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第四章 第二、第三の殺人

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 朝の九時頃、他の招待客の面々と、部屋の前で待ち合わせをしていた。
 昨日とさして代わり映えしない服に着替えて回廊に出ると、ドアの隙間から周囲を窺っていたゼンヤと目が合う。ゼンヤはほっとしたように息を吐くと、部屋から出てきた。
 今日も黒い衣装に身を包んだゼンヤに、会釈をした。

「おはようございます」
「ああ。連れはどうした」
「先生でしたら、ここに」

 先生は、船をこぎながらふらつく足取りで回廊へ出た。
 ゼンヤは先生をみると、これ見よがしに眉をひそめた。

「随分と眠そうだな。昨夜、誰よりも睡魔に憑りつかれた顔で部屋に入っていったと思ったが。それとも作家というものは、えてして朝が苦手なのか」
「作家に対する偏見だな。夜に筆がのる者もいれば、早朝の頭がさえた頃にまとめて書く者もいる。昨夜はなかなか寝つけずにいた、それだけだ。まるで奇怪なものを見るような目をしているが、きみは、こんな場所で眠れるほど神経が図太いのか?」

 ゼンヤは、先生の目の下にうっすらとできた隈を見て、さらに眉をひそめた。そして、静かに頷いた。

「確かに。まともな神経をしていれば、眠ることはできんだろうな。どこに殺人鬼が潜んでいるやもしれん。一晩眠るつもりが、永眠になる可能性もあるのだ」
「そこではない!」

 突然、先生がくわっと目を見開いて、ゼンヤを睨みつけた。かと思いきや、私を前に押しやって、私の腰に両手を当て、まるで鞄を自慢するギャルのように私をゼンヤに突き出した。
「これを見ろ。二十二歳、小柄、Dカップ。これがすぐ隣にいて、爆睡できると思うのか。私とてただの男に過ぎない。それだというのに、私の気も知らず、気持ちよさそうに寝息をたてる小娘がっ」

 ゼンヤの目が露骨に、呆れた色に変わった。
 私は、こほんと咳ばらいをして、「先生、声が大きいですよ」という。

「先生が寝つけないほど困るなんて思わなくて。今夜は、いたしましょう。ね? 先生の安眠、大切です」
「そういう問題ではない、同情的な目で見るなっ! そして純情な男心を弄ぶなっ、私はそんな薄情な輩ではない!」

 寝不足の先生は酷く不機嫌で、ちょっとしたことにも怒るのだ。私は、弄んだつもりはないと弁解しようと思ったが、これ以上誤解されても面倒だと思い、にっこり愛想笑いを浮かべるだけに留めて、それ以上は何もいわなかった。
 そこへ、

「うるさいなぁ。このドア、廊下からの話し声って筒抜けなんだね。壁は防音なのかな、夜はびっくりするくらい静かだったのに」

 あくびをかみ殺しながら、シンジが出てきた。清潔感のあるワンポイント柄のシャツにデニムのパンツをはいていた。簡素なのに洒落た雰囲気があるのは、シンジが着るからだろう。自分にどんな服装が似合うのか、よくわかっているのだ。中学の教員というけれど、女生徒にさぞモテるだろう。

「すまん、少し遅れた」

 と、シノザキ刑事も部屋から出てくる。ゆったりとした橙色のシャツに紺のスラックスといういで立ちだ。

「刑事さん、遅れすぎですよ。船から降りるときだって、僕たちを待たせて」
「ちょっとくらいいいじゃねぇか」
「警察は組織でしょ? 集団行動大事なんじゃないですか~」

 シンジがからかうように言うと、シノザキ刑事はふんと鼻をならした。

「あとは、あのガキか」
「ですねぇ。彼も遅刻魔かな」
「なぜ複数形なんだ。俺は、遅刻魔じゃねぇぞ」
「もう少し待ってこなかったら、様子を見きましょうよ」
「聞いてんのか、てめぇ」

 ふたりのやり取りを聞いている間、先生は壁に寄りかかって、静かな寝息をたてていた。よく立ったまま眠れるものだ。危ないよ、という意味で袖を引っ張れば、先生は私の肩に額を乗せて、後ろからだ抱きしめてきた。
 すーすーという寝息を背中できく。

