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第二話 使用人令嬢

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 一見、姉夫婦の関係は良好に見えた。

 リーゼロッテはあの夜に見せた悲痛な表情をちらりとも覗かせなかったし、ソードも相変わらず無表情だ。
 両親は二人が仲睦まじいと信じて疑わず、早く孫を抱きたいとさえ言っていた。

 朝食の給仕を終え、フィリアはリーゼロッテの外出の支度を手伝った。

 これから芝居を見に行くという。
 ソードの仕事が休みの日に合わせて取ったチケットだったが、肝心のソードが「昨日の仕事が疲れた」ことを理由に急遽デートをキャンセルしたのだ。
 結局リーゼロッテは一人で芝居を見に行くことにしたらしく、用意が終わるとさっさと馬車に乗って出かけてしまった。

 フィリアはリーゼロッテの姿を見えなくなるまで見送り、自分がもし妹として認められた存在ならば、自分が代わりに芝居に付き合うこともできたのにと悔しく思う。

 屋敷のなかへ戻ったフィリアは、ふと、玄関正面の階段を下りてくるソードに気づいて、そっと端へ避けた。

「部屋に、何か食べ物を持ってきてくれ」

 すれ違う際、ソードにそう告げられて「かしこまりました」と返事を返す。
 ついさっき朝食を食べたばかりなのに、自分の手料理では不服だったか。
 そうならそう言えばいい、と腹立たしく思ったが、ふと、フィリアに背を向けて歩いて行くソードの体格を見て、気づく。

 これまで通り準備していたが、ソードは成人男性だ。
 少なかったのかもしれない。
 資金の関係で極力食事の量も減らしていたが、ソードが援助してくれるようになって、食事の質もあがった。
 彼の給金で食べさせて貰っているのが現状なのだ。

 フィリアは納得がいかない気持ちを抱えながらも、姉の夫の命令――しかもあの男の収入が家計を支えていると思うと、命令を無視するわけにもいかない――に、従う。

 厨房へ向かい、ローストビーフとゆで卵、レタスやトマトを使ったサンドイッチを作り、ソードの部屋へと向かった。

 ソードの部屋のドアをノックする。
 すぐに返事が返り、フィリアは入室の断りを入れつつドアを開いた。

 元々空き部屋だったこの部屋は、定期的に掃除をしていたので内装は知っていた。
 部屋にはベッドと小棹、椅子が追加で置かれただけで、見た目はほとんど変わっていない。

 まだ越してきて数日なのだから生活感がないのは当然かもしれないが、まるで「ここは我が家ではない」と言われているような気がして、嫌なら出て行けと怒鳴りたくなる。

 サンドイッチと紅茶を小棹に置いた。

「俺が嫌いか」

 唐突に問われ、はっと顔をあげる。

「は、あ、あの?」
「お前は常に俺に殺気を向けている」

 そう言われたフィリアは驚き――そして、忘れようと努力していた苛立ちが、再び腹のそこでとぐろを巻くのを感じた。
 殺気を向けているつもりはなかったが、相手は近衛隊副隊長になるほどの手練れだ。
 フィリアの態度に気づいてもおかしくはない。

 フィリアは生唾を飲み込み、僅かな決意の末、口をひらく。

「あ、あの夜の話、聞いてしまいました。偶然」
「あの夜?」
「結婚式の」
「……ああ」

 ソードは納得がいったように、椅子に座ったまま長い脚を組んだ。
 彼は別に焦ることもなく、淡々と「そうか」と告げた。
 その態度が、フィリアのなかに新たな苛立ちを生む。

