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第二章 第一の殺人

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 先生はネジがぶっ飛んでいる、という結論でその場が落ち着いた(この結論に、先生はなぜか照れた様子だったが、先生が照れていることに気づいたのは私だけだった)、そのあと。
 私たちは、シノザキ刑事から検視の報告をきいた。
 だが、遺体の損傷が激しいため、何もかもが曖昧だった。
 頭部に打撲痕があるために、殴打されたことが死因かもしれない、また、腐敗網の表出から、死亡したのは二日から四日前だろう。死斑が複数個所に確認できたため、別の場所で殺害されて移動した可能性が高い。
以上のことを、シノザキ刑事はてきぱきとした口調で報告した。

「まぁ、形式だけの検視だと思ってくれ。俺の専門じゃないからな」

 シノザキ刑事のため息交じりの言葉に、シンジが肩をすくめた。

「いえ、十分ですよ。だって、誰がどうみてもあれは殺人です。万が一自然死だったとしても、あんなふうに死体を弄繰り回すなんて正気じゃない。……っと、そうだ。このタクマが被害者を知ってるみたいで、今、その話を聞こうとしてたところなんです」

 ぎょっとしたシノザキ刑事は、タクマを見つめたままシンジの隣に座った。皆の視線がタクマに向いて、小さくなったままだったタクマは、震えながら口をひらいた。

「た、たぶん、だけど。あのひと、商店街のお弁当屋さんをしてる、カンダさん、だと思う」
「詳しく話してくれ。なぜそう思う」
「え、え、え、っと。最初は、わからなかったんだ。顔も違うように、見えたし。でも、髪の長さとか、鼻の形とか、あと、腕にホクロがあったのが気になって、そういえば、カンダさんにもあったなって、思ったら、似てるかもしれないって、思うように、なって。どうしてカンダさんを、思い出したかって、いうと、カンダさんが、一週間ほど前に、失踪したって噂になって、たんだ。……むかし、桜子が、カンダさんの、ところの、お弁当をよく買ってたから、僕も、カンダさんを知ってて。だから、もしかしたら、この死体が、失踪した、カンダさんなんじゃ、ないか、って」

 言葉を選びながらではあるが、タクマはしっかりとした口調で話しきった。
 タクマの話を聞いて、自然と皆の表情が厳しくなる。

「……つまり、カンダという弁当屋が一週間前に行方不明になっている。そして八年前、その弁当屋は緑川桜子の行きつけだった。その二点、間違いねぇか?」
「は、はい」

 シノザキ刑事は、唸った。

「刑事も、カンダという男をご存じなのでは?」
「いや」
「当時の走査線上に、カンダっていう弁当屋は浮上してこなかったんですか」

 嫌味ともとれる言葉に、シノザキ刑事は頭をがしがし掻くと、「こなかった」と正直に告げた。
 桜子を名乗る者の書きつけによると、そのカンダが桜子を殺害した張本人ということだ。そして、シノザキ刑事によれば、カンダは走査線上に浮上さえしていない。

「妙ですね。当時、結構大々的に捜査が行われましたが、その走査線上にさえあがらない男が、本当に桜子を殺した犯人なんでしょうか」
「そ、それって、カンダさんは無実で、今回の、この一件のために、無実なのに殺されたって、そういうこと?」

 タクマが驚いた声をあげた。
 シンジは嘲笑的に口の端をつりあげて、笑ってみせた。

「可能性はあるだろう? あくまで犯人の狙いは、ここにいる僕たちだとしたら、あの死体は無関係な人間なのかもしれない。あんな猟奇的に死体を解剖する犯人なんだから、無実の人間をさらって殺す可能性もあるさ」
「それはない」

 ぴしゃりと話に割って入ったのは、先生だ。
 先生は長い足を組み、怯えた様子の人々のなかで唯一、しゃんと背筋が伸びた姿勢で、堂々とソファに座っていた。

「誰でもよいのなら、近隣の住民でよいだろう。桜子が暮らしていたN町は、高速を使っても車で六時間以上はかかる。死体を運ぶにしろ、生きたまま移動するにしろ、手間がかかりすぎてしまう。だが、それをしたということは、あの男でならなければならない理由があったのだ。そしてそれは、あの桜子を名乗る者の文面にあった通り、カンダなる弁当屋が、桜子を殺害した犯人なのだろう」

 雄弁に語った先生は、無造作にあくびをした。

「……なかなかもって疲れたな。膝枕をしてくれ」

 先生が私の膝に、こてんと頭を乗せた。足をソファの肘掛けに投げ出して、子どものように自分に都合のよい姿勢を模索したあと、先生は目を閉じた。

「っておい、寝るな! お前、腹立つくせに、妙に鋭いな」

 シノザキ刑事は、またガシガシと頭を掻いた。

「何者だよ、お前は」
「先生は、推理作家の先生なので。多方面から、人間の心理や感情を観察、また、推測するのに長けてるんです。……えっと、自分のことになると、ちょっとズレてますけど」

 先生がだんまりを決め込むことはわかっていたので、私が答えた。
 突如、シンジが笑い声をあげた。
 両手で膝をうち、なるほどなるほど、と笑う合間に、言葉をはさむ。

「これは本格的に、小説だね。孤島に招かれた招待客のなかに、刑事と探偵がいるなんて、偶然とは思えない」
「探偵?」

 タクマがきくと、シンジは頷いた。

「作家先生の彼さ。彼は唯一、招待状を貰っていない付添人だ。つまり、此度のなかで、偶然居合わせたにすぎない。探偵はいつだって、偶然居合わせると昔から相場が決まってるからね」
「そ、そんな、だって、これは現実に起きてることだし」
「僕は、今この状況が、コテコテの推理小説の一場面のように思えるけれど?」

 ふと、私の膝の上で先生が身動ぎして、薄く目をあけた。

「……事実、現状はいくつもの小説を模倣したものだ」
 先生がまた突然話し始めたので、皆の視線が先生にむく。
「館へ入ったときのエントランスの演出。遺体をバラバラにして内臓を水槽に閉じ込めるという手法。すでに死んだ者になりきって復讐を匂わせる文面。それぞれ、違った推理小説の一場面として既出しているものだ。以上から、犯人は数多の推理小説に精通しており、それぞれの要素を取り入れて此度の一件を実行していると推測できる」
「小説にある場面なんですか? 全部?」

 私が問う。

「全部かどうかはわからんが、要所でふとした既視感を覚えはしないか。そしてそれら既視感の正体は、既存の小説に見つけられるはずだ」
「……そこまで、推理小説に精通していないので、私としては、よくわかりません」
「きみは古書屋を営んでいるくせに、読書を好まないからな」

 古書屋を営んでいると、読書好きにならなければならないのだろうか。私は、憮然として唇を尖らせた。本は嫌いではないが、読むと酷く疲れる。同じ行を繰り返し読んだり、途中で放り出したりすることが多く、一冊読み切ることが難しいのだ。

「ねぇ、作家先生は、今回の事件をどう見てるんだい?」

 シンジが、前傾姿勢で先生に話しかけた。

「よくあるパターンだと、このなかに犯人がいたりするじゃないか。誰が犯人だか、予想はつくの?」
「知らん。だが、セオリーからいうと、ありえる話だ」

 などと、ふたりの会話で爆弾が投下され、私たちは瞬時に視線を交わした。シノザキ刑事でさえ怯えた表情を見せたのだから、疑心暗鬼というものは、たちが悪い。

「先生、憶測で怖いことを言わないでください」
「すまない、確かに今のは憶測にすぎない。だが、推察として、此度の真犯人の憎悪の深さが並大抵のものではないことがわかる。おそらく、真犯人は、先ほどの死体――弁当屋のイシダが――」
「カンダです、先生」
「カンダが犯人だと、だいぶん以前に知っていたのだ」
「どうして、だいぶん前だと思うんだい?」

 シンジの問いに、先生は小馬鹿にしたように鼻をならした。

「綿密すぎるためだ。今回の招待状を私たちが受け取る何年も前から、犯人は準備をしてきたのだろう。調べによると、この島は三年前にスズキという者が買い取っている。素性を詳しく調べようにも、スズキという人物は存在さえしていないことがわかったため、連絡が取れない状態だった」

 え、と悲鳴に近い声が、タクマからあがる。

「そして、この館の扉といい、荒廃した箇所は修繕され、また、小説に見立てた造りに変更している部分もある。本当に細かいものばかりだ。例えば、そこの窓際の飾り棚に置かれたランプ」

 見ると、確かに窓際の飾り棚に、ランプがある。キノコ型をしたレトロなステンドグラスランプだ。明かりをつけると、ステンドグラスになっているきのこの傘がぼんやりと光る仕組みだろう。

「それもまた、とある推理小説に出てくる品物とよく似ている。その小説では、犯人が殺害を犯した際に、謝ってナイフで飾り棚に傷跡を残してしまう。咄嗟に、ランプをずらして傷を隠すという描写がある。だが犯人が立ち去ったあと、かろうじて生きていた被害者が、飾り棚に手をついて起き上がる。その際、ランプに手を触れるのだが、そのランプは骨董品でな。ステンドグラスの枠が一つ取れてしまう。そしてそれを握り締めたとき、別の犯人にうしろから殴られるのだ」

 シンジが立ち上がり、キノコ型のランプを調べた。持ち上げると、ランプの下から、ナイフでついただろう傷が現れ、ステンドグラスの赤いガラスがぽろりとはずれた。
 シンジはランプを持ち上げたまま、唖然としている。

「……嘘」

 呟いたのは、私だった。
 先生のいうように、この館にある小物ひとつをとっても、既存の推理小説に出てくる品物を模しているようだ。

「小道具にしては、凝りすぎじゃないか」

 さすがのシンジも、顔が引きつっていた。

「これだけの小道具をそろえるのは、容易ではない。だが、裏を返せば、こんな妙な品物を作れるのは業者くらいだろうから、すべての品の制作経路をたどれば、どこかしらで犯人に繋がるだろう。当然、犯人も承知のうえだ。抜刀島での三日が過ぎても正体を隠したいのならば、足がつくような真似はしないだろうからな」
「なるほどね。つまり、この三日間は、犯人の集大成なわけだ。何年も何年も、僕らに復讐することを考えて、綿密に作り上げた計画が実行された――そういうことかな」
「ふん、確認するまでもなく、そうだ」
「裏を返せば、三日が過ぎてあの船長さんが迎えにくれば、犯人は捕まるってことだよね」

 シンジが、手の中で弄んでいたキノコ型ランプを置いて、言った。

「どれだけ下準備をしたかしれないけど、既存の小説に出てくる小道具を準備する意味がわからないね。どうやら犯人は、苦心する方向を間違えたんじゃないかなぁ」

 シンジの言うように、既存の小説を真似る意味がわからない。殺し方だけでなく、ランプの一つまで、模倣するのはなぜなのか。しかも、一つの小説のストーリーをたどるのではなく、パズルのように複数の小説を切り貼りして、現状を作っているのは、なぜ。
 わかっているのは、何者かが、緑川桜子に成り代わって復讐を行おうとしているということだけだ。
 私は、ここに集まった人々が、桜子とどんな関係があって、どんな罪を抱えて、どんな脅し方をされてここにいるのか、まったくもって知らないのだから。
 誰も、互いのことを、詮索しようとはしない。
 そのことが私に、奇妙な不安を抱かせた。
――ブゥン
 耳の奥にねじ込まれたような、不快な音がした。
 タクマは怯えたように顔をあげ、シンジとシノザキ刑事は視線だけを辺りに走らせた。ゼンヤは、ぴくっと眉をひそめて、辺りを見回した。

「なんの音だ」

 ゼンヤの問いに対する答えは、すぐに皆の知るところとなる。
 ブツ、と校内放送のような、古めかしい音響機材の電源が入る音がしたのだ。続いてガタガタと歯車のような音が辺りに響き、酷くのっぺりとした、日本語を覚えたての外人が読み上げたような日本語で、放送が流れた。
――『食堂に、夕食をご用意しております』
 それは、皆を食堂へ促す放送だった。最初、わざとイントネーションをおかしくさせて読み上げているのかと思ったが、これは、読み上げソフトを使った複製だ。
 館のどこかにある放送室から、流されたものだろうが、歯車の音や古めかしい仕様の音響といい、時間がくれば自動で流れるように設定してあったのだろう。

「はは、もしかして招待主は今後もこうやって、放送で僕らをあっちへこっちへ移動させる気かい。冗談じゃない、なんで言うとおりに動かなきゃいけないんだ。殺されに行くようなものだろう」

 シンジの言うことはもっともだ。
 だがそのあとの、皆での話し合いでは、意外にも、食堂へ行ってみようという意見が多く、シンジはしぶしぶ頷かざるを得なかった。
 空腹だから食堂へ行こう、という理由ではなく、三日間、この島で生きていくには衣食住を確保する必要があるためだった。誰も館を出てサバイバルをしようとは言いださず、当然のように『三日間館で生き残るにはどうするか』という事案を前提に、話が進んだ。
 我々は結局、食堂への移動を促す放送より、かなり遅れて、広間を出た。話し合いのなかで、今後、三日間を過ごすにあたり、皆で共通の取り決めをした。
 一つは、可能な限り集団で動くこと。
 一つは、用事があって移動する際は、集団にいる者たちに申告してから、ふたり一組で行動すること。
 とどのつまり、一人になるなということだった。

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