「本当に恋人じゃないのか」

 呆れた声は、ゼンヤのものだ。

「違いますよ」
「随分と仲がいいようだが、確かに、家族のように見えなくもないか」

 眉をひそめた訝る表情で見られて、私は言葉につまった。からかっているのでも茶化しているのでもない。ゼンヤは、私と先生の関係を――ひいては、私たちを疑っているのだ。
 招待客のなかで、先生は異質だ。
 そしておそらく、先生を同伴してきた私も。
 抜刀島の迫田棚邸へきて二日目、一晩のうちに、ゼンヤは冷静になって此度のことを考え直してきたようにみえた。昨夜、部屋に入る間際の疲労困憊さは消えて、理知的な色を備えた瞳がそこにある。

「おーい、タクマくーん」

 シンジが、タクマの部屋のドアをたたいた。反動で、ドアにかかっているネームプレートが跳ねて、カタカタと音をたてる。
 タクマの返事はない。

「寝坊かな、それとも朝からシャワーでも浴びてて聞こえないとか」
「どっちでもいい、遅刻しすぎだ」

 苛立たしげなシノザキ刑事は、シンジを押しやってタクマの部屋のドアノブを押した。

「ちっ、開かねぇな」
「当たり前でしょう。内側からは閂をつけることが出来るんですから。外からのカギだけじゃ、僕ら昨夜眠れてませんよ」
「じゃあどうすんだよ。おいっ、開けろクソガキ!」

 シノザキ刑事は何度もタクマを呼ぶが、一向に返事がない。
 さすがにこれはおかしいと、各々が異変にざわつき始めたころ。さすがは刑事というべきか、シノザキ刑事は行動的だった。
 ドアから距離を取り、勢いよくドアを蹴りつけたのだ。
 激しい破壊音がして、ドアが蹴破られ、割れたドアの破片が辺りへ転がる。破片の一つが床でバウントして、私の足元へ転がってきた。けれど、私には、木片を気にする余裕などなかった。
 ドアがあった隙間から、私は、ベッド脇に倒れているタクマの姿を見てしまった。そして彼が、もう生きてはいないことは、ひと目見て明らかだった。
 肌は幽鬼のように白く、目は悪鬼でも見たのかと思うほどに恐怖で見開かれ、鼻と口からは血と唾液がつたった跡がある。血は固まっており、変色しつつあった。首にはミミズがはったような跡があり、本人の爪の間に肉片らしき赤いものが詰まっていることから、首を掻きむしったのだと推測できた。

「……嘘だろ」

 呟いたのは、シンジだ。
 私は呼吸をするのも忘れていた。
 昨日、彼は生きていた。推理小説が好きだと言って、話して聞かせてくれた。私はまだ、彼の声音も、背中を丸めたのっそりとした動きも覚えている。
 ふと、意識がぼやけて、タクマの亡骸以外のものがあやふやになっていくような、錯覚を覚えた。漠然とした無意識のなかで、タクマの死体に、母の姿が重なる。
 いつの間にか、すぐそこでこと切れているのはタクマではなく、母になっていた。顔は車に引かれて壊れ、脳漿をまき散らして地面に鮮血と肉片をばらまいている。かろうじて残っている喉から突き出た骨が、ぴくぴくと動いて見えたのは、気のせいか、それとも母の身体だけはまだ生きていたのか。

「――ぁ」

 身体の奥底で、何かが弾けた。
 絶叫は私の体の中で起こり、血管を通る血がふつふつと沸騰するような錯覚を覚える。
 目の前が真っ白になった。もう、タクマの死体も、母の痛ましい亡骸も、何も見えない。ただ真っ白な世界が、私を呼んでいた。
 このまま身をゆだねれば、罪の身が清められる気がした。意識を手放してしまえば、楽になれるかもしれない。そんな考えが無意識に私のなかで広がっていく。
「――憤死など、くだらんぞ」
 玲瓏な声が、私の混乱を収めた。
 火花を噴出させている花火を、水いっぱいのバケツに突っ込んだときのように、一瞬で、私は冷静さを取り戻した。先生はあくびをすると、私の後ろから離れてシノザキ刑事の隣をすり抜けた。

