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第一章
十四、
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小声で、「ここまで馬鹿な生徒が入学できるとは、うちも末だな」と吐き捨てると、新居崎は身軽な動きで立ち上がる。スーツのズボンを軽く払うと、麻野へ右手を差し出した。男らしい筋張った大きな手は、なんだか、とても綺麗だ。
「あ、どうも」
手を重ねると、ぱしっと叩かれる。
「白衣を取れ」
「す、すみません。てっきり。……はい、どうぞ」
「本」
「はい」
「しおりが落ちている」
「はい」
言われるがまま手渡すと、新居崎はてきぱきと白衣を羽織って、そのポケットにしおりを挟んだ文庫本を突っ込んだ。
迷いのないスムーズな動きは、どこか機械的で冷淡にも思える。だが、先ほどちらりと見えた文庫本のタイトルは、今流行りの恋愛小説だった。
麻野は、もう辺りに何も落ちていないかを確認すると、立ち上がる。
「先生は、どうしてここにいるんですか?」
「答える義務はない」
「あ、音読しているのを見られるのが恥ずかしいんですか? それとも、一人でゆっくり読書にいそしみたいタイプだとか」
「そのよく回る口を閉じろ」
麻野は、はい、と言いかけたが、口をつぐんだ。それを見て、満足げ頷いた新居崎は言葉を続けた。
「まず、連絡先を寄越せ。後日、賠償について連絡を入れる。……返事は?」
「はい!」
携帯電話を取り出して、電話番号とメールアドレス、コミュニケーションアプリのIDを告げる。新居崎は、最新の携帯電話を取り出して手早く打ち込むと、面倒くさそうに、何度目かわからない溜息をついた。
「ついてこい、こっちが理工学部の校舎だ」
「ありがとうございます」
なんだかんだで、理学部の校舎へ案内してくれるという。このまま直進したところで、理工学部の校舎前へ抜けることができるか自信をなくしかけていた麻野は、ほっとすると同時に、やっぱり近道になるんだ、と無駄な確信を得た。
悪魔の森と呼ばれる薄暗い森は、そこから、三分ほど歩くと出口が見えてきた。不思議なことに、新居崎が通る場所には衣類を傷つける枝などはなく、獣道のように、うっすらと人が一人通れる道があった。
やはり先ほどの場所は、新居崎にとって秘密基地なのだろう。
森を出た瞬間、さっと斜めに差し込む陽光の眩しさに目をすがめた。
「あんなに薄暗いところで本を読むと、目が悪くなるんじゃないですか」
「現代医学では、暗いところで読書をすると目が悪くなる、という説は否と言われている」
「へぇ。……あれ、ここどこですか」
外に出たら、目の前に理工学部の校舎があると思っていた麻野は、こじんまりとした小屋が視界を遮っていることに気づいて、首を傾げた。
「外で扱う実験用具のなかでも、比較的安価かつ体積があり、置き場に困っている資材の保管小屋だ。きみは、時間差で出てこい。誰かに見られたら、私の権威に関わる」
言い終えるなり、新居崎は麻野を振り返ることなく、小屋を回り込むようにして姿を消した。
「あ、どうも」
手を重ねると、ぱしっと叩かれる。
「白衣を取れ」
「す、すみません。てっきり。……はい、どうぞ」
「本」
「はい」
「しおりが落ちている」
「はい」
言われるがまま手渡すと、新居崎はてきぱきと白衣を羽織って、そのポケットにしおりを挟んだ文庫本を突っ込んだ。
迷いのないスムーズな動きは、どこか機械的で冷淡にも思える。だが、先ほどちらりと見えた文庫本のタイトルは、今流行りの恋愛小説だった。
麻野は、もう辺りに何も落ちていないかを確認すると、立ち上がる。
「先生は、どうしてここにいるんですか?」
「答える義務はない」
「あ、音読しているのを見られるのが恥ずかしいんですか? それとも、一人でゆっくり読書にいそしみたいタイプだとか」
「そのよく回る口を閉じろ」
麻野は、はい、と言いかけたが、口をつぐんだ。それを見て、満足げ頷いた新居崎は言葉を続けた。
「まず、連絡先を寄越せ。後日、賠償について連絡を入れる。……返事は?」
「はい!」
携帯電話を取り出して、電話番号とメールアドレス、コミュニケーションアプリのIDを告げる。新居崎は、最新の携帯電話を取り出して手早く打ち込むと、面倒くさそうに、何度目かわからない溜息をついた。
「ついてこい、こっちが理工学部の校舎だ」
「ありがとうございます」
なんだかんだで、理学部の校舎へ案内してくれるという。このまま直進したところで、理工学部の校舎前へ抜けることができるか自信をなくしかけていた麻野は、ほっとすると同時に、やっぱり近道になるんだ、と無駄な確信を得た。
悪魔の森と呼ばれる薄暗い森は、そこから、三分ほど歩くと出口が見えてきた。不思議なことに、新居崎が通る場所には衣類を傷つける枝などはなく、獣道のように、うっすらと人が一人通れる道があった。
やはり先ほどの場所は、新居崎にとって秘密基地なのだろう。
森を出た瞬間、さっと斜めに差し込む陽光の眩しさに目をすがめた。
「あんなに薄暗いところで本を読むと、目が悪くなるんじゃないですか」
「現代医学では、暗いところで読書をすると目が悪くなる、という説は否と言われている」
「へぇ。……あれ、ここどこですか」
外に出たら、目の前に理工学部の校舎があると思っていた麻野は、こじんまりとした小屋が視界を遮っていることに気づいて、首を傾げた。
「外で扱う実験用具のなかでも、比較的安価かつ体積があり、置き場に困っている資材の保管小屋だ。きみは、時間差で出てこい。誰かに見られたら、私の権威に関わる」
言い終えるなり、新居崎は麻野を振り返ることなく、小屋を回り込むようにして姿を消した。
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