愛のカタチ

如月あこ

文字の大きさ
上 下
22 / 34
6、

3、

しおりを挟む
 車は新居のすぐ手前にある駐車場で停止した。契約駐車場らしく、ほかにも多くの車が止まっている。
「……そういえば先生、軽自動車に乗ってるんですね。なんかこう、もっと派手なのに乗ってるイメージがありました」
 奈良先生は「よく言われる」と苦笑する。
「車なんて使えればそれでいいだろ。こだわりはねぇよ」
「そうなんですか。やっぱり車って便利ですか?」
「そりゃあな。お前の家はあんまり車使わないのか」
「伸二さん、あ、父なんですけど、は、車持ってないんです。たまにひと月単位でレンタルしたりもするんですが。免許はあるので仕事では結構乗ってるみたいです」
「……父親を名前で呼んでるのか」
「養父なので、つい」
 車から降りて、新居に向かって歩きはじめる。
 お姉ちゃん、新居にいるかな?
 今週から同居をはじめると言っていたので、多分いるだろう。さっきの着信について、何か問われるかもしれない。もし問われたら、笑顔でなんでもないよと告げよう。
 琴音のことはずっと胸の奥にあって痛みを発しているけれど、大丈夫だ。たくさん泣いたから。
 もしかしたら寝る前にふと思い出してまた泣くかもしれないけれど、今は頑張れる。
 新居のマンションにつくと、玄関に靴がないことに気づいた。廊下も暗く、締め切った部屋独特の熱気に満ちている。どうやらお姉ちゃんは帰っていないようだ。
 奈良先生はさっさとリビングへ歩いていく。
 少し迷った末に、私も奈良先生を追い駆けるように新居にあがりこんだ。
 エアコンのリモコンを置いた奈良先生は、神妙な顔で私を振り返った。
「お前も五木と同じで、孤児院で育ったのか」
 私は頷いた。
「はい。五歳のころ孤児院に入って、小学校中学年くらいのときに今の親元に引き取られました」
「……苦労してるんだな」
「そんなことないですよ。孤児になったから、お姉ちゃんや伸二さんと出会えたんです。孤児になりたかったわけじゃないですけど、私はとても恵まれてるって思ってますから」
 奈良先生が顔をあげる。
「『お姉ちゃんに出会えた』? 血のつながった姉妹じゃないのか」
「血は繋がってないですよ」
 孤児院には大勢の兄弟がいたけれど、お姉ちゃんは特別だった。いつも一緒にいて、たくさん世話をやいてくれて、二人で一緒に眠り、遊び、笑いあった。
 血の繋がりはなくても、私にとっては特別な「お姉ちゃん」なのだ。
「……そうか。大切なんだな。五木はお前に甘えすぎだと思ってたが、それもお前たち二人に強い結びつきがあってこそなんだろう」
「はい!」
 微笑んで頷いた。
「やっと笑ったな」
 そう言って笑い返されて、笑顔が引っ込む。
 指摘されたことが無性に恥ずかしくてむっとすると、奈良先生はおかしそうに肩を揺らした。
「さて。俺は着替えてくるが、夕食まだだろ? 何か食いにいくか」
「私作ります!」
「っつっても材料なにも無いだろ」
 冷蔵庫をあけると、なかには卵とビールが二つずつしかなかった。私は時間を確認する。九時を少し回ったころだ。たしか最寄のスーパーが十時まで開いていたはずである。
「買い出し行ってきます。すぐそこなんで」
「ばか、一人で行かせられるか。それよりまず、お前も着替えろ」
 言われてからやっと、自分が着ている制服が使い物にならなくなっていることを思い出した。改めてみると、胸部分を中心に泥で汚れ、破れている箇所もあるという酷い格好である。我ながらなんでこんな様になってしまったのか、謎であった。
「おい、お前膝のところすりむいてないか」
「はい、でもこれくらい平気です」
「医者の前で強がるな、それだけ血が出ていて痛くないはずないだろ」
 そう言うと奈良先生はリビングを出て行った。
 戻ってきた奈良先生は、小さな救急箱とグレーのジャージ一式を抱えている。ソファに座れと促されて言われるままに座ると、奈良先生がてきぱきと私の膝を消毒し、絆創膏を貼ってくれた。
 やっぱり奈良先生はとても優しい人だ。偽装結婚とはいえ、こんな素敵な人がお姉ちゃんの旦那さんでよかった。
「ほら。あと、これに着替えろ」
「先生のですか? 借りちゃってもいいんでしょうか」
「いいもなにも、着替え持ってきてないだろうが」
 確かに、お姉ちゃんの新居に私の着替えがあるはずもない。
 ありがたくジャージを借りることにした。可愛らしさの全くない男性用のジャージだが、腰はゴムでしばるタイプだし、着れないこともないだろう。
 奈良先生が着替えるために自室へ引っ込んでいるあいだに、私は早速、そのジャージに着替えた。裾は折りまくりで肩はあってないぶかぶかぶりだが、まぁ、仕方がない。
 脱いだ制服を畳んで、鞄と一緒にソファに置いた。
「ふふっ」
 男の人の服って、とても大きい。
まるで抱きしめられているみたいで、心がふわふわした。そう言えば前の彼氏は彼シャツ姿がいいとか言って、よくシャツを羽織らされたっけ。
 そんなどうでもいい過去を思い出して、途端に私のテンションは急降下する。
「……なにやってんだ」
 奈良先生は白い丸首シャツとジャージを穿いており、手には黒い長財布を持っていた。しゅんと俯いていた私は、慌てて鞄から財布を取り出した。
「買い出しですね、行きます!」
「ああ。……弁当があったら、弁当でもいいんだぞ」
「お弁当がいいなら、もちろんお弁当でも構いません。最近のお弁当は美味しいですよね」
「……いや、作ってくれるならそっちのほうが有りがたいが。この時間から作るのは大変じゃないか。門限とかあるだろう? 家は大丈夫か」
「門限はとくにないです。今日は義父も出張でいないので、のんびりできますよ」
「そうか。なら、任せる」
 奈良先生が笑った。
 男らしい笑みに思わず頬を染めてしまう。そして慌てて胸中で首を振った。奈良先生はお姉ちゃんの旦那さんで、ゲイの人だ。そういう対象では決してない。
 だが、それを抜きにしても奈良先生はポイントが高い。まず見た目もよく、身体つきもいいし、繁華街で泣きそうな私を助けて怪我を手当てしてくれる優しさもある。
 お姉ちゃんは顔だけの男だと言っていたけれど、全然そんなことはなかった。
 奈良先生の彼氏って、どんな人なんだろう。
 ふとそんなことを考えてしまうくらいには、私は奈良先生に好意を抱いていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

熱い風の果てへ

朝陽ゆりね
ライト文芸
沙良は母が遺した絵を求めてエジプトにやってきた。 カルナック神殿で一服中に池に落ちてしまう。 必死で泳いで這い上がるが、なんだか周囲の様子がおかしい。 そこで出会った青年は自らの名をラムセスと名乗る。 まさか―― そのまさかは的中する。 ここは第18王朝末期の古代エジプトだった。 ※本作はすでに販売終了した作品を改稿したものです。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

僕の主治医さん

鏡野ゆう
ライト文芸
研修医の北川雛子先生が担当することになったのは、救急車で運び込まれた南山裕章さんという若き外務官僚さんでした。研修医さんと救急車で運ばれてきた患者さんとの恋の小話とちょっと不思議なあひるちゃんのお話。 【本編】+【アヒル事件簿】【事件です!】 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。 【本編完結】【小話】 ※小説家になろうでも公開中※

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...