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第三章 結婚式からの初夜

3―1、

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「やっと、念願がかないますね!」

 ゲオルグは、従者の男をじろりと睨んだ。
 ゲオルグよりも十歳下の彼は、叔父から頼まれて傍に置いている使用人で、名をハマルという。
 どことなく猿に似た見目をしたこの男はゲオルグに忠実な部下の一人でもあり、ミーティアとゾノーが死んでからの六年間、メリアの監視及び報告を務めてきた。
 ハマルのやけに馴れ馴れしい態度は、彼のよい部分でもあるので、度が過ぎない限り注意はしないことにしている。
 こんなちゃらけた男でも、ひと目がある場所では相応の態度がとれるのだから、世の中の人間はいくらでも仮面を被ることが出来るのだろう。

「六年ですよ、いやぁ、長かったな~」
「……何がだ」

 本来ならば、無視するようなハマルの言葉に律儀に返事を返したのは、ゲオルグ自身、知らずのうちに浮かれていたのだろう。
 返事をしてからそんな己に気づいて、自嘲した。
 生まれて初めての結婚式と披露宴は、準備にも何かと骨を折ったが、披露宴における賓客の対応は凄まじいもので、人数こそ結婚式より少ないが、とにかく、一人一人の話が長い。
 祝いの言葉だけを述べてくれればいいものを、ゲオルグには全く関係のない政治や派閥、貴族間における抗争の匂わせから、軍事について聞き出そうとする愚か者までいた。
 何より面倒なのは、そんな愚か者たちが国王に頼まれて招待した賓客であることと、披露宴の場で悪印象を残せば、のちのち巡りまわってメリアの害になりかねないため、適当な対応も出来ないことだ。
 仕事だと思い込むように割り切って対応したが、中には「姪を第二夫人に」などという馬鹿者もいたことには、呆れた。
 メリアとは早めに別行動をとっていたので、彼女を茶番に付き合わせることは免れたことがせめてもの救いだろう。
 とはいえ、想定以上に時間を食ってしまったことが悔やまれる。それに、披露宴とは名ばかりの事務的な対処に追われてしまったため、メリアを構ってやれなかったことも心残りだ。
 後日、改めて内輪で二度目の披露宴を開いてもよいだろう。
 いっそ、式ももう一度あげるのもいい。
 ウエディングドレス姿のメリアの愛らしさは、まさに女神のようだった。
 ほう、と思い出して吐息を漏らすゲオルグに、ハマルが言う。

「何って、ついに愛するメリア様と夫婦になったんですよ。嬉しいじゃないですか」

 にしし、と笑うハマルから視線を逸らして、ため息をついた。

「そうだな」
「俺への態度冷たくないですか?」
「疲れているんだ。それで、メリアはどの部屋にいる」
「あそこですよ」

 貸し切りにしてある披露宴会場の休憩室、その手前から二つ目のドアの前に、家事使用人の男が二人立っている。
 二人はゲオルグを見ると、背筋を伸ばして視線を下げることで挨拶をした。
 ゲオルグは頷いて、部屋に入る。

「表に馬車を待たせてありますから。俺は、後片付けに残ります」
「わかった」

 ハマルに頷いたあと、休憩室のドアを閉めた。
 メリアを探しに行かせた使用人から、メリアが休憩室で眠っているという報告を受けてやってきたゲオルグは、なるべく物音をたてずに、辺りを見回した。
 灯りのついていない部屋は、窓から差し込む月明かりでぼんやりと光景を浮かんでいる。
 だが、ぼんやりとし過ぎて、闇に眼が慣れるまでよく見えない。
 窓の傍にある戸棚、棚の手前にある無人のカウチ。小さなテーブルには、グラスとワイン、水差しが置いてあった。
 目を凝らしてさらに見回すと、壁際に淡い色の衣装にくるまった小柄な人物がいた。彼女は丸くなって眠っており、静かな寝息をたてている。
 ゲオルグの疲れた心が、水に溶けるように中和され、静かに凪いでいくのがわかった。
 メリアの眠っているカウチに腰をかけようとして、揺らして起こすのは忍びないと考え、カウチの手前にしゃがみ込む。
 いきり立つ野良猫に餌をやるように、そっと、静かに手を伸ばしてメリアの頭に触れた。

(疲れたのだろうな)

