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「ただいまー」
合鍵でドアを空けながら自宅のマンションのドアをひらくと、伸二さんはもう帰宅していた。
「ごめんね、すぐにお風呂沸かすから」
「もう沸かしたよ」
リビングの食卓で、缶ビールを片手に伸二さんが言った。机のうえにはコンビニで買ってきたらしい、つまみのイカフライが皿に乗っけて置いてあった。
伸二さんはそれを食べながら、にやにやと笑っている。
「彼氏かい? 遅かったじゃないか」
「お姉ちゃんの新居にお邪魔してたの」
「ああ、玲奈くんの。旦那さんには会ったかい? どんな人だった?」
「お医者さんなんだって」
「すごいじゃないか!」
目を見張った伸二さんの言葉に、私は全面的に同意した。
「うん、すごいよね。お医者さんってめちゃくちゃ頭よくないとなれないんでしょ?」
「医大にはなかなか入れないっていうしね。医者なんて責任感ないと続けていけないだろうし、感心するよ。僕には到底無理だね」
伸二さんはいわゆるサラリーマンだ。独身ということもあって出張が多く、頻繁にあちこち飛び回っている。それでも十年前と比べると出張も減り、職場で事務的に判子を押す仕事も増えてきたと言っていた。
「ああ、そうだ。僕、来月からまたしばらく出張が入ったんだ」
「どのくらい?」
「ひと月」
「そんなに! 場所は?」
「二つ隣の街。結構近いよ」
ほっとしたものの、二つ隣の街となると、私が家事手伝いに通うには遠すぎる。しょんぼりとする私を見て、伸二さんはおかしそうに笑った。
「僕は大丈夫から、一応炊事も洗濯もできるし。愛花は一人で大丈夫かい?」
「大丈夫だよ、でもちょっと寂しいかな」
ふふ、と笑いながら、私は伸二さんの向かい側の食卓に座った。
すかさず、伸二さんが首を傾げて聞いてくる。
「どうしたの?」
「なにが?」
「愛花がそうやって向かい側に座るときは、大抵悩みか相談があるときでしょ。それくらいお義父さんはお見通しです」
にっこり微笑まれて、私ははにかんで頷いた。
けれど、その笑みもすぐに消え、私は沈んだ表情でそっと話し出した。
「あのね、友達の――琴音のことなんだけど」
「琴音ちゃん? ふむ、なにかあったのかい」
「妊娠したみたい」
伸二さんの手が止まる。缶ビールを机に置く音が、やけにリビングに響いた。
「本当に?」
「うん。四週間目だって。それで今日、そのことを彼氏に言いにいったの。私も一緒に」
「……どうだった?」
「酷い彼氏だったよ」
今日、琴音とその彼氏の間であったことをすべて話した。
話を聞き終えると、伸二さんは厳しい顔で唸ってしまった。
「子どもだね、その彼氏は。自己責任という言葉を理解していないんだ」
「うん」
「で、結局産まないのかな」
「両親の反応次第じゃないかな」
「……琴音ちゃんか。あんまり会ったことはないけど、子どもっぽい印象があるよ。母親にはまだ早い気がする」
「でも、妊娠した途端に母親になれる人もいると思うよ。お腹に赤ちゃんが出来るっていうのは、すごく大きいと思うの」
「そう、だろうね。どちらにしろ、彼氏の援助もなく一人で産むのは大変だろう。中絶するにしても、産むにしても、力になってあげるんだよ」
「頑張るよ。琴音には、笑っていてほしいから」
それは、私の本心であり願いだった。
少し迷った末に、聞きたかったことを告げる。
「あのね、伸二さん」
「なんだい?」
「琴音に『母親になれるかな』って聞かれたとき、私、わからないって答えちゃったの。琴音にはまだ早い気がしたし、無責任に肯定するべきじゃないって思ったから。でも、私の答えって、酷いよね。琴音をきっと、すごく傷つけたと思うの。……嘘でも『なれるよ』って答えたほうがよかったのかな」
「気休めの言葉が欲しいときもあるけど、愛花は昔から正直だから、そのままでいいと思うよ。琴音ちゃんも、愛花の本当の返事が欲しかったんだろうし」
「……そうかな」
「これから嫌でも、生きていくうえで嘘をつくべきときが出てくる。私生活でも、仕事でもね。だから、愛花はそれまでは正直なままでいてください」
伸二さんの言葉は、私のなかに染み込んでいった。
いつの間にか私の瞳は潤み、ぽろぽろと涙を流してしまう。
「……大丈夫だよ。きっと最後には、うまくいくから」
「うん、うん」
最後には上手くいく。
どんな辛い過程を経ても。
私はその言葉を信じて、何度も何度も頷いた。
合鍵でドアを空けながら自宅のマンションのドアをひらくと、伸二さんはもう帰宅していた。
