちマンゴーパフェが届いて、二人でつつくようにして食べ始めた。
けれど。
途中で琴音は手を止めて唇を噛むと、ぽろぽろと涙をこぼした。鼻をすすり、目をこすり、しゃくりをあげる。
突然のことだったけれど、私は驚かなかった。
やはり何もなかったふりをして、もとの関係に戻るなんて出来やしないのだ。琴音の話を聞こう。私は腹をくくった。
「あたしね、考えたの。いっぱい考えて、そしたら愛花に会いたくなったの。……あたし馬鹿みたいだよ。彼氏なんか作らなきゃよかった。セックスなんかしなきゃよかった。愛花さえいてくれたら、それでよかったのに」
私は立ち上がると、琴音の隣へ移動する。背中を撫でると、琴音は私の肩に顔を埋めて泣きはじめた。
「これからも、一緒にいよう。私、琴音の傍にいるから」
「うん、うん。ごめんね、酷いこといっぱい言って、ごめん。愛花だけは失いたくないよ」
琴音の心境を思うと胸が痛む。
一人きりの部屋でどれだけ悩んだのだろう。どれだけ辛かっただろう。そして私の存在を思い出してくれたのだと思うと、嬉しかった。どうしようもなく、嬉しかった。
「……本当はね」
琴音がぽつりと呟く。
「本当は、産みたかったよ」
息を呑む。
琴音は私に凭れるようにして俯いているので、表情は見えない。けれど、か細い声は、なにかを堪えるように震えていた。
「あっくんがいなくても、一人でも、産みたかった」
「……うん、そうだね」
産みたかったよね。だって、自分の赤ちゃんだもん。
すんすんと鼻をすする琴音を抱きしめた。
大丈夫だというように。
琴音が落ち着くと、夕方までしゃべって過ごした。他愛ない話ばかり繰り返し、ここ数日間忘れていた楽しい時間を取り戻したようだった。
琴音との有意義な時間はあっと言う間に過ぎ、時計が六時を差すころ。
「あたし、そろそろ帰るね」
琴音が笑顔でそう告げる。
「うん、またね」
「また」
次の約束がこんなにも嬉しいものだったなんて。
私はほくほくとした気持ちで、夕食作りのためにお姉ちゃんの新居に向かった。
*
私は相変わらず自宅とお姉ちゃんの新居を行ったり来たりして、家事に明け暮れている。琴音からは連絡がなく、終業式にも姿は見せなかった。クラス内では、このまま琴音が退学するという噂まであったが、私は信じていない。……信じたくなかった。
そして八月に入ってすぐ、伸二さんの出張日になった。
「それじゃあ行ってくるけど、一人でも大丈夫だね?」
トランクを持った伸二さんが、玄関で微笑みながら告げてくる。
「ちゃんと毎晩メールか電話を入れるように。絶対だよ」
「うん。伸二さんは仕事忙しかったら無理に連絡しなくていいよ」
「こら、つれないこと言わないの」
軽く頭を小突かれて、私も微笑んだ。
伸二さんがタクシーで出かけるのを見送り、部屋に戻る。
夏休みというのは基本的に暇なものだ、というのが私の認識だった。友人がたくさんいれば出かけたり毎日会ったりして時間をつぶせるのだろうが、あいにくと私にはそこまで親しい友人は琴音だけである。
「……久しぶりにお姉ちゃんのアパートに片付けにいこうかな」
お姉ちゃんは新居で寝泊まりするようになったので、アパートには帰っていなかった。それでも稀に荷物を取りに行く際に帰宅しているようなので、もしかしたら散らかっているかもしれない。
よし、そうしよう。
決めた瞬間、ふと、机のうえに置きっぱなしだった携帯電話がチカチカと光っていることに気がついた。メールがきていたようだ。
内容を見た瞬間、私は固まった。
――『会いたい』
琴音からだ。
間違いない。アドレスまで表示して確かめたけれど、間違いなく琴音からである。
受信時間を見ると、ほんの十分前に来たばかりだ。
私は慌てて返信した
――『私も会いたいよ。家に行ってもいい?』