 彼女にとって貴族は、あるじとして尽くす対象だと学んできたはずだ。
 そんな貴族ばかりの、それも高位の貴族が大勢いる会場に単身放り込まれたのだから、気も滅入るだろうし、心身の負担も大きいに違いない。
 やはり傍についているべきだったか、と考えたが、メリアを貴族らの悪意や邪心に触れさせるつもりはなかった。これからも、宮廷使用人であったころ同様に、貴族らを、近いけれど遠い存在として、遠目に眺めるくらいの距離にいてくれるのがちょうどよい。
 ゲオルグはメリアを起こさないよう、そっと抱きかかえて休憩室を出ると、ハマルが用意した馬車で会場をあとにした。
 細心の注意を払ったとはいえ、馬車に乗り込んでからもメリアは起きず、段々とゲオルグは不安になってくる。
 ゲオルグはメリアを膝に乗せ、胸に凭れるように抱きかかえている。一見、眠っているようだが、実は苦しくて意識を失っているのではないか。
 そんな考えが過り、すぐに息をしているか確認する。
 
(……呼吸は穏やかだ)

 寝息も静かで、胸も呼吸に合わせて上下している。顔色はわからないが、苦悶に歪んでいるわけではない。
 次に、首筋に触れて脈をとった。
 そのとき、メリアがゆっくりと瞼をあげた。
 長いまつ毛に縁どられた大きな瞳が、あどけない幼子のように、ぼんやりとゲオルグを見る。
 至近距離で瞳を覗き込むことになり、ゲオルグは息を呑んだ。
 メリアは何度か瞬きをしながら微かに首を傾げたあと、はっと目を見張って勢いよく半身を起こした。
「あっ!」
 バランスを崩したメリアを、咄嗟に抱き寄せる。
 腰に手を回し、思い切り引き寄せたため、メリアを胸に強く抱きしめるような形になってしまった。
 これまでにないほど密着した状態に、ゲオルグは身体を強張らせた。
 メリアも身を固くしている。
 馬蹄と車輪の音が、静かな密室にやけに大きく響いた。

「メリ――」
「申し訳ございません!」

 メリアは、がばっと顔をあげてゲオルグを見たあと、唇を噛み、一度ぎゅっと目をつぶる。
 次に目を開いたとき、メリアは真っ直ぐにゲオルグを見つめ返した。
 寝起きのぼんやりとした表情とは全く違う、凛々しささえ覚える雰囲気に、ゲオルグはつと目を細めた。

(……これは、宮廷使用人としての顔か)

 戸惑いや不安を押し殺し、現状を受け入れ、今を考える。
 それはゲオルグも常日頃から無意識に行っていることだ。一種の職業病ともいえるだろう。戦場に出れば、一瞬の迷いが采配を分かつことも多々あるのだから。

「お客様をお見送りもせず、妻としての役目を放棄し、呑気に眠ってしまうなど、あってはならないことです。……どうか、償う機会をお許しいただけませんか」
「償いなど不要だ」

 メリアの顔が、暗闇でもわかるほどに青ざめた。
 慌てて、言葉を付け足す。

「招待客らとは、仕事の話も多く、その流れでそのまま帰ってもらった。そもそも、私がきみを遠ざけたのだ。……慣れぬ場所に一人にして、すまなかったな」

 メリアの表情は優れないままだ。
 命令が絶対だと教え込まれる軍人とは反対に、使用人はあるじに言われる前に考えて動けと教えられると、ハマルから聞いたことがある。
 実際、披露宴とは名ばかりになってしまったが、自身が主役であるはずの披露宴の途中で眠り、起きたら帰りの馬車のなかだったのだから、メリアのやるせない気持ちも察することが出来るというものだ。

「……ならば」

 メリアが、顔をあげる。
 恐れと期待に満ちた大きな瞳が、ゲオルグの顔を真っ直ぐ見つめてきた。

「閣下、あの、私、どうすれば……」
(近いっ!)

