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第五章 血の繋がり
【6】
しおりを挟む慎一郎は、ミラー越しに後部座席を見た。
「ねぇねぇ、もう一回! パパって呼んで?」
「……ぱぱ」
「かっわいい~。俺にこんなおっきい娘がいるなんて、照れちゃう~」
慎一郎は、目をカッと見開いてミラーに映る弟を睨んだ。視線に気づいた弟の克哉は、にへらと笑って、有希の肩を抱いて引き寄せた。
「兄貴、これ、俺の娘!」
「……知っています」
「兄貴、兄貴、有希ちゃん、俺の娘~」
「いい加減にしてください、浮かれすぎです」
「ええーいいじゃん。あっ、じゃあ兄貴って俺の息子になるわけ⁉ 俺って、兄貴のおやじさん⁉」
ひとりではしゃぐ克哉の隣で、有希は化石のように固まっている。助手席に乗せようとしたところを、克哉が無理やり後部座席に押し込んだのだが、それでも有希を助手席に乗せればよかった。
「あの、克哉さん。少し近いですよ?」
「有希ちゃん他人行儀。パパでいいよ?」
「いえ、そんな。戸籍上は他人ですし、変な噂をたてられても困りますから」
慎一郎は、よく言ったと心のなかで有希を褒める。さすがに面と向かって「困ります」と言われたら、克哉も離れるだろう。そう思ったのが甘かった。克哉は、「ええー、じゃあこうして密室にいる間だけ~」とさらに有希にくっつき始める。
(何を考えてるんですか、有希にとってあなたの存在は、ただ辛いだけのものかもしれないのですよ。それに、今更「パパって呼んで」など、どれだけ厚かましいんですか)
慎一郎の不満が爆発しそうになったころ、目的の老人ホームについた。
◇
特別養護老人ホームへ慎一郎の母親が入所したのは、自宅で転倒した際に大腿骨近位部を骨折したのがきっかけだという。
母親は息子の克哉に養ってもらっており、収入はなし。年金も納めていなかったために、克哉は様々な手続きに奔走する羽目になったという。
老人保健施設から特別養護老人ホームへ移り、それからは克哉の家族が定期的に会いにいく以外、彼女を訪問するものはいない。身内もおらず、あとは終の棲家で人生の終末を迎えるのみだ。
疎遠だった息子がきた、という件は、施設側には伝えてあったので、すんなりと施設内へ入れた。有希は慎一郎と一緒に、レストルームという面会専用の部屋の外で、慎一郎の母親と克哉の会話を、そっと聞いた。
廊下を挟んだすぐ向こう側には、テレビが置いてある食堂があり、ソファに何人かの高齢者が座っていた。造りはユニットではなく、古くからあるタイプの特養だ。どことなく、病院と雰囲気が似ていることが、有希の気持ちを不安にさせた。
先ほど、慎一郎の母親――のぶ代というらしい――は、克哉が押す車椅子に乗って、レストルームに入って行った。
ふたりが入ってから、有希たちはレストルームの前で待機したのだが。
慎一郎は、先ほどからただじっと足元を見つめている。のぶ代の姿を見た瞬間、目を伏せたのだ。そのまま、僅かも顔をあげない。
有希は、そっと慎一郎と手を繋いだ。
「もう、なんなんよ。大事な話て」
聞こえてきたのは、母音が聞きづらい声音だった。入れ歯なのだろうか。だが、言葉はしっかりとしていて、そこはかとなく、のぶ代の声からは緊張感が漂っていた。
普段の面会は、部屋か食堂で行われて、比較的自由だというから、レストルームに連れてこられたのぶ代が怯えるのも無理はない。
「母さんに、会ってもらいたい人を連れてきてるんだ」
「また愛人か? ええ加減にしとかんと、紗枝ちゃんに愛想つかされんで」
「またって何⁉ 俺、紗枝と結婚してから、母さんに愛人紹介したことなんかないからね⁉」
「ほんで、誰やねん。勿体ぶんなや」
有希の緊張も、高まってしまう。慎一郎はもっと緊張しているだろうから、ぎゅっと手を握り締めた。
(それにしても、お母さまって、関西弁なんだ)
慎一郎や克哉が標準語だから、てっきり標準語だと思っていた。関西で育ったのだろうか。
(……人にはそれぞれ、事情があるもんね)
有希が抱えて生きていくものがある。
美奈子が抱えて生きていくものがある。
克哉にも、慎一郎にも。
そして、きっと、のぶ代にはのぶ代の事情があって、人生を過ごし、今、ここで暮らしているのだ。
「え、ええっと。そう身構えられると、言いにくいなぁ」
「克哉が勿体ぶるからやん。誰や、昔の男がカネせびりにきてるんやったら、追い返してや」
「わかってるって。うーん……あ、そうだ。じゃあ、サプライズ! じゃじゃーん、この人です~」
(はい⁉)
有希がぎょっとしている間に、足音が近づいてきて目の前のドアが開く。
会議用のテーブルにつく老婆が、こちらへ視線を投げた。
(ちょっと克哉さん⁉)
思わず克哉を見ると、さり気なく視線を逸らされた。いや俺にこんな大役無理だわごめんね! という心の声が聞こえてきそうである。そして初対面にも関わらず心が読めてしまうのは、親子だからだろうか。
「……慎か?」
ぽつり、とのぶ代がこぼした。
はっ、と慎一郎が顔をあげる。慎一郎の顔をまじまじと見たのぶ代は、ふいに、破顔した。
「慎や! 克哉、慎やで!」
「久しぶりっしょ? 兄貴が、母さんに会いたいって」
「なんで焦らすのん、言ってくれたらええやんか!」
のぶ代は「こっちへ来いや」と慎一郎を手招いた。笑みを絶やさない姿にほっとしているかと思いきや、慎一郎の手は緊張で震えているようだ。
有希がさらに強く手を握り締めたとき、のぶ代が有希に気づいた。
有希を、慎一郎を、そして二人で繋いでいる手を見る。
「……娘か? あたしの孫か⁉」
さらに笑顔をみせるのぶ代に、克哉は「ちがう」と言いかけて、途中で辞めた。違わないからだ。違わないけれど、今それを言うとややこしくなることも克哉は理解していて、返事に困っている。
有希は、そっと慎一郎の腕をひいた。
「ご挨拶したいんですけど、いいですか」
「あ……ああ、はい。紹介します」
慎一郎は、有希の手を引いてのぶ代のほうへ寄ると、有希を視線で示した。
「こちら、有希さんです。……お付き合いをしています」
その瞬間、のぶ代の表情が、ぽかんとしたものになった。
あんぐりとひらく口は、顎が外れてしまったのかと思えるほどだ。
「…………あんた、えらい若い嫁もろたなぁ」
「まだ結婚はしていません」
「せやかて、連れてきたってことはほんまに好きなんやろ? なんや、初婚のときも連れてきいひんかったやん。あたし、写真でしか嫁の顔知らんねんで。契約結婚ってことは知っとったけどな」
言葉から感じる棘に、慎一郎が小さく震えるのがわかる。有希はまた、大丈夫、というように手を握り締めた。
「まぁまぁ、母さん。兄さんにも悪気があったわけじゃないんだし」
「別に怒ってへん。けど、悪気はあったと思うで」
正直な人だな、と有希な内心で感心した。こんなふうに堂々と人と話すことが出来るなんて、羨ましい。
年老いても彼女の凛々しさが健在なのだから、若いころはさぞ血気盛んだったのだろう。
ふと、のぶ代と目があった。
有希は頭をさげて、改めて自己紹介をする。
「有希と申します。慎一郎さんと、お付き合いをさせて頂いております」
「いくつなん?」
「二十歳です」
「二十歳! 二十歳やて、克哉」
「聞こえてる、っていうか知ってるよ」
「親子ほどの差があるやん。ほんまに若いなぁ」
「……お母さま」
有希は、そっと身をかがめた。
のぶ代と視線の高さを合わせて、笑みをつくる。
「慎一郎さんと出会わせてくださって、ありがとうございます。歳の差はありますが、私にとって慎一郎さんは掛け替えのないたった一人の、大切なかたです。残りの人生すべて、幸せにしてみせます……全力で」
「……若いのに、しっかりしてるやんか。ちょっと慎、あんたもしっかりしいや!」
のぶ代が、慎一郎の腕をぱしぱしと叩いた。
慎一郎は、硬い表情でのぶ代を見る。
「わかってんな? 二回りも離れとるっちゅーことは、それだけあんたがはよ死ぬってことや」
有希が、こぼれんばかりに目を見張る。今度はそんな有希の手を、ばしばしとのぶ代が叩いた。
「有希さんやったか。あんたも、残される覚悟しいや。若いんや、今やったらほかの男も選べるで。それでも慎を選ぶんやったら、目を逸らしたい部分も受け入れな、しんどいんは自分やで」
有希は、この人が慎一郎を育てた人なのだと、実感した。慎一郎が、グレることなく真っ当に育ったのは、この人がいたからだろう。親子らしい関わりはなかったと慎一郎は言うし、実際にそうだろうが、ふとした会話から、母親のしっかりした部分を慎一郎は引き継いだのだ。
「今の言葉、忘れません」
有希は一言、そう答えた。
のぶ代は笑ったがそれは一瞬で、次に慎一郎へ視線を向けたときには、その笑みは消えていた。
慎一郎は無表情だ。いつも以上に、感情が抑制されている。手の震えから緊張や怯えが伝わってくるけれど、有希にはいま、手を握り締めることしかできない。
「慎、あんたは何しにきたんや」
「っ」
慎一郎の身体が、大きく跳ねた。
「夫婦になるんやろ? 嫁さんばっかりしゃべらして、みっともない」
「……すみません」
「高校までいかしたったのに、帰ってこうへんし。今頃に会いにきてなんなん? 嫁自慢か?」
「それも、あります」
「あるんかいっ!」
のぶ代は真面目な顔で、そんなことを言う。
(今の、つっこみ⁉)
有希にはわからないノリだが、家族内では当たり前のようで、克哉も慎一郎も何も言わない。
「というか、それがメインです。有希を、あなたに紹介しようと思いました。有希に、私のことを知っていただきたくて」
「ほう。あたしに会わせたかったんやなくてか。相変わらず可愛くない子やで。ええのは見た目だけや。……で、ほかに理由はないのんか。ほんまにそれだけか」
のぶ代の質問に、慎一郎は口をひらいて、閉じた。
迷いがあるのか、言い切れずにいる慎一郎だったが、やがて観念したように、話し始めた。
「私は、養子だと聞きました」
「養子ちゃうし。戸籍上は実子。血が繋がってへんだけや」
「……知りませんでした」
「言ってへんからな。それで? だからなんやねん」
「一言、あなたに言わないとと」
「なにをや」
慎一郎が有希の手をぎゅっと握りしめた。その手を反射的に、握り返す。
慎一郎はのぶ代を見つめて、迷いを振り切ったように、はっきりした口調で言った。
「育てられもしない子どもを引き取るなんて、無責任ではありませんか⁉ 生活費を現金で置いておくだけなら、誰だってできますよ!」
慎一郎の言葉は、さらに続く。
「しかもなんですか、私を引き取ったのは借金があったから断れなくて? 明らかに違法ですよ。他人の子を産んだことにするなんて。しかも借金があったのなら尚更、子どもを引き取っても育てられないのわかってたことでしょう⁉ 高校の学費だって安くないのに、馬鹿じゃないですか!」
一気に言い切った慎一郎に、のぶ代はまた、ぽかんとした。
ちらっと克哉を見たのぶ代は、肩をすくめてみせる。
「色々あってん。でもな、今ほら、幸せやろ? 結果オーライやん?」
「何がですか⁉」
「そもそも、現ナマ置いといてんから、ええやん。あんたかて好きなもん買えるやろ? まぁ、仕事を家でしてたんは悪いおもてるで。でもな、母ちゃんセクシーやったやろ?」
「気持ち悪いだけですよ!」
「ちょ、おまっ。男としての機能おかしなっとるで!」
「あなたのせいですからっ。そもそも母親がセクシーで嬉しい子どもなんて早々いません! でも今は有希がいるので、大丈夫ですっ」
「ほらみい、結果オーライやろ!」
「……ほら、ちょっと休憩しようよ。兄貴たちも座ってさ。母さんも血圧あがるから、いったんおちつこ――」
「落ち着いてるわっ! 大人しかった慎がえらい成長して、感動してるんや。これで血圧あがって死ぬんなら本望やで」
ふん、とのぶ代が鼻息荒く腕を組む。
そのあとは、克哉も含めて、四人で話をした。昔はどうだったとか、慎一郎にこんなことがあったとか、有希に話して聞かせてくれた。
時間はあっという間に過ぎて、疲れすぎてはいけないと、有希たちはのぶ代に挨拶をして、退出した。
このまま自宅へ帰るという克哉を最寄り駅まで送っていき、帰りの車中、慎一郎と有希は、ほとんど何も話さなかった。
「……慎一郎さん、私、行きたいところがあるんです。寄ってもらっても、いいですか?」
有希の言葉で静寂が破られた。
慎一郎は、「ええ」と頷く。
有希から行先を聞いたあと、慎一郎は、ぽつぽつと今日の感想を話した。腹が立ったけれど、昔のような凶暴な感情ではなかったこと。母も苦労していたのだということ。今だから有難みがわかるということ。
そして――会えてよかったということ。
◇
有希が行きたいと言ったのは、森林公園だった。
都会から少し離れた開発地区に最近できた人工の公園だが、もともとあった山を利用して造られているため、自然の美しさをリアルに感じることができる。
ふたりで並んで、芝生のうえを歩いた。
途中、フードカーでサンドイッチを買い、ビクニックがてら、木陰になっている場所を選んで腰をおろす。
今日は、夏も本番ゆえか、あまり人がいない。
木陰は涼しいけれど、炎天下の公園は厳しいのだ。近くにもうひとつ、小川のある公園があるため、そちらへ遊びに行く人が多いのだろう。
サンドイッチとお茶をお腹に入れた慎一郎は、そっと有希をみた。
のぶ代に対して堂々と発言する姿に、惚れ直したことを伝えようかと思ったけれど、ほかに言わなければならないことがある。
有希がいなければ、こうして母親と和解することはなかった。何も知らず――今ものぶ代がどんな理由で慎一郎を引き取ったかなどの詳しいことは知らないが――ただ恨むだけの存在として、終わるところだった。
「有希。今日はありがとうございます」
「え?」
サンドイッチの包みを丁寧に折り畳んでゴミ袋に入れた有希は、首をかしげた。
「何がですか?」
「一緒に来ていただいて。母にあなたを紹介できてよかった」
「こちらこそ、ありがとうございます。お母さま、結婚式に来てくださるって言ってましたね」
「ええ。少し、恥ずかしいですが……嬉しいです」
正直に言うと、有希が微笑んだ。慎一郎以上に嬉しそうな笑みに、胸がぎゅっとなる。愛しさがこみ上げてきて、抱きしめたい衝動にかられる。
(落ち着きましょう。ここは、外です。夏ですし、暑いですから。木陰で涼しいとはいえ、汗もかいてますからね)
自分もいい歳だから、加齢による匂いも気になるところだ。
ケアを怠って、有希に愛想をつかされないようにしなければ。のぶ代も言っていたように、有希とは歳の差がある。
慎一郎のほうが、遥かに年上なのだ。
それを、現実的に受け止めなければならない。どう考えたって、自然の摂理のままでいくと、慎一郎が先に死ぬのだから。
「なんだか、デートって久しぶりですね。というか、まだ二度目ですよ」
「……そうですね」
有希の言葉に、思考が今に向く。有希と沢山、出かけたい。そう言っておきながら、土日は家でゆっくりと過ごしてばかりいた。
「デートって、照れ臭いですね。でも、嬉しいです。慎一郎さんと歩くの、好きです」
えへへ、と照れたように笑う有希に、慎一郎はまた抱きしめたい衝動にかられた。有希の歩幅に合わせて歩く自分を意識しながら、有希の隣にいることが誇らしかった。有希もまた、隣にいることが好きだと言ってくれるのだから、恋人冥利につきるというものだ。
(有希が……可愛い)
抱きしめたい。
「すみません、有希。あの……あ、クレープが売ってますよ。デザートに買ってきますね」
帰って抱きしめていいですか、などと、穏やかな雰囲気のなかでいうことじゃない。慎一郎は意識をそらそうと、クレープ屋へ行こうと立ち上がりかけた。
「デザートなら、ありますよ」
有希がそう言って、慎一郎の袖を引いた。
いつの間に。
驚いて座り直す慎一郎に、有希が小さな箱を手のひらに乗せて差し出した。やけに洒落た、白いエナメルの箱だ。
なんでしょう、と思ってみていると、有希は、その小箱をぱかりと開いた。
そこには、一対のシルバーリング。
それの意味するところを知り、慎一郎は目を見張る。
「慎一郎さん、私を、妻にしていただけませんか」
息を呑む。
有希をみると、はにかんでいた。
「お母さまにも、結婚の承諾を頂きましたから。心おきなく、慎一郎さんの妻になれると思って。……まだ早かったでしょうか?」
最後の言葉で、有希が不安そうに首を傾げる。
慎一郎は、指輪と有希を見比べた。
「…………よろしくお願いします」
ぱっ、と有希が微笑んだ。
「よかったです、断られたらどうしようかと思いました。指輪、はめますね。一応、婚約指輪なので、えっと……手を失礼します」
有希が、リングを慎一郎の指にはめた。慎一郎本人さえ知らない指のサイズをいつ図ったのか、リングはぴったりだ。
有希はもう一つの指輪を自分ではめようとしたので、慌てて慎一郎が指輪を受け取って、有希の手をとる。
「……有希」
「はい?」
す、と指輪を有希の薬指にはめた。
「結婚指輪は、私が買います」
「え?」
「いいですか、私が買います。でも一緒に選びに行きましょう。この婚約指輪をつけて、二人で」
「あ、あの」
「絶対ですよ、私が買いますからね!」
「……はい」
驚きながら頷く有希の姿を、慎一郎は生涯忘れないだろう。
また有希が好きになる。可愛くて優しいだけでなく、頼もしくてかっこいい部分まであるなんて。
今更、慎一郎のなかで「結婚」という言葉が独り歩きをしていたことを思い知らされる。具体的にいつ頃に結婚しようかという話はしているものの、指輪の準備は頭のなかから吹っ飛んでいたのだ。
プロポーズも、改めてしようと思いながらも、結局していなかった。
「慎一郎さん? クレープ、買いましょうか?」
「いえ、もう充分甘いので大丈夫です」
「甘い?」
「ええ。それはもう、蜂蜜に浸かっている気分です」
手に収まっているリングを見た。
シンプルなシルバーリングだ。ジュエリーに詳しくないので値段はわからないが、いいもののように思う。
「……有希」
「なんですか?」
呼べば、すぐに返事をくれる。
そんな有希に、何度救われただろう。
「好きですよ」
「わ、わたしもですよ?」
「照れる有希も、可愛いですね」
「どうしたんですか、急に」
「言いたくなったんです。……早くあなたと、夫婦になりたい」
こんなふうに、誰かを愛しいと思う日がくるなんて。
穏やかな幸せに包まれる日がくるなんて。
「私もです。早く、片瀬有希になりたいです。……なんだか、照れますね」
微笑む有希を、つい、我慢できず抱きしめた。
この幸せが、少しでも長く、続きますように。
愛しい人が生涯、微笑んでいられますように。
――有希。私は、あなたが生涯、幸せであることを望みます
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