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第四話 ソードの秘密
しおりを挟む洗濯を終えたフィリアは、日替わりで決めている部屋と、それから伯爵夫妻、リーゼロッテの部屋、そして使われていないリーゼロッテとソードの寝室を掃除した。
本来はソードの部屋も掃除するべきだろうが、なんとなく立ち入ってはいけない気がして入っていない。
生活感のないあの部屋ならば、散らかっているということはないだろうが、そのうち埃が溜まってくるだろう。
その頃に、本人に掃除してもいいか聞いてみることにした。
とにかく今は、関わりたくない。
例のリーゼロッテのネグリジェを抱きしめている現場を見られてから、一週間と少しが過ぎていた。
あれからソードとは何も言葉を交わしていないし、伯爵はフィリアを屋敷から追い出そうとしない。
そしてリーゼロッテもまた、相変わらずフィリアを使用人として扱い、名前を呼んでくれない。
何もかもがそのままだった。
悪くもなっていなければ、よくもなっていない。
普遍的でいて、そしてどこかいびつな危うさを感じる、そんな日々が続いている。
ソードに弱みを握られたせいだろうか。
けれど、元はフィリアがリーゼロッテに邪な想いを抱いたせいだ。
ソードはリーゼロッテの夫であるし、他所の女が妻にのぼせ上がっていると知れば、不快にもなるだろう――たとえ、仮面夫婦だったとしても。
だから、ソードは最近フィリアを避けているのだ。
フィリアはそう思い込むことにした。
ここ最近ソードがフィリアを避けているのは、間違いない。
視線はそらされるし、すれ違うときはやや距離をとられる。
やはり実の姉に恋慕の情を抱くフィリアを、気持ち悪いと思ったのかもしれない。
けれど、避けてくれるならむしろ好都合だった。
関わらなくて済むのだから。
屋敷を出たフィリアは一通り、買い出しの予約を済ませた。
買い出しと言っても、少量のものは持って帰るが大抵のものは店に頼んで宅配してもらうことになっている。
毎朝新鮮な食材を、それぞれの専門店が直接届けてくれるのだ。
専門店と言っても貴族御用達のお高い店ではなく、平民が利用する一般的な専用店、そのなかでも皆の支持が高い人気店と懇意にしてある。
リーゼロッテには、品質のよいものを食べてほしい。
その想いから、フィリアは使用人として街に降りては各店に頼み込み、今の専属契約を取り付けた。
没落貴族とはいえ、ファリマール家の名はやはり大きいらしい。
「さて、と」
今日、伯爵夫妻とリーゼロッテは知り合いの子爵の屋敷へ出かけている。
夕食は自宅で取るらしいので、それまでに帰宅して夕食の準備をすればいい。
フィリアは屋敷へ続く道とは正反対に向かって歩き出した。
王都の大通り、その正反対に位置する裏三通り。
そこに、目当ての酒場があった。
名前は、ミーツディ酒場。
ミーツディとは、秘密の、という意味らしい。
古代語なので意味を知る者はごく一部だが、その一部の者の間で、この酒場はとても有名だった。
王宮に出仕している者の宿舎から近いこともあり、昼時と夜中はかなり賑わうミーツディ酒場のドアを開き、フィリアは真っ直ぐカウンター席へ向かう。
広々とした店内は昼前だからかまだ空いていたが、それでもぽつぽつと客がいた。
友人同士のように慣れ合う同性カップルであったり、誰か口説こうとせわしなく辺りを見回しているやたら露出度の高い男だったり。
彼らは常連で、この酒場に入り浸っている。
いつ働いているのか、フィリアは時々心配になるけれど、店主のリマいわく、「放っておくといい」というので、あまり関わらないようにしていた。
カウンター席についたフィリアの前に、ジョッキが置かれた。
「はい、いつもの」
そう言ってにっかり微笑みを見せたのは、このミーツディ酒場の店主リマだ。
リマは男装の麗人で、演劇俳優のように見目が麗しい。
年齢は不詳だが、おそらく三十歳前後だろう。
リマはいわゆる女性が好きな同性愛主義者で、彼女が運営しているこの酒場は、いつの間にか同性愛者御用達の酒場になっていたという。
