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第四章 秘密の部屋

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 ゲオルグとの暮らしは、ゆったりと過ぎていった。
 屋敷の仕事を学び、使用人たちとの交流を行い、ゲオルグと庭を散策したり、部屋でお互いのことを話したりと、とても穏やかだ。
 夜の営みは、ゲオルグが言ったように純潔を捧げたときの怪我が治るまではお預けらしく、ドレスの上から軽い愛撫と、濃厚な口づけという非常にもどかしい触れ合いだけになっている。
 その日もメリアは、ゲオルグと並んで寝室のカウチに座り、他愛ない話をしていた。
 ドアを叩いて執事のエドワードが来客を知らせたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
 ゲオルグは執事の元へ行き、来客の名前を聞いた瞬間、眉をひそめてため息をつく。メリアに「部屋にいるように」と言い残して、一階へ降りて行った。
 メリアは、言われた通り、寝室から廊下を挟んだ向こう側にある、自分の部屋へと向かう。
 ゲオルグがメリアに与えてくれた部屋だ。
 寝室にもメリアの着替えがあるが、メリア専用の部屋には、もっと沢山の貴婦人が纏う絹のドレスやお化粧道具、姿見などが置いてある。
 部屋のつくりも、宮廷の寮とは比べ物にならない豪華さで、やはりすべての家具が新調されていた。貴族の結婚、とくに公爵家以上の身分ある者ならば当然の準備だというが、ゲオルグの身分は伯爵だ。
 メリアは、家具は使いまわしで構わないし、女らしい淡く落ち着いた色調の部屋に嬉しくないわけではないけれど、ここまで贅沢が押し寄せてくると、喜び以上に戸惑いが先立つ。
 宮廷使用人であったメリアには不相応な待遇だが、ゲオルグの妻として振る舞うためには必要なのかもしれない。こういった部屋で、侍女に傅かれて支度を整えることに、慣れなければならないのだろうか。

(頑張るって決めたけど、何を頑張ればいいのかしら)

 女主人として屋敷の管理に携わり、ゲオルグの子を産む。それはわかるけれど、それ以外にやるべきことがわからない。
 メリアは頬に手を当てて、カウチに座った。

「……そういえば、どなたがいらしたのかしら」

 客人の出迎えに、妻であるメリアは不在でよいのだろうか。挨拶の一つくらい、必要なのでは。
 メリアは落ち着かなくて、部屋の前を行ったり来たりしたあと、いつ呼ばれてもいいように身だしなみを整えてから、そっと部屋を出た。
 来客は、一階にある客間へ通されると聞いていたけれど、僅かも進まないうちに、話し声が聞こえてきて、メリアは息をひそめた。

「しつこい男は嫌われると以前言っていなかったか?」

 不機嫌なゲオルグの声は、玄関ホールから聞こえてくる。
 どうやら客人を部屋へ案内せず、立ち話をしているようだ。

「きみに嫌われることを恐れていては、仕事ができませんよ。きみも、例え私たちの関係が悪化しようとも、仕事は別でしょう」

 はっ、とメリアは息を呑む。
 この声は、騎士団長バルバロッサのものだ。
 もしかしたら、仕事の用事でこられたのかもしれない。

(立ち聞きするのは、失礼だわ)

 あのような玄関ホールでの話など、使用人たちに丸聞こえだろうけれど。わざと聞くことと聞こえてきてしまうことは、また別である。
 慌てて踵を返そうとしたメリアは、バルバロッサの言葉を聞いて、その場で立ち止まった。

「いつ頃第二夫人を娶るんです? 第三夫人、第四夫人まで同時に娶ったほうが、平等感が出てよいと思うのですが」

 悲鳴をあげそうになり、メリアは口を押えた。
 ゲオルグがメリア以外にも妻を娶るという話は、披露宴のときにも聞いたことだ。けれど、ゲオルグからそのような話は何一つ聞いていない。
 だから、信憑性のないガセネタだと思っていた。いや、思い込もうとしていた。もしゲオルグがメリア以外の妻を娶ることになったとしても、メリアには拒んだり拒否したりする権利がないのだから。