 刹那、ガタンと馬車が揺れる。
 ゲオルグの胸板に触れるメリアの大きな胸の膨らみや膝に座るメリアの臀部が、馬車が揺れるごとに、ぐい、ぐい、と押しつけられて、その心地よくももどかしい柔らかさに、生唾を飲み込んだ。
 気づかないふりをしていた。
 密着していることを。
 だが、どれだけ意識の外へ押しやり、厳めしい顔を取り繕っても、心身はメリアを求めて止まない。

(落ち着け。……まずは、メリアを安心させてやらねば)

 なんでもいいのだ。
 肩を揉んでくれ、とか、今後、女主として屋敷を頼む、とか、その程度のことを願えばいい。
 無難であるし、メリアもゲオルグが命じれば、言いつけを守るだろう。
 同時に『私の気持ちを考えて、あえて簡単な命令にしてくださったのね』というように、男としての株もあがるはず。
 ゲオルグは、自分に冷静になるように言い聞かせてから、口をひらいた。

「ならば今夜、妻の責務を果たしてくれ」

 酷く擦れた声になってしまう。
 メリアは大きく目を見張ったあと、頬を染めた。

(違う。……違う!)

 欲望がでた。
 漏れ出てしまった。

「メリ――」
「はい! ありがとうございます、私、全力で頑張ります」

 メリアは、心からほっとしたように微笑むと、そっとゲオルグの胸に頬を寄せる。
 まだ眠いのだろうか、目がとろんとしていた。

(……全力で。…………全力で⁉)

 何か差しさわりのないことを言うつもりだったのに、口から出たのは女嫌いの自分らしからぬ、卑猥な望みだった。
 何が、妻の責務だ。
 このような事柄を、取引のように持ちだすのは人として軽蔑されてもおかしくない。いっそ軽蔑してくれればよいのに、メリアは嬉しそうに微笑んでいる。
 ゲオルグはギリッと歯を食いしばって、にやけそうになるのを耐えた。

(落ち着こう。ああ、まず、落ち着こう。大人の余裕というものを見せねば。これだけ歳が離れているのだ)

 華麗に格好よくエスコートをして、メリアに惚れてもらう。歳の差など気にならなくなるほど、優しく溺愛するのだ。
 かつてはほとんど読めなかったメリアの心も、今ではわかるようになってきたと自負している。
 今のメリアは、ゲオルグのような接点のない男の妻にされて戸惑っているに違いない。だが、それを承知で自分の妻にしたのはゲオルグだ。

(何もかも計算のうちだ)

 メリアの、尽くすと言ってくれた気持ちは本当だろう。
 その気持ちが、契約上にある義務ではなく、愛に変わるように。
 ゲオルグはメリアを、ひたすら溺愛すると決めていた。
 
 ◇

 湯浴みのあと、マッサージベッドに寝転んで香油を塗りこまれながら、メリアはぼうっと考えていた。
 結婚式は緊張のまま、けれども幸せいっぱいに終えて。
 披露宴では、政治的な話が飛び交うところを見て、ゲオルグに促されるままに距離を取り、一人で会場をうろうろした。
 話しかけられると、自分の無知がバレると思って、ひと目につかない場所で身を潜めたが、聞きたくない噂話を沢山知ってしまう。

(あのときは落ち込んでたのに、なんだろ……今は、どうでもいいかも)

 馬車で目を覚ましたメリアを、ゲオルグは叱咤しなかった。
 不出来な妻だとなじってもいいものを、優しく気遣い、抱きしめてくれたのだ。
 式の直前に、ゲオルグはメリアを好いていると言った。

(閣下の……旦那様の言葉を信じよう)

 屋敷へついてから軽食を取ったのだが、疲労でぼうっとしていたせいか、ゲオルグと向かい合っての食事が初めてだったせいか、やたらとゲオルグの口が気になったことを思い出す。
 これまで意識したことなどなかったけれど、男性の食べ物を食べる口元というのは、とてもセクシーだ。
 自分の唇を軽くはむ。
 メリアは、ゲオルグとキスをしたのだ。
 もっと欲しくなるような、激しくて甘い強引なキスだった。

「メリア奥様」
「は、はいっ」

 メリアをマッサージしていた侍女のモナに呼ばれて、身体が大きく跳ねた。

(私、破廉恥なこと考えてた!)

