新人種の娘

如月あこ

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第三章 日々の暮らしと、『芳賀魔巌二』

9、

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 じんわりと汗ばむ夜、板間の床に小毬は座っていた。今、トワの家には小毬一人だ。辺りには誰もおらず静かで、ぶんぶんとうるさい蚊の羽音だけが聞こえてくる。深夜である今、窓から差し込む星明りが部屋を淡く照らしていた。
 調査員殺害。
 あのあと、騒ぎを聞きつけた背広のヒトたちがやってきて、慌ただしく動き始めた。山口を殺害した百合子を連れていくかと思いきや、ヒトはただ百合子を睨んだだけで、捕らえようとはしなかった。山口の遺体は速やかに運ばれ、その場に立ち尽くしていた小毬たちには、待機という名目のもと強引にあの場から帰された。
 帰された、ということは、現在ヒト側で処分を検討中だということだろうか。何が起こっているのか想像もしたくないが、今後の新人種の運命を左右するような決断だけはしてほしくない。
 小毬は立ち上がって、窓へ寄りかかった。小毬の視線の遥か先にあるはずの集会場に、トワがいる。百合子は怪我の治療へ向かい、豪理も今、集会に参加している。小毬はお留守番で、家でひとり悶々と今後の不安を抱いていた。
 ふいに、引き戸が開く音がした。
 小毬は跳ねるように顔をあげ、足早に玄関へと向かう。
「トワ!」
「なんだ、まだ起きていたのか。……まぁ、眠れんか」
 トワはそう言って苦笑した。
 小毬が見つめる前で、トワはいつもと変わりないように草履を脱ぎ、居間のほうへ歩いていく。その背を眺めながら、小毬から口をひらいた。
「集会、どうだった?」
「とりあえず、相手の出方を待とうということでまとまった。そもそもこちらが何か相手方に意見することもできんし、仕方がないだろう。ただ――」
 トワが口ごもる。
 小毬のなかの不安が増す。
トワの傍まで歩み寄ると、幼子が母に縋るように袖を軽く引っ張った。
「なに?」
 トワが困ったように眉を下げ、言葉を続ける。
「もしあちら側が私ら新人種を殲滅するようなことになれば、我らは戦う」
 息を呑む。
 殲滅、という言葉は、小毬の耳には馴染みがなかった。故郷にいたころに読んだ本で見たことがあるくらいで、それが現実に起きるなど、想像ができない。……したくもない。
「殲滅だなんて、そんなことあるわけないよ」
 願いを込めてそう告げれば、トワはあっさり首を横に振る。
「いや、以前よりそういう話はあったのだ。そのことは、研究員であった私の母も不安がっていたし、間違いないだろう。脅威を取り除きたいと願うのは、生きる者の性でもある。……だが、世には新人種保護団体もあってな。彼らの存在が政府への抑止力となっているんだ」
 小毬は故郷にいるとき、新人種の存在さえ知らなかった。担任も今の子どもは新人種の存在さえ知らないと言っていた。逆に言うと、担任の年齢くらいならば多くの者が新人種の存在を知っているということだろう。
 新人種保護団体。いつだったか、トワは同じ言葉を言っていた。小毬は新人種を「ヒト」だと思っている。つまり、保護団体の人たちも小毬と同じ考えだと思っていいのだろうか。それとも、パンダを保護するような感覚で活動しているのだろうか。
 どちらにしても、新人種保護団体の存在は政府にとって大きいようだ。
「じゃあ尚更、殲滅なんてあるわけないと思うよ」
「そうだろうか」
「それに、幾ら新人種が脅威だからって、消し去りたいとまで思わないと思うんだ。だから、きっと大丈夫だよ」
「気休めはいらんさ。こういうときこそ、小毬のマイナス思考の出番だろう。備えあれば憂いなし、だ。あらゆる悪い方向へ考えておき、その対策を練る。今は、そのときだ」
「……でも」
「それにな。人類の脅威、という意味以外でも、日本政府は我ら新人種を消し去りたいという思惑がある」
 トワは神妙にそう告げると、居間の板間に座った。向かい合う形で座るように言われて、小毬も座る。
「我ら新人種は、元は『ヒト』だった。という話は、以前にしたと思う」
 本土から飛龍島へ渡る前に、墓塚へ寄ったときの話だ。確かにトワは、新人種が元は人間であったと言っていた。
 そのことは、小毬もずっと気になっていた。
「『ヒト』は、我らの存在を抹消することで、『ヒト』が歩んできた過ちを消し去りたいのだ」
 そう言うと、トワは「少し長くなるが」と前置きをして話しはじめた。
 飛龍島にはかつて、五百を超える人間が暮らしていた。日本本土から離れているため、本土との交流もなく、まるで一つの小国のような暮らしをしていたという。
 八十年ほど昔、飛龍島は平和だった。
 そんな平和な島へ、一人の研究者がやってきた。
 名前は、芳賀魔巌二はがまがんじ
 巌二は飛龍島から少し離れた小島に研究施設を作り、そして――飛龍島の島民を使って、人体実験を始めた。
「人体実験!? そんなこと、許されるの?」
「許されるべきではないな。だが、芳賀魔巌二には研究者としての絶対的な地位や家柄ゆえの権力があった。国も見逃していた、というよりも、巌二の研究成果を期待して援助していたという話もある」
「なんの研究をしてたの?」
「不老不死だ」
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