「――必要ない」

 ゲオルグのきっぱりとした声に、メリアの強張った身体が僅かに弛緩する。知らず止めていた呼吸を、ゆっくりと吐いた。

「陛下はきみの子を望まれているのですよ? 子は多ければ多いほど、きみの才能が引き継がれる可能性が高まるではありませんか」
「種馬にされるのはごめんだ。何より、メリアは全力で、私が婚姻話に煩わされないように頑張ると言ってくれた」

 突然出てきたメリアの名前に、目を見張る。

(確かに、言ったけれど……それが、どうして今?)

 挙式前に交わした約束のことは、メリアもよく覚えていた。

「なんですって⁉」

 バルバロッサの声は、悲鳴に近かった。

「それはつまり、メリアはきみの子を、他に妻が不要なくらい産むと宣言したということではありませんか!」
(えっ!)

 改めて考えると、ゲオルグが婚姻を望まれているのは、彼の秀でた頭脳が評価されているからだ。遺伝子を残したいと考える国王が婚姻を斡旋しているのであれば、それを防ぐ方法は一つ。
 メリアがゲオルグの遺伝子を受け継ぐ子どもを、沢山産むことだ。

(ひええええっ!)

 知らなかったとはいえ、なんと大それた宣言をしてしまったのだろう。そういえばメリアが頑張る宣言をしたあと、ゲオルグは子がどうとか言っていたような気がする。

「……いえ、問題はそこではありませんね。ゲオルグ、あなた本気でメリアを愛しているのですか? カタチだけの夫婦ではなく」

 ゲオルグはすぐに否定する――ことはなく、なぜか、重々しく唸っただけだった。
 メリアの心が、ふいに、不安に揺れる。

「私はてっきり、きみは今でもミーティアを愛しているものだとばかり思っていました。ミーティアは、出来た妹でしたよ。きみと同期で騎士見習いになって、実力をつけて――」

 本能が警告する。
 駄目。
 聞いては、駄目。

「ミーティアが使用人と結婚して我が家から絶縁されたあとも、きみはミーティアと会っていたでしょう?」
(やめて!)

 メリアは、強張った指先を必死に動かしてドレスの裾を持ち上げると、全力でその場から逃げ出した。





 ゲオルグは、深いため息をついた。

「誰の命令で会いに行ったと思っている。そもそも、本気で私がミーティアを異性として愛していたと考えているのか?」

 バルバロッサは、肩をすくめてみせた。
 背の高い美丈夫は、こんな仕草でも絵になるのだから、やはりメリアを連れてこなくてよかったと安堵した。メリアには近いうちに、バルバロッサが彼女の実の伯父であることを、そしてミーティアの出生について、真実を話すつもりだ。
 メリア本人が知ったところで、ミーティアの実家であるヘリム公爵家がメリアを認めはしないけれど、バルバロッサが堂々と伯父を名乗れる環境になることは好ましい。
 メリアも、バルバロッサという自分を常に気にかけてくれる親戚がいると知れば、心強いだろう。

(だが、まだ早い)

 メリアは今、不慣れな生活へ馴染もうと必死で頑張っているのだ。混乱させるようなことは、言いたくない。
 ミーティアが公爵令嬢であったこと、バルバロッサがメリアの伯父であることなどを明かすのは、生活が落ち着いた頃がよいだろう。

「きみは、誰のことも愛せない人間です」

 バルバロッサを振り返ると、髪と同じ灰色の瞳をひたりとゲオルグへ据えている。冷やかで、拒絶を許さない口調だ。

「自分本位で、先を見据えるのが当たり前過ぎて、面白味のない日々を、野心を糧に生きている」
「随分な言われようだ」
「メリアを、子を産むための道具になどさせませんよ」

 ゲオルグは納得した。
 そういえば、バルバロッサは誤解をしたままで、ゲオルグの本音を知らないのだ。

「私とメリアは、愛し合っているのだ」
「寝言ですか?」
「……誰も愛せない私だが、メリアは特別だ。心から愛している。大切にしたい。だから、最初から、彼女以外に妻を娶るつもりはない」

