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そこにいたのは、奈良先生だった。Yシャツにネクタイ姿で、手にはロゴも何もない白の紙袋を持っている。
驚いた顔で全身を見渡され、気まずい思いで軽く頭をさげた。
「すみません」
「いや、謝られてもな。とにかく、帰るぞ。連れはいるのか」
「いえ、ひとりです」
「ついてこい、歩けるな?」
頷くと、奈良先生が歩き出した。私は母のあとを追う幼子のように、奈良先生の背中を追い駆けた。
繁華街から少し離れたパーキングで、奈良先生が立ち止る。
紺色の軽自動車、その助手席のドアを大きく開き、「乗れ」と言われた。言われるままに乗り込めば、すぐに運転席に奈良先生が乗り込んできた。
「自宅はどこだ。新居のほうへ帰ってもいいのか」
「……はい」
滑るように軽自動車が動き出して、私は思い至ったようにシートベルトをつけた。
奈良先生は片手ですいすいと運転していく。もし女性が見たら、カッコいいと黄色い声をあげたかもしれないけれど、私にはその余裕がなかった。
やがて信号で車が停車したとき、奈良先生が口をひらいた。
「この近くになじみの店があってな。そこへ行ってたんだ」
そうですか、と告げたつもりだったが、声が出なかった。無言で愛想の悪い私にちらりと視線を寄越し、奈良先生は続ける。
「靴はどうした」
「……気がついたら、無くなってました」
「何があったのか、聞いてもいいのか」
「と、友達と喧嘩して」
「この前の子か? 久賀琴音さんだったか」
驚いて顔をあげる。
そうだ、奈良先生は産婦人科医で、琴音が妊娠していたことを知っている数少ない人物なのだ。
「てっきり暴漢にでも襲われたのかと思った」
「……自分の姿を見て、そう見えるだろうなとは思ってました」
奈良先生は歯を見せて少し笑う。
「それで、友人と喧嘩してどうしてそんな姿になってるんだ。取っ組み合いでもしたのか」
「琴音を怒らせちゃって、怖くなって逃げたんです。気づいたらこんな姿でとぼとぼ歩いてました」
話を濁しつつ、苦笑を浮かべる。
琴音の姿を思い出したら、また胸が痛んだ。
「妊娠の件が喧嘩の理由か?」
「あ、えっと……はい」
少し迷った末に、私はぽつぽつと話しだした。伸二さんと暮らしているためか、年上の男性に私情を話すことに抵抗はなかった。
奈良先生は聞き上手だ。相槌や先を促す何気ない言葉で、私の話を引き出してくれる。
すべてを話し終えると、私は静かにため息をついた。自分のなかでぐちゃぐちゃだったものが、話したことにより少しだけ整理できた気がした。
正直、もう琴音とは友人に戻れない気がする。あんなに一緒にいたのに、たくさん笑い合ったのに。そう思うと悔しくて、けれどなにが悔しいのかもわからなくて、頭のなかが熱くなっていく。
その熱は目からこぼれ、私はしゃくりあげながら泣いてしまった。
「辛いな」
奈良先生が、言う。
「俺も高校時代の友人は大切だった。今でも交流がある。正直、失うと思うとぞっとする」
「……はい」
俯いていた私の頭に、ぬくもりが触れた。
奈良先生が、ぽんぽんと私の頭を軽く叩いていた。
「きっと、今はその子も辛いんだろう。日にち薬だと思って、しばらくそっとしておいてやったほうがいい。またきっと、落ち着いて話ができるときがくるだろう。そのとき、今後どんな関係を築いていくか決めればいいさ」
私は無言で頷いた。
奈良先生の言葉は私のなかに優しく染み込んだ。
*
驚いた顔で全身を見渡され、気まずい思いで軽く頭をさげた。
「すみません」
「いや、謝られてもな。とにかく、帰るぞ。連れはいるのか」
「いえ、ひとりです」
「ついてこい、歩けるな?」
頷くと、奈良先生が歩き出した。私は母のあとを追う幼子のように、奈良先生の背中を追い駆けた。
繁華街から少し離れたパーキングで、奈良先生が立ち止る。
紺色の軽自動車、その助手席のドアを大きく開き、「乗れ」と言われた。言われるままに乗り込めば、すぐに運転席に奈良先生が乗り込んできた。
「自宅はどこだ。新居のほうへ帰ってもいいのか」
「……はい」
滑るように軽自動車が動き出して、私は思い至ったようにシートベルトをつけた。
奈良先生は片手ですいすいと運転していく。もし女性が見たら、カッコいいと黄色い声をあげたかもしれないけれど、私にはその余裕がなかった。
やがて信号で車が停車したとき、奈良先生が口をひらいた。
「この近くになじみの店があってな。そこへ行ってたんだ」
そうですか、と告げたつもりだったが、声が出なかった。無言で愛想の悪い私にちらりと視線を寄越し、奈良先生は続ける。
「靴はどうした」
「……気がついたら、無くなってました」
「何があったのか、聞いてもいいのか」
「と、友達と喧嘩して」
「この前の子か? 久賀琴音さんだったか」
驚いて顔をあげる。
そうだ、奈良先生は産婦人科医で、琴音が妊娠していたことを知っている数少ない人物なのだ。
「てっきり暴漢にでも襲われたのかと思った」
「……自分の姿を見て、そう見えるだろうなとは思ってました」
奈良先生は歯を見せて少し笑う。
「それで、友人と喧嘩してどうしてそんな姿になってるんだ。取っ組み合いでもしたのか」
「琴音を怒らせちゃって、怖くなって逃げたんです。気づいたらこんな姿でとぼとぼ歩いてました」
話を濁しつつ、苦笑を浮かべる。
琴音の姿を思い出したら、また胸が痛んだ。
「妊娠の件が喧嘩の理由か?」
「あ、えっと……はい」
少し迷った末に、私はぽつぽつと話しだした。伸二さんと暮らしているためか、年上の男性に私情を話すことに抵抗はなかった。
奈良先生は聞き上手だ。相槌や先を促す何気ない言葉で、私の話を引き出してくれる。
すべてを話し終えると、私は静かにため息をついた。自分のなかでぐちゃぐちゃだったものが、話したことにより少しだけ整理できた気がした。
正直、もう琴音とは友人に戻れない気がする。あんなに一緒にいたのに、たくさん笑い合ったのに。そう思うと悔しくて、けれどなにが悔しいのかもわからなくて、頭のなかが熱くなっていく。
その熱は目からこぼれ、私はしゃくりあげながら泣いてしまった。
「辛いな」
奈良先生が、言う。
「俺も高校時代の友人は大切だった。今でも交流がある。正直、失うと思うとぞっとする」
「……はい」
俯いていた私の頭に、ぬくもりが触れた。
奈良先生が、ぽんぽんと私の頭を軽く叩いていた。
「きっと、今はその子も辛いんだろう。日にち薬だと思って、しばらくそっとしておいてやったほうがいい。またきっと、落ち着いて話ができるときがくるだろう。そのとき、今後どんな関係を築いていくか決めればいいさ」
私は無言で頷いた。
奈良先生の言葉は私のなかに優しく染み込んだ。
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