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第五章 幸せマリアージュ
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額に汗を浮かべた彼が、かつてないほど悲観にくれた表情でメリアを見ていた。全力で駆け付けてくれたのだろう、肩で息をしている。
「メリア、遅くなった」
「どうしてこちらに……?」
「ハマルから――」
ゲオルグは駆け寄ってきた深緑の軍服たちに気づくと、バルバロッサを示して「あれをなんとかして、生かしたまま元子爵を捕らえてくれ」と命じた。部下らしき騎士たちは青くなりながらも、バルバロッサのほうへ走って行った。
「ここでは話もできんな。……メリア、少し時間をくれないか。話がしたい」
「は、はい」
ゲオルグがついてこいと示す。メリアは不安そうな表情のモナに「大丈夫」と頷いてみせたあと、ゲオルグに従った。
墓所から出て、花屋の前を通り過ぎた場所で、ゲオルグがメリアに手を差し出した。
握手をするような差し出し方に首を傾げる。これまでありがとう、ということだろうか。だとしたら、よくない話に違いない。
メリアの不安な表情を見たゲオルグが、露骨に咳払いをした。
「手だ。迷子になってはいかんだろう」
ゲオルグの耳が赤い。
恐る恐る手を伸ばすと、ぎゅっと手を掴まれた。あっという間に、お互いの指を絡ませた手を繋ぐかたちになり、メリアはぽっと頬を染める。
ゲオルグは僅かもしないうちに足を止めた。
墓所は王都の区画ごとに定められた場所にあるが、どの墓所も都の端にある。メリアの両親が眠る墓所も例外ではなく、メリアたちが足を止めたここから向こうは、森林となっていた。
森林前にある馬車の停車場に、何台か馬車が止まっていた。
騎士団のものもあるようだ。
「旦那様、あの、助けてくださってありがとうございます」
「ハマルから聞いた。……色々と」
息をつめる。
繋いだ手に力が入った。咄嗟に放そうとしたが、ゲオルグはより強く手を繋ぎ、手を離すことを許さなかった。
「まず、レイブランド元子爵の件だ」
「え?」
首を傾げるメリアに、ゲオルグは苦笑する。
「きみが屋敷を出たとき、あとを追ってくる馬車があったそうだ。元々屋敷周辺でレイブランド元子爵の姿が目撃されていたゆえ、気を引き締めるように命じてあったのだが」
(そういえば、ハマルは馬車を降りたあと、用事を思い出したって……あれは、旦那様へレイブランド子爵のことを連絡してくださったのね)
ゲオルグは言いにくそうにしながら、ちらちらと視線をメリアに向けたあと、静かに息を吐いた。
「レイブランド元子爵から動機を言質として引き出すために、ハマルにはあの場を離れてもらい、レイブランド元子爵を少し泳がせたのだ。きみを危険にさらすのは気が引けたのだが、現場を押さえないことには捕えることができん。……すまない」
「助けてくださったではありませんか。私は平気です。でも、あのときには既に、墓所にいらしてたんですか?」
「そうだ。ハマルからは、屋敷を出たときに連絡を受けていたからな」
「……じゃあ馬車を帰らせたのは、他の用事があったのね」
呟いたメリアに、ゲオルグが凍り付いたように動きを止めた。
気づかないメリアではないけれど、こういう場合、見て見ぬふりをしたほうがよいのだろうか。
「それも、ハマルから私への伝言だ。メリア、きみがとても辛い思いをしてると……私が原因で辛い思いをしていると、そう、聞いた」
今度はメリアが身体を強張らせる番だった。馬車のなかで、ハマルと話したことを思い出す。
(これは、ハマルが作ってくれた機会なんだわ)
今ならば、聞くことができる。
メリアは決意を決めて、ゲオルグを見つめた。ゲオルグの瞳が揺れて、繋いだ手が強張っていることを察する。緊張しているのだろう。
「私、旦那様は私じゃなくて、母を愛しているのだと……思っていました」
途端に、ゲオルグが目を瞬く。
メリアの言葉を理解しかねているといった様子だ。
「披露宴のとき、旦那様には騎士団の同期に想い人がいるって聞いたんです。でも、挙式前に愛してるって言ってくださって嬉しくて……信じたいと思ったんですけど」
「けど、なんだ。私が嘘をついていると?」
強い口調で言われて、メリアは苦笑してしまう。ゲオルグから、まるで対等な相手のように扱われることが、殊の外嬉しかった。
「騎士団長様が屋敷にこられたとき……ごめんなさい、話を聞いてしまったんです。母と旦那様は騎士団の同期で、旦那様は母を愛していたって。母が父と結婚してからも会っていたって」
「会う機会はあったが、仕事で必要だったからだ。当時も上司だったバルバロッサの命令で動いたに過ぎない。それに、きみと出会ったのもそのときだ」
「はい。庭で、ハクモクレンの花を渡してくださって、嬉しかったのを覚えています。それでも、もしかしたら……私は、母の代わりなんじゃないか、って」
「似ていないだろう!」
「よく髪を撫でてくださるじゃないですか」
「それがなんだというんだ!」
ゲオルグが、繋いだままの手を強く引く。引かれるままゲオルグの胸にぶつかると、両手で抱きしめられた。
「愛しているきみに触れたいと思って何が悪い。なぜ、それがミーティアに繋がる!?」
「私は父親似ですけど、髪だけは母譲りなんです。母も、赤茶色の髪色だったでしょう?」
「は?」
ゲオルグが何度か目を瞬いて、メリアの髪を見たあと、眉をひそめた。
「ミーティアは……橙、いや、赤ではなかったか?」
「いいえ、そのまま色を受け継いだので、まったく同じ色ですよ」
「……そうか」
(あれ?)
