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第五章 再会と決意
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空はどこまでも青く、清んでいた。
海の青と空の青が交わる境界線は、緩やかに曲線を描いているように見える。地球はやはり丸いのだ。
真夏の陽光に照らされながら、小毬は大きく伸びをする。
「あんた、こんがり焼けたわねぇ」
百合子の言葉に、小毬は笑顔で振り返った。苦笑を浮かべた百合子が、こちらに向かって歩いてくる。彼女の肌は初めて会った日のまま、皮下組織が透けて見えており、焼けているということはない。
「大丈夫なの、あんた。心配なら私が変わってあげるけど」
「平気。出来るよ。……してみせる」
監査の日が、明日に迫っていた。
小毬がこの島に来て、一年が経った。トワは小毬に対して、山口の件で小毬を悪く言う者はいないと言ったけれど、やはり意見は割れていたらしい。
小毬は、まだ正式に新人種たちに認められていない。何をもって正式を意味するのかは定かではないが、あれから一年が過ぎて、道を歩けば挨拶をしてくれる者が増えた。女の子同士の話にもよく入れてもらい、気さくに「小毬」と呼ばれるようになった。
それでも一部の者からは邪険に扱われることもある。それで辛い思いをしたときは、全員から好かれようなど驕りもいいところだ――と、思うようにしていた。
小毬は、ヒトであることを捨てた。自分は新人種。少しでも、新人種に近づきたい。その一心で、今回の監査の案内役を引き受けることにした。一年前、豪理がやっていたあの役割だ。
百合子は腕を組んで、小毬の顔を覗き込む。
「吹っ切れた顔しちゃって。可愛げがなくなったわね」
「成長したって言ってよ」
「はいはい、成長しました」
百合子は首を伸ばして辺りを見回したあと、肩をすくめる。少し離れたところに、同じミカン畑で仕事をしている新人種の少女がふたり、何かを話しているのが見えた。
百合子は小毬を連れて、彼女らから距離を取る。
「それで、トワとの関係はどうなの。順調?」
ひそめられた声音に、小毬は目をぱちくりとさせる。
「順調だよ。喧嘩もないし。……なんでひそひそ話なの」
「だって、あの二人には聞かれたくないでしょ? こういう話」
「え? そんなことないよ。トワは大切な家族だし、大切にしていきたいって気持ちは、別に恥ずかしくないもん」
「家族……夫婦ってことね。ずいぶんと進んでるのね、羨ましいわ」
「前にも話したけど、トワとの婚約の話は嘘だから。だから、別に恋愛関係はないんだよ」
百合子には、本当のことを話してあった。こんなによくしてくれる友人に対して、嘘はつけない。半年以上前に正直な気持ちと現実を告げたのだが、どうやら百合子は未だにトワと小毬の間に恋愛関係があると信じているようだった。
百合子はふふんと腰に手を当て、豊満な胸を突き出すように胸を張る。
「あのトワが一緒に誰かと暮らすなんて、ありえないことなの。あんたは、選ばれたのよ。すごいことだってわかってる?」
「トワは優しいから、私を住まわせてくれてるんだよ」
「でも、もう一年が過ぎるでしょ。空家もあるのに、追い出そうとしないじゃない。あんた、家を出て行けって言われたことある?」
「……ない、けど」
「でしょ? トワはあんたを気に入ってるのよ。私たちは短命だけど、トワは違う。あんたも違う。長い年月連れ添うのなら、お似合いの二人だと思うわ」
百合子は自信満々に頷くと、小毬の肩に手を置いた。
「だから、あんたには無茶をしてほしくないの。この前だってミカンの枝で怪我をしたとき、傷が膿んできたでしょ。熱も出て、大変だったじゃない」
「あのときは、お見舞にきてくれてありがとう」
「そういう話をしてるんじゃなくて。もし、明日の監査で何かあったら――」
「大丈夫だよ」
「でも」
「大丈夫」
小毬は微笑んだ。
「私は、ヒトを辞めたの。新人種として、立派に案内役を務めてみせる」
案内役を務めたいと言いだしたのは、小毬からだ。一年前、山口を殺すはめになったのは小毬の存在が原因だった。あれから、小毬に対してヒト側は何も言ってはこない。山口が殺された際に不特定多数の者に姿を見られているので、山口以外の者が小毬の存在を知らないとも思えない。つまり、小毬の存在など、もはやどうでもよいのだ。
