19 / 34
5、
3、
しおりを挟む「おい」
声をかけられて、私の意識は浮上した。
どうやら眠ってしまっていたらしい。何か怖い夢を見ていた気がするけれど、もう覚えてはいなかった。
ソファに身体を起こして、目を瞬く。
Yシャツにネクタイ姿の奈良先生が、眉間に皺を寄せて私を見下ろしていた。
「先生! あ、えっと」
「ここで何をしてるんだ」
「お姉ちゃんの夕食を作りにきたんです。お姉ちゃん、今日はこっちに泊まるって言ってたから」
そう告げてから、ふと握りしめて寝ていた携帯電話がチカチカと光っていることに気づいた。メールがきているらしい。
内容を確認して、私は衝撃を受けた。
――『ごめん、愛花。美津子の調子が悪いから、今日は美津子の家に行くことにするわ』
お姉ちゃんとの約束が反故にされたことと、美津子さんの調子悪いという事実のダブルに衝撃を受けたのだ。
時計を見れば、八時を過ぎた頃合いだ。メールがきたのが一時間ほど前なので、すっかり見過ごしていたことになる。
しょんぼり俯いた私は、鞄を持って立ち上がる。
「……あの、それじゃあ帰ります」
「五木の帰りを待つんじゃないのか」
「今日、帰れなくなったってメールがあったみたいで。あの、カルボナーラの材料買ってあるので、よかったら使ってください」
「そんなもん作ったことねぇよ」
憮然と言い放った奈良先生は、けれど、何かを考えるようにキッチンを見つめ、そしてため息をついた。
「作ってくれるなら、食ってやってもいい」
「……え」
「だから、お前が作るなら食ってやってもいい」
「とっ」
「と?」
「突然のデレがきた!」
思わず声をあげた私に、奈良先生は益々もって眉をひそめた。
「……嫌ならいい。どうせこれからコンビニへ弁当買いに行くしな」
「ま、待って! 作る、作らせてください!」
とっとと踵を返した奈良先生に縋りついた。
きっと、お姉ちゃんに会えないと知って落ち込んでいる私に、同情してくれたのだ。なんて優しい人だろう、私は奈良先生を誤解していたらしい。
奈良先生は縋りついた私を、不愉快そうに押し返した。
「なら、作れ。出来たら呼べよ」
そのままリビングを出て行った。ぱたんとドアが閉まる音がしたので、自分の部屋にこもったのだろう。
私は鞄をソファに置き直し、はりきってキッチンに立った。
誰かのためにご飯を作るのは、とても楽しい。伸二さんやお姉ちゃんが「おいしい」と言ってくれたら、私も役に立つんだと思うことができるのだ。
誰かに必要とされたい欲が、どうやら私は強いらしい。
お母さんに必要とされなかった私を伸二さんが必要としてくれたとき、生きることって素晴らしいと神に感謝したのを覚えている。きっとそのことが、私の「必要とされたい」欲に影響を与えているのだ。
カルボナーラは、コツさえ覚えれば結構簡単にできる。
麺が茹で上がる時間を見計らい、私は奈良先生を呼びにいった。ドアをノックして、「愛花です。あと三分くらいで出来ますよ」と。
パスタをソースと絡めて皿に盛り、食卓に並べた。小さめのサラダボウルにサラダを乗せて、一緒に並べる。ドレッシングは、お姉ちゃんが好きな「胡麻」と私のおすすめ「ゆずポンズ」だ。
フォークとスプーンを並べ終えたところで、奈良先生がやってきた。
ラフな格好に着替えてきたのを見て、先ほどの姿が仕事着だったことを知る。
「どうぞ」
食卓を促せば、奈良先生は無言で奥の席についた。
「ビール飲みますか?」
「酒は付き合い程度にしか飲まない」
じゃあ、冷蔵庫に入っているビールはお姉ちゃんのかな?
私は買ってきておいたペットボトルのお茶をコップに注ぎ、食卓に置いた。
改めて食卓を眺め、なかなかの出来栄えに一人頷く。
「食べましょう!」
「ああ。……箸ねぇの?」
「ありますよ。持ってきます」
奈良先生はお箸を受け取ると、フォークを横に置いて箸で食べ始めた。机に肘をついたあまり行儀のいい食べ方ではなかったが、私は食べ方に頓着しないので、見て見ぬふりをする。
私もフォークとスプーンを使ってパスタを、そしてサラダを食べ始めた。
沈黙のなかもくもくと食べ進めてしばらくしたころ、はっと私は顔をあげた。
今まさに、関係を縮めるチャンスじゃないの?
