1 / 27
序章
ここから――。
しおりを挟む
「パパ」
有希が、初めてその人を『パパ』と呼んだのは八歳の頃だった。
男性は背が高いものだという有希の見解をさらに超えた長身のその男は、薄い銀縁の眼鏡を押し上げて、不愉快そうに眉をひそめた。
引き結ばれたその唇からも、彼は不快な思いをしていることが読み取れる。
「ええ、そう。今日から、この人が有希ちゃんのパパなの」
その人を――片瀬慎一郎をパパと紹介した母の美奈子は、ゆったりと微笑んだ。
祖父にドイツ人をもつ母は、彫りの深い顔立ちをした美人だ。有希と、有希の姉である琴葉を産んだ二児の母とは思えない若々しさがある。体型も細すぎず太すぎず、男好きのするものだった。
そんな美奈子が再婚相手として選んだ片瀬慎一郎は、神経質そうに潜めた眉のまま、じっと有希をみていた。
有希を見つめる目には、暖かさの欠片もない。むしろ、軽蔑に等しい視線を向けられて、八歳の有希は、どうしたものかと逡巡したのちに、頭をさげた。
「有希です、よろしくお願いします。……パパ」
「片瀬、で結構です」
不機嫌さを隠しもしない、突き放すような声で慎一郎が言った。
はっ、としたように、美奈子が慌てて、慎一郎に謝罪する。繰り返し謝る美奈子を軽く手をあげるだけで制した慎一郎は、
「もう構いませんか」
吐き捨てるようにそう言うと、仕事用だろう鞄を持って椅子から立ち上がり、五千円札を机の上に置くと、そのまま立ち去ってしまった。遠くなる背広の背中が見えなくなってから、美奈子が有希に言った。
「ごめんね、有希ちゃん。ママが間違ってたわ。片瀬さん、って呼んであげてね」
ここは、どこにでもあるファミレスのチェーン店だ。
有希は、今日は新しい父親との初顔合わせだと聞いていたため、とても緊張していた。しかも慎一郎には息子が二人いて、有希にとっては新しい兄になる人物もいるというのだ。
だから、ファミレスで顔を合わせる相手は、慎一郎とその息子二人だと思っていた。
だが実際は、時間通りにやってきた慎一郎に名乗って、紹介されるままに「パパ」と美奈子の言葉を反芻しただけに終わった。
有希は、にっこりと微笑んで、美奈子の言葉に頷いた。
美奈子はほっとしたように頬を緩めると、メニューを取り出して有希にみせた。有希がメニューに夢中になっている間に、美奈子が慎一郎の置いて行った五千円札を素早く財布にしまうのがわかった。
「ごめん、遅れちゃったー。って、あれ?」
時間を十五分ほど遅れてやってきた琴葉は、有希と美奈子、そして向かい側に置いてある空席のコップを見比べて、首を傾げた。
美奈子が事情を話しているのを、有希はぼんやりと聞いていた。
新しい家族が増える。
ただそれだけ聞いていた有希は、嬉しくも悲しくもなく、淡々と現実を飲み込もうとしていたけれど。
先ほどの慎一郎の態度をみて、今後に暗雲が立ち込めるのを感じた。
ちら、と美奈子を見る。
美しい美奈子は、女手一つで娘ふたりを育てている。掛け持ちでパートに出かけて、家事もしているのだ。今は家事の大半を有希がやっているけれど、生活費を稼ぐだけでも大変だろうことは、八歳の有希にも想像できた。
(私が、ママを守らなきゃ)
これまでも幾度となく決意したことだったが、改めて、有希はその思いを確かめた。
有希が、初めてその人を『パパ』と呼んだのは八歳の頃だった。
男性は背が高いものだという有希の見解をさらに超えた長身のその男は、薄い銀縁の眼鏡を押し上げて、不愉快そうに眉をひそめた。
引き結ばれたその唇からも、彼は不快な思いをしていることが読み取れる。
「ええ、そう。今日から、この人が有希ちゃんのパパなの」
その人を――片瀬慎一郎をパパと紹介した母の美奈子は、ゆったりと微笑んだ。
祖父にドイツ人をもつ母は、彫りの深い顔立ちをした美人だ。有希と、有希の姉である琴葉を産んだ二児の母とは思えない若々しさがある。体型も細すぎず太すぎず、男好きのするものだった。
そんな美奈子が再婚相手として選んだ片瀬慎一郎は、神経質そうに潜めた眉のまま、じっと有希をみていた。
有希を見つめる目には、暖かさの欠片もない。むしろ、軽蔑に等しい視線を向けられて、八歳の有希は、どうしたものかと逡巡したのちに、頭をさげた。
「有希です、よろしくお願いします。……パパ」
「片瀬、で結構です」
不機嫌さを隠しもしない、突き放すような声で慎一郎が言った。
はっ、としたように、美奈子が慌てて、慎一郎に謝罪する。繰り返し謝る美奈子を軽く手をあげるだけで制した慎一郎は、
「もう構いませんか」
吐き捨てるようにそう言うと、仕事用だろう鞄を持って椅子から立ち上がり、五千円札を机の上に置くと、そのまま立ち去ってしまった。遠くなる背広の背中が見えなくなってから、美奈子が有希に言った。
「ごめんね、有希ちゃん。ママが間違ってたわ。片瀬さん、って呼んであげてね」
ここは、どこにでもあるファミレスのチェーン店だ。
有希は、今日は新しい父親との初顔合わせだと聞いていたため、とても緊張していた。しかも慎一郎には息子が二人いて、有希にとっては新しい兄になる人物もいるというのだ。
だから、ファミレスで顔を合わせる相手は、慎一郎とその息子二人だと思っていた。
だが実際は、時間通りにやってきた慎一郎に名乗って、紹介されるままに「パパ」と美奈子の言葉を反芻しただけに終わった。
有希は、にっこりと微笑んで、美奈子の言葉に頷いた。
美奈子はほっとしたように頬を緩めると、メニューを取り出して有希にみせた。有希がメニューに夢中になっている間に、美奈子が慎一郎の置いて行った五千円札を素早く財布にしまうのがわかった。
「ごめん、遅れちゃったー。って、あれ?」
時間を十五分ほど遅れてやってきた琴葉は、有希と美奈子、そして向かい側に置いてある空席のコップを見比べて、首を傾げた。
美奈子が事情を話しているのを、有希はぼんやりと聞いていた。
新しい家族が増える。
ただそれだけ聞いていた有希は、嬉しくも悲しくもなく、淡々と現実を飲み込もうとしていたけれど。
先ほどの慎一郎の態度をみて、今後に暗雲が立ち込めるのを感じた。
ちら、と美奈子を見る。
美しい美奈子は、女手一つで娘ふたりを育てている。掛け持ちでパートに出かけて、家事もしているのだ。今は家事の大半を有希がやっているけれど、生活費を稼ぐだけでも大変だろうことは、八歳の有希にも想像できた。
(私が、ママを守らなきゃ)
これまでも幾度となく決意したことだったが、改めて、有希はその思いを確かめた。
0
お気に入りに追加
547
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる