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第六章 真実と、束の間の休息
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その夜、小毬は布団を敷こうとして、ふと手を止めた。
枕を持って、隣の部屋の襖をひらく。トワはちょうど布団を敷き終えたところらしく、掛布団の位置を調節していた。
「ねぇ、トワ」
「どうした、怖いのか」
驚いたように顔をあげたトワの表情に、小毬のほうが驚いた。どうやら、自分の声がか細く聞こえたらしい。
不安がっているように思われたことに対して、照れたように笑った。
「ううん。ちょっと、話がしたくて」
「話ならいつもしているだろう」
「そうなんだけど。眠る前って、いろいろ考えちゃうからあんまり寝たくないの」
昔からそうだ。眠りにつく前は、その日あった失敗や心配ごとを延々と考えてしまい、自己嫌悪に陥ってしまう。ここ一年は毎日の生活に疲れてぐっすりと眠る日が多かったが、殲滅の件が真実味を帯びてから、また寝つきが悪くなっていた。
「小毬はヒトだから、しっかり眠らないと明日が辛いぞ」
「……そうだよね。おやすみなさい」
そう言って笑って見せ、襖を閉めようとしたとき。
「久しぶりに一緒に寝るか」
トワの言葉に、勢いよく振り返った。
「本当?」
「ああ。飛龍島を目指していたころを思い出すな」
小毬はぱっと微笑んで、自分の枕を好みの位置に置くとトワの布団にもぐりこんだ。トワは窓の外を軽く眺めて日の入りを確認したあと、油灯を枕元に引き寄せてから小毬の隣に入ってきた。
ふふっ、と笑いながら、小毬は掛布団で顔半分を隠す。
「何がおかしい?」
「おかしいんじゃないの。嬉しいの。なんだか、不思議な気分。トワの匂いがするからかな。包まれてるみたいで、安心する」
「……加齢臭か」
そう言って自分の腕を匂ってみせるトワは、激しく眉をひそめていた。そんなんじゃないのに、と言おうとして、小毬自身「加齢臭」なるものを嗅いだことがないので、否と言い切れない。結局黙り込んで、天井を見上げた。
「小毬」
「なに?」
「よく、この島に残る決意をしたな」
トワに、決断を迫られた日のことを思い出す。あれから小毬は飛龍島で生きる道を選び、新人種に近づこうと調査員の案内役を務めた。
そこで誠次と再会し、改めてヒト側の主張を知った。
ふいに、脳裏に真っ赤な唇をした妖艶な男の顔が過り、嫌悪にも似たぞくりとしたものが背筋を這う。紅三郎といったか。
本能のようなものが告げる。あの男には、関わらないほうがよいと。
強引に思考から紅三郎を追い出して、口をひらく。
「前にね、私が百合子さんに言われたこと覚えてる? 私が、トワに甘えてるって」
この島へ来た日の出来事に、小毬は苦笑した。初めて集会場へ行き、そこで百合子の猛反発にあったときのことだ。
トワの、ああ、という返事を待ってから、続きを話す。
「あの言葉を聞いたとき、その通りだと思ったの。私は、トワに甘えてる。樹塚町で暮らせなくなったのなら、ほかの町へ行くこともできたんだよ。新人種の逃亡を手助けしたっていう理由で警察に捕まったって、身の潔白を訴えることも出来た。でも、私は何もしなかった。何もせずに、トワに私っていう錘を背負わせた」
「小毬は、錘などではないさ」
「トワならそう言ってくれると思った。……私はいつだって逃げてきた。だから、もう逃げたくないの」
「小毬、飛龍島に残ることが正しいわけではない。今からでも、お前が望むのなら私は」
「言わないで」
そっと、トワを振り返った。
すぐ隣にいるトワの瞳に、小毬が映り込んでいた。
「私を送り返すなんて、言わないで。私は、新人種としてここで生きたいの。皆が望んでいるように、最後まで戦う」
新人種として生き、そして死にたい。将来というものを想像できずにいた小毬が見つけた、最初で最後の「未来」。
まだトワが渋るようなら、「私の意志は誰にも左右させない」といつだったかトワに言われた言葉をそのまま返してやろうと思ったが、トワはもう反対してはこなかった。
ただ、そうか、とだけ告げた。
ぶぅん、と蚊の羽音が耳元でした。トワたち新人種は蚊に刺されないが、小毬は違う。むしろ、この蚊たちは小毬がいるがゆえに集まってきているようだ。
眉をひそめて、耳元で飛ぶ蚊を右手でばたばたと追い払ったとき。
「……小毬」
「ん?」
「ヒトか新人種、どちらが悪だと思っている?」
え、と呟いた。
善悪を問うてくるなど、トワらしくない。淡々と過去の歴史を語ることはあっても、トワが誰かを罵ることはこれまでになかった。それが例え、ヒトや調査員であっても。
きっと、この質問にはなにか意図があるはずだ。
小毬は逡巡の末に、正直に答えた。
「ヒト、かな。少なくとも、トワたち新人種が悪いとは思わないから」
「意地悪な問い方をしてすまない。だが、小毬にはわかっていてほしい。悪いのは個人であって、種族ではない」