かつてはそうでもなかったが、リマの存在が噂を呼び、仲間を求める性的少数派の者はこぞってこの酒場に押し掛けた。
ここは、そんな彼らの癒しの場となっている。
なかには、事情を知らずにミーツディ酒場を利用する客もいるけれど。
「ありがと。はい、お金」
「最後でいいよ」
「駄目、一杯ずつ払わないと最後に莫大なお金になるから」
フィリアがそう言って金を支払うと、リマは苦笑して受け取った。
おつり、と差し出してきた金額がいつもより多くて、誤差分を手のひらに乗せて差し出した。
「間違えてるわ。私が頼んだのはリンゴ酒よ」
「ああ、今日は特別割引。ミルの姉が結婚したんだろ? そう言ってたじゃないか。最近顔を見せなかったのも、忙しかったからだってわかってる。それは、僕からミルへのご褒美だよ」
リマはそう言って微笑んだ。
優し気な笑みは美しいが、色香漂うリーセロッテとは異なり、凛々しく毅然とした笑みだ。
フィリアはお言葉に甘えることにして、ありがとう、と呟いた。
「ところで、ミル。そろそろ僕と真剣に交際しないかい?」
リマは優しくて頼りがいがあり、そして顔も頭もいい。
けれど、女性だ。
はっきり言ってフィリアは女が好きなわけではない。
だからといって性別で好き嫌いを決めるわけでもない。
リマのことは好きだが、そういう対象ではなかった。
フィリアが胸を焦がし身体を濡れさせるのは、リーゼロッテ一人なのだから。
返事をしないフィリアに、リマはいつものように苦笑した。
「わかったよ、僕は待つから。ミルが、その叶わぬ恋を諦めるまで」
思わず、飲もうとしていたリンゴ酒を噴き出してしまう。
「べ、別に叶わぬ恋をしてるわけじゃ」
「僕にはずっとそう見えていたけど? しかも、相手は女性だ」
「ぐっ、ど、どうして」
「だって、この酒場に定期的に来てくれるからね。僕が目当てじゃないのに、僕とこうしてよく話してくれる。それは、ここの禁断的な雰囲気に浸り、自分を落ち着かせるためだと思うんだよ」
言われて初めて、そうだったのか、と気づいた。
確かにこのミーツディ酒場の雰囲気は落ち着くし、使用人ミルとして来ているとはいえ、自分の居場所を求めてもいいという安心感があった。
(私は、自分を落ち着かせたいのか。だから、ここにきてる……そうかもしれない)
リーゼロッテに対する感情の高ぶりや絶望を、ここへきて浄化させているのだ。
そしてこのひと時の安らぎを糧に、また新しい自分になり、頑張ろうという気になる。
ここへ来ている者の目的は様々だが、フィリアのように、決して叶わぬ恋に心を痛めている者もいるのかもしれない。
リマはどんな話でも親身になって聞いてくれるし、フィリアがこの酒場に通い始めたきっかけも、リマとの出会いだった。
リマとの出会いはささやかなもので、冬場に凍結した地面で滑り、転びかけたことがあった。
そのとき、手を差し伸べて助けてくれたのがリマだ。
リマは困った人を放っておけないたちだから、そうやって多くの女性を助けては、店の常連客につなげている。
確信犯なのか、天然なのか。
その辺りはフィリアにもわからなかった。
「お前は」
ふいに聞き覚えのある声がして振り返ったフィリアは、その瞬間凍りついた。
ソードがいた。
いつも出勤する際に着ている白いシャツのうえに深緑色の薄い羽織を羽織った姿で、フィリアを見て驚いた顔をしている。
「あ、っと。リマ、私そろそろ帰るね」
そう言ってカウンター席から降りようとしたが、ソードに腕を掴まれて動けなくなってしまった。
これまで関わらずにこれたのに、まさかこんな場所でばったり会うなんて。
しかも、せっかく避けてくれていたのに、なぜ今に限って話しかけてくるのだ。
挙句に腕まで掴まれて、元の位置に座り直させられる。
さりげなくリマに助けを求めたが、昼時になりつつある店内は人が増え始め、リマはバイトの娘たちに指示をし、自らもカウンターで別の客へ接客していた。
フィリアはちらりとソードを見た。
ソードは無表情に戻っており、フィリアの隣に座っている。
ややのち、ソードの前に飲み物が置かれ、ソードは黙ってそれを飲み始めた。
「……あの、えっと」
