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③仕組まれた結婚
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「エマ、ハインリヒってあなたのこと好きなのかしら」
エマは、ユリアの言葉に目を瞬いた。
紅茶カップをソーサーに置きながら笑みを深めたユリアは、じっとエマの目を見つめてくる。
五人姉妹の長女ユリアは、大変強かな女性だ。
少なくともエマはそう思っている。
「ほら、先月次女のメリーフィアが嫁いだでしょう? 三女も、五女も、相手が決まっているけれど、あなたはまだだから」
「そこで、どうしてハインリヒなの?」
エマは自分が、伯爵令嬢らしからぬ自覚があった。
言葉遣いも所作も、ほかの姉妹より粗雑だし、長ったらしいスカートでお淑やかに歩くことがとても面倒なのだ。
物心ついたときから、エマは違和感を覚えていた。
どうして屋敷の向こうで暮らす人たちは、エマよりみすぼらしい格好をしているのだろう。エマは幼くて何もできないのに、仕事をしている大人の人のほうがボロボロの服を纏っているのはどうしてだろう。
そんな彼らのなかでも、貧民街という場所で暮らす人々はもっとみすぼらしいと聞いたとき、そして王族はエマたちよりも豪華な暮らしをしていると聞いたとき、エマは巨大な壁の前に立っているような錯覚を覚えた。
この世界は生まれながらに身分が決まっていて、就ける仕事も決まってくるというのだ。
まるで、物語の登場人物のようである。
みな、与えられた役をこなすしかないのだ。
平民は貴族になれないし、貴族は王族になれない。
そういった当たり前の日常が、常識であり、法律であり、エマの目の前に聳える巨大な壁だった。
(どうして誰もおかしいと思わないの?)
エマは小さいころから、この世界の常識に違和感を覚える変わった子どもだった。
そんなエマを周囲の大人たちは奇妙なものを見る目で見た。この世界では、エマの考えこそが異質だったのだ。
学院に通うようになり、エマの世界は広がった。
初めて貧民街に行ったときは、匂いや不衛生な環境に驚くばかりで、生きている人たちの生命力の高さに感嘆したものだ。
彼らの生活に興味を持ったエマは、時間を作って貧民街に通った。
意外にも治安はそれほど悪くなく、むしろ、心の温かな人が多いことに驚いたものだ。
身寄りのない子どもは孤児院で寝食ができるようで、そちらの待遇もよいようだった。しかしそれも、あくまで貴族の気まぐれによる施しや寄付金からなるものでしかなく、とても不安定なものだ。
エマは貧民街で生きる彼らの家造りを手伝い、稼ぐ方法などを聞いて、彼らとともに何かできないかと考えた。
そうしてエマは学院在学中に、小さな商売を始めた。
材料を安く仕入れて品物を作り、それを売るという単純な商売である。貧民街の人たちに、下請けの仕事として品物の組み立てを任せることにしたのだ。
そこにたどり着くまで、そしてたどり着いてからもトラブルは頻発したが、それでもエマはやりたいと思ったことをやり通した。
あれから数年で小さかった商会は規模を拡大し、エマは正体を隠して商人として名を馳せるようになっていた。
「あなた、誰とも結婚するつもりはないでしょう? 今の仕事に専念するつもりみたいだし」
ユリアの言葉は、概ね正解である。
しかし女が、それも貴族の女が独身を貫くことが難しい時代であることも承知していた。貴族令嬢が結婚適齢期を過ぎて尚独身、というだけで醜聞になるのだ。
「お姉様、それは」
「だからあなた、ハインリヒと結婚したら?」
再び、ハインリヒの名前が出てエマは唇を尖らせる。
「……そんなことできるわけないわ。彼とは身分が違うもの」
「あら、嫌なの?」
「嫌じゃないわ。私、ハインリヒのこととても好きだもの」
ユリアは満足そうに頷いた。
実際、エマはハインリヒに好意を抱いている。
