愛のカタチ

如月あこ

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 車は新居のすぐ手前にある駐車場で停止した。契約駐車場らしく、ほかにも多くの車が止まっている。
「……そういえば先生、軽自動車に乗ってるんですね。なんかこう、もっと派手なのに乗ってるイメージがありました」
 奈良先生は「よく言われる」と苦笑する。
「車なんて使えればそれでいいだろ。こだわりはねぇよ」
「そうなんですか。やっぱり車って便利ですか?」
「そりゃあな。お前の家はあんまり車使わないのか」
「伸二さん、あ、父なんですけど、は、車持ってないんです。たまにひと月単位でレンタルしたりもするんですが。免許はあるので仕事では結構乗ってるみたいです」
「……父親を名前で呼んでるのか」
「養父なので、つい」
 車から降りて、新居に向かって歩きはじめる。
 お姉ちゃん、新居にいるかな?
 今週から同居をはじめると言っていたので、多分いるだろう。さっきの着信について、何か問われるかもしれない。もし問われたら、笑顔でなんでもないよと告げよう。
 琴音のことはずっと胸の奥にあって痛みを発しているけれど、大丈夫だ。たくさん泣いたから。
 もしかしたら寝る前にふと思い出してまた泣くかもしれないけれど、今は頑張れる。
 新居のマンションにつくと、玄関に靴がないことに気づいた。廊下も暗く、締め切った部屋独特の熱気に満ちている。どうやらお姉ちゃんは帰っていないようだ。
 奈良先生はさっさとリビングへ歩いていく。
 少し迷った末に、私も奈良先生を追い駆けるように新居にあがりこんだ。
 エアコンのリモコンを置いた奈良先生は、神妙な顔で私を振り返った。
「お前も五木と同じで、孤児院で育ったのか」
 私は頷いた。
「はい。五歳のころ孤児院に入って、小学校中学年くらいのときに今の親元に引き取られました」
「……苦労してるんだな」
「そんなことないですよ。孤児になったから、お姉ちゃんや伸二さんと出会えたんです。孤児になりたかったわけじゃないですけど、私はとても恵まれてるって思ってますから」
 奈良先生が顔をあげる。
「『お姉ちゃんに出会えた』? 血のつながった姉妹じゃないのか」
「血は繋がってないですよ」
 孤児院には大勢の兄弟がいたけれど、お姉ちゃんは特別だった。いつも一緒にいて、たくさん世話をやいてくれて、二人で一緒に眠り、遊び、笑いあった。
 血の繋がりはなくても、私にとっては特別な「お姉ちゃん」なのだ。
「……そうか。大切なんだな。五木はお前に甘えすぎだと思ってたが、それもお前たち二人に強い結びつきがあってこそなんだろう」
「はい!」
 微笑んで頷いた。
「やっと笑ったな」
 そう言って笑い返されて、笑顔が引っ込む。
 指摘されたことが無性に恥ずかしくてむっとすると、奈良先生はおかしそうに肩を揺らした。
「さて。俺は着替えてくるが、夕食まだだろ? 何か食いにいくか」
「私作ります!」
「っつっても材料なにも無いだろ」
 冷蔵庫をあけると、なかには卵とビールが二つずつしかなかった。私は時間を確認する。九時を少し回ったころだ。たしか最寄のスーパーが十時まで開いていたはずである。
「買い出し行ってきます。すぐそこなんで」
「ばか、一人で行かせられるか。それよりまず、お前も着替えろ」
 言われてからやっと、自分が着ている制服が使い物にならなくなっていることを思い出した。改めてみると、胸部分を中心に泥で汚れ、破れている箇所もあるという酷い格好である。我ながらなんでこんな様になってしまったのか、謎であった。
「おい、お前膝のところすりむいてないか」
「はい、でもこれくらい平気です」
「医者の前で強がるな、それだけ血が出ていて痛くないはずないだろ」
 そう言うと奈良先生はリビングを出て行った。
 戻ってきた奈良先生は、小さな救急箱とグレーのジャージ一式を抱えている。ソファに座れと促されて言われるままに座ると、奈良先生がてきぱきと私の膝を消毒し、絆創膏を貼ってくれた。
 やっぱり奈良先生はとても優しい人だ。偽装結婚とはいえ、こんな素敵な人がお姉ちゃんの旦那さんでよかった。
「ほら。あと、これに着替えろ」
「先生のですか? 借りちゃってもいいんでしょうか」
「いいもなにも、着替え持ってきてないだろうが」
 確かに、お姉ちゃんの新居に私の着替えがあるはずもない。
 ありがたくジャージを借りることにした。可愛らしさの全くない男性用のジャージだが、腰はゴムでしばるタイプだし、着れないこともないだろう。
 奈良先生が着替えるために自室へ引っ込んでいるあいだに、私は早速、そのジャージに着替えた。裾は折りまくりで肩はあってないぶかぶかぶりだが、まぁ、仕方がない。
 脱いだ制服を畳んで、鞄と一緒にソファに置いた。
「ふふっ」
 男の人の服って、とても大きい。
まるで抱きしめられているみたいで、心がふわふわした。そう言えば前の彼氏は彼シャツ姿がいいとか言って、よくシャツを羽織らされたっけ。
 そんなどうでもいい過去を思い出して、途端に私のテンションは急降下する。
「……なにやってんだ」
 奈良先生は白い丸首シャツとジャージを穿いており、手には黒い長財布を持っていた。しゅんと俯いていた私は、慌てて鞄から財布を取り出した。
「買い出しですね、行きます!」
「ああ。……弁当があったら、弁当でもいいんだぞ」
「お弁当がいいなら、もちろんお弁当でも構いません。最近のお弁当は美味しいですよね」
「……いや、作ってくれるならそっちのほうが有りがたいが。この時間から作るのは大変じゃないか。門限とかあるだろう? 家は大丈夫か」
「門限はとくにないです。今日は義父も出張でいないので、のんびりできますよ」
「そうか。なら、任せる」
 奈良先生が笑った。
 男らしい笑みに思わず頬を染めてしまう。そして慌てて胸中で首を振った。奈良先生はお姉ちゃんの旦那さんで、ゲイの人だ。そういう対象では決してない。
 だが、それを抜きにしても奈良先生はポイントが高い。まず見た目もよく、身体つきもいいし、繁華街で泣きそうな私を助けて怪我を手当てしてくれる優しさもある。
 お姉ちゃんは顔だけの男だと言っていたけれど、全然そんなことはなかった。
 奈良先生の彼氏って、どんな人なんだろう。
 ふとそんなことを考えてしまうくらいには、私は奈良先生に好意を抱いていた。

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