古書屋を営む私と、変人作家探偵 ―抜刀島連続殺人事件―

如月あこ

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第五章 真犯人

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 唖然とするシノザキ刑事とゼンヤの視線が、私に突き刺さる。

「わたし、が」
「そうだ、リン。きみは今夜死ぬことになる」

 息苦しさを覚えて、ふらりと後ろへよろけた。踏ん張ったはずなのに足に力が入らず、その場に座り込んでしまう。
 駆け寄ってきてくれたのは、誰だろう。相手の顔を見る余裕もなく、床へ視線を落としたまま、ぽたりと額から汗が滑り落ちた。

「おい、作家先生。言い方ってもんがあるだろ。お前、あの子の同伴者じゃねぇのか。つか、あの子が好きなんだろ?」
「リンは私が間借りしている家の大家のようなものだ。恋人ではない」

 先生は、酷く冷徹に言い放った。その声が、私の脳裏に反響して、また身体が震えた。事実を淡々と述べる先生の言葉には、おおよそ、感情というものが感じられなかった。
 背中に誰かの手がふれる。これ以上倒れないように支えているのは、ゼンヤか。

「狙われるのならば、深夜だろう。昼間は集団で行動しているからな。犯人は手を出せない。そこで、だ。今夜、眠る部屋を変えようと思う」

 眩暈を覚えながら、顔をあげると。
 先生は、私を見下ろすように、腕を組んで立っていた。

「ははーん。つまり、狙われる対象がわかっているからこそ、守りやすいってことか」
「そういうことだ。よって、今夜、リンにはきみたち二人とともに寝てもらう。本来リンが眠るはずだった部屋は、私が一人で使おう」
「お前ひとり、って。それって、お前が危ないじゃねぇか」
「心配ご無用。考えがある」

 先生が、にやりと不敵に笑った。
 ひゅ、と喉の奥で空気の塊がつまった。ああ、私はこの笑顔を知っている。先生は何かを企んだとき、この笑みを浮かべるのだ。きっと、今、話した理由の裏に、本当の行動原理があるはずだ。
 一体、先生は何を考えているのか。何をしようとしているのか。何を隠しているのか。聞きたいのに、喉の奥に言葉が張り付いて、声にできない。

「お前たちは、二人でリンを守ることができるか?」
「してみせるけどな。犯人にとったら殺したいほど憎い相手でも、俺にとって、この嬢ちゃんは、ピンチをともにしている仲間だ」
「臭いセリフはいい。任せたぞ」

 ふいに。
 私は、ある考えに至った。
――俺にとって、この嬢ちゃんは、ピンチをともにしている仲間だ
――すべての物事にはあらゆる側面がある
 そっと視線を床に落とした。
 震える拳を握り締めて、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。
 一つ、物事の見方を変えると、まるで、世界が変わったかのように、外れて軋んでいた歯車がかみ合った。
 私は、これまでにないほどの恐怖を覚えて、両手で身体をかくように抱いた。

「おい、辛いなら横になろう」

 ゼンヤの声は、とても優しい。本気で気遣ってくれているのがわかる。だから、ほんの少しだけ胸が暖かくなって、苦しさが和らいだように思えた。
 だが、これから起こるだろう残酷な現実を想うと、恐怖でまた、身体が竦んでしまうのだ。




 そこは、シノザキ刑事が昨夜泊まった寝室だった。
 ゼンヤと私は、荷物を持って部屋に入る。当たり前だがベッドはひとつで、布団を運び込もうと言ったシノザキ刑事の発案を、先生は「犯人に部屋替えがバレるだろう」とばっさり切り捨てた。
 よって、三人で一つのベッドを使うことになるのだが――果たして、今夜は眠れるだろうか。
 鞄を置いて何気なく椅子に座ると、向かい側にゼンヤが座った。シノザキ刑事は、どかっと床に座る。

「嬢ちゃん、あんたベッド使えよ」
「えっ」
「当たり前だ。俺はそいつがお前に手ぇださねぇか見張っててやる」
「……こんなときに、面白くない冗談だ」

 ゼンヤが憮然と言い返した。
 私は微かな苦笑を返したあと、部屋のなかを見回した。昨夜止まった部屋と大差ない景色だ。ドアは内側から鍵をかけることができるし、窓の向こうは真っ暗だが、おそらく海が見えるだろう。私は窓へ歩み寄ると、軽く窓を押してみた。

「……開かない」

 サビついているのか、窓は強く押しても開く気配がなかった。窓ではないとすると、ドアだろうか。
 今度は、部屋のドアを念入りに確認した。

「何やってんだ?」

 シノザキ刑事に声をかけられて、私は逡巡したが、やがて、もとの椅子に座った。

「お話があります」

 私はなるべく声をひそめて話した。それに気づいた二人が顔を見合わせて、近づいてくる。

「なんだ、心配ごとか? 俺らが守ってやるから、安心しろって」
「そうじゃないんです。私、あの……どうしても、信じられなくて」
「なにがだ?」
「先生を」

 努めて、きっぱり言った。
 最初、私の言葉を理解しかねる様子だった二人だが、その意味するところを知ると、徐々に驚いた顔になっていく。

「なんで? 親しいんだろ?」
「親しいかと聞かれるとわかりません。先生は祖父の友人で、私が祖父の家で暮らすようになってから、同居している人です。先生がおっしゃったように、恋人でもありませんし」
「いやいや、唐突すぎるだろ。俺、お前ら仲いいもんだと思ってたぞ。今回の招待状にだって、連れ立ってきたし」