返信はすぐにきた。
――『いつも行ってたファミレスにいる』
私は鞄をひったくるように持つと、携帯電話を握りしめて自宅を飛び出した。
ファミレスに入ると、店員が「お一人様ですか?」と聞いてきた。
私は「連れが来てるんです」と告げて、店内を見回す。角の席に、琴音の姿を発見した。一度会ったときに見たガリガリに痩せた壮絶な姿が脳裏に焼き付いていたが、こうしてみる琴音は思っていたよりも健康的で頬の色もよく、私を見ると口元を緩めた。
「琴音!」
駆け寄り、琴音の向かい側に座った。
「久しぶりだね。会いたかったよ、身体の具合は大丈夫?」
「うん。……あたしも、琴音に会いたかった」
その言葉に私の心は優しくほぐれ、歓喜でいっぱいになる。「会いたかった」――なんて素敵な言葉だろう。
店員が水を運んできて、それを会釈で受け取った。
「あ、ねぇ、なにか食べる? パフェの新作が出てるよ!」
「うん、じゃあ、食べようかな。愛花、半分こしてくれる?」
「する!」
まるで、以前の関係に戻ったようだ。
マンゴーのパフェを一つ注文して、二人で微笑みあう。
さて、なにから話そうか。このまま全部なかったことにして、元の関係に戻ってしまおうか。仲良くしていくことを考えると、それも一つの手だろう。なにも辛かった過去を蒸し返す必要はない。
だから私は、中絶には触れずに話をすすめた。
「夏休み、予定ある?」
「ないよ。担任の先生が宿題持ってきてくれたから、それするくらい」
「どこか遊びいかない? プールとか」
「いいね、行こう行こう」
これでいいのだ。
ややのちマンゴーパフェが届いて、二人でつつくようにして食べ始めた。
けれど。
途中で琴音は手を止めて唇を噛むと、ぽろぽろと涙をこぼした。鼻をすすり、目をこすり、しゃくりをあげる。
突然のことだったけれど、私は驚かなかった。
やはり何もなかったふりをして、もとの関係に戻るなんて出来やしないのだ。琴音の話を聞こう。私は腹をくくった。
「あたしね、考えたの。いっぱい考えて、そしたら愛花に会いたくなったの。……あたし馬鹿みたいだよ。彼氏なんか作らなきゃよかった。セックスなんかしなきゃよかった。愛花さえいてくれたら、それでよかったのに」
私は立ち上がると、琴音の隣へ移動する。背中を撫でると、琴音は私の肩に顔を埋めて泣きはじめた。
「これからも、一緒にいよう。私、琴音の傍にいるから」
「うん、うん。ごめんね、酷いこといっぱい言って、ごめん。愛花だけは失いたくないよ」
琴音の心境を思うと胸が痛む。
一人きりの部屋でどれだけ悩んだのだろう。どれだけ辛かっただろう。そして私の存在を思い出してくれたのだと思うと、嬉しかった。どうしようもなく、嬉しかった。
「……本当はね」
琴音がぽつりと呟く。
「本当は、産みたかったよ」
息を呑む。
琴音は私に凭れるようにして俯いているので、表情は見えない。けれど、か細い声は、なにかを堪えるように震えていた。
「あっくんがいなくても、一人でも、産みたかった」
「……うん、そうだね」
産みたかったよね。だって、自分の赤ちゃんだもん。
すんすんと鼻をすする琴音を抱きしめた。
大丈夫だというように。
琴音が落ち着くと、夕方までしゃべって過ごした。他愛ない話ばかり繰り返し、ここ数日間忘れていた楽しい時間を取り戻したようだった。
琴音との有意義な時間はあっと言う間に過ぎ、時計が六時を差すころ。
「あたし、そろそろ帰るね」
琴音が笑顔でそう告げる。
「うん、またね」
「また」
次の約束がこんなにも嬉しいものだったなんて。
私はほくほくとした気持ちで、夕食作りのためにお姉ちゃんの新居に向かった。
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