初恋をこじらせた騎士軍師は、愛妻を偏愛する ~有能な頭脳が愛妻には働きません!~

如月あこ

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第三章 結婚式からの初夜

2、

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 挙式会場で、メリアは鏡に映る自分を見て、呆然としていた。

(……誰、これ)

 婚礼のメイクを施したメリアは、いつもの目ばかり大きな童顔のメリアではなかった。
 可愛さを残しつつ大人びた雰囲気をまとっている女性が鏡に映っており、ヴェールに合わせて整えた髪は、流行のゆるふわになっている。いつも後ろで纏めるだけだった髪も、こうして巻くと重くなさすぎない柔らかな印象を与えるようだ。
 メリアは、視線を鏡に映る己の身体に向けた。
 メイクはわかる。
 髪型もそうだ。
 プロの手にかかれば、別人のように美しくなるという話は聞いたことがあった。けれど、身体はどうしようもできない。
 メリアは自分が太っていると、ずっとそう思ってきた。
 なのに。
 幾重にも生地を重ねた純白のドレスは、女性らしい嫋やかな肢体を包み込み、大きな胸を寄せてあげているためか、とても美しい曲線美を描いている。
 コルセットを締めているわけでもなく、ドレスの生地で体型を誤魔化しているわけでもない。
 身体のラインに沿ったウエディングドレスを着ているのに、醜いと思っていた身体が、まったく気にならないのだ。

(これが、プロの衣装屋さんが作るフルオーダー)

 メリアが医務室から宮廷使用人寮へ移動してすぐ、針子を連れた仕立て屋がやってきた。婚礼用のウエディングドレスを、急いで仕立てなければならないとかで、メリアは戸惑いながらも言われるままに動いて、採寸を終えたのだ。
 一応希望を聞かれたが、よくわからなかったので「私みたいな体型の者が着ても、閣下が恥ずかしくないものなら、なんでも」と伝えると、仕立て屋の年配女性は、にっこりと笑って胸を張った。
 彼女が自信満々に「お任せください」と言った理由が、今ならばわかる。

「よくお似合いですわ」

 鏡の前に立つメリアに、仕立て屋の女性が言った。
 彼女の目の下にうっすらと隈があるのは、仕事を急がせたせいだろうか。このドレス一着に、かなりのカネが動いたのだろう。
 考えただけで、国宝の花瓶を抱えているような気分になる。

「あの、どうして細く見えるんですか?」

 仕立て屋の女性は微かに目を見張ったあと、優しく微笑んだ。

「視覚的なデザインを施しております。こちらの銀糸ですが、あえて縦のラインを強調するように、胸から腹部にかけて散りばめてございます。ですがこれは、あくまで背が高く見えるよう視覚を誤魔化しているに過ぎません。奥様は、ご自身を太いと思っておられるようですが、そのようなことはございませんよ」
「そうですね、ありがとうございます」

 彼女はメリアを奥様と呼ぶ。
 むずむずと面映ゆくなる言葉だ。

「これは世辞ではなく、事実です」

 仕立て屋が頬に手を当てて、ため息交じりに続けた。

「最近は、細身の女性が美しいという風潮がございますが、本来の女性の肉体美というのは女性が持つ丸みや柔らかさにございます。名画の数々を思い浮かべてくださいませ、折れそうなほど細い腰の女性が描かれている絵画は、女性ではなく衣装や場面を取り立てているものがほとんどで、肉体美を表す絵画はふくよかな女性が多く……こほん」

 何度か露骨に咳ばらいをした仕立て屋は、鏡に映るメリアを見てうっとりと目を細めた。

「奥様は、女性らしい美しさをお持ちです。細すぎず、かといって太っているわけでもない。神が与えた至高の肉体美をお持ちですわ。世の男性は、奥様の肉体に惹かれずにはいられないでしょう」
「それは、喜んでいいのですか?」

 仕立て屋の言葉をそのまま受け取ると、身体目当ての男たちが集まってくるよ、と言われているように思うのだが、考えがひねくれ過ぎだろうか。実際、使用人として正式雇用された頃から、男たちにちょっかいを掛けられるようになったのだ。以前は平らに近かった胸が、その頃にはたわわに実っていたように記憶している。
 苦笑交じりのメリアの言葉を聞いた仕立て屋は、哀しげな表情をみせた。

「……すでに苦労をされておいでなのですね。それこそ奥方が美しいという証拠ですわ」

 仕立て屋は慰めるようメリアの肩に手を置いたあと、ドレスの肩口やら袖、裾までを確認していく。

「ですが、そのように苦悩に満ちた日々も終わります。奥様は、奥様のすべてを愛しておられるゲオルグ・グートハイル閣下とご結婚なさるのですから。きっと、幸せになれますわ」

 メリアは曖昧に微笑んだ。
 仕立て屋は何も言わず、丹念にドレスを確認する。

(……これは契約結婚だけど。閣下はお優しいから、私を無碍にはなさらないと思う)

 あの日の激しいキスは、まるで愛されているかのようだった。
 けれど、ゲオルグは一度もメリアを愛しているとは言っていないし、契約結婚であることを強調していたようだった。
 以前にもメリアと会ったことがあると言っていたことから、宮廷に出仕していた父ゾノーと知り合いだったのかもしれない。一度は捨てた考えだが、ほかにゲオルグと過去に関われるだけの接点が見つからないのだ。
 ゲオルグは、レイブランド子爵から助けた女がゾノーの娘だと知り、保護するという意味合いも含めて、メリアを契約結婚の相手に選んだのではないか――と、メリアは考えた。

(お父さんに感謝しなきゃ)