 リーゼロッテにあんな顔をさせておいて。

 今日だって、ソードが自分を愛さないと知っていて尚リーゼロッテがデートを楽しみにしていたことを、フィリアは知っているのに。

「……あんたはおかしい」

 低く呟いたフィリアの声音に、ソードが初めて顔をあげる。

「リーゼロッテ様を愛さないなんて、おかしい。あの方を愛さないあなたはどうかしている」

 ソードは露骨にため息をつき、椅子に深く凭れた。

「お前がそこまであの女を愛でる理由がわからない。気位が高いだけの貴族令嬢だろう。そもそも、なぜこんなみすぼらしい家に仕えている」

 侮蔑のこもった言葉に、フィリアは身体を強張らせた。

 これまで、数えきれないほど叱責を受け、馬鹿にされてきた。
 けれどそれはすべて、フィリアが悪いからで、フィリア自身に向けられたものだった。

 けれど、ソードの言葉は、フィリア自身と、そしてファルマール家に向けられている。
 この男は、ファルマール家を見下しているのだ。
 本当に伯爵位という身分が欲しかっただけ。
 それどころか、没落貴族を救ってやったと、この家の救世主にでもなったつもりなのかもしれない。

「お前の料理はうまいし、見ている限り、伯爵や夫人に対しての気配りも完璧だ。この広い屋敷の家事全般を一人でこなすだけの実力があるのなら、ほかにいくらでも雇ってくれるところは――」

「馬鹿にしないで!」

 ソードは言葉を遮られ、こぼれんばかりに目を見張った。
 初めて彼が見せた感情らしい感情だったが、そんなことはどうでもいい。

 フィリアにも、誇りがある。
 誰に自分を馬鹿にされてもいい。
 けれど、ファルマール家だけは――特に、リーゼロッテだけは、馬鹿にするなんて許さない。

「私は、リーゼロッテ様の……お姉さまの傍にいたいから、この家にいるの。私は使用人じゃない、給金だって貰ってないもの。使用人の仕事は、私が好きでしていること。ただの趣味なの」
「給金を貰っていないだと?」
「当たり前でしょう。家族なんだから!」

 ソードは思案顔になり、つと、その無駄に整った眉をひそめた。

「……この家には、娘が二人いると聞いていた。姿が見えないしガセだと思ったが、お前がファルマール家の次女なのか」

 あ、と短く呟いた。
 そして自分が言ってしまったことに青くなる。

 なんと大それたことを言ってしまったのだろうか。
 自分は今、この家で家族と認められていない。
 使用人としてぎりぎり家に置いてもらっているだけなのだ。
 リーゼロッテだって、フィリアを妹ではなく使用人として接している。

 なのに、フィリアは彼女を姉と呼んでしまった。
 家族と呼んでしまった

(なんて身の程知らずなのっ、私!)

 自分の言葉に怖くなって、身体が震えた。
 隠していた欲望や願望が顔を覗かせた気がした。
 認めたくないものを認めなければならない気がして、自分に言い訳をする。

 この男がリーゼロッテを悲しませたから、だから自分は怒っているのだ。
 こいつを懲らしめてやりたい。それだけ。それだけだ。
 自分は決して、望みなど持っていない。
 皆に、家族として認められたいなんて、思っていない。

「おい、顔色が悪いぞ」

 いつの間にかソードが傍にいて、フィリアの腕を掴んだ。
 その手を振り払い、フィリアはソードの部屋を出る。
 恥ずかしかった。

 リーゼロッテを姉と呼んでしまった甘えた自分が、そして実の姉を姉と呼んではいけない自分の立場が。

 自室に駆け込んだフィリアは、ベッドに突っ伏した。
 必死に歯を噛みしめて、嗚咽を堪える。
 涙が少し流れたけれど、これくらいなら目は腫れないはずだ。
 大丈夫。
 少しだけ休んだら、また使用人に戻れる。
 今は自分の立場や願望などで悩んでいる場合ではないのだ。
 辛いだろうリーゼロッテの心をどう慰めるか、それを最優先に考えなくては。

「……夕食は、リーゼロッテ様のお好きなものにしよう」

 少しでも、喜んでもらえるように。
 彼女の心が、元気になるように。



 ◇◇◇



 リーゼロッテの笑顔は、いつ見ても艶やかで色気がある。
 流し目で見られたら、フィリアは立っていられなくなるかもしれない。

 そんな愛しくてたまらないリーゼロッテは夕食の席で、今日見た芝居について楽しそうに話している。
 両親も、さも自分たちが見てきたかのように楽しそうに相槌をうち、たまに質問し、感嘆し、次は自分たちも行こうと盛り上がっている。
 そんな賑やかな家族の時間、ソードはやはり無表情で淡々と夕食をとっていた。
 今朝のこともあり、夕食の量をソードだけ多めにしたので、軽食はもう必要ないだろう。

 ファルマール伯爵の杯へワインを注ぎ、給仕に徹していたフィリアは、ふいに視線を感じて視線を向ける。
 ソードと目が合った。
 咄嗟に視線を反らす。

――なぜ、この家の娘が給仕などしている

 その視線が語っていた。
 もしこの場で、昼間フィリアが言ってしまったことを、バラされたら、と、ひやひやしながらも給仕の仕事をこなす間も、ソードは時折フィリアに視線を寄越してくる。
 あえて気づかないふりをして、フィリアは無事に夕食の給仕をやり遂げた。

 食器も片づけ、明日の食事に必要な仕込みも終えると、やっと、フィリア個人の時間が取れる。
 明日の朝も早いので、なるべく早く休みたいフィリアは毎夜夕食を厨房でとっていた。
 さすがに食堂を使うのはおそれ多すぎて出来ないが、自分の部屋に持ち込んで食べるのも面倒くさい。

 ふあ、と大きくあくびをしながら、夕食の残り物を皿によそう。
 ビーフシチューに痛んだ野菜で作ったサラダ、そしてパン屋の主人がオマケでつけてくれた売れ残りの固いパン。あと水。
 それらをトレーに乗せ、厨房の机に置き、食べ始める。

 辺りは静まり返っていた。
 伯爵夫婦もリーゼロッテも眠っているのだろう。
 もう少し他の貴族たちとの関係を深めれば、城で開かれるパーティに出かけることもあるかもしれない。

 そうなれば、馬車の手配や衣類の準備、付き添いなど、フィリア一人では働ききれないので、誰か使用人を雇わなければならない――そんなことを考えていると。

 ふいに、開きっぱなしだったドアの隙間から、人影が覗き込んできた。
 驚いて顔をあげたフィリアが見たのは、無表情でこちらを見ているソードだった。
 長身のせいか、やたら高圧的だ。
 そして気配も足音もなく現れたものだから、心臓に悪い。

 咽る直前で何とか口に入っていたシチューを飲み込み、水で喉を潤した。

「何かご用ですか。……夕食、足りませんでしたか」

 あくまで使用人として振る舞うフィリアに、ソードは眉をひそめて問う。

「お前は、妾の子なのか」

(ああ、昼間の話が続いてるの……忘れてくれればいいのに)

 けれど、これは口止めをするいい機会かもしれない。
 昼間の失言を、そして自分がファルマール家の次女であるという話題を、決してこの屋敷で口にしないでほしいと。
 フィリアは気を取り直して、口をひらく。

「いいえ、私は間違いなく伯爵夫人の娘です」
「だったら、なぜこうも立場が違う。リーゼロッテとお前は姉妹なんだろう」

 正面から、その理由を尋ねられたのは初めてだった。
 そもそも、近所の人たちもフィリアのことをほとんど知らない。
 古参の住人はフィリアが生まれたことを知っているので、使用人として買い出しに行く際、フィリアは「ミル」という偽名を使っていた。

 近隣の誰もがフィリアが「ミル」と呼ぶ。
 その「ミル」こそがファルマール家の次女だと知っている者は、ほぼいないのだ。

 あまり自分の口からは言いたくないけれど、説明しないと口止めもできない。
 胸中の葛藤の末、フィリアは話した。

「私、すごくがさつなんです」
「……そうは見えないが」

「それに、社交も苦手で、なんていうか、デリカシーがないみたいで。伯爵夫婦が求めている『娘』になれませんでした。いらない娘より、美しい娘にお金をかけたいでしょう? だから、伯爵夫人はリーゼロッテ様を大切になさってるんです」