彼は無表情だが、情緒が豊かだ。他者の感情にも敏感で周囲もよく見ている。
無口なのは、話すことが苦手だからだ。
言葉は簡単に人を傷つけることを、彼はよく理解しているのである。
心を痛めたとき、ハインリヒは中庭に行く。
エマの部屋からよく見えるそこで、ぼうっと一人で立ち尽くしているのだ。
辛いときは甘い物を食べればいいと言った姉の言葉を信じていたエマは、いつも飴を持ち歩いていた。実際に疲労で頭がふらふらしてくると、飴を食べればよくなったのだ。
落ち込むハインリヒに飴をあげたのは、どうしてなのか。自分でもよくわからない。
――そうしていつ頃からか、視線を感じるようになった。
視線を感じて振り返ると、ハインリヒと視線が合うのだ。
微笑むと彼はサッと視線を逸らし、どこかに行ってしまうのだけれど。
そういうことが増えたある日、エマは見てしまう。
エマはよく、庭の木陰でこっそり本を読む時間をもつ。
そこは誰にも話していない秘密の場所なのだが、その日はそこに、薄手の上着を忘れてきたのだ。
部屋に戻ってから気づいたエマは、秘密の場所ゆえに使用人に取ってくることを頼むこともできず、自分で取りに戻ったのである。
そこに、ハインリヒがいた。
驚いたことに、彼はエマの上着を抱きしめながら、その上着に顔を押し当てていたのだ。
見てはいけないものを見た気がして、その場から離れた。
切なそうに潜めた表情は艶やかで、初めてみるハインリヒの姿に心臓がバクバクいっていた。
それからエマはこれまでよりもハインリヒを意識するようになり、やはり彼がエマをよく見ていることに気づいたのだ。
もしかしたら、自分に好意を抱いてくれているのだろうか。
そんな淡い期待をもつが、仮に両想いだとしても身分差という壁が立ちはだかる。
エマはハインリヒに対する切ないような気持ちを封印し、商人として生きていくことを決めた。
(簡単に、結婚したら、なんて言わないで)
憮然とするエマに、ユリアは意味深に微笑んだ。
「エマは、とても変わり者でしょう?」
「わからないわ。私は私が『普通』だと思ってるもの」
「エマが本当に商人として生きていくには、今の時代、姿を隠して指示を出すだけでは難しいわ。絶対にあなたを裏切らない代理人が必要なの。いい? 商売はね、信用が第一なの。あなたが人前に姿を見せないことを不安がったり不気味がったりする取引先は、もし少しでもあなたの商売経営に何かあれば、身を引いていくわ。多少揺らいでも建て直せると思わせる、いいえ、向こうから手を貸したくなるくらいの、信用を得るの」
「……それは、そうかもしれないけど。そこまでの信用を、姿を隠したまま得るなんて……」
「だから、ハインリヒと結婚するのよ」
エマは、ユリアの言わんとしていることを察した。
ハインリヒに、エマの代理になって貰うというのだ。
もしハインリヒが婿養子にくれば、ディライト家という後ろ盾を持つことになる。そんな彼がエマが手がけている商売の総責任者となれば、確かに「いつまでも姿を現さない責任者」よりは、ずっといい。
「ハインリヒならば、きっとあなたの望むようにしてくれるでしょう?」
「わからない。彼が、いいと言わないと……無理強いはしたくないもの」
ユリアが驚いたような顔をしたあと、おかしそうに笑った。
いつも淑女なユリアも、エマの前では声をあげて笑うのだ。豪快なところが彼女の魅力なのだが、ほんの一握りの人物の前でしか、ユリアは素の自分を見せないのである。
「では、こうしましょう。私たちが、あなたとハインリヒが結婚できるように動きます。お父様にも話をしておくから」
「……お姉様たち?」
「そう、私や妹たちよ。この話には、私の事情も含まれているの。あなたにも話しておくわね」
ユリアが話したのは、夫のフランツのことだ。
フランツは野心家で、ユリアはディライト家の後継者として相応しい男を捜していた。確かに恋愛結婚なのは間違いないが、それは、フランツとユリア双方にとって都合が良い存在だったから、恋愛ごっこをして、お互いに惚れたように見せただけなのだという。
夫婦であっても、お互いの望みや目的について話し合ったことはないそうだ。
理由は単純明快で、ユリアの心はフランツではなく、ディライト家のものだからである。
「フランツは、世継ぎとして相応しいわ。けれど、彼がもし暴走してディライト家の名を使ってさらにのし上がろうとしたり……ディライト家の血筋である私たちを蔑ろにしたりするようなことがあれば、彼は不要だわ」
不要。
ユリアはそう行って、微笑んだ。
「けれど、そうなると一時期でもディライト家を預かってくれる人が必要なの。現在のこの国では、男性しか爵位を相続できないし」
エマはユリアの目論見を察した。
ハインリヒは保険なのだ。
ハインリヒは平民だが、エマと結婚して婿養子に入ればディライト家の人間になる。そしてエマの商売を彼のものとして広めれば、その手腕を人々は知ることになるだろう。
商売云々を抜きにしても、ハインリヒは今でも充分ディライト伯爵の右腕として働いている。跡継ぎとして、能力面は問題ないはずだ。
婿養子になり、エマとの子を次の当主にすればすべてが丸く収まるのである。
「……まぁ、フランツに関しては今のところ大丈夫だとは思うわ。けれど、慣れというのは恐ろしいからね」
「そうね。お姉様がよいのなら、その話を受けるわ。けれど、商会に関しては――」
「結婚してから、二人で話し合ってちょうだい。もちろん、ハインリヒが嫌がるのならば、それはそれで構わないわ。無理に箔をつける必要もなければ、商売の規模を大きくする必要もないもの」
エマは、ユリアからの提案を受けた。
フランツに対してはディライト伯爵も不安を抱いていたようで、ハインリヒのほうが信用できると結論を出したようだ。
何より、大切な娘の一人であるエマがハインリヒを愛していると知るなり、絶対に結婚させてやると豪語したのである。
そうして、ディライト家一丸となって、エマとハインリヒがスムーズに結婚できるように計画を練り、実行した。
結果、めでたくエマとハインリヒは結婚できたのだが、以前より遙かにエマに対する世間の評判が下がった。
エマが外聞を気にしないタイプであることは家族の皆が知るところだし、別に構わないのだけれど。
理由が理由だけに国王の許可も下りて、ディライト家に対する偏見もほとんどない。
これは奇跡に近いことだ。
そうして――エマは今、結婚後与えられた離れにいた。
エマは、ユリアの言葉に目を瞬いた。
紅茶カップをソーサーに置きながら笑みを深めたユリアは、じっとエマの目を見つめてくる。
五人姉妹の長女ユリアは、大変強かな女性だ。
少なくともエマはそう思っている。
「ほら、先月次女のメリーフィアが嫁いだでしょう? 三女も、五女も、相手が決まっているけれど、あなたはまだだから」
「そこで、どうしてハインリヒなの?」
エマは自分が、伯爵令嬢らしからぬ自覚があった。
言葉遣いも所作も、ほかの姉妹より粗雑だし、長ったらしいスカートでお淑やかに歩くことがとても面倒なのだ。
物心ついたときから、エマは違和感を覚えていた。
どうして屋敷の向こうで暮らす人たちは、エマよりみすぼらしい格好をしているのだろう。エマは幼くて何もできないのに、仕事をしている大人の人のほうがボロボロの服を纏っているのはどうしてだろう。
そんな彼らのなかでも、貧民街という場所で暮らす人々はもっとみすぼらしいと聞いたとき、そして王族はエマたちよりも豪華な暮らしをしていると聞いたとき、エマは巨大な壁の前に立っているような錯覚を覚えた。
この世界は生まれながらに身分が決まっていて、就ける仕事も決まってくるというのだ。
まるで、物語の登場人物のようである。
みな、与えられた役をこなすしかないのだ。
平民は貴族になれないし、貴族は王族になれない。
そういった当たり前の日常が、常識であり、法律であり、エマの目の前に聳える巨大な壁だった。
(どうして誰もおかしいと思わないの?)
エマは小さいころから、この世界の常識に違和感を覚える変わった子どもだった。
そんなエマを周囲の大人たちは奇妙なものを見る目で見た。この世界では、エマの考えこそが異質だったのだ。
学院に通うようになり、エマの世界は広がった。
初めて貧民街に行ったときは、匂いや不衛生な環境に驚くばかりで、生きている人たちの生命力の高さに感嘆したものだ。
彼らの生活に興味を持ったエマは、時間を作って貧民街に通った。
意外にも治安はそれほど悪くなく、むしろ、心の温かな人が多いことに驚いたものだ。
身寄りのない子どもは孤児院で寝食ができるようで、そちらの待遇もよいようだった。しかしそれも、あくまで貴族の気まぐれによる施しや寄付金からなるものでしかなく、とても不安定なものだ。
エマは貧民街で生きる彼らの家造りを手伝い、稼ぐ方法などを聞いて、彼らとともに何かできないかと考えた。
そうしてエマは学院在学中に、小さな商売を始めた。
材料を安く仕入れて品物を作り、それを売るという単純な商売である。貧民街の人たちに、下請けの仕事として品物の組み立てを任せることにしたのだ。
そこにたどり着くまで、そしてたどり着いてからもトラブルは頻発したが、それでもエマはやりたいと思ったことをやり通した。
あれから数年で小さかった商会は規模を拡大し、エマは正体を隠して商人として名を馳せるようになっていた。
「あなた、誰とも結婚するつもりはないでしょう? 今の仕事に専念するつもりみたいだし」
ユリアの言葉は、概ね正解である。
しかし女が、それも貴族の女が独身を貫くことが難しい時代であることも承知していた。貴族令嬢が結婚適齢期を過ぎて尚独身、というだけで醜聞になるのだ。
「お姉様、それは」
「だからあなた、ハインリヒと結婚したら?」
再び、ハインリヒの名前が出てエマは唇を尖らせる。
「……そんなことできるわけないわ。彼とは身分が違うもの」
「あら、嫌なの?」
「嫌じゃないわ。私、ハインリヒのこととても好きだもの」
ユリアは満足そうに頷いた。
実際、エマはハインリヒに好意を抱いている。
彼は無表情だが、情緒が豊かだ。他者の感情にも敏感で周囲もよく見ている。
無口なのは、話すことが苦手だからだ。
言葉は簡単に人を傷つけることを、彼はよく理解しているのである。
心を痛めたとき、ハインリヒは中庭に行く。
エマの部屋からよく見えるそこで、ぼうっと一人で立ち尽くしているのだ。
辛いときは甘い物を食べればいいと言った姉の言葉を信じていたエマは、いつも飴を持ち歩いていた。実際に疲労で頭がふらふらしてくると、飴を食べればよくなったのだ。
落ち込むハインリヒに飴をあげたのは、どうしてなのか。自分でもよくわからない。
――そうしていつ頃からか、視線を感じるようになった。
視線を感じて振り返ると、ハインリヒと視線が合うのだ。
微笑むと彼はサッと視線を逸らし、どこかに行ってしまうのだけれど。
そういうことが増えたある日、エマは見てしまう。
エマはよく、庭の木陰でこっそり本を読む時間をもつ。
そこは誰にも話していない秘密の場所なのだが、その日はそこに、薄手の上着を忘れてきたのだ。
部屋に戻ってから気づいたエマは、秘密の場所ゆえに使用人に取ってくることを頼むこともできず、自分で取りに戻ったのである。
そこに、ハインリヒがいた。
驚いたことに、彼はエマの上着を抱きしめながら、その上着に顔を押し当てていたのだ。
見てはいけないものを見た気がして、その場から離れた。
切なそうに潜めた表情は艶やかで、初めてみるハインリヒの姿に心臓がバクバクいっていた。
それからエマはこれまでよりもハインリヒを意識するようになり、やはり彼がエマをよく見ていることに気づいたのだ。
もしかしたら、自分に好意を抱いてくれているのだろうか。
そんな淡い期待をもつが、仮に両想いだとしても身分差という壁が立ちはだかる。
エマはハインリヒに対する切ないような気持ちを封印し、商人として生きていくことを決めた。
(簡単に、結婚したら、なんて言わないで)
憮然とするエマに、ユリアは意味深に微笑んだ。
「エマは、とても変わり者でしょう?」
「わからないわ。私は私が『普通』だと思ってるもの」