ゲオルグの深い眉間の皴を見て、メリアは胸中で首を傾げる。
ミーティアの髪の色など忘れてしまった、とメリアに思わせたいのかと思ったが、そんな見え透いた嘘をつくとも思えないし、何より、演技には見えなかった。
「……嘘ですよね? 母の髪の色を覚えていないなんて」
「きみは、数年会っていない元同期の髪色を覚えているのか?」
「勿論です! 私に色々と教えてくれたラナは、薄い茶髪だったんですよ」
「どれほどの濃淡だ?」
「……え?」
ゲオルグに近くの大木を示される。
この木の全体のどの部分に近い色か言え、ということだろう。記憶のラナを探ると、なぜか赤茶色の髪のラナが脳裏に浮かぶ。一緒に夕陽を見たときだ。他に、蝋燭を消した夜中、僅かな月光で勉強していた頃の記憶のラナは、濃い茶髪をしている。
(……はっきりと、この色、って言えない)
髪色などずっと意識していたわけではないし、ここ数年ラナと会っていない。ここまで記憶と言うものは、あやふやになってしまうのか。
「……たぶん、このくらいの色……だと、思います」
「あやふやではないか」
「そ、それに! 三階の突き当りの部屋で、私、見てしまったんです」
ハッ、とゲオルグがメリアを見た。
「あの部屋に入ったのか!?」
「少しだけ開いていたので、覗いてしまって……今朝の話です」
途端に、ゲオルグの顔色が青くなる。
「メリア、誤解だ」
「……旦那様、私、旦那様が母を愛していても、私を大切にしてくださっていることに変わりはないと気づいたのです。私の気持ちは、変わりません」
「待て、その件は誤解だと言ったはずだ。私はミーティアに対して、そのような感情を抱いたことは一切ない。そもそもあの部屋を覗いて、なぜミーティアに繋がるんだ」
「それは――」
「いや、いい」
ゲオルグはきっぱりとメリアを遮ると、焦るメリアを無理やり抱き上げて、馬車へ向かって歩き出した。待機していた部下に半休を取ることを伝え、ちょうど、メリアたちが乗ってきた馬車が戻ってきたところで、折り返し屋敷へ帰宅した。
「あの、モナたちがまだです」
「乗合馬車で戻ってくるだろう」
冷やかに返されて、メリアは言葉を失った。
嫌われてしまったのか、と考えた瞬間、ゲオルグはメリアを抱き上げると、披露宴からの帰りのときのように、メリアを膝の上に座らせた。
右手でメリアの腰を、左手で肩を支えて、自らの胸にメリアを押しつけるように強く抱きしめる。決して離さない、というように。
「メリア、さっきは怒鳴ってしまってすまない」
驚いて顔をあげると、頬に口づけが降りてくる。
「自分が不甲斐なくて、情けない。きみを妻に出来て、一人で舞い上がっていたようだ」
「い、いいえ! 私も、幸せで……」
「きみを不安にさせていたと気づくべきだったのだ。見知らぬ屋敷で、さぞ心細かっただろう」
メリアは唇を噛む。
泣いてしまいそうだ。
こんなに優しい人に酷いことを言って謝らせてしまった。
屋敷につくまで、ひたすら強く抱きしめられた。屋敷につくなり、ツェーリアとエドワードの驚いた顔が出迎えた。
ゲオルグは、ついてくるな、とだけ言いつけて二階の書斎へ向かう。机の引き出しから鍵を取り出し、メリアを連れて三階へ向かう。
ゲオルグは、迷いなく錠前を外した。
そしてドアを開いてから、メリアの肩を抱く。
「どれを見て、ミーティアの件を言っているのか、教えてくれ」
勧められるままに部屋に入ると、やはり、ドア付近に樫の木でできた机があった。机の向こうは本棚の裏側になっており、部屋を見渡すことはできない。
まるで部屋の入り口だけ、隔離された小部屋のような印象を受ける。
メリアは樫の木の机に並ぶ小物たちのなかから、ミーティアが持っていた立体の蓮を模したブローチを指さした。
「これか」
「はい。母が特別な日につけていたブローチなので、よく覚えています。欲しがった私に、大切な人からもったこの世に一つしかないものだから駄目だと……言っていました」
「そうだ。これは騎士見習いだった頃、我らの隊がちょっとした武勲をたててな。……まぁ、偶然に等しい出来事だったゆえ、私としてはこのような勲章を貰うような手柄ではないと思っていた」
「……勲章、ですか?」
メリアは何度か瞬きをして、改めてブローチを見る。
メリアが知っている、貴族らや騎士がつけている勲章バッジとは違うようだ。記憶では、勲章バッジはもっとシンプルで、立体の花を模したものなど見たことがない。
「見習い時代だったからな。先代の陛下が、これからも励むようにと、公式ではなく私的に授与くださったのだ。裏に我々のイニシャルと数字が刻印されているゆえ、この世に一つしかない」
ゲオルグはバッジを手に取ると、メリアに差し出した。壊さないように受け取り、裏側を見る。
「あ」