沈黙が厳しくて、つい口をひらく。
こういうとき、何か言わなければと思ってしまうのは性分である。
「この前の件、誰にも言わないでくださってありがとうございます」
「言うなと言ったのはお前だ」
「あ、え、まぁ、そうなんですが」
あのときはとっさに「言わないで」と叫んでいた。
けれど、あれば誰にも言うなという意味ではなく、その言葉の先を言わないでという意味だったのだけれど。
「ここへはよく来るのか」
「はい? あ、えっと、たまに、ですけど」
「そうか」
また沈黙がくる。
まったくもって盛り上がらない、酒場なのに。
よくよく考えると、同性愛者が集まる酒場で姉の夫と二人きりで話をするというのもおかしな話だ。
(あ。そういえばこの人って男色家だっけ)
自分のことばかりで忘れかけていたが、確かリーゼロッテにそう告げているのを聞いた。
ではここで恋人と待ち合わせでもしているのかもしれない。
だとしたら、それまで時間を稼げばこの沈黙の時間から解放される。
「……俺もたまにくるが、お前と会うのは初めてだな」
一瞬なんのことだと思ったが、さっきの話の続きだと気づいて、とっさに頷く。
「私はいつも隅にいるので。それに、リーゼロッテ様の結婚が決まってからは慌ただしくてここにはこれていませんでしたし」
「相手を漁りに来てるのか?」
「……はい?」
「叶わぬ恋を秘めて、身体を慰める相手を探しにきてるんじゃないのか。ここにはそういう者も来ると聞いた」
「ち、ちがっ……あなたはそうなんですか?」
咄嗟に否定してから、思わず問い返す。
問い返してから、この質問はまずかったんじゃないかと後悔した。
年下の少女に、「男を漁りに来てるの?」と聞かれて、気まずくならないはずがない。
事実、ソードは沈黙した。
そしてその沈黙は長く、フィリアはただちびちびとリンゴ酒を飲んだ。
いい加減、リンゴ酒が無くなってきたころ。
「気持ち悪いか」
唐突にソードが言った。
「はい?」
「男が好きな男は、気持ち悪いか」
「いえ、全然」
即答した。
本心から出た言葉だ。
そんな差別的な考えはないし、同性愛が禁忌だとしたらフィリアなどとうの昔に地獄に落ちているだろう。
何しろ、同性のうえに近親なのだから。
(え、それを知って聞いてるってことは……馬鹿にされてる?)
そんな考えが過ったのは、一瞬だった。
「……なら、男も女も嫌いな男は、どう思う?」
ソードが伺うようにフィリアを見つめる。
すぐ隣に座る大柄な男の瞳は、髪の色同様に黒い。その瞳はやはりガラス玉のようで、精巧な人形の眼球のようでもあった。
フィリアはやや考えたのち、軽く笑った。
「何がおかしい」
不機嫌な声音に、とっさに右手をあげる。
「あ、いえ。おかしいわけじゃなくて。なんか、どっちにも興味がないと恋愛とか無縁で色々楽そうですよね」
そう告げたフィリアの瞳に飛び込んできたのは、表情を強張らせるソードだった。
明らかに、いつもの露骨な無表情ではない。
不意打ちを食らったといわんばかりの表情に、もしかして言ってはいけないことを言ってしまったのかもしれないと焦る。
「あ、あの、えっと」
「……楽、か」
「なんとなく、楽かなぁって。でも苦労なんて人それぞれですよね。すみません、失礼なこと言っちゃいました。本当に私ってデリカシーなくて」
あはは、と乾いた声で誤魔化すように笑う。
ソードは、ふいに口の端をあげて、笑みを浮かべた。
今度はフィリアが表情を強張らせる番だった。
ソードが笑うなんて。
勿論彼も人だから笑うことはあるだろうが、少なくともフィリアの前では決して笑うことはないだろうと思い込んでいた。
「楽、とは考えたことがなかった。そうか、そういう考え方もあるのか」
ソードは誰にともなく呟き、笑みを深める。
もしかして、酔ってきたのだろうか。
ふいに、こんな昼間っから酒場にいるソードの身の上が心配になってきた。
もしかして、身分のことで職場でいじめなんかにあってないだろうか。
余計なお世話と知りつつも、結果的に我が家の財源になってくれてもいるし、そこはやはり不安になる。
「あのお仕事はどうなさったんですか? というか、昼間からお酒なんて飲んでいいんですか?」