トワの言葉を聞き、その意味を理解すると同時に小毬は目を見張っていく。
「ヒトは新人種を迫害した。だが、すべてのヒトが悪なのではない。ヒトが悪、新人種が悪、そのように極端な捉え方だけは絶対にするな」
枕を持って、隣の部屋の襖をひらく。トワはちょうど布団を敷き終えたところらしく、掛布団の位置を調節していた。
「ねぇ、トワ」
「どうした、怖いのか」
驚いたように顔をあげたトワの表情に、小毬のほうが驚いた。どうやら、自分の声がか細く聞こえたらしい。
不安がっているように思われたことに対して、照れたように笑った。
「ううん。ちょっと、話がしたくて」
「話ならいつもしているだろう」
「そうなんだけど。眠る前って、いろいろ考えちゃうからあんまり寝たくないの」
昔からそうだ。眠りにつく前は、その日あった失敗や心配ごとを延々と考えてしまい、自己嫌悪に陥ってしまう。ここ一年は毎日の生活に疲れてぐっすりと眠る日が多かったが、殲滅の件が真実味を帯びてから、また寝つきが悪くなっていた。
「小毬はヒトだから、しっかり眠らないと明日が辛いぞ」
「……そうだよね。おやすみなさい」
そう言って笑って見せ、襖を閉めようとしたとき。
「久しぶりに一緒に寝るか」
トワの言葉に、勢いよく振り返った。
「本当?」
「ああ。飛龍島を目指していたころを思い出すな」
小毬はぱっと微笑んで、自分の枕を好みの位置に置くとトワの布団にもぐりこんだ。トワは窓の外を軽く眺めて日の入りを確認したあと、油灯を枕元に引き寄せてから小毬の隣に入ってきた。
ふふっ、と笑いながら、小毬は掛布団で顔半分を隠す。
「何がおかしい?」
「おかしいんじゃないの。嬉しいの。なんだか、不思議な気分。トワの匂いがするからかな。包まれてるみたいで、安心する」
「……加齢臭か」
そう言って自分の腕を匂ってみせるトワは、激しく眉をひそめていた。そんなんじゃないのに、と言おうとして、小毬自身「加齢臭」なるものを嗅いだことがないので、否と言い切れない。結局黙り込んで、天井を見上げた。
「小毬」
「なに?」
「よく、この島に残る決意をしたな」
トワに、決断を迫られた日のことを思い出す。あれから小毬は飛龍島で生きる道を選び、新人種に近づこうと調査員の案内役を務めた。
そこで誠次と再会し、改めてヒト側の主張を知った。
ふいに、脳裏に真っ赤な唇をした妖艶な男の顔が過り、嫌悪にも似たぞくりとしたものが背筋を這う。紅三郎といったか。
本能のようなものが告げる。あの男には、関わらないほうがよいと。
強引に思考から紅三郎を追い出して、口をひらく。
「前にね、私が百合子さんに言われたこと覚えてる? 私が、トワに甘えてるって」
この島へ来た日の出来事に、小毬は苦笑した。初めて集会場へ行き、そこで百合子の猛反発にあったときのことだ。
トワの、ああ、という返事を待ってから、続きを話す。
「あの言葉を聞いたとき、その通りだと思ったの。私は、トワに甘えてる。樹塚町で暮らせなくなったのなら、ほかの町へ行くこともできたんだよ。新人種の逃亡を手助けしたっていう理由で警察に捕まったって、身の潔白を訴えることも出来た。でも、私は何もしなかった。何もせずに、トワに私っていう錘を背負わせた」
「小毬は、錘などではないさ」
「トワならそう言ってくれると思った。……私はいつだって逃げてきた。だから、もう逃げたくないの」
「小毬、飛龍島に残ることが正しいわけではない。今からでも、お前が望むのなら私は」
「言わないで」
そっと、トワを振り返った。
すぐ隣にいるトワの瞳に、小毬が映り込んでいた。
「私を送り返すなんて、言わないで。私は、新人種としてここで生きたいの。皆が望んでいるように、最後まで戦う」
新人種として生き、そして死にたい。将来というものを想像できずにいた小毬が見つけた、最初で最後の「未来」。
まだトワが渋るようなら、「私の意志は誰にも左右させない」といつだったかトワに言われた言葉をそのまま返してやろうと思ったが、トワはもう反対してはこなかった。
ただ、そうか、とだけ告げた。
ぶぅん、と蚊の羽音が耳元でした。トワたち新人種は蚊に刺されないが、小毬は違う。むしろ、この蚊たちは小毬がいるがゆえに集まってきているようだ。
眉をひそめて、耳元で飛ぶ蚊を右手でばたばたと追い払ったとき。
「……小毬」
「ん?」
「ヒトか新人種、どちらが悪だと思っている?」
え、と呟いた。
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きっと、この質問にはなにか意図があるはずだ。
小毬は逡巡の末に、正直に答えた。
「ヒト、かな。少なくとも、トワたち新人種が悪いとは思わないから」
「意地悪な問い方をしてすまない。だが、小毬にはわかっていてほしい。悪いのは個人であって、種族ではない」
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