愛のカタチ

如月あこ

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 我慢強く、というよりもしつこく、琴音の家に通った甲斐があったというものだ。
 公休明けの月曜日、やはり学校を休んだ琴音の実家に伺った際に、琴音のお母さんが「少しだけなら会うって言ってるわ」と告げてくれた。
 今日も会えないだろうと思っていた私は、ぱっと顔をあげて琴音のお母さんにお礼を言う。
 すでに何度も訪れているので、二階にある琴音の部屋に行くのは迷わなかった。
 深呼吸をして、可愛い文字で「琴音の部屋」と書かれたプレートがかかったドアを、ノックする。
「琴音、私だよ。入ってもいい?」
「……いいよ」
 消え入りそうな声音だった。
会えると意気込んでいた私は、冷水を浴びせられたようにその場で動けなくなる。それでも自身の身体を叱咤して、生唾を飲み込み、ドアをひらいた。
 ぬいぐるみが沢山ある、ピンクを基調した部屋。
 琴音は、その奥にあるベッドのうえで布団に包まり、こちらを見ていた。
 痩せていた。
 もともとほっそりとした琴音の顔が、まるで骨と皮だけになってしまったかのようだ。陰影の関係もあるだろうが、その壮絶さに私は暫し絶句する。
「ごめんね、沢山来てくれたのに会えなくて」
「う、ううん。私が勝手に来ただけだから。調子悪いんだって?」
「うん」
 私は後ろ手でドアをしめると、ベッドの手前に座った。
「学校はどう、変わったことない?」
 琴音の言葉に、私は微笑んで頷いた。笑みが少し強張ってしまったけれど、きっとちゃんと笑えているだろう。
「うん、とくにないよ。あ、そうだ。一年のほら、イケメンの先生がね、恋人と婚約したんだって。婚約指輪つけてきて、そこから発覚したんだけどね、女子が騒いでたよ」
「……そっか、どうでもいいや」
 笑みが露骨に強張ってしまった。
 かつての琴音なら、話に乗ってきてくれただろうに。
 今はきっと、心に余裕がないのだ。私は気を取り直して、話を続けた。
「そ、そうだよね。特にほかは変わったことないかなぁ」
「ねぇ、愛花。あたしね、ずっと考えてたの。……赤ちゃん下ろしてから、ずっと」
 息を呑む。
 琴音はうっすらと邪悪な笑みを浮かべて、私を見下ろした。
「もし、妊娠したのがあたしじゃなくて愛花だったら、あっくんは子どもを産んでほしいって言ったかな」
「なに言ってるの。あっくんは琴音の彼氏で」
「あっくんは愛花のことが好きだったんだよ! そう言ってたじゃん!」
 耳を打つ悲鳴に似た叫び声に、私は恐怖すら覚えてしまった。
 大切な友達なのに、この場から逃げ出してしまいたくて身体が震え、なにか言わなければと口をひらくが、結局気の利いた言葉の一つも言えずに口をとじる。
「……あたし、愛花のことが羨ましかった。家庭的で、スタイルも女らしくて、大人で、優しくて。あたしに持ってないものいっぱい持ってる。でもあっくんと付き合えたのはあたしだから、あたしを愛してくれてると思ってたからっ」
 私を、羨ましい?
 その言葉は私の胸に痛いほど突き刺さった。
 なぜならば、私も琴音のことを羨ましいと思っていたからだ。優しい両親がいて、明るい性格ですぐ誰とでも仲良くなれて、その場にいるだけで場が賑やかになる、漫画の主役のような子だからだ。
 羨ましいと同時に、そんな琴音が好きだった。
 今でも好きだ。だから、そんな殺意にも似た呪いの言葉を吐かないで欲しい。
 やめて。
 もう言わないで。
 私は決死の思いで琴音に手を伸ばす。
 ぱしん。
 手をはたかれて、私は呆然とする。
「愛花となんて、友達にならなきゃよかった」
「……こと、ね」
「どっか行ってよ。もう会いになんてこないで。いい子ぶるのも大概にしてよ!」
 枕を投げつけられて、顔に当たって落ちた。
 私は鞄を持ってふらふらと立ち上がり、無言のまま琴音の部屋を出る。
 どれだけ歩いたのか、それとも走ったのか、記憶になかった。気が付けば見覚えのない繁華街を靴下のまま歩いていて、服もところどころ擦り切れて汚れていた。転んだらしく、膝からは血が流れている。辺りは暗くなっており、繁華街のネオンが痛いほど輝いていた。
 まるで暴漢にでもあったかのようないでたちは、目立つようで、すれ違う人たちがちらほらと視線を寄越してくる。
 涙は出なかった。
 まだ琴音の言葉を私は理解できていなかったのだ。現実として受け止められずに、信じたくないという思いばかりが溢れてくる。
 誰かにぶちまけたかった。「きっと最後にはうまくいくよ」と言ってほしくて、私は携帯電話を取り出す。脳裏に反芻する優しい声は、伸二さんのものだ。
 けれど、結局伸二さんに電話をかけることは出来なかった。
 今日から二日間、伸二さんは予定外の出張に追われていて、自宅にいないのだ。出張先のホテルでは疲れて眠っているかもしれないし、まだ仕事中かもしれない。
 迷惑をかけるわけにはいかない。唇を噛んだ。私の肩に、道行く人の肩がぶつかる。慌てて道の端へ避けて、そのまま地面に座り込んだ。
「そうだ……お姉ちゃん」
 お姉ちゃんなら、私の話を聞いてくれるかもしれない。
 お姉ちゃんのアドレスを表示させて、通話ボタンを押した。
 まず、何から話そう。琴音が妊娠したことから話そうか。そう思って、ぷつりと通話が繋がった瞬間、私は口をひらく。
「あのね、お姉ちゃん」
――『こちら、留守番電話サービスです』
 ああ、と苦い思いで通話を切る。
 他者に頼ろうとしたのが、間違いだったのか。自分のなかだけで消化しなければならない問題だと、神様が告げているのだろうか。
 携帯を鞄にしまいこみ、立ち上がる。とにかく帰ろう。けれど、帰ってから私はどうしたらいい?
 おぼつかない足取りで歩き出した私は、再び誰かとぶつかった。
「す、すみません」
 ほとんど無意識に謝る。
「……やっぱり、お前か」
 聞き覚えのある声に、顔をあげた。
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