 頬が熱くて、両手で頬を包み込む。
 モナはふくよかな女性で、家事使用人らしい頼りがいのあるハキハキとした物言いをする。歳は五十代半ばほどだろうか。
 屋敷へ着いたとき、複数の使用人がいたが、使用人の紹介と屋敷の案内は明日ということになり、食堂で軽食を取ってから、モナに連れられて湯浴みへきたのだった。

「旦那様は香水がお嫌いですので、香油も無臭のものを使っております。おそらく、大丈夫だと思うのですが……もし、万が一」

 モナは、ぐいっと顔を近づけてきて、一度言葉を切った。
 ごくりと生唾を飲み込んで、続きを待つ。

「旦那様が、奥様に手を出さないようなことがございましたら、明日、おっしゃってくださいませ」
「……手を出さない?」

 一瞬首を傾げそうになったが、今夜は初夜だ。
 確かに、夫婦の営みがないとなると問題だが、ゲオルグは馬車で『妻の責務を果たしてくれ』と言ったはず。
 モナは頬に手を当てて、眉をさげ、露骨に困ったわポーズをした。

「旦那様は、女嫌いなのです。それはもう、かなり。ですから、此度の結婚のことも、おそらく何か事情があることは察しております」

 事情がある結婚。
 その通りだ。元々、利害の一致による契約結婚のはずだった。
 挙式前に告白を受けなければ、メリアは今でも、契約結婚だと思っていただろう。

(愛し愛されての結婚、だと思っていいのよね……?)

 ゲオルグをよく知る者たちは、モナのように契約結婚だと思っているのだろうか。
 そういえば、ゲオルグは策士として有名だ。
 メリアに甘い言葉をくれたし、彼の誠実さも感じたけれど、馬車のなかでメリアへ許しの言葉を告げたあとは、とても厳しい顔をしていた。
 もしかしたら、メリアの妻としての至らなさを、本当は怒っているのかもしれない。
 どちらにせよ、ゲオルグに気遣って貰ったことに変わりはないし、とても素敵な旦那様で、メリアの気持ちは揺るがない。
 だが、ゲオルグはどうだろう。
 地位も名誉もある素敵な男性で、フィーアもゲオルグはとてもモテると言っていたではないか。

(殿方は、同時に複数人の女性を愛せるって話もよく聞くもの。……もし、嫌われたら、私……)
 青くなるメリアには気づかずに、モナは言葉を続けた。

「ですが、あの旦那様が妻を娶られたことに変わりはありません。なんとしても、世継ぎをこさえていただかなければ」
「世継ぎを、ですか?」
「奥様、わたしにそのような丁寧な言葉は不要ですよ」
「はい、あ……わかったわ」

 モナがマッサージを再開したので、メリアもまた、ベッドに横になった。

「この屋敷はむさくるしくて、働く女たちも私のような既婚者ばかり。奥様のような若々しい華やかな方が来てくださって、皆、とても喜んでおりますよ。皆、奥様の味方です。お辛いことがございましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね」

 マッサージでもちもち肌になったメリアは、夜着に着替えて、姿見の前に立った。
 長い赤茶の髪は頭上に結い上げて、首筋から鎖骨が露わになっている。化粧を施していないメリアは、魔法が切れたただの娘で、挙式にいた美女はどこかへ消えてしまっていた。
 鏡に映るムチムチとした自分の姿に、ため息が漏れた。
 ゆったりとしたワンピースのような夜着だが、腰の部分から上には、前開き用のボタンがついている。初めてみるデザインだが、腰部分が強調される造りになっているせいで、余計に太って見えるのかもしれない。
 ふと、鏡越しにモナが涙を流していることに気づいて、ぎょっとする。

「モナさ……モナ。どうしたの」
「旦那様が、奥様のように美しく魅力的な女性を妻に選ばれる日がくるなんて、わたし、お仕えしてきてよかったと思ったのです」

 モナはメリアの手をがしっと握った。

「旦那様は本来、奥様のような魅惑的なお身体の女性は、特別に毛嫌いされております」
「えっ」
「それでも奥様を選ばれ、傍に置かれる決意をなさったのですから、やはり奥様は特別なお方なのです」

 メリアは、そっと自分の身体を見た。
 魅惑的という言葉を選んでくれたモナの優しさが染みる。

「そろそろお時間です、急がなければ。奥様、とてもお美しいです。きっと、普段冷静かつ厳しく知的な旦那様も、ただの獣と化すでしょう!」

 それはそれでどうなのだ、と思わなくもなかったが、モナの真剣な瞳に気おされて、メリアは「頑張るわ」と答えた。
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