ゲオルグの言うように、そこにはゲオルグのイニシャルと数字が刻印されていた。
メリアは、火が出るかと思うほどに顔を赤くして俯いてしまう。
「ごめんなさい。私てっきり、母のものだとばかり」
「合点がいった。私がミーティアの遺品を保管していたと思った、ということか。なるほど」
ため息をついたゲオルグを前に、メリアは益々小さくなる。
「あの、わ、私……」
「私はきみと出会ってから八年近く、ずっと、きみについて報告を受けてきたため、ずっと知っているような気でいたのだ。だが、きみにとって私は初対面にも近しい。信じ切れず、不安になるのも当然だ」
大きなゲオルグの手がメリアの頭を撫でた。
メリアは蓮のブローチを元の場所に戻すと、ゲオルグに向かい合う。
何もかも、メリアの誤解だった。自分の至らなさや心の狭さが招いたことだ。妻に必要な寛容さが、メリアには足りないのだろう。
「申し訳ございませんでし――むぐ」
「必要ない、不安にさせた私に責任があるのだ」
ゲオルグはメリアを抱き寄せると、すっぽりと腕のなかに抱え込む。
「……もっと私たちには時間が必要らしい」
「はい」
「私が愛しているのは、メリアきみだけだ。過去にも未来にも。……きみも知っているだろうが、どうも女は苦手でな。ミーティアに……彼女が結婚したあと、自分を女だと思っていないだろうと言われたこともあった」
「母が、そんなことを」
ああ、とゲオルグは頷く。
「メリア、私にはきみが特別なのだ。きみは出会った頃から『少女』だった。日に日に美しく成長するきみを見ているうちに、私はやっと、己の浅ましい気持ちに気づくことができた」
ゲオルグは低く笑う。
「私だけのものにしたいと思った。誰にも、きみの可愛く乱れた顔を見られたくないと思った。そして、きみにも私を知ってほしいと思った」
言葉の意味を察したメリアは、熱い頬を誤魔化すように顔をゲオルグの胸にすりつけた。
(ほ、ほっぺたが熱い)
つまり、出会った頃からメリアのことを「女」と認識しており、再会したときには「女」として愛したいと思ってくれたということだ。
メリアは自分のむちっとした女らしい肉体を嫌っていたが、ゲオルグが愛したいと思ってくれたのならば、この身体でよかったと思う。
「あの、部屋の奥には何があるのですか?」
「この部屋の、か? 気になるのなら見ても構わないが……私を嫌わないと、約束してくれるのならば」
「私が旦那様を嫌うことなど、ありえません」
ゲオルグはそっとメリアを胸から離すと、棚で視界が遮られている向こう側へ案内した。
メリアは、緊張に胸を高鳴らせて、ゆっくりと後について歩く。
(旦那様が誰にも見せなかったもの……これまでの手柄を立てた勲章などかしら)
ゲオルグは自分の手柄を自慢するような人ではないので、そういった類のものかもしれない、と思ったのだ。
けれど、視界を遮るものがなくなり、視界いっぱいに飛び込んできた大小様々な絵画に、メリアはその場で動きを止めた。
思考が止まった。
一面にあったのは、メリアの肖像画だったのだ。
しかも、様々なポーズで描かれており、手前には裸婦に近い絵画が並んでいる。
「七年間、集めたものだ。以前は自分で描いていたが、最近は画家に描かせることが多いな」
ゲオルグは当たり前のように言うと、一つ一つ、いつどの場で何をしているメリアかを紹介していく。メリアの記憶にない格好をしているものが出てくると、「これは、私の想像した世界でのメリアだ」と理解不能なことを言う。
軽く眩暈を覚えたメリアは、近くの飾り棚に手を置いた。
こつん、と指が何かに当たった、と思って視線を向けて、息を呑む。
「これって」
「きみが、以前の家で暮らしていたとき、きみの部屋にあったものだ。すべてここへ移動してある」
「え。え、あ、ええっ!?」
なぜ。
乙女の部屋にあったアレコレが、お高い飾り棚へ鎮座しているのが居た堪れない。まるで国宝のような扱いだ。
(あの家にあったものがここにあるってことは……お母さんたちの遺品も)
少しでも良い方向へ考えようと抱いた期待だったが、メリアの思考を呼んだゲオルグが、頷きながら言い放つ。
「ゾノーとミーティアの品も少しばかり持ってきていたが、置き場が圧迫してきたゆえに手放した」
「なぜですか!? これとか、いらないでしょう!」
咄嗟に、メリアのかつての部屋にあった『大人びたふりをして買ったけど、途中で使わなくなった口紅』を指さす。もう傷んでいて使えないので、ゴミ同然なのだ。有名ブランドでもなければ、想い出が詰まっているわけでもない。
そんな品が、結構な広さを単体で独占しているのだ。なぜならば、国宝のように飾ってあるからだ。
「それは、手放すなど考えられん」
真面目な顔で頷くゲオルグの返事に、メリアは信じられない顔をした。