「これは甘露茶だ。それに今は休憩中だから問題ない」
フィリアの不安は杞憂だったようだ。
そういえばすぐそこが王宮だったことを今更ながら思い出す。
ソードも貴族ゆえ、ミーツディ酒場がある通りの、王城を挟んだ反対側に並ぶ貴族御用達の飲食店を使っていると思っていた。
というよりも、近衛騎士である彼がこんな庶民的な場所にもくることが意外だった。
元々平民って言ってたっけ、と考えていたところに。
「随分と楽しそうだねぇ」
その声音を発した本人が一番楽しそうな印象を受ける、そんな男の声が割って入ってきた。
振り向いたフィリアのすぐ近くに、整った甘い顔があり、垂れた目じりの下のほくろが、視界のすぐそこにある。
さらりと長い艶やかな白銀の髪が、彼の背中で一つに結ばれているのがかろうじて視界に入った。
驚いて身体を引くと椅子から落ちかけて、両手をばたつかせる。
突然現れた泣きぼくろの男が、とっさに背中に手を回して助けてくれた。
「あはは、ごめーん。驚かせた? いやぁ、あんまりきみが可愛くて、つい近くで見ちゃった」
「いや、あの。……私、可愛くないんですが」
「あれ、突っ込みどころそこ? 見目麗しい素敵なお方、あなたは天使ですか? とかじゃなくて?」
男はそう告げながら、フィリアの腰に回した手に力を込めた。
もう座り直しているのだからいい加減手を退けてもいいのに、やたら身体を密着させてくる。
「やめろ、テオスバード。……彼女が嫌がっているだろう」
「えっ、うそ。嫌なの? 私のこと嫌い? 気持ち悪い? ねぇ、えっと……ナニちゃんだっけ?」
「あ、と。フィ……じゃなくて、ミル、です」
「ミルちゃんかぁ。今夜空いてる? 私はきみとの運命のために、いつでも空けてあるよ」
そう言ってウインクされ、フィリアは引きつった笑みを浮かべる。
テオスバードと呼ばれた彼は、「おかしいな」と言って首を傾げた。
「貴婦人たちなら、これでイチコロなんだけど」
「あんな気持ち悪い女どもとこいつを一緒にするな。それからその腕を放せ」
ソードの低い声音に、フィリアの身体が小さく震える。
それほどに、彼の声には怒りがこもっていた。
ソードの射るような視線を受け止めたテオスバードは、にやにやとした笑みを浮かべる。
彼にとって、ソードの怒りは恐怖の対象には入っていないらしい。
「へー、ふーん、そうなんだぁ。へぇ、そっかそっかぁ」
「……貴様は誤解をしている」
「ふふふっ、してないってば。でも奥さんには黙っててあげるぅ」
「だから、それが誤解だと言ってるんだ」
「でもそうか、ついにきみもねぇ」
テオスバードは優しい手つきでそっとフィリアから手を放すと、ソードの隣に腰を下ろした。
二人は尚も何か言葉を交わしている。
ソードは軽く苛立っているようだが、とても親密そうだ。
「あ」
思わず、声が出ていた。
ソードとテオスバードが振り返る。
「え、なになに。どうしたの、ミルちゃん」
「あ、えっと。……お二人は恋人同士なんですか?」
ぶは、とソードが口につけていた甘露茶を噴き出した。
テオスバードが大きく目を見張り、次の瞬間には笑い始める。
(何かおかしなこと言った?)
というか、二人の反応から見ても、どうやら恋人ではないらしい。
だとしたら、友人だろうか。
まぁどっちでもいい。
ソードの知り合いが来たのなら、今が帰宅する機会だ。
椅子から降りようとしたフィリアに、テオスバードからソード越しに声がかかる。
「私は、彼の上司だよ」
「……上司?」
「そう。私は、第一王子つき近衛隊隊長、テオスバード・シャルロング」
「シャ、シャルロング!?」
ぎょっとして声をあげてしまい、慌てて口を押えた。
シャルロング家といえば、四大貴族の一つであり、名家中の名家だ。
王族とも遠縁にあたり、軍人や王族の傍へ出仕する者は勿論、工芸や絵画など芸術面の各分野で優秀な人材を育成しているという。
美と力の大貴族、そう呼ばれている。
予想もしなかった大物に、フィリアは見開いた目が乾燥するまで瞬きさえできなかった。
(そんな大貴族様なら、尚更貴族用の店を利用するべきじゃないの?)
