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第六章 真実と、束の間の休息
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姉は毎月仕送りを送ってきたが、ある日を境にぱたりと止まり、次に届いたのは水難事故で死したという訃報だった。死に目に会えなかったのは勿論、遺体さえ見ていない。
「きみの姉は、新人種を研究しているうちに彼らに情が移ったらしい」
神無月の言葉に、記憶の隅に張り付いているだろう姉の姿を思い出そうとしていたのを止めた。
そして、首を横にふる。
「私は、情が移ったわけではありません」
「だが、結果として新人種の認識を改めた。ヒトに『新人種を悪鬼だと思うか』と問えば、九割以上の者が即答で是と答えるだろう。きみは答えなかった」
「……それは」
「私も、きみたち姉弟の意見に賛成だ」
神無月は、椅子に深く腰を掛けた。ぎしりと軋む肘付き椅子は、大柄な神無月が座ると小さく見える。
「新人種は、同情されてしかるべき種族だ。飯嶋から真実は聞かされたか?」
「真実とは、何をさしているのでしょうか」
「ヒトが隠ぺいした、新人種の存在理由だ」
――「起こったことだけが、真実ではないでしょう?」
また小毬の言葉が、脳裏に語りかけてくる。
静寂がやけに心細く感じた。自分の心音で、目の前がくらくらとする。聞いてはいけない気がした。けれど。
「私どもヒトが知っている、新人種がヒトを大量殺戮した事件は、本当にあったのですか」
「ああ」
「けれど、それがすべてではない、と?」
神無月は目を伏せた。
「誰しもが身を守って生きている。ヒトという種族もまた、ヒトを守るために嘘をつき、真実を隠ぺいする。これは、きみの上官でさえない私が、きみにする話ではない。だが、きみが知りたいというのならば、私は真実を包み隠さず話そう」
「どうしてそこまで、私に?」
神無月は自嘲気味な笑みを浮かべた。いつも自信ありげで屈強な印象のある彼にしては珍しい表情に、誠次の胸はざわつく。
「きみの姉と結婚した男は、私の部下だった。私は彼らを守れなかった。それを今でも、いや、あれからずっと、悔いている。彼らのことを忘れぬ日などないほどに」
「どういう意味ですか」
「彼らは殺されたのだ」
口をひらいて、閉じた。
(殺された?)
姉は、水難事故で夫とともに死んだはず。そして、未来だけが運よく生き残った。そう聞いている。事実、死亡原因は事故で処理され、多額の保険金も降りた。
「神威たちは――きみの姉の夫の名だ――は、政府によって殺された」
「なぜ。そんなことが現実にあり得るのですか」
「ヒトは正義の名の元になら、法さえ犯す」
「正義? 正義のために姉は殺されたのですか!」
「神威たちは、真実を公表しようとした。新人種の生まれた理由を、そしてヒトが改ざんしてきた歴史を。公表することで、彼らの立場や人権を守ろうとしたのだ」
そう告げて、しばらくの間、神無月は口を閉じた。
ややのち、彼はぽつぽつと、言葉を選ぶようにして話しはじめた。
新人種の生まれた理由を。大量殺戮の事情を。ヒトが歴史を都合のいいように改ざんし、新人種を悪だと決めつけたことを。
ひと通り話終えると、神無月は苦い顔をして黙り込んだ。あまりの衝撃に、誠次は立っているのも辛いほどだった。
(小毬ちゃんが、言ってた通りなのか)
新人種は悪ではない。ヒトが彼らを悪だと決めつけているだけ。
(だったら、この施設はなんのためにあるんだ。莫大な費用を投じて彼らを閉じ込めて、そんなことをしてまでも、ヒトは過去を隠ぺいしたいのか)
力無く首を横に振る。
「信じたくないか」
「信じられません。私は、新人種は悪だと教えられてきました。そしてこの施設は、ヒトの医学進歩のために存在している、と。それが、まさか、不老不死の研究のため?」
「ああ」
「まさか、今でもその研究は」
「……極秘裏に、続いている。現在、すべての権限は芳賀魔紅三郎にある」
今度こそ、言葉を失った。
飄々とした態度で、「そんなことも知らなかったのかい?」と嘲笑う友人がありありと浮かんだ。
「そこまでして、なぜヒトは不老不死を求めるのですか」