「おいっ、おまっ、現場を荒らすんじゃねぇ」
「まだ何もしていない。疑うのが警察の仕事というが、人権という言葉を学んだほうがいい」
「ああ?」

 先生を睨むシノザキ刑事のあいだに、シンジが身体を滑らせた。シノザキ刑事は、ちっと舌打ちをして、タクマの遺体のほうへ歩いていく。
 シンジは、痛ましげな目でタクマを見たあと、傍にしゃがみこんで手を合わせた。

「あっけないな」

 隣から声がした。
 ゼンヤが、タクマを酷く冷めた目で見ている。

「人は簡単に死ぬ。いや、老いていく時点で美しさは損なわれていく」
「……ゼンヤさん?」

 タクマを眺めていた目が、弧を描く。
 一瞬、タクマが昨日とは別人ではないかと思えたが、違和感は一瞬で去った。振り向いたゼンヤは、昨日と同じ憮然とした表情だったのだ。

「なんだ」
「えっ、いえ、今……あっけない、って」
「違うか?」

 まるで、当然だろう、というような声音だった。

「人間はただでさえ醜いというのに、死んだ人間は見るに堪えない。吐き気がする」

 ゼンヤはもう一度タクマを見ると、袖で口元を抑えた。その目には憐憫はなく、ただ嫌悪が浮かんでいる。本気で吐き気がするのだろう、顔色は先ほどよりも青かった。
 ふと私は、昨日のゼンヤを思い出した。
 カンダという男の死体を見たときの、ゼンヤの姿。あれは、現状への恐怖もあっただろうが、それよりも遥かに、無残な死体にたいする嫌悪が勝っていたのではないか。決してゼンヤのことを知った被るつもりはないが、今のゼンヤを見ていると、ふと、そんな考えが過ってしまうのだ。

「気分が優れないのなら、どこかで休みますか?」

 そっと、ゼンヤに聞く。
 彼は驚いたように私を見た。

「……なんとも思わないのか」
「え? なにがですか?」
「こういうとき、大体の人間は宗教のような、自分の価値観押しつけてくる。私の考えである、人間は醜い、とくに死んだ者は見るに堪えない。その理由を否定しようとしてくるのだ。または、過剰に同感して、私をさも個性的かつ変人のような扱いをする」
「私には、そういったことはよくわかりません」

 曖昧に苦笑してみせた私に、ゼンヤはふんと鼻を鳴らした。

「きみは、話に、いや、俺に……これも、違うな。この世に、興味がないのか」
「はい。そういう性分なので」

 ゼンヤはもう、何も言わなかった。少し動いて遺体を直接見えない場所に移動したあとは、退屈だとでもいうように、腕時計を見ていた。
 私は、少し迷って、タクマの部屋と廊下を見比べたすえに、ゼンヤの隣に並んだ。私には、死体を眺める趣味も検視をする技術もない。それでも室内で何が行われているのか気になったので、ゼンヤの隣でも、室内が見える場所に立った。

「む。この独特の肌触りと分厚さ、そして見た目。どこかで見た覚えのある紙だ」

 タクマの死体の傍に膝をついていた先生が、白い封筒からハガキほどのカードを取り出して、そう言った。
 先生はカードをじっと見たあと、大股で近づいてきたシノザキ刑事に、カードを手渡す。受け取ったシノザキ刑事は、驚愕に目を見張った。その驚きは一種異様なほどで、目を剥き、唇をわなわなと震わせていた。身体が力んでいるのか、身体が大きくなったかのように見える。
 ちょうど、部屋から出ようとしていたシンジが、シノザキ刑事の様子に気づいて足を止めた。

「どうしたんです? 今度は何が書いてあったんですか」

 シノザキ刑事は、手に持っていたカードを、力任せに床に投げつけた。
 この抜刀島での生活が終えれば、犯人へ繋がる手がかり、あるいは証拠となるかもしれないものを乱雑扱ったことに、私はとても驚いた。
 けれど、そんな私の驚きと疑問は、カードを拾い上げたシンジが内容を音読したことで、納得できた。

「『彼は、虚言をもって私を殺した犯人を隠蔽しました。私の恋人と嘘をついて、優越感にひたり、警察にうそぶいて、捜査の邪魔をしたのです。よって、相応しい罰を与えます。私は、私を殺した犯人を手助けした者を、許しません。緑川桜子』……恋人じゃなかったのか、彼は」

 シンジは眉をひそめた当惑顔で、タクマの遺体をみた。

「でも、確かに緑川桜子には恋人がいたはずだよ。学校で、緑川桜子が、恋人がいるって話してたのを聞いたんだ。シノザキ刑事も、当時のクラスメートに事情聴取をしてるから、知ってるはずだけど――」
「ふざけるなぁ‼」

 脳に突き刺さるような、怒声だった。私の位置からは、シノザキ刑事の表情や所作から、怒鳴るだろう予想はできていた。にも拘わらず、声の大きさや、その声音に込められた怒りに、私の身体は大きく跳ねる。

「嘘だ? 恋人じゃなかった? ……俺らは、こいつの証言を信じて、捜査をしてたんだ。ふざけんなよ。恋人じゃねぇっていうのなら、なんででしゃばってきたんだ‼」

 わなわなと震える拳は、いまにも死体となったタクマを殴りつけそうだったが、さすがに分別のあるシノザキ刑事は、いくら怒りがあっても、死人となったタクマに害をなすことはしなかった。

「オマケを見るかね」

 先生が、シノザキ刑事に、もう一枚、カードを差し出した。
 二枚目のカードの出現に驚く私たちを背後に、シノザキ刑事は奪うようにしてカードを見ると、それもまた、床に投げ捨てた。
 カードは床で跳ね帰り、私とシンジのあいだへ転がってくる。上を向いていたカードの文面を、意図せず目が負った。

『カツラタクマ様
 この度、誕生日パーティへお招きしたく、招待状を送らせていただきました。尚、ご出席の際は、必ず、おひとりでお越しください。
 場所と日時は、以下の通りです。必ずご参加ください。もしご参加いただけない場合、以下のことを行いますこと、ご了承ください。
 八年前、あなたは私の恋人であると嘘をついて警察を惑わせ、真の犯人を逃がすことになったこと。また、当時、ストーカーとして私を付け狙っていたことを、証拠を添えて、本名にて世間へ公表致します。緑川桜子』

 紛れもない、脅し文句の書いてある招待状だった。
 タクマはこれを見て、バラされてはたまらないと、たったひとり招待状に導かれるままこの島へきたのだろう。
 まさか、殺されるとは思わずに。
 文章から受けた印象としては、直接桜子を手にかけたカンダよりも、罪状は軽いように思えた。だが、タクマの虚言のせいで捜査に大幅なズレが生じ、結果として真犯人であるカンダに刑罰が下されず、野放しになっていたのだから、やはり、大罪と言えるだろう。

「当時、緑川桜子に恋人がいたのは事実なのか?」

 先生が、タクマの遺体を観察しながら、何気ない口調で言った。その件は、さきほどシンジも言っていたが、当時の捜査をしていたシノザキ刑事のほうが事情には詳しいだろう。
 皆の視線が向くと、シノザキ刑事は拳を震わせながら、言う。

「事実だ、恋人がいたのは間違いない。クラスメートの証言や、桜子が男と歩いている後ろ姿を目撃した者もいた。……だが、誰もその恋人の名前や顔を知らなかったんだ。被害者の部屋からも、男に関してなんの手掛かりも出てこなかった。そんなおり、こいつが、名乗り出てきたんだ。自己申告だった。ほかに名乗り出たものもいなかった。それに、こいつは緑川桜子について詳しかった。……俺を含めて、皆が、こいつが恋人だと信じた」

 本物の、桜子の恋人は名乗り出ない。
 タクマは桜子をストーキングしていたから、誰よりも彼女に詳しい。
 タクマの心に、自尊心を満たすための悪魔が宿ったとしても不思議ではなかった。彼自身は、捜査を攪乱するつもりなどなかっただろう。だが、一時でも、桜子の恋人として扱われる代償は、今床に転がっている彼を見るまでもなく、大きすぎだ。

「セオリーから言うと、その恋人とやらが犯人の可能性が大いにあるが、それさえミスリードかもしれないな」

 誰にともなく呟く先生の声は、部屋に消えていく。
 後悔の念にとらわれて震えるシノザキ刑事が、ふと、シンジの元へ大股で歩み寄ると、彼の胸倉をつかんで引き寄せた。

「わっ!」

 驚いてよろけるシンジに、シノザキ刑事はドスの聞いた声で問う。

「お前が恋人なんだろ?」
「ちょ、それは八年前に否定したはずだよ。そっちだって、納得したじゃないか」
「それは、こいつが名乗り出たからだ。だがこいつは恋人じゃなかった。なら、本物の恋人は誰だ?」
「知らないよ! 僕じゃない、何度言えばわかるんだっ」
「教師だから、保身のために黙ってたんだろう。お前が桜子とよく話してたっていう目撃があるんだよ」
「きょ、教師なんだから、話すだろうっ。受け持ちだったんだしっ」
「放課後に二人きりでか⁉」
「それは、ちょっと、相談を受けてただけだって!」

 怒鳴りあう二人を眺めていた私は、隣から深いため息を聞き取って視線を向けた。
 ゼンヤが渋い顔で、争う二人を見ている。

「おおよその事情はわかったが、随分と剣呑な雰囲気だな」
「そうですね。シノザキ刑事は、もともとシンジさんを疑っていたけれど、タクマさんの出現で容疑者から外れた、ってことですよね。……あれ、でも、真犯人はカンダだったはず」
「それも、タクマの証言しかない。こいつが嘘つきだってわかった今、本当かどうかはわかりかねる」
「でも、食堂のネームプレートや部屋のプレートに、カンダの名前がありますよ」
 ゼンヤは、「確かに」と頷く。
「ならば桜子を殺したのはカンダで間違いないのか。……だが、桜子殺しの犯人と、今回俺たちを呼び出した犯人は別」
「その、今回の犯人として容疑が強いのが、当時桜子の本物の恋人だった人、ですね」
 考えをすり合わせるように、お互いに考えていることを話していると、
「違うってんなら、招待状を見せてみろっ! そこに、なんて文句が書いてあるんだ!」
 シノザキ刑事の、これまでにない怒声が響いた。
 途端に、シンジは顔を真っ赤にして、シノザキ刑事を睨みつけた。
昨日からシンジはたまに、瞳をぎらつかせて、獲物を狩る獣のような表情をする。今もまた、彼の本性の片鱗ともいうべき、どこか醜い人間の本質が、表情に現れていた。
「そんなに言うなら、刑事さんこそ、招待状を見せてくれるんでしょうね? あなただって、ここへ呼ばれた時点で容疑者のひとりですよ。そもそも、どうして招待状を受けてここへ来たんです? タクマのように、脅されてここへ来たんじゃないですか? 怪しいですよ、シノザキ刑事」
 狂ったように笑うシンジとは反対に、シノザキ刑事は無表情になった。シノザキ刑事はドアの傍にいた私とゼンヤの間を割って部屋を出て行き、自室から招待状を持ってくると、全員に見えるように胸の前で掲げてみせた。
 そこには、

『シノザキカンザブロウ様

 この度、誕生日パーティへお招きしたく、招待状を送らせていただきました。尚、ご出席の際は、必ず、おひとりでお越しください。
 場所と日時は、以下の通りです。必ずご参加ください。尚、この招待状の件は、他言むように願います。
 もし来られなかった場合、あなたは生涯、私を殺した犯人を知ることがないでしょう。此度のパーティには、私に関わる者たちを招待してございます。
シノザキ刑事。あなたに、真相がわかりますか? 緑川桜子』