こんな、といったらリマに失礼かもしれないが、平民の酒場になど一体なんのために来たのか。
この人も同性愛主義者で、男を漁るため……とかだろうか。
けれど、シャルロング家の名があれば、わざわざそんな真似しなくてもいくらでも相手はいるだろう。
「いやぁ、あはは。そんなに驚かれると照れるなぁ。テッドって呼び捨ててくれていいよ」
「いやいやいや、そんな気さくには呼べません!」
「えー。じゃあ、テッド様、でどう?」
最大限譲歩しました。
そんな笑みで問われ、フィリアは表情を強張らせる。
「いい加減にしろ。お前こそ、婚約者どのに女を口説いていることをバラすぞ」
「えっ、酷い! 酷いよ、ソード」
露骨に衝撃を受けた顔をしたテオスバードは、ソードに身体を摺り寄せた――と思いきや、ぐいぐいカウンター沿いに、フィリアのほうへ顔を近づけてきた。
ソードではなく、その先にいるフィリアに対して何か言いたいらしい。
とっさに聞き取ろうと顔を近づける。
ソードの身体にフィリアの身体が触れ、ソードの身体が微妙に跳ねた。
けれど、それを気にする余裕はない。
なぜならば、テオスバードが「もっと顔近づけて」と手招きしているのだ。
シャルロング家の子息に無礼があってはならないと、フィリアは緊張の面持ちでぐいぐいとソードに身体を密着させ、ソードを真ん中に挟んでテオスバートと顔を近づけた。
「なんですか、秘密の話ですか」
ひそめた声で問うと、テオスバードは神妙な顔で頷いた。
「そうなんだ。実は、私には婚約者がいる。親が決めた相手だから好きかどうかは別にして、私たち貴族は政略結婚がほとんどなんだ。だから、ソードにも結婚を進めた。いい感じに没落してて、資金面で援助すると言えば飛びついてくれるような寂れた貴族で、尚且つ伯爵位以上の地位がある名家を探したんだ。そして、ファルマール家を見つけた。ちょうど年頃の娘がいたし、なによりファルマール家は神家の一つだ。没落してても、その名は大きい」
神家、というのは、かつてこの王国を作り上げた太陽王の側近であった者たちが残した本家をそう呼んでいる。
今では名ばかりの神家が多く、現在権力が集中している四大貴族のなかにも神家はたった一つしかない。
それはフィリアも知っていたけれど、所詮没落している現状しか知らないため、神家と言われても別段なんとも思わない。
「ファルマール家は没落してるけど、王都で暮らせている。それは、ファルマール家が神家だからだよ」
テオスバードはフィリアの表情を見て、どれだけ神家がすごいかの説明を付け足し、そして話を続ける。
「ソードは剣の腕がいい。そして忠誠心も厚く、部隊を指揮する能力にも長けている。無駄に貴族に染まっていないから、王宮内の派閥争いにも無縁だ。つまり、どこまでも殿下のために忠実であれる。それは貴重な存在なんだ。だから、その地位を確固たるものにすべく、私はソードに結婚をすすめた」
「ファルマール伯爵家の名を得るためですね」
「そう。そしてソードは見事結婚して、念願の身分を手に入れ、ひいては確固たる地位を手に入れた。けれど、そんな彼にも誰にも言えない秘密があるんだ」
ふいに、テオスバードは眉をひそめ、悲観な表情を作る。
「実はソードは男色家じゃない」
「え?」
「お、おい。テオスバードっ、お前っ」
「この男はね、女を抱けないんだ。だから男色家だって嘘をついてる」
「あ、あの、話が見えないんですが」
「えっとね。男としてアソコが反応しないことは、ちょっと恥ずかしいことでもあるんだよ。だからせめて男に関心があるように振る舞ってるのさ。面倒くさい女どもも寄ってこないし一石二鳥だぜぐへへ、とでも思っているんだろう、こいつは」
「テオスバード! き、貴様っ」
つまり、女どころか男にも関心がない。
生理的に身体が反応しない、そういうことだろうか。
フィリアにはその辺の恥ずかしさの度合いがよくわからないが、反応しないことよりも男色家と思われるほうが恥ずかしいんじゃないか、と思わなくもない。
この国では未だ、同性愛が差別的な扱いをされることも多いのだ。
もし自分だったらどうだろう。
と考え始めたが、フィリア自身男ではないのでわからないという結論に達した。
(まぁ、いいか)
どうせ自分には無関係だ。
リーゼロッテさえ幸せであれば、フィリアにとってソードのことなどどうでもいい。
身体が反応しない件については、世継ぎを考えると困ることではあるけれど。
そろそろ帰ろう。
残しておいたリンゴ酒の最後の一口を飲むため、ジョッキを傾けた。
「おいっ、今の話は聞かなかったことにしろ!」
そう言って振り向いたソードを見て、フィリアは持っていたリンゴ酒のジョッキを落としそうになった。
(わ、真っ赤!)
あの無表情でガラス玉の瞳を常備していた顔面が、照れているらしく、赤く染まっている。
耳まで赤い。
「あはははははははっ、いやぁ、面白いなぁ」
「テオスバード!!」
なぜか爆笑する近衛騎士団隊長と、それを怒りのこもった目で睨む副隊長。
そんな二人を他人事のように眺めつつ、フィリアは思った。
ソード様も色々大変なのね、と。
リーゼロッテのことばかりで、ソードの事情など気にしたことがなかった。
実際爵位が目当てなのは確かだし、リーゼロッテを悲しませた罪は重い。
けれど。
彼もまた、一人の感情ある人間なのだ。
そんな当然のことに、今更ながら気づいた気がした。
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