 バルバロッサは、これ以上ないほどに秀麗な眉をひそめた。

「鳥肌がたつような台詞ですね。……確かめに行きます」

 言い終えると同時に二階への階段へ向かって駆け出したバルバロッサの腕を掴む。すぐに肘を捻って払われてしまうが、そんなこと承知の上だ。手を払われると同時に足を引っかけると、バルバロッサが床に手をついて受け身を取りながら倒れ込んだ。

「あんまりじゃないですか! 私はあなたの上司で、メリアの伯父ですよ⁉ 足をかけて転がすとか、人としてどうなんですか」
「出し抜くように走り出すからだ。いずれ紹介するが、今は控えてほしい。メリアも生活環境が変わり、大変なのだから」
「だったら、結婚などしなければよかったではないですか」

 露骨に埃を払うような仕草をしながら、バルバロッサが立ち上がる。懲りずにまた二階への階段へ向かって走り出したので、今度は袖を引っ張ってからの体当たりで止めた。
 再び床に転がったバルバロッサは、ぎりりと歯を食いしばった。

「ぐぬぅ、基礎身体能力は私のほうが高いはずなのに」

 実践では恐ろしいほどの強さを誇るバルバロッサは、一対一の試合でも実力を発揮する。だが、今のように煩悩だらけの彼相手ならば、単純な惑わしで動きを押さえることが出来た。
 とはいえ、じたばたと駄々っ子のように暴れはじめたバルバロッサの存在は、迷惑以外の何者でもない。

「嫌だ嫌だ嫌だっ、メリアに会わないと帰らないっ!」

 口調を乱して叫ぶバルバロッサに、盛大なため息をついた。

「仕方がない。メリアを呼んでくる、待っていろ」
「わかりました。早くお願いしますね」

 すぐに立ち直り、身だしなみの確認を始めるバルバロッサの現金さは、ある意味尊敬に値する。
 メリアを呼びに行くと、先ほどまで一緒にいた寝室ではなく、向かい側の自室にいた。ドアを僅かに開いて顔を覗かせたメリアは、やや俯き加減だ。
 バルバロッサの来訪を伝えて顔見せを頼むと、メリアはすんなりとゲオルグについてくる。何か違和感を覚えたが、何がどうおかしいのかわからない。
 玄関ホールで待機していたバルバロッサに、メリアは本物の貴族令嬢のような優雅な礼をして、挨拶を述べた。
 挨拶はゲオルグの妻として来客の歓迎を表す文句であり、愕然としたバルバロッサは自分が伯父だと知らせることも忘れて、「本当にゲオルグを愛しているんですか⁉」とメリアへ詰め寄った。メリアが頷くと、魂が抜けたようにふらふらになって帰って行く。騒がしい男だ。
 バルバロッサの見送りに執事が出て行き、玄関ホールに二人きりになると、ゲオルグはメリアへ言った。

「すまないな、あいつは昔からどうも感情が不安定でな」
「……とんでもありません」

 控えめにそう言うメリアに、ゲオルグは眉をひそめた。

「何かあったのか?」
「いえ、何も」

 メリアがそう言うのなら、そうなのだろう。
 その後寝室に戻り、二人きりの時間を再開させた。けれど、メリアは見るからに憔悴しており、よく見ると目の下が僅かに腫れて赤くなっている。
 ゲオルグがバルバロッサを出迎えに行っている間に、泣いていたのだろう。だが、なぜ。
 いつもならば、なぜ、という疑問が浮かぶと同時に、大方の見当もつくところだが、今回に関しては――いや、メリアに関しては、ゲオルグの直感や予想といったものは、一切役に立たない。
 メリアは実家を牛耳っていた女たちとは違うし、当然ミーティアとも違う。
 これが惚れた弱みというものなのだろうか。

「メリア……何か、あったのか」
「いいえ、何もございません」

 メリアはそう言うと、にこりと笑ってみせた。
 その笑顔は見ていて苦しくなるような、偽りの笑みだった。何年もメリアを守ってきたゲオルグだが、ずっと姿を見てきたわけではない。けれど、今、メリアが何か苦痛を堪えていることはよくわかった。
 だが、何もないと言われてしまっては、どうすることもできない。



 その日の夜、眠る前の口づけはとても軽いものだった。
 メリアは身体を強張らせて必死に行為を行おうとしていたが、無理をする必要はない。ゲオルグは、メリアをあやすように抱きしめてベッドに入った。
 メリアが眠ったことを確認してから、ベッドを抜け出して廊下に出る。
 盛大なため息がもれた。

「いかがなさいましたか?」
「うわっ」
「おや、旦那様がわたくしの気配を読み違えるなど、珍しいことですな」

 エドワードが、執事服をびしりと着こなした状態で立っていた。髪も頭に撫でつけており、深夜にも関わらず眠る準備をしていないことがひと目でわかる。

「こんなところで、何をしている」
「いやはや、夕食のときの奥様の様子が気になりまして。旦那様が、そろそろため息をつきながら部屋から出てこられると思ってまっておりました」
「……やはり、メリアの様子がおかしいか」
「はい。奥様は元々宮廷使用人であられます。宮廷使用人といえば、不作法一つ許されないそれはもう厳しい仕事でございます。ゆえに奥様は、どのようなときでも笑顔を取り繕うすべを身に着けておられるはずです……しかし、先ほどの奥様は、仮面を満足に被れておりませんでした」
「ふむ。他の者たちも、メリアの異変に気付いていたか?」
「いいえ。わたくしと、ツェーリアくらいでしょう」

 ほとんどの者は、メリアの笑みが偽物だと気づいていないということだ。メリア自身、そのように振る舞っているのだろう。だが……なぜだ。

「昼間、泣いていたようだ」
「なんと、奥様が!」
「何かあったのか、と問うても、何もないと言う。なぜメリアはあのように、落ち込んでいる? 何か思い当たる節はあるか?」
「旦那様が、実はむっつりスケベだと知ったからでは?」
「……なん、だと」
「以前から思っておりましたが、奥様のためにデザインされたドレスや夜着ですが、どれも脱がしやすさや、脱がす工程に非常に卑猥さを感じさせる破廉恥なものです」
「ど、どこがだ。メリアに似合うと思い、デザインしたのだが」

 例えば夜着だ。あえて腰から上のみ前開き用のボタンをつけることで、ぺらりとめくれて胸がこぼれる仕組みにしてある。メリアの大きな胸がぷるんとこぼれるところは、さぞ美しいだろう。そして初夜は実際に美しかった。興奮もした。
 ドレスもそうだ。腰に帯をつけたドレスがあるが、普段は緩く蝶々結びにして見目を楽しませるが、脱がせる際に帯を軽く引っ張ることで腰回りがきゅっとしまり、メリアの美しい肢体のラインがわかるようになっている。決して苦しくない造りにしてあるし、メリアのむちむちとした身体は、食い込みがとても似合うと考えたのだ。
 それらをエドワードに力説すると、

「そういうところでしょうな」

 と遠い目をして、言われてしまう。

「……まったく理解できんうえに、意味がわからんのだが」
「旦那様の奥様への愛は、ややキモチガワルイですな」
「なっ」
「ですが、そうですね。奥様はまだ屋敷の生活に不慣れですゆえ、これから、不安や心配事も出てくるでしょう。明後日からは旦那様も仕事でございますし、気遣いの出来るハマル辺りを奥様のお傍につけてはいかがです?」
「……ハマルは男だ」
「もちろん、傍仕えはモナにさせましょう。ちょっとしたときに、付き添いという名目でハマルをつけるのです。話しやすい男ですので、奥様も気を許されるかと」

 ゲオルグはこれ以上ないほどに顔をしかめた。
 不満だ。
 色々と不満である。
 だが、メリアの痛々しい笑み思い出すと、迷いはすぐに消え去った。

「……そのようにしよう」

 やはり色々と、不満だけれど。
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