おそらく、近々新人種はヒトによって滅ぼされる。
三か月前から、月に一度、物資を運んでくるはずの船も来ていない。
先月の頭に、明日監査を行う旨が伝えられただけで、ヒトは極力新人種との交わりを経っていた。
明日が、最後の監査になるだろう。誰もがそう思っている。悲観する新人種たちのなかで、けれど、小毬だけは違う意見を持っていた。監査は、ヒトと新人種が交わるもっとも大きな時間である。そしてそれは、最後のチャンスにもなり得るはずだ。
「私、調査員をちゃんと案内してみせる。どれだけこの島がいいところで、百合子さんたちが温かいかを」
「余計なことはしないほうがいいわ。あんた、殺されるわよ。ただでさえヒトってだけで、山口に殺されかけたのに」
「どうせ殲滅させられるなら、やるだけのことをやりたいの。私の意見なんて微々たるものだってこともわかってる。でも、百合子さんたちを悪くだけは言いたくない」
「……例え私たちを褒めても、何を変わらないわよ」
「うん。私は無力だから」
そう言って、小毬は微笑んだ。
明日、小毬は調査員の一人を案内する。集会では反対する者もいたが、小毬の願いをくんで、トワと百合子が説得してくれた。
なんでもいい。
新人種として、何かがしたい。
それは、小毬がこの島へ来て二度目の我侭だった。一度目は、この島で暮らしたいと願いでたとき。あれから一年が過ぎ、今また小毬は我侭をいう。
百合子は苦笑して、ため息をつく。
「あんたって、なよなよで駄目なやつなのに、強情だから手に負えないわ」
「心配してくれて、ありがとう。私、百合子さん大好きだよ」
ふと、百合子が大きく目を見張る。
そのまま動きを止めた彼女を覗き込めば、我に返るように百合子が顔を背けた。
「そ、そういうこと、あんまり言わないで」
「どうして」
「言われ慣れてないの。あんただって、いきなり好きだって言われたら照れるでしょ」
「え、あ、う、うん。でも、私本当に百合子さんのこと」
「ああもう、わかったから! さ、そろそろ仕事に戻るわよ。ほら、きびきび動く!」
そう言って踵を返す百合子の耳がほんのり赤い気がして、小毬はこっそりと笑みを浮かべた。
海の青と空の青が交わる境界線は、緩やかに曲線を描いているように見える。地球はやはり丸いのだ。
真夏の陽光に照らされながら、小毬は大きく伸びをする。
「あんた、こんがり焼けたわねぇ」
百合子の言葉に、小毬は笑顔で振り返った。苦笑を浮かべた百合子が、こちらに向かって歩いてくる。彼女の肌は初めて会った日のまま、皮下組織が透けて見えており、焼けているということはない。
「大丈夫なの、あんた。心配なら私が変わってあげるけど」
「平気。出来るよ。……してみせる」
監査の日が、明日に迫っていた。
小毬がこの島に来て、一年が経った。トワは小毬に対して、山口の件で小毬を悪く言う者はいないと言ったけれど、やはり意見は割れていたらしい。
小毬は、まだ正式に新人種たちに認められていない。何をもって正式を意味するのかは定かではないが、あれから一年が過ぎて、道を歩けば挨拶をしてくれる者が増えた。女の子同士の話にもよく入れてもらい、気さくに「小毬」と呼ばれるようになった。
それでも一部の者からは邪険に扱われることもある。それで辛い思いをしたときは、全員から好かれようなど驕りもいいところだ――と、思うようにしていた。
小毬は、ヒトであることを捨てた。自分は新人種。少しでも、新人種に近づきたい。その一心で、今回の監査の案内役を引き受けることにした。一年前、豪理がやっていたあの役割だ。
百合子は腕を組んで、小毬の顔を覗き込む。
「吹っ切れた顔しちゃって。可愛げがなくなったわね」
「成長したって言ってよ」
「はいはい、成長しました」
百合子は首を伸ばして辺りを見回したあと、肩をすくめる。少し離れたところに、同じミカン畑で仕事をしている新人種の少女がふたり、何かを話しているのが見えた。
百合子は小毬を連れて、彼女らから距離を取る。
「それで、トワとの関係はどうなの。順調?」
ひそめられた声音に、小毬は目をぱちくりとさせる。
「順調だよ。喧嘩もないし。……なんでひそひそ話なの」
「だって、あの二人には聞かれたくないでしょ? こういう話」