「ごめんね、すぐにお風呂沸かすから」
「もう沸かしたよ」
リビングの食卓で、缶ビールを片手に伸二さんが言った。机のうえにはコンビニで買ってきたらしい、つまみのイカフライが皿に乗っけて置いてあった。
伸二さんはそれを食べながら、にやにやと笑っている。
「彼氏かい? 遅かったじゃないか」
「お姉ちゃんの新居にお邪魔してたの」
「ああ、玲奈くんの。旦那さんには会ったかい? どんな人だった?」
「お医者さんなんだって」
「すごいじゃないか!」
目を見張った伸二さんの言葉に、私は全面的に同意した。
「うん、すごいよね。お医者さんってめちゃくちゃ頭よくないとなれないんでしょ?」
「医大にはなかなか入れないっていうしね。医者なんて責任感ないと続けていけないだろうし、感心するよ。僕には到底無理だね」
伸二さんはいわゆるサラリーマンだ。独身ということもあって出張が多く、頻繁にあちこち飛び回っている。それでも十年前と比べると出張も減り、職場で事務的に判子を押す仕事も増えてきたと言っていた。
「ああ、そうだ。僕、来月からまたしばらく出張が入ったんだ」
「どのくらい?」
「ひと月」
「そんなに! 場所は?」
「二つ隣の街。結構近いよ」
ほっとしたものの、二つ隣の街となると、私が家事手伝いに通うには遠すぎる。しょんぼりとする私を見て、伸二さんはおかしそうに笑った。
「僕は大丈夫から、一応炊事も洗濯もできるし。愛花は一人で大丈夫かい?」
「大丈夫だよ、でもちょっと寂しいかな」
ふふ、と笑いながら、私は伸二さんの向かい側の食卓に座った。
すかさず、伸二さんが首を傾げて聞いてくる。
「どうしたの?」
「なにが?」
「愛花がそうやって向かい側に座るときは、大抵悩みか相談があるときでしょ。それくらいお義父さんはお見通しです」
にっこり微笑まれて、私ははにかんで頷いた。
けれど、その笑みもすぐに消え、私は沈んだ表情でそっと話し出した。
「あのね、友達の――琴音のことなんだけど」
「琴音ちゃん? ふむ、なにかあったのかい」
「妊娠したみたい」
伸二さんの手が止まる。缶ビールを机に置く音が、やけにリビングに響いた。
「本当に?」
「うん。四週間目だって。それで今日、そのことを彼氏に言いにいったの。私も一緒に」
「……どうだった?」
「酷い彼氏だったよ」
今日、琴音とその彼氏の間であったことをすべて話した。
話を聞き終えると、伸二さんは厳しい顔で唸ってしまった。
「子どもだね、その彼氏は。自己責任という言葉を理解していないんだ」
「うん」
「で、結局産まないのかな」
「両親の反応次第じゃないかな」
「……琴音ちゃんか。あんまり会ったことはないけど、子どもっぽい印象があるよ。母親にはまだ早い気がする」
「でも、妊娠した途端に母親になれる人もいると思うよ。お腹に赤ちゃんが出来るっていうのは、すごく大きいと思うの」
「そう、だろうね。どちらにしろ、彼氏の援助もなく一人で産むのは大変だろう。中絶するにしても、産むにしても、力になってあげるんだよ」
「頑張るよ。琴音には、笑っていてほしいから」
それは、私の本心であり願いだった。
少し迷った末に、聞きたかったことを告げる。
「あのね、伸二さん」
「なんだい?」
「琴音に『母親になれるかな』って聞かれたとき、私、わからないって答えちゃったの。琴音にはまだ早い気がしたし、無責任に肯定するべきじゃないって思ったから。でも、私の答えって、酷いよね。琴音をきっと、すごく傷つけたと思うの。……嘘でも『なれるよ』って答えたほうがよかったのかな」
「気休めの言葉が欲しいときもあるけど、愛花は昔から正直だから、そのままでいいと思うよ。琴音ちゃんも、愛花の本当の返事が欲しかったんだろうし」
「……そうかな」
「これから嫌でも、生きていくうえで嘘をつくべきときが出てくる。私生活でも、仕事でもね。だから、愛花はそれまでは正直なままでいてください」
伸二さんの言葉は、私のなかに染み込んでいった。
いつの間にか私の瞳は潤み、ぽろぽろと涙を流してしまう。
「……大丈夫だよ。きっと最後には、うまくいくから」
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最後には上手くいく。
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私はその言葉を信じて、何度も何度も頷いた。
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