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第三章

十八、

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 新居崎は携帯電話をとんとんとタップして、救急へ連絡を入れる。呼び出し音が、麻野のほうへも聞こえた。
「あの先生」
「今、連絡している」
「私、予備のバッテリー、使ってないまま持ってますよ」
『はい、こちら遭難救急――』
 ピッ。
 新居崎は、携帯電話を切った。
 ツーツーという音が、聞こえる。
「……早く、言え」
「す、すみません」
「一刻も早く下山するぞ。近くで泊まれるところを探さないと」
 新居崎の言う通り、この時間から下山をしても。いや、この時間に車で市内へ戻ったとしても、新幹線に間に合うかわからない。
 衣類を叩きながら歩き出した新居崎の背中を、見つめた。
 いきなり麻野がいなくなって、三時間も森のなかを探してくれた。それも、位置情報を頼りに。
 新居崎は暑いのが苦手で。
 おそらく綺麗好きだから、服が汚れるのを嫌うだろう。
 なのに、ここまで、必死になって探しにきてくれた。
「ねぇ、先生」
「なんだ」
「その位置情報を見たとき、変だと思いませんでしたか? こんな奥まったところに、私の位置情報が表示されるなんて。間違いかもしれない、とか」
「ああ。だが、見失うよりはいい。もし誤作動であっても、いないことを確認することも重要だ」
「……来てくれたんですね」
 新居崎は、ぴたりと足を止めた。
 その場で、盛大すぎるため息をつくと、振り返り、麻野を睨みつけた。
「そうだ! だからここにいる。どれだけ焦ったと思ってるんだ、きみがいきなり消えて、辺りを探しまくって。携帯電話の存在を思い出して、アプリから位置情報を取得する方法を調べた。それに一時間。実行して、予備のバッテリーを使いながら、ここまで徒歩で二時間! 合計三時間も、きみを探すのに時間を使った!」
 新居崎の剣幕は、すさまじい。早口だし、苛立ちや不満が言葉にありありと浮かんでいて、表情も険しい。けれど、酒呑童子の存在を否定したときのような、確固たる怒りは見られない。
「きみくらいだ、私をこんな目に合わせるのはっ。二度とっ、二度と! 離れるな。……頼むから」
 最後の言葉は、とても小さくて、弱い。頼むという言葉のまま、懇願に近い声だった。
「ありがとうございます」
「ああ」
「先生」
「……なんだ」
「本当に嬉しいです。先生って、なんだか、王子様みたいですね」
「素面で気持ち悪いことを言うな」
「あはは」
 新居崎を追うように一歩踏み出したところで、ぐらっと身体が傾げた。慌てたように新居崎が腰を支えに戻ってきてくれる。
 改めて新居崎の姿を見ると、枝でひっかけて破れた衣類の下、血がにじんでいる箇所もあった。乱れた髪に、汗ではりついた前髪や衣類もまた、彼の必死さが現れている。
 麻野はそっと視線を落とした。
 胸中で、諦めに似た小さなため息をつきながら。

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