「え? そんなことないよ。トワは大切な家族だし、大切にしていきたいって気持ちは、別に恥ずかしくないもん」
「家族……夫婦ってことね。ずいぶんと進んでるのね、羨ましいわ」
「前にも話したけど、トワとの婚約の話は嘘だから。だから、別に恋愛関係はないんだよ」
百合子には、本当のことを話してあった。こんなによくしてくれる友人に対して、嘘はつけない。半年以上前に正直な気持ちと現実を告げたのだが、どうやら百合子は未だにトワと小毬の間に恋愛関係があると信じているようだった。
百合子はふふんと腰に手を当て、豊満な胸を突き出すように胸を張る。
「あのトワが一緒に誰かと暮らすなんて、ありえないことなの。あんたは、選ばれたのよ。すごいことだってわかってる?」
「トワは優しいから、私を住まわせてくれてるんだよ」
「でも、もう一年が過ぎるでしょ。空家もあるのに、追い出そうとしないじゃない。あんた、家を出て行けって言われたことある?」
「……ない、けど」
「でしょ? トワはあんたを気に入ってるのよ。私たちは短命だけど、トワは違う。あんたも違う。長い年月連れ添うのなら、お似合いの二人だと思うわ」
百合子は自信満々に頷くと、小毬の肩に手を置いた。
「だから、あんたには無茶をしてほしくないの。この前だってミカンの枝で怪我をしたとき、傷が膿んできたでしょ。熱も出て、大変だったじゃない」
「あのときは、お見舞にきてくれてありがとう」
「そういう話をしてるんじゃなくて。もし、明日の監査で何かあったら――」
「大丈夫だよ」
「でも」
「大丈夫」
小毬は微笑んだ。
「私は、ヒトを辞めたの。新人種として、立派に案内役を務めてみせる」
案内役を務めたいと言いだしたのは、小毬からだ。一年前、山口を殺すはめになったのは小毬の存在が原因だった。あれから、小毬に対してヒト側は何も言ってはこない。山口が殺された際に不特定多数の者に姿を見られているので、山口以外の者が小毬の存在を知らないとも思えない。つまり、小毬の存在など、もはやどうでもよいのだ。
おそらく、近々新人種はヒトによって滅ぼされる。
三か月前から、月に一度、物資を運んでくるはずの船も来ていない。
先月の頭に、明日監査を行う旨が伝えられただけで、ヒトは極力新人種との交わりを経っていた。
明日が、最後の監査になるだろう。誰もがそう思っている。悲観する新人種たちのなかで、けれど、小毬だけは違う意見を持っていた。監査は、ヒトと新人種が交わるもっとも大きな時間である。そしてそれは、最後のチャンスにもなり得るはずだ。
「私、調査員をちゃんと案内してみせる。どれだけこの島がいいところで、百合子さんたちが温かいかを」
「余計なことはしないほうがいいわ。あんた、殺されるわよ。ただでさえヒトってだけで、山口に殺されかけたのに」
「どうせ殲滅させられるなら、やるだけのことをやりたいの。私の意見なんて微々たるものだってこともわかってる。でも、百合子さんたちを悪くだけは言いたくない」
「……例え私たちを褒めても、何を変わらないわよ」
「うん。私は無力だから」
そう言って、小毬は微笑んだ。
明日、小毬は調査員の一人を案内する。集会では反対する者もいたが、小毬の願いをくんで、トワと百合子が説得してくれた。
なんでもいい。
新人種として、何かがしたい。
それは、小毬がこの島へ来て二度目の我侭だった。一度目は、この島で暮らしたいと願いでたとき。あれから一年が過ぎ、今また小毬は我侭をいう。
百合子は苦笑して、ため息をつく。
「あんたって、なよなよで駄目なやつなのに、強情だから手に負えないわ」
「心配してくれて、ありがとう。私、百合子さん大好きだよ」
ふと、百合子が大きく目を見張る。
そのまま動きを止めた彼女を覗き込めば、我に返るように百合子が顔を背けた。
「そ、そういうこと、あんまり言わないで」
「どうして」
「言われ慣れてないの。あんただって、いきなり好きだって言われたら照れるでしょ」
「え、あ、う、うん。でも、私本当に百合子さんのこと」
「ああもう、わかったから! さ、そろそろ仕事に戻るわよ。ほら、きびきび動く!」
そう言って踵を返す百合子の耳がほんのり赤い気がして、小毬はこっそりと笑みを浮かべた。
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