新人種の娘

如月あこ

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第八章 ぬくもり

3、

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 助手席の窓から、小毬は外を眺めていた。
 飛龍島で暮らしていたためか、過ぎ去る風景がとても近代的に見えた。国道を走る普通車、その運転席から誠次が言う。
「無事に退院できてよかったね。もっとかかるかと思ったけど、ひと月で退院できるなんて幸運としか言いようがないな」
 誠次の言葉に、なにがよかったのかと問い詰めたくなったが、もう、何もかもがどうでもよかった。
「……前にさ。紅三郎が言ってた言葉、覚えてる?」
「どの言葉ですか」
 小毬が返事したことにほっとした気配がした。
 誠次は言葉を続ける。
「きみをさらった新人種は『小毬ちゃんが自分からついていったことを隠したかった』って内容のこと、言ってただろう?」
「言ってましたね」
「その意味を考えてたんだ、ずっと。きみをさらった新人種っていうのは、トワのことだよね」
「どうしてそう思うんですか」
「きみを大切にしてたから」
 小毬は、ゆっくりと誠次を振り返る。誠次は器用に片手でハンドルを持ち、正面を向いていた。
「彼が小毬ちゃんをさらったように見せかけたのは、きみがいつでも地元へ帰れるようにしたんじゃないかな。あのとき、きみの担任はきみが自分からついて行ったと言っていた。トワの『さらっていく』という言葉がなかったら、俺もきみが自分からついていったものだと思っていたかもしれない」
 トワのあの言葉があったから、誠次は小毬がさらわれたと警察や新人種特殊軍に訴えた。それはすなわち、小毬がさらわれたのだと世間に認識させることになる。小毬は、いつだってその気になれば地元に帰れたのだ。
 小毬は、そっと目を伏せた。
「小毬ちゃん、ごめんね。調査員として飛龍島に行ったときは、きみに酷いことを言ってしまった。俺も聞いたよ。新人種も元はヒトだって」
「……そうですか」
「俺、今の仕事辞めようと思うんだ」
 顔をあげると、誠次は笑みを浮かべていた。決意、のようなものを感じとり、小毬は首を傾げる。
「仕事を辞める、って」
「もうあの人にはついていけない」
「あの人って、誰ですか」
「飯嶋大門元帥。俺の直属の上司なんだけど、新人種関連の決定権はすべてこの人にあるんだ」
「政府は喜んでるんでしょうね。新人種が殲滅されて」
「そうでもないさ。新人種を生きたまま捕らえられなかったからね。紅三郎もご立腹らしい」
 その言葉に誠次を睨みつけるが、誠次は気づかずに話を続ける。
「これで、新人種は『A』だけになった」
「……『A』?」
「そう。研究所にいるモルモットの新人種さ」
 たしか、トワが引き取ろうと思っていたという子どもの新人種が、研究所にいると言っていた。
 新人種が絶滅していないことにほっとするべきか?
『A』が実験体にされていることに怒るべきか?
 小毬は、膝の上で両手を広げた。
 なんだかもう、すべてがどうでもよい。
 自分の手をじっと見つめる。
(私は、どうしたらいい?)
 何かをしなければと思うのに、何をするべきなのかわからない。
 もう、何が大切なのか、それさえも。
 高速道路を通ったためか、夕方頃には見覚えのある景色が流れ始めた。樹塚町へ入り、なだらかな坂を上った先、児童養護施設の前で車は停車する。
 誠次が「降りて」と促してきたので、助手席から降りて自分が育った施設を見上げた。
(こんなに、小さかったっけ)
 見上げる施設は雨どいや屋根が痛んでおり、壁に這う蔦やヒビが目立つ。想い出になっていた施設の面影はいつだって新しくどしりと構えていたのに、今改めて見る施設は記憶より遥かに古く、そして小さかった。
 小毬は、胸の奥に火が灯ったような不思議な錯覚を覚えた。頬を撫でる風は心地よく、いつの間にか季節が夏から秋に変わりつつある。
「お姉ちゃん!」
 はっ、と振り返れば、こちらに向かって走ってくる未来がいた。一年前より、髪や背が伸びただろうか。けれど、彼女のふわふわとした笑みは、変わらず人の心を掴む可愛らしさがある。
「あっ、こら未来! 走るんじゃない!」
 慌てたように誠次がたしなめると、満面の笑みだった未来が唇を尖らせた。けれど、誠次の言うことを聞いて走るのを止める。
 歩いて傍まで来た未来は、小毬に抱き着いた。服越しに触れ合った身体が、背中に回された手が、温かい。
「お姉ちゃん、会いたかった。本当に本当に会いたかったんだよ」
「……久しぶり」
「うん! あのね、お姉ちゃんにいっぱい話したいことがあるの」
 未来は「えへへー」と微笑むと小毬の腕を引き、「さ、家に帰ろ」と言って施設を示して見せた。
 改めて施設を見ると、窓やドアの隙間から、見覚えのある顔がいくつもこちらを見ていた。ふいに大きくドアが開き、薄い羽織り物を肩に掛けた施設長が現れた。施設長は小毬を見て涙ぐむと、誠次に向かって何度も何度も頭を下げる。
「お姉ちゃん、早く」
 未来の手に引かれながら馴染みのある庭を通り過ぎ、勝手口から施設へと入る。ふわりと香ってきたのは、なにの匂いともいえない、ただ懐かしさが詰まった香りだった。
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