改めて部屋を見ると、メリアの部屋にあった品々以外にも、何かと見覚えのある品がちらほらとある。
「ああ、それはきみが見習いではなく正式に宮廷使用人になった際、身に着けていたエプロンだと聞いている」
「……これ、一度使ったら捨てるタイプのものですよね」
「ハマルに回収させた。きみから直接受け取ったゆえ、間違いない」
メリアもこの日のことは覚えている。
正式に雇用契約が成立した初日という、重要な日だった。大きな失敗なく終えて、ほっとしたあと、確かエプロンは先輩使用人が回収してくれたはず。ゴミ袋を持っていて、その場でまとめていた記憶が微かに残っている。
「ハマルは、潜入捜査に適任だ。ゆえに、メリア担当として傍から見守り、危険が迫れば助けるよう命じてあった」
(ハマルが潜入? そういえば、エプロンを回収してた先輩、見覚えがなかったのよね)
何事もなく終えてほっとしたこと、また、先輩の名前を覚えてないなどとは決して言えないため、言われるままにエプロンを捨てさせてもらったのだが。
もしかして、あれがハマルだったのか。
思えば、メリアが誰かに手籠めにされそうになったり、セクハラを受けたりしたとき、決まって近くにいた誰かが『偶然』何かをして、結果、メリアが助かるという結果が多々あった。
「じゃあ……私を守ってくれてたのって、ハマル?」
「私が命じたのだから、私が守っていたのだ」
(そしてエプロンの回収その他諸々を集めるように命じたのも、旦那様なのですね)
メリアは、ふいにがっくりと力が抜けた。
あまりにも抜けすぎて、その場にしゃがみこんでしまう。
「メリア、どうした」
「なんだか、その……認識しきれなくて」
「まだ、私が愛しているのがきみだと信じられないか? あの勲章をこの部屋に置いておいたのは、メリアが気に入っているとゾノーから聞いていたからだ。……いずれ譲ろうかと」
「……あの、充分わかりました」
メリアは大きく頷く。
心配だったミーティアの件は、明らかにメリアの誤解だったのだから、不安はもうない。むしろ、誤解していた自分が恥ずかしいし、ゲオルグに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
とはいえ、この部屋は予想外だ。
きっとメリアを娘のように可愛がってくれていて、その愛が余って記念品を残しているのだろう。エプロンだって、記念にするといって持ち帰った同期もいたのだ。記念にする場合もあるのかもしれない。
棚に並んでいる他の品々も、何かの記念に使用したり身に着けていたりしたものばかりだ。
そう思うと、やはりメリアは愛されているのだと実感して、嬉しくなる。
もし、何度か窃盗被害にあっている下着諸々がどこかから出てきたらドン引くけれど、そういうわけではない――と、思いたい。
「旦那様、色々とご迷惑をお掛け致しました。あの、これからもどうか、私を妻として傍に置いてください」
「当然だ、誰にも渡さん」
ほっと胸を撫で下ろす。
視界に、メリアの裸婦に近い絵画が見えて、さっと目を逸らした。
「旦那様」
「なんだ」
「今朝、ここで何をされていたのですか?」
ピタ、と。
ゲオルグが静止した。
動きも、呼吸さえ止めて、その場で固まっている。
「……私も男だから、察してくれ」
「つまり、本物の私よりも絵の方がよいということですね」
「違う!」
ゲオルグはメリアを抱き上げると、部屋を出て、忘れずに丁寧に施錠をしたあと、脱兎のごとく寝室へ向かうと、ベッドにメリアを寝かせた。
覆いかぶさったゲオルグは、メリアを見下ろしてふと笑う。
「……今日は、怖がっていないな」
「怖がる? 私がですか?」
「ああ。最近、私が触れると硬直していただろう?」
メリアが誤解していたせいで、ゲオルグにも誤解させてしまっていたのだと、初めて知った。
(そうよ、旦那様に……たぶんだけど自慰行為のようなこと――を、させたのも、妻の私が不甲斐ないから)
胸の奥がずくんと痛んで、覆いかぶさってきたゲオルグの首筋に腕を回した。メリアの積極さに感極まったのか、ゲオルグの瞳が潤んでいく。
「メリア」
うっとりと呟いたゲオルグに、メリアはきっぱりと言い放つ。
「旦那様、準備をして参りますので少しだけ待っていてくださいませ」
そう言うと腕を離して、するりとベッドから降りる。
「メリア?」
「着替えます」
「メリア、遅くなった」
「どうしてこちらに……?」
「ハマルから――」
ゲオルグは駆け寄ってきた深緑の軍服たちに気づくと、バルバロッサを示して「あれをなんとかして、生かしたまま元子爵を捕らえてくれ」と命じた。部下らしき騎士たちは青くなりながらも、バルバロッサのほうへ走って行った。
「ここでは話もできんな。……メリア、少し時間をくれないか。話がしたい」
「は、はい」