相手はお姉ちゃんの旦那さんだ。つまり、一生の付き合いになるということで、これから何かと関わっていく機会もあるだろう。ここは私から歩み寄れば、相手もそれに応えて、気まずいながらも柔らかな雰囲気に包まれるはず。
……と、そう思っていたころが私にもありました。
「あの、奈良先生って恋人とかいるんですか?」
彼氏、ではなく、あえてナチュラルに恋人という単語を使ってみた。若干相手に踏み込みすぎた感がなくもないが、夕食の話題としては悪くないぞ、と自分をこっそり褒めた。
奈良先生はちらりと私を見て、視線を落とした。
「別に」
答えになってないその言葉に、私はむっと頬を膨らませる。けれど、やはり踏み込み過ぎた感があったので、大人しく引き下がることにした。
そして次の質問である。
「……えっと。お姉ちゃんとはなんで結婚を決めたんですか」
「お前に関係ねぇだろ」
ごもっともですが、姉の結婚となれば私にも若干の関係はある、と思う。
というか、奈良先生は私と打ち解ける気は一切ないようだ。一緒に夕食を食べようと言ってくれたので(そこまで丁寧ではないが、ニュアンス的に!)、歩み寄ろうとしてくれているものだと思ったのに。
私の質問タイムはあえなく終了した。
奈良先生はサラダも綺麗に食べ終えると、箸を置いた。食器を片そうと立ち上がったので、慌てて声をかける。
「そのままでいいですよ! 私片付けるんで」
「……そうか」
奈良先生は、さっさと立ち上って自分の部屋に戻って行った、ということはなく。パスタを頬張る私を、向かい側からじっと見つめ始めた。
「あの、なにか?」
「……見たか」
「はい? なにをですか」
「いや、だから」
もごもごと口ごもる奈良先生に、私は首を傾げた。どうやら私と会話をしてくれるつもりらしい。私は意気揚々と胸を張って答える。
「パンツなら見てないですよ!」
「見てんじゃねぇか!」
奈良先生はがしがしと頭を掻くと、ため息交じりに机に顎肘をついた。
「……いや、風呂場に放置してた俺も悪いが、一応服の下に隠してあったんだ」
「ビキニ愛好者なんですか?」
「聞くなよ、好きじゃなきゃ穿いたりしねぇだろ」
それはそうだ。
どうやら奈良先生の反応見る限り、自分がビキニ愛好者であることは誇れる趣味ではないらしい。なるほど、こっそり楽しむ内緒の趣味というわけか。それはそれでエロい。
私は食べ終えた皿を見つめて「ごちそうさま」と呟いたあと、にっこり微笑んだ。
「いいじゃないですか、ビキニって素敵ですよね」
「引いてんだろ」
「なんで引くんですか。セクシーで興奮します。ビキニってロマンですよね! 私ムタンガが好きで、たまにネット検索するんですよ」
奈良先生が大きく目を見張った。
「……またマニアックな名前を出したな」
ムタンガとは、サスペンダーがついたビキニのことだ。ただのビキニにあえてサスペンダーをつけることで、エロさと着用している感を増長している。
私は穿いたことがないが、というか持ってさえいないが、前々からムタンガには憧れていたのだ。伸二さんや琴音に言ったら泡を吹かれるかもしれないので、こっそり私のなかだけに秘めていた秘密である。
そう、秘密だった。話の流れで暴露してしまってけれど。
けれど、この秘密をしゃべってよかったかもしれない。奈良先生の瞳が少しだけ、親近感に湧く色を乗せていたからだ。
私は調子に乗って話を続ける。
「今度機会があったらムタンガつけてるところを見せてください」
どんな機会だよ、というつっこみを期待していた私の目の前で、奈良先生は頬を染めて俯いてしまった。さっきよりもガシガシと強く頭を掻き、黙り込んでしまう。
照れてるのだろうか。それはそうかもしれない、いきなりほとんど面識もない女子高生に「ビキニ姿見せてください!」と言われたのだから。
私はきっと、この瞬間に変態のレッテルを張られてしまっただろう。
「すみません、調子に乗りました」
「…………いや。まぁ、機会があったらな」
気まずい空気になり、奈良先生が立ち上がった。どうやら部屋に戻るらしい、と見せかけて風呂場のほうへ歩いていった。
そういえば洗濯の途中だった、と気づいて、私も慌てて奈良先生のあとを追う。
「すみません、忘れてました! 皺になってませんか!」
洗濯機から衣類を取り出す奈良先生は、振り返りもせずにぶっきらぼうに言う。
「別にいい。つか、サンキュ」
「はい?」
聞き間違いだろうか。
今、もしかしてお礼を言われた……?
ぱっ、と微笑んだ私に気づいた奈良先生は、眉をひそめてため息をつくと、なぜか私の前に歩み寄ってきた。すぐ傍から見下ろされて、目を瞬く。
「あの……?」
「シャワー浴びるから」
パタン。
目の前でドアが閉まる。
私はしばらく唖然のしたのち、食器を片づけるためにリビングへと戻った。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる