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第五章 幸せマリアージュ
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メリアは、ひたすら泣いた。
こんなことならば、もしかしたらという希望など持たなければよかった。カタチだけの夫婦だと、片想いだと割り切れていたらよかった。
(最低、私。勝手に期待して、勝手に絶望して。妻にして下さるだけで充分だったのに、こんなに卑しくなって!)
涙は止まらず、不調を理由に寝坊をした。屋敷へきて、いや、両親が死んでから、初めて身勝手な嘘をついてしまった。
だが昼前に、モナがメリアの様子を訝しんだことがきっかけで、涙のあとに気付かれてしまう。咄嗟に布団にもぐりこんだけれど、すぐにツェーリアがやってきてメリアに語り掛けた。
「何かご希望はございますか? 欲しいもの、食べたいもの……そうですね、お会いになりたいご友人などは、おられますか?」
思い浮かんだ友人はフィーアだが、彼女は今、結婚式を控えていて多忙だ。迷惑をかけるわけにはいかない。
「……お母さん」
「はい?」
「お母さんと、お父さんに会いたいわ」
サッ、とツェーリアとモナが顔を青くした。
「い、いけません奥様! ご不満がございましたら、どうか、わたくし共に、言いつけてくださいませ。決して、決して、自害などなさらぬよう!」
「あ……ち、違うの」
メリアは慌てた拍子に、もぐりこんでいた布団から起き上がった。
また潜り直すのも変だし、これ以上子どものような真似を続けるわけにもいかない。こんなふうに我儘をしたのは、何年振りだろう。
メリアは苦笑を浮かべて、ツェーリアとモナを見た。
「両親のお墓参りに行きたいわ。結婚の報告もしていなかったし……色々と、伝えたいことがあるの」
二人はほっとした顔になり、ツェーリアが頷いた。
「すぐに手配をして参ります。その前に、食事をお取りください。空腹では、途中でへばってしまいますから」
ツェーリアは言葉通り、すぐに外出の手筈を整えてくれた。
食事を取ると、どん底だった気分も少しだけ回復し、周囲に迷惑をかけてはいけないという思いと、子どものように不貞腐れていた自分を恥じた。
用意された馬車に乗り込むと、隣にモナが座り、向かい側には護衛を兼ねたハマルが座る。
馬車が動き出すと、モナが説明をはじめた。
「ここからですと、馬車でニ十分ほどですよ」
「ええ、色々とありがとう。その、迷惑をかけてごめんなさい」
「とんでもございません! 嫁いでこられたばかりで、不安になられる気持ちはお察しいたしますもの。旦那様も仕事ばかりで……もっと早く帰ってきてくださればよろしいのにっ」
「お忙しいのよ、仕方がないわ」
メリアはそう言って、微笑んでみせる。
よき妻というものは、こういったことを言うのだろうと考えながら。
どうやらモナは、メリアはゲオルグが不在の寂しさで不調になっていると思っているようだ。そのことに、そっと安堵するメリアがいる。
愛されていると思ったら愛されていなかった――そんな現実を知り、悋気をみせている自分が、酷く滑稽で愚かで、恥ずかしかったのだ。
馬車で移動する道すがら、モナが何かと話題をくれて、メリアを楽しませてくれる。彼女の話につられて笑うけれど、心のなかは常に渇いているような変な心地で、墓所へついた。
正確には墓所の近くにある森林前に馬車を停めている。
「奥様、わたくしはお花を買ってまいりますので、しばらくお待ちお願えますか?」
「モナが代わりにいってくれるの?」
「勿論ですとも! すぐに戻って参ります。それからお参りへ向かいましょう」
モナが、馬車を停めた路肩の反対側にある花屋へ足早に歩いて行った。墓所へはここから歩いて少しの場所なので、モナが戻るまで馬車のなかで待機だ。
メリアは、向かい側に座るハマルへ顔を向けた。
「ハマルも付き合ってくれてありがとう」
「いえいえ、構いませんよ。……でも、随分と唐突ですね。ご両親の墓参りだなんて、何かあったんですか?」
メリアはすぐに否定をしようとしたが、口ごもって何も言えなかった。ハマルには何を言っても見透かされるような気がしたのだ。
メリアの居た堪れない雰囲気を察したのか、ハマルが話題を変えた。
「先日の件、旦那様にはまだ聞いておられないようですね」
「どうしてわかるの?」
「旦那様の様子がお変わりないので」
ハマルは肩を竦めてみせる。
「……お忙しいみたいだし、私のことなんかで煩わせたくないんです」
「奥様は、こと旦那様のことになると弱気になられますね」
「え?」
「ずっと……この六年間、辛くても悲しくても、気丈に宮廷使用人として過ごしてこられたじゃありませんか」
「そ、そうですけど。どうして知って……かまをかけたのね?」
「奥様が、俺に丁寧な言葉を使うときは、自分に自信がないときだとお察しいたしまして。あなたの良い所を思い出して頂こうと思ったのですよ」
メリアは、むぅと唇を尖らせた。
見るからに不貞腐れるメリアに、ハマルが苦笑する。
「それに、かまをかけたわけじゃありませんよ。これは旦那様に口止めされていることなので、本当は言ってはいけないんですけど……夫婦のピンチなので、いいでしょう。実はわたし、婚約される以前より奥様を知っているのですよ」
「どういうこと?」
「旦那様はずっと、奥様を気にかけてらしたのです。奥様がご両親を亡くされたあとは、陰から守ってこられたのですよ。……旦那様が奥様を大切にされている気持ちは、確かです。それだけは、どうか、信じて頂けませんか」
(ずっと……?)
レイブランド子爵に追われていたとき、助けてもらったことを思い出す。
あれは、もしかすると偶然ではなかったのかもしれない。
(大切に想ってくださっている気持ちは、本物……そうね、その通りよ)
メリアは目を伏せて、自嘲した。
ゲオルグは今、メリアをとても大切にしてくれている。もし、ミーティアへ恋慕を抱いていたとしても、今もそうとは限らない。メリアだって、ゲオルグと出会ったとき、初恋のハクモクレンの男と重ねてしまったではないか。
結果としてゲオルグ本人だったけれど、あのときは知らなかったのだから不実と思われても仕方がない。
「ありがとう、ハマル」
「俺はてっきり、旦那様がむっつりすけべだと知った奥様が、ドン引きされているのかと思ったんですけど違ったようで何より」
「旦那様が? いえ……そんなこと、ないわ。少なくとも、私には何も……」
初夜以降、肌を合わせていないのだ。
「奥様のドレスや夜着は、旦那様がデザインされたんですよ」
「ええ、それは聞いてるわ。旦那様は、デザインもされるのね」
「元より頭がいい方なので、やろうと思えば大抵のことは出来るんですよ。だからか、少し周囲を見下してる感はありますが……おっと」
ハマルは口を押えて、にやっと笑う。
「奥様の夜着に、上半身にボタンがついたものがあるでしょう? 前開きなのに、お腹辺りまでしか開かずに、こう、ぺらっとめくれるような」
確か、初夜の日に着ていたものだ。頷くと、ハマルはなぜ無駄にボタンがついているのか理由を教えてくれる。それを聞いた途端、メリアは頬を染めて自らの胸を押さえた。
そこへモナが戻ってきた。
メリアはぱっと微笑んで、馬車を降りた。モナが荷物をすべて持ってくれるというので、お言葉に甘えることにする。
護衛代わりのハマルは、手を差し伸べてメリアを馬車から下ろしたあと、馬車の先頭へ向かって御者に何かを言った。
すぐさま、馬車が引き返していく。
「まぁ、どうなさったんです?」
驚いたモナがハマルに聞くと、ハマルはにっこりと笑って。
「用事を思い出したので、命じたのです。すぐに戻ってきますよ」
「あらそうでしたか」
モナはやや納得できない様子を見せた。
メリアは、ハマルがにやりと悪い笑みを浮かべているのを見逃さなかった。ゲオルグとよく似た、悪い男に似合う笑みだ。
メリアの視線を受けたハマルは、肩をすくめて両手を広げてみせた。
「まぁまぁ、ほら、行きましょう」
「え、ええ。ハマル、あなた何か――」
「まぁまぁまぁ」
半ば押し切られるように墓所へ歩き出すと、すぐに両親が眠る墓標が見えてきた。
庶民の墓は共同で使われるのが一般的で、地区ごとに埋葬場所が決まっている。つまり、全員が同じ場所に埋葬されるのだ。
だがメリアは、葬儀こそ簡略で済ませるしかなかったものの、両親専用の埋葬場所を購入した。家と家財を売った資金は全て、この土地代に使った。不足分は分割払いにして貰い、二年前に支払い終えている。
集団埋葬地から少し離れた一郭に作った、両親専用の墓。
場所代にほとんど使ってしまったため、二人が眠る場所にある墓石は大変簡素なものになってしまったけれど。
(……久しぶりだわ)
ここへ墓を作ったとき新品だった墓石も、六年の間に薄く水垢がついている。年に一度、命日の日にはお墓参りに来ているけれど、普段はなかなか来ることが出来ていなかった。
メリアは、墓石の前にしゃがむと手を合わせてから、持ってきたカゴから雑巾とタオル、柔らかいスポンジを取り出して、掃除を始めた。
モナは当たり前のように手伝ってくれる。奥方ともあろう方が、と言われないことにほっとした。
「たしか、この辺りは水を供える風習がありましたね。俺、汲んできましょう」
少し離れた水汲み場へハマルが歩いて行く。
メリアは、改めて墓石を見た。
ここへ来るたびに、家族で暮らしていた頃のことを思い出す。当たり前の日々だった。なんの変哲もなくて、幸せだなんて実感もなくて――かけがえのない日々を、当たり前に甘受していたのだ。
ふと隣を見ると、モナも手を合わせてくれている。
面倒見のいい侍女に、メリアをよく見て気遣ってくれる侍女長。有能で気遣いの上手い執事に、ユーモアのある従者長。
ほかの使用人たちも、とてもよくしてくれる。
婚約から結婚まであっという間だったけれど、メリアに不安などほとんどなかった。ゲオルグに惚れていたし、恩人でもある彼のために少しでも役に立てればよいと――そう、せめて想いを寄せることを許してほしいと、願った。
それだけだったのだ、メリアが望んだことは。
(私、今、とても幸せなんだわ。だって、ここにきたら、幸せなことばかり思い出すもの)
これまでは、幼い頃ばかり思い出していたのに、今日は違う。
むしろ、ゲオルグと出会い、結婚してからのほうが、多く思い出すのだ。
「……モナ」
モナが顔をあげたのを見計らって声をかけると、モナが目尻の皴を深めて、振り向いてくれる。
「なんでしょう、奥様」
「今朝はごめんなさい。私、少し戸惑っていたみたい。もう、大丈夫だから」
「あらあら、なんのことでございましょう?」
モナはそう言って笑みを深めると、メリアの手をそっと取った。
「モナは、奥様の味方でございますからね。なんでも、おっしゃってくださいませ」
「頼もしいわね、ありがとう」
じゃり、と石を踏みしめる音がして、ハマルが戻ってきたのだと察した。
ふと、モナの視線が小柄なメリアを通り越して背後を見ると同時に、固まってしまう。メリアは束の間息をつめて、ゆっくりと、振り返った。
「やぁ、メリア」
一瞬誰かわからなかった。
ギラギラとした狂犬のような目に、痩けた頬、庶民のなかでもボロに近い服をまとったその男は、メリアの記憶にあるふくよかで余裕のある男ではなかった。
「……レイブランド子爵」
「久しぶりだね、メリア」
猫なで声に、悪寒が背筋を這いあがる。
気持ちが悪くて、咄嗟に口を押えた。この男に殴られて倒れ、顔を踏みつぶされそうになったことを思い出して、恐怖で身体が震える。
「聞いたよ、メリア。騙されて結婚したんだって? 私が助けてあげるよ」
「い、いや」
「だから、きみから父に、私のことは誤解だって言ってくれないかな? 私はきみに、何もしていないよね?」
「こないで、ください」
レイブランド子爵が一歩進むたびに、メリアは下がった。
「大丈夫、私が助けてあげる。騙されてたって言えばいいだけだ。きみ、あの騎士軍師にいいように利用されてるんだろう。適当に愛を囁かれて、希望を見たのに、本当は違ってて……可哀そうなメリア」
なぜレイブランド子爵がそのことを知っているのだろうか。ふとした疑問は、すぐに記憶の底へ追いやられてしまう。
モナが、メリアを守るように前に出て、背中に庇ってくれたのだ。
「お、奥様に近づかないでください」
「部外者はどこかへ行け」
「わたしは奥様の――」
「うるせぇ!」
脳天から殴られたような怒声に、モナの身体が大きく震える。
それはメリアも同じだった。
レイブランド子爵はにやりと笑うと、手を伸ばしてきた。逃れようと身を捻るけれど、あっさりと捕まってしまう。
「大事に扱うよ。きみは、私を元の地位へ戻してくれる大切な生贄だからね」
「いやっ、放してください! 私、何も知りません。今の生活が幸せなんです」
「それは全部偽物だ、メリア。あの騎士軍師だぞ。本気で人を愛するとは思えない。知ってるか、あの男がどれだけ卑劣な男か。何が策士だ。根性がねじ曲がった腹黒いだけの男でしかない。先の防衛戦争のとき、敵兵をどれだけえげつない方法で――」
メリアの顔が歪んでいくのを見たレイブランド子爵は、調子にのってぺらぺらとゲオルグの悪口を言う。
メリアは、これ以上聞きたくないと目をつぶった。
「しかもあいつは、昔同期だった女と不純な関係だったとか――」
「いい加減にして!」
怒鳴ると同時に、レイブランド子爵の腹部を蹴りつけた。レイブランド子爵は呼吸を止めて身体を強張らせ、メリアから手を離す。
腹を蹴ったつもりが、足が届かなくて下腹部辺りになってしまったけれど、衝撃を与えることができたようだ。
「旦那様を悪くいうなんて、最低です! えげつない方法で敵兵を作戦に嵌めたとか、そもそもそれが旦那様の役目でしょう? 懸命に仕事をしておられる方に対して、なんていうことを言うの!」
そもそもこの男は、親の身分を笠に着て、弱者を虐めていたのだ。被害にあった女は多く、今尚トラウマを抱えている者もいる。
この男が犯した罪を重く受け止めた国王は相応の刑罰として、陛下自ら、レイブランド子爵に身分剥奪を言い渡した。レイブランド家は、メリアとゲオルグだけでなく、過去の被害者たちへ慰謝料の支払う義務を負った。
結果、レイブランド子爵は、身分剥奪だけではなく、実家から勘当という罰を与えられ、平民に落とされたのだ。
「何が、元の地位へ戻るよ。自分のしでかしたことを理解しようともしないどころか、反省もしてないじゃない!」
「貴様……ただの使用人の分際で、調子にのりやがって」
レイブランド子爵が拳を震わせるのを見たメリアは、身体がすくんでしまう。モナが再びメリアの前に立つ。
けれど、レイブランド子爵の拳は振り上げられることさえなく、身体ごと吹っ飛んだ。
「ぬるい! もっとだ!」
響く怒声。
あっという間にレイブランド子爵へ駆け寄っていくのは、背の高い灰色の髪をした男だ。深緑の軍服を着こむ彼は、騎士団長バルバロッサ。
けれど、先日屋敷で挨拶したときとは違い、鬼神のように荒れ狂う雰囲気をまとっている。「おりゃあああ」と叫びながら、なんだかメリアたちが見てはいけないことをしているようだ。
唖然としていると、メリア、と控えめに呼びかけられた。
緊張を仄かに乗せたテノールの声に、メリアは肩を揺らして、ゆっくりと振り返る。
ゲオルグだ。
こんなことならば、もしかしたらという希望など持たなければよかった。カタチだけの夫婦だと、片想いだと割り切れていたらよかった。
(最低、私。勝手に期待して、勝手に絶望して。妻にして下さるだけで充分だったのに、こんなに卑しくなって!)
涙は止まらず、不調を理由に寝坊をした。屋敷へきて、いや、両親が死んでから、初めて身勝手な嘘をついてしまった。
だが昼前に、モナがメリアの様子を訝しんだことがきっかけで、涙のあとに気付かれてしまう。咄嗟に布団にもぐりこんだけれど、すぐにツェーリアがやってきてメリアに語り掛けた。
「何かご希望はございますか? 欲しいもの、食べたいもの……そうですね、お会いになりたいご友人などは、おられますか?」
思い浮かんだ友人はフィーアだが、彼女は今、結婚式を控えていて多忙だ。迷惑をかけるわけにはいかない。
「……お母さん」
「はい?」
「お母さんと、お父さんに会いたいわ」
サッ、とツェーリアとモナが顔を青くした。
「い、いけません奥様! ご不満がございましたら、どうか、わたくし共に、言いつけてくださいませ。決して、決して、自害などなさらぬよう!」
「あ……ち、違うの」
メリアは慌てた拍子に、もぐりこんでいた布団から起き上がった。
また潜り直すのも変だし、これ以上子どものような真似を続けるわけにもいかない。こんなふうに我儘をしたのは、何年振りだろう。
メリアは苦笑を浮かべて、ツェーリアとモナを見た。
「両親のお墓参りに行きたいわ。結婚の報告もしていなかったし……色々と、伝えたいことがあるの」
二人はほっとした顔になり、ツェーリアが頷いた。
「すぐに手配をして参ります。その前に、食事をお取りください。空腹では、途中でへばってしまいますから」
ツェーリアは言葉通り、すぐに外出の手筈を整えてくれた。
食事を取ると、どん底だった気分も少しだけ回復し、周囲に迷惑をかけてはいけないという思いと、子どものように不貞腐れていた自分を恥じた。
用意された馬車に乗り込むと、隣にモナが座り、向かい側には護衛を兼ねたハマルが座る。
馬車が動き出すと、モナが説明をはじめた。
「ここからですと、馬車でニ十分ほどですよ」
「ええ、色々とありがとう。その、迷惑をかけてごめんなさい」
「とんでもございません! 嫁いでこられたばかりで、不安になられる気持ちはお察しいたしますもの。旦那様も仕事ばかりで……もっと早く帰ってきてくださればよろしいのにっ」
「お忙しいのよ、仕方がないわ」
メリアはそう言って、微笑んでみせる。
よき妻というものは、こういったことを言うのだろうと考えながら。
どうやらモナは、メリアはゲオルグが不在の寂しさで不調になっていると思っているようだ。そのことに、そっと安堵するメリアがいる。
愛されていると思ったら愛されていなかった――そんな現実を知り、悋気をみせている自分が、酷く滑稽で愚かで、恥ずかしかったのだ。
馬車で移動する道すがら、モナが何かと話題をくれて、メリアを楽しませてくれる。彼女の話につられて笑うけれど、心のなかは常に渇いているような変な心地で、墓所へついた。
正確には墓所の近くにある森林前に馬車を停めている。
「奥様、わたくしはお花を買ってまいりますので、しばらくお待ちお願えますか?」
「モナが代わりにいってくれるの?」
「勿論ですとも! すぐに戻って参ります。それからお参りへ向かいましょう」
モナが、馬車を停めた路肩の反対側にある花屋へ足早に歩いて行った。墓所へはここから歩いて少しの場所なので、モナが戻るまで馬車のなかで待機だ。
メリアは、向かい側に座るハマルへ顔を向けた。
「ハマルも付き合ってくれてありがとう」
「いえいえ、構いませんよ。……でも、随分と唐突ですね。ご両親の墓参りだなんて、何かあったんですか?」
メリアはすぐに否定をしようとしたが、口ごもって何も言えなかった。ハマルには何を言っても見透かされるような気がしたのだ。
メリアの居た堪れない雰囲気を察したのか、ハマルが話題を変えた。
「先日の件、旦那様にはまだ聞いておられないようですね」
「どうしてわかるの?」
「旦那様の様子がお変わりないので」
ハマルは肩を竦めてみせる。
「……お忙しいみたいだし、私のことなんかで煩わせたくないんです」
「奥様は、こと旦那様のことになると弱気になられますね」
「え?」
「ずっと……この六年間、辛くても悲しくても、気丈に宮廷使用人として過ごしてこられたじゃありませんか」
「そ、そうですけど。どうして知って……かまをかけたのね?」
「奥様が、俺に丁寧な言葉を使うときは、自分に自信がないときだとお察しいたしまして。あなたの良い所を思い出して頂こうと思ったのですよ」
メリアは、むぅと唇を尖らせた。
見るからに不貞腐れるメリアに、ハマルが苦笑する。
「それに、かまをかけたわけじゃありませんよ。これは旦那様に口止めされていることなので、本当は言ってはいけないんですけど……夫婦のピンチなので、いいでしょう。実はわたし、婚約される以前より奥様を知っているのですよ」
「どういうこと?」
「旦那様はずっと、奥様を気にかけてらしたのです。奥様がご両親を亡くされたあとは、陰から守ってこられたのですよ。……旦那様が奥様を大切にされている気持ちは、確かです。それだけは、どうか、信じて頂けませんか」
(ずっと……?)
レイブランド子爵に追われていたとき、助けてもらったことを思い出す。
あれは、もしかすると偶然ではなかったのかもしれない。
(大切に想ってくださっている気持ちは、本物……そうね、その通りよ)
メリアは目を伏せて、自嘲した。
ゲオルグは今、メリアをとても大切にしてくれている。もし、ミーティアへ恋慕を抱いていたとしても、今もそうとは限らない。メリアだって、ゲオルグと出会ったとき、初恋のハクモクレンの男と重ねてしまったではないか。
結果としてゲオルグ本人だったけれど、あのときは知らなかったのだから不実と思われても仕方がない。
「ありがとう、ハマル」
「俺はてっきり、旦那様がむっつりすけべだと知った奥様が、ドン引きされているのかと思ったんですけど違ったようで何より」
「旦那様が? いえ……そんなこと、ないわ。少なくとも、私には何も……」
初夜以降、肌を合わせていないのだ。
「奥様のドレスや夜着は、旦那様がデザインされたんですよ」
「ええ、それは聞いてるわ。旦那様は、デザインもされるのね」
「元より頭がいい方なので、やろうと思えば大抵のことは出来るんですよ。だからか、少し周囲を見下してる感はありますが……おっと」
ハマルは口を押えて、にやっと笑う。
「奥様の夜着に、上半身にボタンがついたものがあるでしょう? 前開きなのに、お腹辺りまでしか開かずに、こう、ぺらっとめくれるような」
確か、初夜の日に着ていたものだ。頷くと、ハマルはなぜ無駄にボタンがついているのか理由を教えてくれる。それを聞いた途端、メリアは頬を染めて自らの胸を押さえた。
そこへモナが戻ってきた。
メリアはぱっと微笑んで、馬車を降りた。モナが荷物をすべて持ってくれるというので、お言葉に甘えることにする。
護衛代わりのハマルは、手を差し伸べてメリアを馬車から下ろしたあと、馬車の先頭へ向かって御者に何かを言った。
すぐさま、馬車が引き返していく。
「まぁ、どうなさったんです?」
驚いたモナがハマルに聞くと、ハマルはにっこりと笑って。
「用事を思い出したので、命じたのです。すぐに戻ってきますよ」
「あらそうでしたか」
モナはやや納得できない様子を見せた。
メリアは、ハマルがにやりと悪い笑みを浮かべているのを見逃さなかった。ゲオルグとよく似た、悪い男に似合う笑みだ。
メリアの視線を受けたハマルは、肩をすくめて両手を広げてみせた。
「まぁまぁ、ほら、行きましょう」
「え、ええ。ハマル、あなた何か――」
「まぁまぁまぁ」
半ば押し切られるように墓所へ歩き出すと、すぐに両親が眠る墓標が見えてきた。
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だがメリアは、葬儀こそ簡略で済ませるしかなかったものの、両親専用の埋葬場所を購入した。家と家財を売った資金は全て、この土地代に使った。不足分は分割払いにして貰い、二年前に支払い終えている。
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(……久しぶりだわ)
ここへ墓を作ったとき新品だった墓石も、六年の間に薄く水垢がついている。年に一度、命日の日にはお墓参りに来ているけれど、普段はなかなか来ることが出来ていなかった。
メリアは、墓石の前にしゃがむと手を合わせてから、持ってきたカゴから雑巾とタオル、柔らかいスポンジを取り出して、掃除を始めた。
モナは当たり前のように手伝ってくれる。奥方ともあろう方が、と言われないことにほっとした。
「たしか、この辺りは水を供える風習がありましたね。俺、汲んできましょう」
少し離れた水汲み場へハマルが歩いて行く。
メリアは、改めて墓石を見た。
ここへ来るたびに、家族で暮らしていた頃のことを思い出す。当たり前の日々だった。なんの変哲もなくて、幸せだなんて実感もなくて――かけがえのない日々を、当たり前に甘受していたのだ。
ふと隣を見ると、モナも手を合わせてくれている。
面倒見のいい侍女に、メリアをよく見て気遣ってくれる侍女長。有能で気遣いの上手い執事に、ユーモアのある従者長。
ほかの使用人たちも、とてもよくしてくれる。
婚約から結婚まであっという間だったけれど、メリアに不安などほとんどなかった。ゲオルグに惚れていたし、恩人でもある彼のために少しでも役に立てればよいと――そう、せめて想いを寄せることを許してほしいと、願った。
それだけだったのだ、メリアが望んだことは。
(私、今、とても幸せなんだわ。だって、ここにきたら、幸せなことばかり思い出すもの)
これまでは、幼い頃ばかり思い出していたのに、今日は違う。
むしろ、ゲオルグと出会い、結婚してからのほうが、多く思い出すのだ。
「……モナ」
モナが顔をあげたのを見計らって声をかけると、モナが目尻の皴を深めて、振り向いてくれる。
「なんでしょう、奥様」
「今朝はごめんなさい。私、少し戸惑っていたみたい。もう、大丈夫だから」
「あらあら、なんのことでございましょう?」
モナはそう言って笑みを深めると、メリアの手をそっと取った。
「モナは、奥様の味方でございますからね。なんでも、おっしゃってくださいませ」
「頼もしいわね、ありがとう」
じゃり、と石を踏みしめる音がして、ハマルが戻ってきたのだと察した。
ふと、モナの視線が小柄なメリアを通り越して背後を見ると同時に、固まってしまう。メリアは束の間息をつめて、ゆっくりと、振り返った。
「やぁ、メリア」
一瞬誰かわからなかった。
ギラギラとした狂犬のような目に、痩けた頬、庶民のなかでもボロに近い服をまとったその男は、メリアの記憶にあるふくよかで余裕のある男ではなかった。
「……レイブランド子爵」
「久しぶりだね、メリア」
猫なで声に、悪寒が背筋を這いあがる。
気持ちが悪くて、咄嗟に口を押えた。この男に殴られて倒れ、顔を踏みつぶされそうになったことを思い出して、恐怖で身体が震える。
「聞いたよ、メリア。騙されて結婚したんだって? 私が助けてあげるよ」
「い、いや」
「だから、きみから父に、私のことは誤解だって言ってくれないかな? 私はきみに、何もしていないよね?」