ゲオルグがついてこいと示す。メリアは不安そうな表情のモナに「大丈夫」と頷いてみせたあと、ゲオルグに従った。
墓所から出て、花屋の前を通り過ぎた場所で、ゲオルグがメリアに手を差し出した。
握手をするような差し出し方に首を傾げる。これまでありがとう、ということだろうか。だとしたら、よくない話に違いない。
メリアの不安な表情を見たゲオルグが、露骨に咳払いをした。
「手だ。迷子になってはいかんだろう」
ゲオルグの耳が赤い。
恐る恐る手を伸ばすと、ぎゅっと手を掴まれた。あっという間に、お互いの指を絡ませた手を繋ぐかたちになり、メリアはぽっと頬を染める。
ゲオルグは僅かもしないうちに足を止めた。
墓所は王都の区画ごとに定められた場所にあるが、どの墓所も都の端にある。メリアの両親が眠る墓所も例外ではなく、メリアたちが足を止めたここから向こうは、森林となっていた。
森林前にある馬車の停車場に、何台か馬車が止まっていた。
騎士団のものもあるようだ。
「旦那様、あの、助けてくださってありがとうございます」
「ハマルから聞いた。……色々と」
息をつめる。
繋いだ手に力が入った。咄嗟に放そうとしたが、ゲオルグはより強く手を繋ぎ、手を離すことを許さなかった。
「まず、レイブランド元子爵の件だ」
「え?」
首を傾げるメリアに、ゲオルグは苦笑する。
「きみが屋敷を出たとき、あとを追ってくる馬車があったそうだ。元々屋敷周辺でレイブランド元子爵の姿が目撃されていたゆえ、気を引き締めるように命じてあったのだが」
(そういえば、ハマルは馬車を降りたあと、用事を思い出したって……あれは、旦那様へレイブランド子爵のことを連絡してくださったのね)
ゲオルグは言いにくそうにしながら、ちらちらと視線をメリアに向けたあと、静かに息を吐いた。
「レイブランド元子爵から動機を言質として引き出すために、ハマルにはあの場を離れてもらい、レイブランド元子爵を少し泳がせたのだ。きみを危険にさらすのは気が引けたのだが、現場を押さえないことには捕えることができん。……すまない」
「助けてくださったではありませんか。私は平気です。でも、あのときには既に、墓所にいらしてたんですか?」
「そうだ。ハマルからは、屋敷を出たときに連絡を受けていたからな」
「……じゃあ馬車を帰らせたのは、他の用事があったのね」
呟いたメリアに、ゲオルグが凍り付いたように動きを止めた。
気づかないメリアではないけれど、こういう場合、見て見ぬふりをしたほうがよいのだろうか。
「それも、ハマルから私への伝言だ。メリア、きみがとても辛い思いをしてると……私が原因で辛い思いをしていると、そう、聞いた」
今度はメリアが身体を強張らせる番だった。馬車のなかで、ハマルと話したことを思い出す。
(これは、ハマルが作ってくれた機会なんだわ)
今ならば、聞くことができる。
メリアは決意を決めて、ゲオルグを見つめた。ゲオルグの瞳が揺れて、繋いだ手が強張っていることを察する。緊張しているのだろう。
「私、旦那様は私じゃなくて、母を愛しているのだと……思っていました」
途端に、ゲオルグが目を瞬く。
メリアの言葉を理解しかねているといった様子だ。
「披露宴のとき、旦那様には騎士団の同期に想い人がいるって聞いたんです。でも、挙式前に愛してるって言ってくださって嬉しくて……信じたいと思ったんですけど」
「けど、なんだ。私が嘘をついていると?」
強い口調で言われて、メリアは苦笑してしまう。ゲオルグから、まるで対等な相手のように扱われることが、殊の外嬉しかった。
「騎士団長様が屋敷にこられたとき……ごめんなさい、話を聞いてしまったんです。母と旦那様は騎士団の同期で、旦那様は母を愛していたって。母が父と結婚してからも会っていたって」
「会う機会はあったが、仕事で必要だったからだ。当時も上司だったバルバロッサの命令で動いたに過ぎない。それに、きみと出会ったのもそのときだ」
「はい。庭で、ハクモクレンの花を渡してくださって、嬉しかったのを覚えています。それでも、もしかしたら……私は、母の代わりなんじゃないか、って」
「似ていないだろう!」
「よく髪を撫でてくださるじゃないですか」
「それがなんだというんだ!」
ゲオルグが、繋いだままの手を強く引く。引かれるままゲオルグの胸にぶつかると、両手で抱きしめられた。
「愛しているきみに触れたいと思って何が悪い。なぜ、それがミーティアに繋がる!?」
「私は父親似ですけど、髪だけは母譲りなんです。母も、赤茶色の髪色だったでしょう?」
「は?」
ゲオルグが何度か目を瞬いて、メリアの髪を見たあと、眉をひそめた。
「ミーティアは……橙、いや、赤ではなかったか?」
「いいえ、そのまま色を受け継いだので、まったく同じ色ですよ」
「……そうか」
(あれ?)
ゲオルグの深い眉間の皴を見て、メリアは胸中で首を傾げる。
ミーティアの髪の色など忘れてしまった、とメリアに思わせたいのかと思ったが、そんな見え透いた嘘をつくとも思えないし、何より、演技には見えなかった。
「……嘘ですよね? 母の髪の色を覚えていないなんて」
「きみは、数年会っていない元同期の髪色を覚えているのか?」
「勿論です! 私に色々と教えてくれたラナは、薄い茶髪だったんですよ」
「どれほどの濃淡だ?」
「……え?」
ゲオルグに近くの大木を示される。
この木の全体のどの部分に近い色か言え、ということだろう。記憶のラナを探ると、なぜか赤茶色の髪のラナが脳裏に浮かぶ。一緒に夕陽を見たときだ。他に、蝋燭を消した夜中、僅かな月光で勉強していた頃の記憶のラナは、濃い茶髪をしている。
(……はっきりと、この色、って言えない)
髪色などずっと意識していたわけではないし、ここ数年ラナと会っていない。ここまで記憶と言うものは、あやふやになってしまうのか。
「……たぶん、このくらいの色……だと、思います」
「あやふやではないか」
「そ、それに! 三階の突き当りの部屋で、私、見てしまったんです」
ハッ、とゲオルグがメリアを見た。
「あの部屋に入ったのか!?」
「少しだけ開いていたので、覗いてしまって……今朝の話です」
途端に、ゲオルグの顔色が青くなる。
「メリア、誤解だ」
「……旦那様、私、旦那様が母を愛していても、私を大切にしてくださっていることに変わりはないと気づいたのです。私の気持ちは、変わりません」
「待て、その件は誤解だと言ったはずだ。私はミーティアに対して、そのような感情を抱いたことは一切ない。そもそもあの部屋を覗いて、なぜミーティアに繋がるんだ」
「それは――」
「いや、いい」
ゲオルグはきっぱりとメリアを遮ると、焦るメリアを無理やり抱き上げて、馬車へ向かって歩き出した。待機していた部下に半休を取ることを伝え、ちょうど、メリアたちが乗ってきた馬車が戻ってきたところで、折り返し屋敷へ帰宅した。
「あの、モナたちがまだです」
「乗合馬車で戻ってくるだろう」
冷やかに返されて、メリアは言葉を失った。
嫌われてしまったのか、と考えた瞬間、ゲオルグはメリアを抱き上げると、披露宴からの帰りのときのように、メリアを膝の上に座らせた。
右手でメリアの腰を、左手で肩を支えて、自らの胸にメリアを押しつけるように強く抱きしめる。決して離さない、というように。
「メリア、さっきは怒鳴ってしまってすまない」
驚いて顔をあげると、頬に口づけが降りてくる。
「自分が不甲斐なくて、情けない。きみを妻に出来て、一人で舞い上がっていたようだ」
「い、いいえ! 私も、幸せで……」
「きみを不安にさせていたと気づくべきだったのだ。見知らぬ屋敷で、さぞ心細かっただろう」
メリアは唇を噛む。
泣いてしまいそうだ。
こんなに優しい人に酷いことを言って謝らせてしまった。
屋敷につくまで、ひたすら強く抱きしめられた。屋敷につくなり、ツェーリアとエドワードの驚いた顔が出迎えた。
ゲオルグは、ついてくるな、とだけ言いつけて二階の書斎へ向かう。机の引き出しから鍵を取り出し、メリアを連れて三階へ向かう。
ゲオルグは、迷いなく錠前を外した。
そしてドアを開いてから、メリアの肩を抱く。
「どれを見て、ミーティアの件を言っているのか、教えてくれ」
勧められるままに部屋に入ると、やはり、ドア付近に樫の木でできた机があった。机の向こうは本棚の裏側になっており、部屋を見渡すことはできない。
まるで部屋の入り口だけ、隔離された小部屋のような印象を受ける。
メリアは樫の木の机に並ぶ小物たちのなかから、ミーティアが持っていた立体の蓮を模したブローチを指さした。
「これか」
「はい。母が特別な日につけていたブローチなので、よく覚えています。欲しがった私に、大切な人からもったこの世に一つしかないものだから駄目だと……言っていました」
「そうだ。これは騎士見習いだった頃、我らの隊がちょっとした武勲をたててな。……まぁ、偶然に等しい出来事だったゆえ、私としてはこのような勲章を貰うような手柄ではないと思っていた」
「……勲章、ですか?」
メリアは何度か瞬きをして、改めてブローチを見る。
メリアが知っている、貴族らや騎士がつけている勲章バッジとは違うようだ。記憶では、勲章バッジはもっとシンプルで、立体の花を模したものなど見たことがない。
「見習い時代だったからな。先代の陛下が、これからも励むようにと、公式ではなく私的に授与くださったのだ。裏に我々のイニシャルと数字が刻印されているゆえ、この世に一つしかない」