「エマが本当に商人として生きていくには、今の時代、姿を隠して指示を出すだけでは難しいわ。絶対にあなたを裏切らない代理人が必要なの。いい? 商売はね、信用が第一なの。あなたが人前に姿を見せないことを不安がったり不気味がったりする取引先は、もし少しでもあなたの商売経営に何かあれば、身を引いていくわ。多少揺らいでも建て直せると思わせる、いいえ、向こうから手を貸したくなるくらいの、信用を得るの」
「……それは、そうかもしれないけど。そこまでの信用を、姿を隠したまま得るなんて……」
「だから、ハインリヒと結婚するのよ」
エマは、ユリアの言わんとしていることを察した。
ハインリヒに、エマの代理になって貰うというのだ。
もしハインリヒが婿養子にくれば、ディライト家という後ろ盾を持つことになる。そんな彼がエマが手がけている商売の総責任者となれば、確かに「いつまでも姿を現さない責任者」よりは、ずっといい。
「ハインリヒならば、きっとあなたの望むようにしてくれるでしょう?」
「わからない。彼が、いいと言わないと……無理強いはしたくないもの」
ユリアが驚いたような顔をしたあと、おかしそうに笑った。
いつも淑女なユリアも、エマの前では声をあげて笑うのだ。豪快なところが彼女の魅力なのだが、ほんの一握りの人物の前でしか、ユリアは素の自分を見せないのである。
「では、こうしましょう。私たちが、あなたとハインリヒが結婚できるように動きます。お父様にも話をしておくから」
「……お姉様たち?」
「そう、私や妹たちよ。この話には、私の事情も含まれているの。あなたにも話しておくわね」
ユリアが話したのは、夫のフランツのことだ。
フランツは野心家で、ユリアはディライト家の後継者として相応しい男を捜していた。確かに恋愛結婚なのは間違いないが、それは、フランツとユリア双方にとって都合が良い存在だったから、恋愛ごっこをして、お互いに惚れたように見せただけなのだという。
夫婦であっても、お互いの望みや目的について話し合ったことはないそうだ。
理由は単純明快で、ユリアの心はフランツではなく、ディライト家のものだからである。
「フランツは、世継ぎとして相応しいわ。けれど、彼がもし暴走してディライト家の名を使ってさらにのし上がろうとしたり……ディライト家の血筋である私たちを蔑ろにしたりするようなことがあれば、彼は不要だわ」
不要。
ユリアはそう行って、微笑んだ。
「けれど、そうなると一時期でもディライト家を預かってくれる人が必要なの。現在のこの国では、男性しか爵位を相続できないし」
エマはユリアの目論見を察した。
ハインリヒは保険なのだ。
ハインリヒは平民だが、エマと結婚して婿養子に入ればディライト家の人間になる。そしてエマの商売を彼のものとして広めれば、その手腕を人々は知ることになるだろう。
商売云々を抜きにしても、ハインリヒは今でも充分ディライト伯爵の右腕として働いている。跡継ぎとして、能力面は問題ないはずだ。
婿養子になり、エマとの子を次の当主にすればすべてが丸く収まるのである。
「……まぁ、フランツに関しては今のところ大丈夫だとは思うわ。けれど、慣れというのは恐ろしいからね」
「そうね。お姉様がよいのなら、その話を受けるわ。けれど、商会に関しては――」
「結婚してから、二人で話し合ってちょうだい。もちろん、ハインリヒが嫌がるのならば、それはそれで構わないわ。無理に箔をつける必要もなければ、商売の規模を大きくする必要もないもの」
エマは、ユリアからの提案を受けた。
フランツに対してはディライト伯爵も不安を抱いていたようで、ハインリヒのほうが信用できると結論を出したようだ。
何より、大切な娘の一人であるエマがハインリヒを愛していると知るなり、絶対に結婚させてやると豪語したのである。
そうして、ディライト家一丸となって、エマとハインリヒがスムーズに結婚できるように計画を練り、実行した。
結果、めでたくエマとハインリヒは結婚できたのだが、以前より遙かにエマに対する世間の評判が下がった。
エマが外聞を気にしないタイプであることは家族の皆が知るところだし、別に構わないのだけれど。
理由が理由だけに国王の許可も下りて、ディライト家に対する偏見もほとんどない。
これは奇跡に近いことだ。
そうして――エマは今、結婚後与えられた離れにいた。
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