「こないで、ください」
レイブランド子爵が一歩進むたびに、メリアは下がった。
「大丈夫、私が助けてあげる。騙されてたって言えばいいだけだ。きみ、あの騎士軍師にいいように利用されてるんだろう。適当に愛を囁かれて、希望を見たのに、本当は違ってて……可哀そうなメリア」
なぜレイブランド子爵がそのことを知っているのだろうか。ふとした疑問は、すぐに記憶の底へ追いやられてしまう。
モナが、メリアを守るように前に出て、背中に庇ってくれたのだ。
「お、奥様に近づかないでください」
「部外者はどこかへ行け」
「わたしは奥様の――」
「うるせぇ!」
脳天から殴られたような怒声に、モナの身体が大きく震える。
それはメリアも同じだった。
レイブランド子爵はにやりと笑うと、手を伸ばしてきた。逃れようと身を捻るけれど、あっさりと捕まってしまう。
「大事に扱うよ。きみは、私を元の地位へ戻してくれる大切な生贄だからね」
「いやっ、放してください! 私、何も知りません。今の生活が幸せなんです」
「それは全部偽物だ、メリア。あの騎士軍師だぞ。本気で人を愛するとは思えない。知ってるか、あの男がどれだけ卑劣な男か。何が策士だ。根性がねじ曲がった腹黒いだけの男でしかない。先の防衛戦争のとき、敵兵をどれだけえげつない方法で――」
メリアの顔が歪んでいくのを見たレイブランド子爵は、調子にのってぺらぺらとゲオルグの悪口を言う。
メリアは、これ以上聞きたくないと目をつぶった。
「しかもあいつは、昔同期だった女と不純な関係だったとか――」
「いい加減にして!」
怒鳴ると同時に、レイブランド子爵の腹部を蹴りつけた。レイブランド子爵は呼吸を止めて身体を強張らせ、メリアから手を離す。
腹を蹴ったつもりが、足が届かなくて下腹部辺りになってしまったけれど、衝撃を与えることができたようだ。
「旦那様を悪くいうなんて、最低です! えげつない方法で敵兵を作戦に嵌めたとか、そもそもそれが旦那様の役目でしょう? 懸命に仕事をしておられる方に対して、なんていうことを言うの!」
そもそもこの男は、親の身分を笠に着て、弱者を虐めていたのだ。被害にあった女は多く、今尚トラウマを抱えている者もいる。
この男が犯した罪を重く受け止めた国王は相応の刑罰として、陛下自ら、レイブランド子爵に身分剥奪を言い渡した。レイブランド家は、メリアとゲオルグだけでなく、過去の被害者たちへ慰謝料の支払う義務を負った。
結果、レイブランド子爵は、身分剥奪だけではなく、実家から勘当という罰を与えられ、平民に落とされたのだ。
「何が、元の地位へ戻るよ。自分のしでかしたことを理解しようともしないどころか、反省もしてないじゃない!」
「貴様……ただの使用人の分際で、調子にのりやがって」
レイブランド子爵が拳を震わせるのを見たメリアは、身体がすくんでしまう。モナが再びメリアの前に立つ。
けれど、レイブランド子爵の拳は振り上げられることさえなく、身体ごと吹っ飛んだ。
「ぬるい! もっとだ!」
響く怒声。
あっという間にレイブランド子爵へ駆け寄っていくのは、背の高い灰色の髪をした男だ。深緑の軍服を着こむ彼は、騎士団長バルバロッサ。
けれど、先日屋敷で挨拶したときとは違い、鬼神のように荒れ狂う雰囲気をまとっている。「おりゃあああ」と叫びながら、なんだかメリアたちが見てはいけないことをしているようだ。
唖然としていると、メリア、と控えめに呼びかけられた。
緊張を仄かに乗せたテノールの声に、メリアは肩を揺らして、ゆっくりと振り返る。
ゲオルグだ。
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