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第八章 ぬくもり
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未来はせっせとガラスコップに二人分の冷茶を入れると、共同生活部分である居間にある足の短い机に置く。遠巻きにこちらを眺めている子どもたちに、「一緒に飲む?」と未来が聞くと、彼らは散るようにして去って行った。
(ああ、そっか。私、嫌われてたから)
子どもたちは未来には懐いていたが、小毬には極力関わらないようにしていた節がある。そもそも、小毬のほうから彼らと関わるのを拒んでいたのだから、それも当然かもしれない。
未来はさほど気にした様子もなく、座布団のうえに座った。
「ほら、お姉ちゃんもこっち。あ、それとも部屋のほうがいい? あたしとお姉ちゃんの部屋、まだあのままだよ。新しい人も入ってないから」
「そうなんだ。……お茶、ありがとう」
未来の向かい側に座り、出された冷茶を手に取った。ひんやりと冷たいコップは汗をかいており、滑らないように注意をしながら口元へ運んだ――つもりだった。
ふいに、ガラスコップが割れた。軽く力を入れただけのつもりだったが、たまたま割れやすい部分を押してしまったのだろうか。
未来が慌てたように傍にあった手ぬぐいで、小毬や床、机などを拭いてくれる。
その様子を眺めながら、気が利く子だと頬を緩める自分がいた。似ても似つかないのに、どことなく百合子を思い出してしまう。
「ありがとう、未来。私も――」
「大変。お姉ちゃん、怪我してる!」
「え、あ」
伸ばした手の親指から付け根にかけて、つつ、と一筋の赤い線がついていた。ぷっくりと溢れた血が、手を伝って机に落ちる。
「絆創膏どこだっけ。あれ、絆創膏でよかったっけ? 包帯のほうがいい?」
「もう、大げさなんだから。水で洗って唾つけとけば治るよ。それより、ガラスを片付けないと。ごめんね、驚かせちゃって」
せっせと動いてくれる未来に落ち着くように微笑みかけ、小毬は立ち上がる。水道水で傷口を洗い、軽く手を振って水分を飛ばした。
「駄目だよ、ちゃんと手当しないと。結構傷深そうだったよ」
「平気だって。それより、コップ壊しちゃったことが問題かな。結構高いやつなんじゃないの?」
「値段はわかんないけど、寄付で貰ったやつ」
「そうなんだ。あとで、お義母さんに謝らなきゃ」
窓越しに外を見れば、施設長はまだ誠次と話をしているようだった。小毬は濡れた手を服で適当に拭き、もとの座布団へと戻る。
「本当に大丈夫?」
「うん。それより、私がいない間のこと聞かせて。何か大事はなかった?」
「皆元気だよ。守くんが里子に出たかな、あと、鈴ちゃんと」
ずっと忘れていたはずの故郷なのに、名前を聞いただけで兄弟たちの顔が思い浮かぶ。小毬は「そっか、よかったね」と呟いた。
「未来は? 変わったことない?」
「あるよー。私ね、高校辞めたの」
えっへん、と胸を反ってみせる未来に、小毬は唖然とした。学校に馴染めていなかった小毬が辞めるならわかるが、未来は特に問題もなく楽しく学校へ通っていたはずだ。
「……どうして?」
問う声が、少しばかり厳しくなる。未来は戸惑った様子も見せず、どこか自慢げに言い放った。
「子どもが出来たの」
お腹を撫でてみせる未来に、小毬は何度も瞬きをする。未来が撫でている辺りを見るが、特別に膨らんでいるというわけでもない。
けれど、未来がこんな嘘をつくとも思えなかった。
「……父親は?」
「学校の先輩。ひっどい人でね、遊んで捨てられちゃった」
「捨てられ、って。その人は今、何をしてるの?」
「大学行ったよ。司法試験受けるとかで、都会の大学。馬鹿高校にいたくせに、やたら有名なとこ受かったんだって」
「子どものことは?」
「んー、堕ろせって言われただけ」
未来はそう告げて立ち上がる。居間にあるダイニングキッチンで新しくガラスコップを持ち、冷蔵庫から取り出した冷茶を注いだ。
「でも、あたしは産むから。だから高校も辞めたの。つい先週なんだよ、辞めたの」
戻ってきた未来が、コップを差し出してくる。小毬はそれを見つめ、次に未来の顔を見返した。
「その先輩から連絡は?」
「ないよ。向こうはもう手を切ったつもりみたい。あたしも別れたつもり」
「子どもはどうやって育てるの」
「ここで産んで、ここで育てるよ。あたしね、この子を産んだら働くんだ。中卒だから大した給料は貰えないかもしれないけど、お義母さんも手伝ってくれるし、大丈夫」
そう告げ、未来はにっこりと笑った。
車内で見た、誠次の横顔と重なって見えた。
それは、決意をした者が見せる、凛々しさを伴う笑みだった。
小毬は未来から冷茶を受け取り、今度は割らないように注意してからそっと茶を飲む。出がらしの薄い茶が身体に染みる。飛龍島では沸騰させた水を飲むことが多く、茶のような贅沢品はなかった。大学病院では湧いてでるほどに食事と共に出された茶だったが、味の濃い茶よりも施設で飲む薄い茶のほうが小毬にとっては馴染み深い。
冷茶を半分ほど飲み、未来を見た。
未来は、にこにこ嬉しそうにこちらを見ていた。
「うふふ、お姉ちゃんとまた会えて、あたし幸せ」
「ありがとう」
「なんでお礼なんか言うの? ありがとうはあたしのほうだよ。あたしね、ずっとお姉ちゃんに憧れてたんだぁ。お姉ちゃんみたいになりたかったんだよ」
「……え?」