「お前に使うはずだった養育費や生活費を、つぎ込んでまでか」
「……うちは、貧乏ですから」

 まだこの家に置いてもらえるだけ有り難い。
 世間には、妾の子という理由で正妻に殺された子どももいるという話を聞いた。

 フィリアは、生かせて貰っている。
 衣食住を与えられている。
 それだけで十分なのだ。

「あの、昼間は失礼しました」
「……いや」
「失礼をしちゃったうえで申し訳ないんですけど、昼間のこと、リーゼロッテ様や伯爵夫妻には秘密にしてもらえませんか」

 そう言って、フィリアは深く頭を下げた。

「失言でした。私のようなものが、旦那様たちのことを家族のように言ってしまったことを悔やんでいます。おこがましいことを言いました、身の程を弁えますので、どうか」

 さらに頭を下げる。
 がちゃんと、食器に頭がぶつかり、やっと自分が座ったままだということに思い至る。
 反対にソードは立ったままだ。

 慌てて立ち上がろうとしたフィリアの向かい側へ、ソードが腰を下ろした。

「……あの?」
「ここへ座ってはいけないのか」
「あ、いえ。どうぞ」
「俺に構わず食べろ。お前の話はわかった、口外はしない」

 ソードの言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。
 そして夕食を再開したところで、ソードがじっとこちらを見ていることに気づく。
 机の幅は一メートルほどなのでそれなりに離れているが、ソードの体躯が大きいせいか、どうも近くに感じる。
 それに、視線が痛い。

 けれど、空腹には耐えきれない。
 早くこの空間から逃げたいということもあり、なるべく手早く夕食を食べることにした。

「……うまいのか、それは」

 長い沈黙の末、フィリアがパンにかじりついたとき、ソードが言った。
 パンはちぎって食べるものであって、かじりつくものではない。
 
 行儀の悪さが早速露見したが、構わなかった。
 フィリアはパンを噛みちぎって食べ、「美味しいですよ」と言う。

「一口くれ」
「え。でも、貴族様が食べるものじゃないですよ」
「構わない。俺はもともと平民だ。男爵位は賜ったが、貴族より平民の暮らしのほうが馴染んでいる」

 確か、ソードは実力だけで第一王子つきの近衛隊副隊長になったのだったか。
 近衛になるにはある一定以上の身分と騎士学校卒業の義務があるが、第一王子に気に入られたソードはそれらを一切無視し、特例として近衛騎士団へと配属された。
 だがさすがに平民では王族の傍に置けないため、男爵位を与えられたという。

 それが、フィリアの知るソードの情報だ。
 リーゼロッテと結婚すると聞いて情報を集めてみたが、それ以上のことはフィリア如きが調べることは不可能だった。

「どうした、一口でいい」
「あ、はい」

 自分がかじった反対側をちぎって渡す。ソードはそれを疑いもせずに食べた。
 フィリアがソードをあまり快く思っていないことは知っているだろうに、毒見くらいしたほうがいいのではないだろうか。
 そんなことを考えていると、ソードのでっぱった喉ぼとけが動き、パンを嚥下した。

「この固くてパサパサした食感が懐かしい」
「……はぁ、そうですか」
「だが毎日食べたいとは思わないな」

 それを毎日食べているフィリアに対して、喧嘩を売っているのだろうか。
 いくらかつて平民だったからと言っても、やはり今は貴族なのだ。貴族なんて、と考えて、フィリアは自分が平民の心に染まっていることを自覚した。

 フィリアはもう使用人であり、平民であり、それは心身に刷り込まれてしまっている。
 伯爵夫妻やリーゼロッテにとって、フィリアのような貴族らしくない者が家族だとしたら、苦行でしかないだろう。

「……用がないのでしたら、お部屋にお戻りください。少しでもリーゼロッテ様のお傍にいてさしあげてください」

 フィリアはそう告げると食器を流し台に置き、そのまま厨房を出た。
 食器は早朝に洗えばいい。
 ただ、あの場にいたくなかった。

 使用人でもよかった。
 これまで、幸せだった。

 なのにソードが来てから、リーゼロッテと結婚してから、おかしくなってしまった。
 フィリアは心穏やかにいられない。

 どうしてあの日々が終わってしまったのだろう。
 黙って使用人に徹してた日々は、本当に幸せだった。

 ただ密かにリーゼロッテを想う日々が、また戻ってくればいいのに。

 リーゼロッテが、誰のモノにもならない日々が、戻ってくればいいのに。



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