 といった文面が記載されていた。
 それは、脅迫状というよりも、挑戦状に近い内容だった。
 シノザキ刑事は、その招待状をくしゃりと握りつぶすと、シンジを睨みつけた。
「これでいいだろう」
「あなたは、今回死者が出ることを知っていたんですね」
「んなことは書いてねぇ!」
「推察できたはずですよ」
「お前はどうなんだ。招待状、見せるのか見せないのか!」
 睨みあう両者からは鬼気迫るものを感じた。シンジは招待状を見せたくないようだ。当然だろう、タクマが持っていた招待状のような内容ならば、ソレを隠すために、此度の招待を受けたことになるのだから。自分から内容を明かすなど、本末転倒もいいところだ。
 先に視線を外したのはシンジだった。
 シンジのほの暗い目が、私とゼンヤを見た。
「きみたちは、見せれるの?」
 見せれないだろう? と言外に言われたようだった。私は、今なおタクマを観察している先生を見る。気づいているのかいないのか、先生は私を見ようとはしなかった。
 私は唇を軽く噛んで、逡巡したあと、部屋に戻って招待状を持ってきた。それを、誰にともなく、差し出す。
 ここには、四年間隠していた秘密という記載事項があり、皆が私を疑うとすれば、その一点に他ならない。小奈津は覚えがないと言っていたが、この招待状が昨夜、先生の言っていたように、小奈津を通して私へ届けられたものだとすると、四年前というのは、例の事故をさしているのだろう。
 けれど。
「この秘密って、なんだい?」
「おそらく、四年前の事故のことだと思います。でも、隠してることなんてなくて、思い浮かばな――」
「そう言えば、逃げられるよね。やっぱり、言えないんじゃないか」
 シンジが私の言葉を遮って、凶暴な笑いを浮かべた。そこには、出会ったころに感じた人の好い笑みは一切なく、まるで人格が変わってしまったかのように、他者を見下す目をした男がいる。
「大体、覚えがないのなら、こんなところまでくるわけがない。暴かれて都合が悪いから、わざわざ怪しい招待状に従ったんだろ?」
 私は一瞬、私が「コナツ」ではないことを言ってしまおうかと思ったが、結局、やめた。これ以上話をごたつかせる必要はないし、皆の疑心を煽るのは、危険だと思ったのだ。いや、実際は、色々なことが面倒になりつつあった。
 タクマが亡くなり、確かに私は恐怖で混乱したのに、一度落ち着きを取り戻すと白状にも、今の言い争う状況が煩わしく思えてきたのだ。
 黙り込む私に下卑た笑いを浮かべたシンジは、次にゼンヤを見た。
「あんたはどうなんだ」
「……見せる必要はないと思うが」
 ゼンヤは冷静に返したが、返事を聞くなり、シンジはにやにや笑いをいっそう深めた。
「ほぉら、僕だけじゃない。見せれないやつだって、いるんだよ。そうなれば、そいつだって怪しいじゃないか。刑事さん、僕を疑ったって無駄なんだよ」
 シノザキ刑事は、静かな相貌でシンジを睨んだ。豹変した彼の言動だが、今の彼こそ、本来のシンジなのかもしれない。
「大体、僕が桜子の元恋人だったとしても、だからどうしたんだい? カンダを殺したのが僕だって? タクマを殺したのも僕だって? はっ、タクマに至っては密室で殺されたんだ。ドアを蹴破ったのはきみだろう、刑事さん」
 饒舌に語って、肩を揺らして笑うシンジから、私は視線を逸らした。そこで、はた、とゼンヤと目が合う。
 私は何も言わなかったし、ゼンヤも何も言わなかった。だが、彼も現状にうんざりしているのがわかった。
 今の雰囲気のままあと二日過ごすのかと思うと、ストレスのせいか、身体の奥底がむかむかとする。
「本当に密室であっかどうかは疑わしいが、重要なのはそこではない」
 タクマの傍にしゃがみこんでいた先生が、振り返りもせずに言った。当然のように、皆の視線が向く。
「彼は、毒殺されている」
「ああ。争った形跡もねぇな」
「争った形跡うんぬんに関しては、ごく親しい人間が毒を盛ったという線が浮上するなどよくある話だが、今回は重要ではない。タクミは毒死だ」