ゲオルグはバッジを手に取ると、メリアに差し出した。壊さないように受け取り、裏側を見る。
「あ」
ゲオルグの言うように、そこにはゲオルグのイニシャルと数字が刻印されていた。
メリアは、火が出るかと思うほどに顔を赤くして俯いてしまう。
「ごめんなさい。私てっきり、母のものだとばかり」
「合点がいった。私がミーティアの遺品を保管していたと思った、ということか。なるほど」
ため息をついたゲオルグを前に、メリアは益々小さくなる。
「あの、わ、私……」
「私はきみと出会ってから八年近く、ずっと、きみについて報告を受けてきたため、ずっと知っているような気でいたのだ。だが、きみにとって私は初対面にも近しい。信じ切れず、不安になるのも当然だ」
大きなゲオルグの手がメリアの頭を撫でた。
メリアは蓮のブローチを元の場所に戻すと、ゲオルグに向かい合う。
何もかも、メリアの誤解だった。自分の至らなさや心の狭さが招いたことだ。妻に必要な寛容さが、メリアには足りないのだろう。
「申し訳ございませんでし――むぐ」
「必要ない、不安にさせた私に責任があるのだ」
ゲオルグはメリアを抱き寄せると、すっぽりと腕のなかに抱え込む。
「……もっと私たちには時間が必要らしい」
「はい」
「私が愛しているのは、メリアきみだけだ。過去にも未来にも。……きみも知っているだろうが、どうも女は苦手でな。ミーティアに……彼女が結婚したあと、自分を女だと思っていないだろうと言われたこともあった」
「母が、そんなことを」
ああ、とゲオルグは頷く。
「メリア、私にはきみが特別なのだ。きみは出会った頃から『少女』だった。日に日に美しく成長するきみを見ているうちに、私はやっと、己の浅ましい気持ちに気づくことができた」
ゲオルグは低く笑う。
「私だけのものにしたいと思った。誰にも、きみの可愛く乱れた顔を見られたくないと思った。そして、きみにも私を知ってほしいと思った」
言葉の意味を察したメリアは、熱い頬を誤魔化すように顔をゲオルグの胸にすりつけた。
(ほ、ほっぺたが熱い)
つまり、出会った頃からメリアのことを「女」と認識しており、再会したときには「女」として愛したいと思ってくれたということだ。
メリアは自分のむちっとした女らしい肉体を嫌っていたが、ゲオルグが愛したいと思ってくれたのならば、この身体でよかったと思う。
「あの、部屋の奥には何があるのですか?」
「この部屋の、か? 気になるのなら見ても構わないが……私を嫌わないと、約束してくれるのならば」
「私が旦那様を嫌うことなど、ありえません」
ゲオルグはそっとメリアを胸から離すと、棚で視界が遮られている向こう側へ案内した。
メリアは、緊張に胸を高鳴らせて、ゆっくりと後について歩く。
(旦那様が誰にも見せなかったもの……これまでの手柄を立てた勲章などかしら)
ゲオルグは自分の手柄を自慢するような人ではないので、そういった類のものかもしれない、と思ったのだ。
けれど、視界を遮るものがなくなり、視界いっぱいに飛び込んできた大小様々な絵画に、メリアはその場で動きを止めた。
思考が止まった。
一面にあったのは、メリアの肖像画だったのだ。
しかも、様々なポーズで描かれており、手前には裸婦に近い絵画が並んでいる。
「七年間、集めたものだ。以前は自分で描いていたが、最近は画家に描かせることが多いな」
ゲオルグは当たり前のように言うと、一つ一つ、いつどの場で何をしているメリアかを紹介していく。メリアの記憶にない格好をしているものが出てくると、「これは、私の想像した世界でのメリアだ」と理解不能なことを言う。
軽く眩暈を覚えたメリアは、近くの飾り棚に手を置いた。
こつん、と指が何かに当たった、と思って視線を向けて、息を呑む。
「これって」
「きみが、以前の家で暮らしていたとき、きみの部屋にあったものだ。すべてここへ移動してある」
「え。え、あ、ええっ!?」
なぜ。
乙女の部屋にあったアレコレが、お高い飾り棚へ鎮座しているのが居た堪れない。まるで国宝のような扱いだ。
(あの家にあったものがここにあるってことは……お母さんたちの遺品も)
少しでも良い方向へ考えようと抱いた期待だったが、メリアの思考を呼んだゲオルグが、頷きながら言い放つ。
「ゾノーとミーティアの品も少しばかり持ってきていたが、置き場が圧迫してきたゆえに手放した」
「なぜですか!? これとか、いらないでしょう!」
咄嗟に、メリアのかつての部屋にあった『大人びたふりをして買ったけど、途中で使わなくなった口紅』を指さす。もう傷んでいて使えないので、ゴミ同然なのだ。有名ブランドでもなければ、想い出が詰まっているわけでもない。
そんな品が、結構な広さを単体で独占しているのだ。なぜならば、国宝のように飾ってあるからだ。
「それは、手放すなど考えられん」
真面目な顔で頷くゲオルグの返事に、メリアは信じられない顔をした。
改めて部屋を見ると、メリアの部屋にあった品々以外にも、何かと見覚えのある品がちらほらとある。
「ああ、それはきみが見習いではなく正式に宮廷使用人になった際、身に着けていたエプロンだと聞いている」
「……これ、一度使ったら捨てるタイプのものですよね」
「ハマルに回収させた。きみから直接受け取ったゆえ、間違いない」
メリアもこの日のことは覚えている。
正式に雇用契約が成立した初日という、重要な日だった。大きな失敗なく終えて、ほっとしたあと、確かエプロンは先輩使用人が回収してくれたはず。ゴミ袋を持っていて、その場でまとめていた記憶が微かに残っている。
「ハマルは、潜入捜査に適任だ。ゆえに、メリア担当として傍から見守り、危険が迫れば助けるよう命じてあった」
(ハマルが潜入? そういえば、エプロンを回収してた先輩、見覚えがなかったのよね)
何事もなく終えてほっとしたこと、また、先輩の名前を覚えてないなどとは決して言えないため、言われるままにエプロンを捨てさせてもらったのだが。
もしかして、あれがハマルだったのか。
思えば、メリアが誰かに手籠めにされそうになったり、セクハラを受けたりしたとき、決まって近くにいた誰かが『偶然』何かをして、結果、メリアが助かるという結果が多々あった。
「じゃあ……私を守ってくれてたのって、ハマル?」
「私が命じたのだから、私が守っていたのだ」
(そしてエプロンの回収その他諸々を集めるように命じたのも、旦那様なのですね)
メリアは、ふいにがっくりと力が抜けた。
あまりにも抜けすぎて、その場にしゃがみこんでしまう。
「メリア、どうした」
「なんだか、その……認識しきれなくて」
「まだ、私が愛しているのがきみだと信じられないか? あの勲章をこの部屋に置いておいたのは、メリアが気に入っているとゾノーから聞いていたからだ。……いずれ譲ろうかと」
「……あの、充分わかりました」
メリアは大きく頷く。
心配だったミーティアの件は、明らかにメリアの誤解だったのだから、不安はもうない。むしろ、誤解していた自分が恥ずかしいし、ゲオルグに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
とはいえ、この部屋は予想外だ。
きっとメリアを娘のように可愛がってくれていて、その愛が余って記念品を残しているのだろう。エプロンだって、記念にするといって持ち帰った同期もいたのだ。記念にする場合もあるのかもしれない。
棚に並んでいる他の品々も、何かの記念に使用したり身に着けていたりしたものばかりだ。
そう思うと、やはりメリアは愛されているのだと実感して、嬉しくなる。
もし、何度か窃盗被害にあっている下着諸々がどこかから出てきたらドン引くけれど、そういうわけではない――と、思いたい。
「旦那様、色々とご迷惑をお掛け致しました。あの、これからもどうか、私を妻として傍に置いてください」
「当然だ、誰にも渡さん」
ほっと胸を撫で下ろす。
視界に、メリアの裸婦に近い絵画が見えて、さっと目を逸らした。
「旦那様」
「なんだ」
「今朝、ここで何をされていたのですか?」
ピタ、と。
ゲオルグが静止した。
動きも、呼吸さえ止めて、その場で固まっている。
「……私も男だから、察してくれ」
「つまり、本物の私よりも絵の方がよいということですね」
「違う!」
ゲオルグはメリアを抱き上げると、部屋を出て、忘れずに丁寧に施錠をしたあと、脱兎のごとく寝室へ向かうと、ベッドにメリアを寝かせた。
覆いかぶさったゲオルグは、メリアを見下ろしてふと笑う。
「……今日は、怖がっていないな」
「怖がる? 私がですか?」
「ああ。最近、私が触れると硬直していただろう?」
メリアが誤解していたせいで、ゲオルグにも誤解させてしまっていたのだと、初めて知った。
(そうよ、旦那様に……たぶんだけど自慰行為のようなこと――を、させたのも、妻の私が不甲斐ないから)
胸の奥がずくんと痛んで、覆いかぶさってきたゲオルグの首筋に腕を回した。メリアの積極さに感極まったのか、ゲオルグの瞳が潤んでいく。
「メリア」
うっとりと呟いたゲオルグに、メリアはきっぱりと言い放つ。
「旦那様、準備をして参りますので少しだけ待っていてくださいませ」
そう言うと腕を離して、するりとベッドから降りる。
「メリア?」
「着替えます」
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