 私は、出来るだけ淡々と、隠してきたこと――私がリンキコナツではない別人であること、また、小奈津が持ち込んだ招待状を見て、先生のほうから行こうと言い出したことを述べた。
 ふたりは、おもにシノザキ刑事のほうだが――は、驚いたり、渋い顔をしたり、私の話を聞きながら表情をころころと変えた。だが、言葉にして、私をなじったりはせずに、最後まで黙って話を聞いてくれた。

「先生は普段から、ほとんど外にお出になりません。だから、先生が『行く』と言ったときが、最初に覚えた違和感でした」
「最初、ってことは、他にもあんのか」
「この館は、推理小説のトリックが仕込んであるそうです。でもそれがわかるのは、先生だけ。先生に有利な造りになっていますよね。だからこそ、先生の言葉は妙に信憑性があるように、感じられる」

 他にもある。

「先生だけ、招待状を持っていません。私の付き添いとしてやってきたんです。でも、行こうと言い出したのは先生だった。……招待状がない時点で、最初から先生は、八年前の加害者から除外されるんです」
「それは、そうだが。待て待て、嬢ちゃんの言い方だと、まるで作家先生が、その、犯人みたいに聞こえるぞ。信じられないっていうのは、そういう意味で言ったのか?」

 私は真っ直ぐにシノザキ刑事を見た。
 視線を受けたシノザキ刑事はやはり、信じられないといったように、首を横に振る。

「……冗談だろ? 作家先生が、今回の連続殺人の犯人だってか」
「シンジさんが一人だった時間、シノザキ刑事と先生は、タクマさんの検視をしてましたよね。あのとき、先生が一人になることはなかったですか?」
「少しあったな。お前たちと合流したあとだ。嬢ちゃんは気を失ってたから知らねぇだろうけど、ほら、カンダとかいうやつの遺体を移動しに行ったんだよ。そのとき、移動する関係で、別々に動いたりはしたなぁ。でも、そんなに時間はかかってねぇぜ?」
「遺体の移動を、言い出したのは?」
「作家先生だけどよ。お前、嗅覚鋭いんだろ? それを危惧してのことなんじゃねぇの」
「……いいえ。あのとき通ったエントランスからは腐臭がしませんでした。カンダの遺体があった部屋は密閉されていて、匂いはこぼれてなかったんです。だから、私を想って移動することはありません」
「じゃあ、ただ単に、腐敗が心配だったんだろ」
「館裏に行って、戻ってくるだけの時間は、本当になかったんですか」
「嬢ちゃん!」

 声を荒げたシノザキ刑事に、しっ、と指をたてて静かにするように言う。シノザキ刑事は口をつぐんだが、情けなく眉をさげると、がしがし頭を掻いた。

「まぁ、なかったわけじゃねぇよ。でも、嬢ちゃん疑心暗鬼になりすぎだ。あの作家先生は、本当に嬢ちゃんを心配してる。それだけは確かだ」

 思わず、鼻で笑ってしまうところだった。
 シノザキ刑事は、四年前に何があったのか知らないから、そんなことが言えるのだ。何より、先生と二人暮らしをしてきたこの四年間、それなりに関わってきたが、先生と私の関係はとても希薄で、お互いに一線を引いている。表面だけを撫でるような付き合いだ。
 軽口をたたきあうこともあるが、それさえ、他人行儀な雰囲気を誤魔化すための、一興であるように思えるときがある。
 私は、先生のことを何も知らない。興味がないというのもあるが、先生のほうが一線を敷いて私に接することで、そう仕向けているとも考えられた。

「じゃあ、シノザキ刑事。こう質問させてください。もし先生が、緑川桜子の本当の恋人だったら?」

 途端に、シノザキ刑事の目の色が変わった。表情が険しくなり、顎に手を当てると、考え込むように太い眉を寄せた。

「確かに、年齢的にはおかしくねぇが」
「今夜の部屋替え。もし、私を元の部屋から出すことが目的じゃなくて……残りの私たち三人を、一つの部屋にまとめることが、目的だったら?」
「さっき窓やドアを調べていたのはそのためか」

 黙って聞いていたゼンヤが、初めて口をひらいた。彼は、リンコが話し始めたときから茶化す様子はなく、真剣に話を聞いていた。

「おい、どういうことだ? わかるように言えよ」
「窓から、気化する毒物を投げ込んだとする。すると、部屋にいる者はすべて死ぬ。つまり、まとめて殺害するための伏線として、部屋替えを提案したのではないかと、彼女は言いたいんだ」
「はぁ⁉」

 シノザキ刑事は、奇妙な顔をした。厳めしいような、悔しいような、そんな表情だ。今にも怒りだしそうにも見える。
 私は、極めつけにと、ポケットから、館裏で拾った指輪を見せた。

「これ、さっき館裏で拾ったんです。拾った証拠もないし、信じて貰えないかもしれませんが」
「いや、その指輪を拾うところは、俺が見ていた。教師の遺体があった、あの刀墓で拾っていたな」

 ゼンヤからの補足に、私は驚いた。まさか見られていたとは思わなかったのだ。ゼンヤは口元を歪めて、「顔色が青かったから心配だったんだ」と言った。

「その指輪、まさか、作家先生のとかいうんじゃねぇだろ」
「違います」

 シノザキ刑事は、なんだ、と安堵した様子だったが、次の私の言葉で、また、表情を強張らせることになる。

「これは母の形見として、我が家の仏壇に置いてあるものです。間違いなく、死んだ母のものですよ」
「きみの家の仏壇にあったものが、刀墓にあった、と。それは確かに妙だ」
「おい、待てって。もしその作家先生犯人説を信じるとして、あの作家先生が、指輪を落としたままにしておくか?」
「時間、なかったんでしょう? 落としたことにすら気づいていないのかも。なぜ母の指輪を持っていたのかは、わかりませんが」
「……あー。嬢ちゃんに、色々言われっと、そう思えてきちまうじゃねぇか」
「何よりおかしいのは、タクマさんの遺体を発見したときです。先生は、薬のなかに毒が混ざっていたと推理した。よって密室は成り立たないと。じゃあ、あの犯人からのメッセージカードは、いつ置かれたんです?」

 あ、とシノザキ刑事が間抜けにあんぐり口を開いた。どうやら彼は今の今まで、その矛盾に気づいていなかったらしい。

「先生が自分で持ち込んで、さも置いてあったかのように取り出した。そう考えれば、つじつまが合います」

 シノザキ刑事は、丸太のような腕を組んで、刑事の顔になった。鼻から否定していた私の言葉に、信憑性を感じたのかもしれない。

「もしそうなら、作家先生の目的は、皆殺しか。緑川桜子の復讐として」
「そう考えるのが、妥当かと思います」
「……犯人からのカードか。俺はてっきり、なんらかとトリックで密室のなかに置いたのかと思っていたが、確かにあとから置いた可能性もある。最初は内部犯を疑っていたが、いつの間に俺は、外部犯だと思い込んでいたんだろう」

 ゼンヤが、内ポケットから、シンジの傍に置いてあった、シンジの招待状を取り出した。何気なく、私はその招待状へ視線を向ける。
 シンジが発見されたとき、酷い腐臭と無残な腐敗遺体を見た私は、到底具合がよいとは言えない状態だった。頭がぼうっとして、全体的に考えがまとまらず、違和感だけを拾ってくるというアンバランスな状態で館へ戻ってきたのだ。
 指輪が落ちていたのはなぜ。シンジが屋外で殺されたのはなぜ。と、いうように。
 先生が犯人だと結論づけた今も、その違和感に答えはでないままなのが、どうも気持ち悪いけれど。

「……?」

 私は、ゼンヤの手のなかにある招待状を見て、目を瞬いた。

「あれ?」
「今度はなんだ、嬢ちゃん」
「シンジさん、クルーザーで招待状の表紙見せてくださいましたよね。あのとき、シンジさん、招待状を二つに折り曲げた状態で見せてくださった、はず」

 ゼンヤの手の中にある招待状には、折り目がない。
 同じようにシンジの招待状を見たゼンヤは、はっとして目を大きく見開いた。

「そうだ、確かにやつは招待状を折り曲げて持っていた」

 私はゼンヤから招待状を奪うように受け取ると、その招待状からふわりと香った匂いに、思考が一瞬、停止した。この匂いは、そう、館の玄関ドアをひらいたとき、ぶわっと舞った風に含まれていたもの。
 あのときは、わからなかった。僅かな香りは、私の記憶を軽く刺激しただけで、はっきりと思い出させるほどではなかったから。
 今、私は、懐かしい、と感じたものの正体を、適確に導き出した。

「……嬢ちゃん?」

 なんということだろう。
 私はてっきり、緑川桜子の恋人が先生で、今回の殺人計画を企てたのだと思っていた。だが、違った。違うのだ。
 あり得ないことだが、もしそうなら、それこそ、すべてが納得できる。シンジの遺体を腐敗させた理由も、招待客の名前がすべて片仮名で記されている理由も、館や殺人を推理小説に見立てている理由も。
 そして、先生を犯人であると私に思わせた、奇怪な先生の行動そのものも。

――すべての物事にはあらゆる側面がある

 先生は、気づいていたのだ。
 私は愕然と、項垂れた。
 やがて私は、恐ろしいその考えを、ぽつぽつと二人に話して聞かせた。

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