「タクマです、先生」
「そう、タクマは、毒で死んだ。その毒は、彼の飲む薬に紛れ込ませてあったんだ」
「なんでそうだと思うんだ」
 シノザキ刑事が静かに問うと、先生は透明な袋に入った薬包を持ち上げた。
「ゴミ箱に、複数の薬のゴミが落ちていることから、彼は多くの服薬をしているらしいことがわかる」
「ああ、そいつ、持病があるんだ。難病らしいぜ」
「ステロイドやそのほかの薬の種類から察するに、ベーチェット病だろう。口内の炎症も確認した。慢性的な痛みがあったのか、常時痛み止めを服用していたようだ。ふむ、どの薬も有名製薬会社製のものだな」
 先生はゴミ箱から拾った薬のゴミを、机に並べた。
 それとは別に、小袋を机の上に置く。小袋には、カプセル錠が何個か入っていた。
「唯一、これだけがカプセルだ。カプセルの表記から、メンタルの薬だろう。眠前に飲むものだ。つまり、中身をすり替えることができる薬剤を、彼は服用していたことになる」
「あー、なんだ。つまり、そのカプセルに毒が入っていて、被害者が自分で飲んだってか」
「呑み込みが早くて助かる」
 先生は軽く手を払うと、シノザキ刑事を振り返った。
「犯人からしてみろ。タクマを少し調べれば、服薬をしていることはすぐにわかる。彼に対して殺意があったのなら、それを殺害に用いらない手はない。個々の荷物は何度も放置されていたし、誰だって隙を見てすり替えることができたはずだ」
「でも先生、この館へ来てから、私たち皆で行動してるんです。他人の鞄を空ける人がいたら、目立つと思うんですけど」
 私のさりげない疑問に、先生は肩をすくめた。
「島へ着く前の、クルーザーのなかなら? はたまた、自宅を出るころにはすり替えられていたとしたら?」
「……はっきりしねぇ物言いだな」
「そうだ、何もかもがはっきりしない。つまり、密室だろうがそうでなかろうが、誰もが彼を殺害できる状況だったということだ」
 だが、と付け足した先生は、酷く緩慢な動作で、シンジを振り返った。
「当然ながら、その男が犯人ではない、という証拠でもない」
「――僕じゃないって、言ってるだろう‼」
 シンジは目を剥いて怒鳴ると、大股で廊下を歩いていく。エントランスに続く階段を下りていくのが見えた。
「ひとりになったら、危険ですよ!」
「先に広間に行くだけだよ」
 私の呼びかけに、律儀に返事が返ってきただけ、よいのだろうか。
 シンジの背中が見えなくなってから、私はシノザキ刑事と先生をそれぞれ睨みつけた。
「酷すぎます、一方的に犯人扱いするなんて!」
「あの男は、根っからの犯罪者だ」
 すげなく答えた先生に、私はさらに目じりを吊り上げて、問う。
「なぜそう言い切れるんですか。証拠でもあるんですか。手配書でも出回ってるんですか」
「そんなものはないが、あの男は犯罪者っぽい顔をしている」
「先生のあんぽんたん!」
 私は先生の靴を力いっぱい踏むと、シンジのあとを追いかけた。だが数歩歩いたところで、一度先生を振り返る。
「……怒りましたか?」
「いや。広間に行くのなら、そこの男に同行してもらえ。私はもう少し、遺体を調べてからいく」
「それは刑事さんのお仕事ですから、くれぐれもシノザキ刑事の邪魔をしないでくださいね。……刑事さん、先生をよろしくお願いします。目を逸らすと、とんでもないことをしかねないので」
 シノザキ刑事に頼むと、彼は「お、おう」と頷いた。奇妙なものでも見るような目で見られたまま、私は再び歩き出した。
 私のあとをついてくる足音は、ゼンヤだろう。言い返すのが面倒だったのか、はたまた言い返す必要性を感じなかったのか、先生の指示に従うように私と広間へ向かった。
 エントランスの階段を下りている途中。
「女ってこええ。お前、シリに敷かれてんなぁ」
「ああ、同情してくれたまえ」
 などという会話が聞こえてきて、私は頬を大きく膨らませた。
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