気づけば呟いていた。聞かずにはいられなかったのだ。そんなくだらないもののために多くの者が犠牲になってきたのだとしたら、愚かだとしか言いようがない。
神無月は、苦笑を滲ませた声音で答えた。
「きみの姉は、新人種を研究しているうちに彼らに情が移ったらしい」
神無月の言葉に、記憶の隅に張り付いているだろう姉の姿を思い出そうとしていたのを止めた。
そして、首を横にふる。
「私は、情が移ったわけではありません」
「だが、結果として新人種の認識を改めた。ヒトに『新人種を悪鬼だと思うか』と問えば、九割以上の者が即答で是と答えるだろう。きみは答えなかった」
「……それは」
「私も、きみたち姉弟の意見に賛成だ」
神無月は、椅子に深く腰を掛けた。ぎしりと軋む肘付き椅子は、大柄な神無月が座ると小さく見える。
「新人種は、同情されてしかるべき種族だ。飯嶋から真実は聞かされたか?」
「真実とは、何をさしているのでしょうか」
「ヒトが隠ぺいした、新人種の存在理由だ」
――「起こったことだけが、真実ではないでしょう?」
また小毬の言葉が、脳裏に語りかけてくる。
静寂がやけに心細く感じた。自分の心音で、目の前がくらくらとする。聞いてはいけない気がした。けれど。
「私どもヒトが知っている、新人種がヒトを大量殺戮した事件は、本当にあったのですか」
「ああ」
「けれど、それがすべてではない、と?」
神無月は目を伏せた。
「誰しもが身を守って生きている。ヒトという種族もまた、ヒトを守るために嘘をつき、真実を隠ぺいする。これは、きみの上官でさえない私が、きみにする話ではない。だが、きみが知りたいというのならば、私は真実を包み隠さず話そう」
「どうしてそこまで、私に?」
神無月は自嘲気味な笑みを浮かべた。いつも自信ありげで屈強な印象のある彼にしては珍しい表情に、誠次の胸はざわつく。
「きみの姉と結婚した男は、私の部下だった。私は彼らを守れなかった。それを今でも、いや、あれからずっと、悔いている。彼らのことを忘れぬ日などないほどに」
「どういう意味ですか」
「彼らは殺されたのだ」
口をひらいて、閉じた。
(殺された?)
姉は、水難事故で夫とともに死んだはず。そして、未来だけが運よく生き残った。そう聞いている。事実、死亡原因は事故で処理され、多額の保険金も降りた。
「神威たちは――きみの姉の夫の名だ――は、政府によって殺された」
「なぜ。そんなことが現実にあり得るのですか」
「ヒトは正義の名の元になら、法さえ犯す」
「正義? 正義のために姉は殺されたのですか!」
「神威たちは、真実を公表しようとした。新人種の生まれた理由を、そしてヒトが改ざんしてきた歴史を。公表することで、彼らの立場や人権を守ろうとしたのだ」
そう告げて、しばらくの間、神無月は口を閉じた。
ややのち、彼はぽつぽつと、言葉を選ぶようにして話しはじめた。
新人種の生まれた理由を。大量殺戮の事情を。ヒトが歴史を都合のいいように改ざんし、新人種を悪だと決めつけたことを。
ひと通り話終えると、神無月は苦い顔をして黙り込んだ。あまりの衝撃に、誠次は立っているのも辛いほどだった。
(小毬ちゃんが、言ってた通りなのか)
新人種は悪ではない。ヒトが彼らを悪だと決めつけているだけ。
(だったら、この施設はなんのためにあるんだ。莫大な費用を投じて彼らを閉じ込めて、そんなことをしてまでも、ヒトは過去を隠ぺいしたいのか)
力無く首を横に振る。
「信じたくないか」
「信じられません。私は、新人種は悪だと教えられてきました。そしてこの施設は、ヒトの医学進歩のために存在している、と。それが、まさか、不老不死の研究のため?」
「ああ」
「まさか、今でもその研究は」
「……極秘裏に、続いている。現在、すべての権限は芳賀魔紅三郎にある」
今度こそ、言葉を失った。
飄々とした態度で、「そんなことも知らなかったのかい?」と嘲笑う友人がありありと浮かんだ。
「そこまでして、なぜヒトは不老不死を求めるのですか」
気づけば呟いていた。聞かずにはいられなかったのだ。そんなくだらないもののために多くの者が犠牲になってきたのだとしたら、愚かだとしか言いようがない。
神無月は、苦笑を滲ませた声音で答えた。
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