予想外過ぎる言葉に、小毬は目を見張った。
何度も瞬きを繰り返していると、未来はずいっと顔を近づけてくる。
「お姉ちゃん、頭いいし。あたしは馬鹿だからランクの低い高校に行ったけど、お姉ちゃんはすごい学校行ってたじゃない」
(ああ、そっか。私、嫌われてたから)
子どもたちは未来には懐いていたが、小毬には極力関わらないようにしていた節がある。そもそも、小毬のほうから彼らと関わるのを拒んでいたのだから、それも当然かもしれない。
未来はさほど気にした様子もなく、座布団のうえに座った。
「ほら、お姉ちゃんもこっち。あ、それとも部屋のほうがいい? あたしとお姉ちゃんの部屋、まだあのままだよ。新しい人も入ってないから」
「そうなんだ。……お茶、ありがとう」
未来の向かい側に座り、出された冷茶を手に取った。ひんやりと冷たいコップは汗をかいており、滑らないように注意をしながら口元へ運んだ――つもりだった。
ふいに、ガラスコップが割れた。軽く力を入れただけのつもりだったが、たまたま割れやすい部分を押してしまったのだろうか。
未来が慌てたように傍にあった手ぬぐいで、小毬や床、机などを拭いてくれる。
その様子を眺めながら、気が利く子だと頬を緩める自分がいた。似ても似つかないのに、どことなく百合子を思い出してしまう。
「ありがとう、未来。私も――」
「大変。お姉ちゃん、怪我してる!」
「え、あ」
伸ばした手の親指から付け根にかけて、つつ、と一筋の赤い線がついていた。ぷっくりと溢れた血が、手を伝って机に落ちる。
「絆創膏どこだっけ。あれ、絆創膏でよかったっけ? 包帯のほうがいい?」
「もう、大げさなんだから。水で洗って唾つけとけば治るよ。それより、ガラスを片付けないと。ごめんね、驚かせちゃって」
せっせと動いてくれる未来に落ち着くように微笑みかけ、小毬は立ち上がる。水道水で傷口を洗い、軽く手を振って水分を飛ばした。
「駄目だよ、ちゃんと手当しないと。結構傷深そうだったよ」
「平気だって。それより、コップ壊しちゃったことが問題かな。結構高いやつなんじゃないの?」
「値段はわかんないけど、寄付で貰ったやつ」
「そうなんだ。あとで、お義母さんに謝らなきゃ」
窓越しに外を見れば、施設長はまだ誠次と話をしているようだった。小毬は濡れた手を服で適当に拭き、もとの座布団へと戻る。
「本当に大丈夫?」
「うん。それより、私がいない間のこと聞かせて。何か大事はなかった?」
「皆元気だよ。守くんが里子に出たかな、あと、鈴ちゃんと」
ずっと忘れていたはずの故郷なのに、名前を聞いただけで兄弟たちの顔が思い浮かぶ。小毬は「そっか、よかったね」と呟いた。
「未来は? 変わったことない?」
「あるよー。私ね、高校辞めたの」
えっへん、と胸を反ってみせる未来に、小毬は唖然とした。学校に馴染めていなかった小毬が辞めるならわかるが、未来は特に問題もなく楽しく学校へ通っていたはずだ。
「……どうして?」
問う声が、少しばかり厳しくなる。未来は戸惑った様子も見せず、どこか自慢げに言い放った。
「子どもが出来たの」
お腹を撫でてみせる未来に、小毬は何度も瞬きをする。未来が撫でている辺りを見るが、特別に膨らんでいるというわけでもない。
けれど、未来がこんな嘘をつくとも思えなかった。
「……父親は?」
「学校の先輩。ひっどい人でね、遊んで捨てられちゃった」
「捨てられ、って。その人は今、何をしてるの?」
「大学行ったよ。司法試験受けるとかで、都会の大学。馬鹿高校にいたくせに、やたら有名なとこ受かったんだって」
「子どものことは?」
「んー、堕ろせって言われただけ」
未来はそう告げて立ち上がる。居間にあるダイニングキッチンで新しくガラスコップを持ち、冷蔵庫から取り出した冷茶を注いだ。
「でも、あたしは産むから。だから高校も辞めたの。つい先週なんだよ、辞めたの」
戻ってきた未来が、コップを差し出してくる。小毬はそれを見つめ、次に未来の顔を見返した。
「その先輩から連絡は?」
「ないよ。向こうはもう手を切ったつもりみたい。あたしも別れたつもり」
「子どもはどうやって育てるの」
「ここで産んで、ここで育てるよ。あたしね、この子を産んだら働くんだ。中卒だから大した給料は貰えないかもしれないけど、お義母さんも手伝ってくれるし、大丈夫」
そう告げ、未来はにっこりと笑った。
車内で見た、誠次の横顔と重なって見えた。
それは、決意をした者が見せる、凛々しさを伴う笑みだった。
小毬は未来から冷茶を受け取り、今度は割らないように注意してからそっと茶を飲む。出がらしの薄い茶が身体に染みる。飛龍島では沸騰させた水を飲むことが多く、茶のような贅沢品はなかった。大学病院では湧いてでるほどに食事と共に出された茶だったが、味の濃い茶よりも施設で飲む薄い茶のほうが小毬にとっては馴染み深い。
冷茶を半分ほど飲み、未来を見た。
未来は、にこにこ嬉しそうにこちらを見ていた。
「うふふ、お姉ちゃんとまた会えて、あたし幸せ」
「ありがとう」
「なんでお礼なんか言うの? ありがとうはあたしのほうだよ。あたしね、ずっとお姉ちゃんに憧れてたんだぁ。お姉ちゃんみたいになりたかったんだよ」
「……え?」
予想外過ぎる言葉に、小毬は目を見張った。
何度も瞬きを繰り返していると、未来はずいっと顔を近づけてくる。
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