 ゲオルグは本当に素敵な人だ。
 あのような方の傍にいられるだけで、十分すぎるほどに幸福なのだから、愛されたいと願うなど贅沢過ぎる。
 ゲオルグは女嫌いだと聞いたから、今のところメリアを偽装結婚の相手に仕立て上げて結婚を仄めかす者たちから逃れるつもりなのかもしれないけれど。
 いずれゲオルグに、心から愛する女性が現れるだろう。
 そのときは、潔く身をひく覚悟だ。
 ただ、いずれと思いながらも意外と近い未来かもしれないし、実際にそのときがくれば、メリアの胸は張り裂けるほどに痛むだろう。
 それでも、覚悟をして結婚式に望むことで、別れのときが来ても、メリアは笑顔を保つことが出来るはずだ。
 準備を終えて、あとは式が始まるのを待つだけとなった頃。
 待合室のドアを力強く叩く音がして、花婿用の純白の正装に身を包んだゲオルグがやってきた。
 深緑の軍服姿しか見たことのないメリアは、端正な顔に驚愕を浮かべるゲオルグを、食い入るように見てしまう。
 いつも耳の下あたりでうねっている髪を今日は整髪料で頭に撫でつけており、禁欲的な軍服よりもさらに禁欲さを醸す純白の正装は、ゲオルグを年齢より若く見せ、彼自身が持つ静謐な美しさや魅力を引き立たせている。

(……やっぱり、素敵なひと)

 はっ、と我に返ったメリアは、見惚れていた己への羞恥とゲオルグの凛々しい姿に頬を染めて、一度そっと俯いて気合を入れてから、顔をあげた。

「閣下、素敵なドレスをご用意してくださり、ありがとうございます。閣下の正装姿、とても麗しく見入ってしまいました」

 ゲオルグは、何度か目を瞬いたあと、視線を逸らした。もごもごと口の中で何かを呟いてから、メリアの全身を見て、大きく頷く。

「よく似合っている」
「ありがとうございます」
「本当に……よく、似合っている」

 ゲオルグの手が伸びてきて、メリアの頬にツツッと触れた。
 一瞬で手は離れて行き、無意識に身構えていたメリアは、残念な気持ちになる。

(もっと触れてほしい)

 こうしてゲオルグと顔を合わせるのは、医務室の隔離ベッドで説明を受けた日以来だ。その後は、仕立て屋や式場の者、ゲオルグの使用人などが要件を伝えたりメリアを迎えに来たりで、ゲオルグ本人と会う機会がなかった。

(……もう貪欲になってる。気を付けないと)

 触れてほしいだなんて、女嫌いを公言する彼に望むことではない。
 結婚式もきっと、周囲に結婚したことをアピールするため、これほど大々的に行うのだろう。
 今、メリアがいる場所は、王城の敷地内にあるチャペルだ。
 王家の血が流れる大貴族や上流貴族が婚礼をあげる際に使用する場で、中流貴族以下も用途によって使用料金を支払うことによって利用可能となっている。
 メリアは宮廷使用人なのでチャペルへ近づいたことがなかったが、こうして立っている控室でさえ、家具や壁、ほんのわずかな調度品の一つをとっても、高級品ばかりである。
 それでいて目立ち過ぎない上品さがあるのは、あくまで主役が新郎新婦だからだろう。
 国宝級に美しいチャペルで開かれる、一流のウエディングプランナーによる結婚式と披露宴。
 それは、レイゼルゾルト王国で暮らす女性すべての憧れだった。
 メリアが幼い頃、母のミーティアがこういう場所で結婚式が出来たら女として生涯の想い出になると瞳を煌めかせていたことがある。
 メリアもまた、ミーティアと共に憧れたものだ。
 王城のチャペルで愛する人と挙式を行い、大々的な披露宴をして、初夜に挑む。その際、夫婦のベッドは天蓋つきがいいわ、と結婚に憧れを抱いていたメリアはミーティアに話したのだ。ゾノーはまだメリアには早い話だと怒ったけれど、ミーティアはメリアを応援してくれた。
 懐かしい想い出に胸を温めたメリアは、あのとき憧れた場所に立っているのだと思うと、嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちになってしまい、気を取り直して微笑んでみせた。

「あの、閣下。わたし、頑張ります」

 メリアは、白いレースの手袋越しに、拳を握り締める。
 気を利かせたのか、いつの間にか仕立て屋はいなくなり、ドレスを着せてくれていた女たちや説明をくれたプランナーの姿もなかった。
 静かな部屋に二人きりのため、メリアの言葉はよく聞こえた。

「閣下の名の恥じぬ、妻に相応しい振る舞いをしてみせますね」
「……そのことだが」

 ゲオルグは、メリアとの距離をつめた。
 驚いて見上げるゲオルグの表情は、やや眉をひそめており、何かを堪えているようにも見える。

「あの夜、契約した内容を覚えているか?」
「はい、勿論です」

 レイブランド子爵から助けてもらった夜、庭園でのことだ。

――私には妻を娶らねばならない理由がある。その点において、きみは適していると言えるだろう。この契約は、お互いのためだ。

 ゲオルグはそう言った。
 そして、相手がいない、とも言っていたはずだ。

「フェアではないから、私の都合も話しておこう。私は……この歳だ、周囲から結婚をしろとうるさく言われる。だがそれが煩わしい」
「はい。結婚することで、それらをかわそうということですね。私、閣下のお役にたてるよう全力で頑張ります!」

 ゲオルグが、徐々に目を見開いていく。
 彼が、まるで予想外のことを言われたような反応をしたので、メリアは突然不安になった。もしかして、求められているのは別のことだろうか。

「そこまできみの力を借りるのは申し訳がない気がするが……子は天からの授かりものであるし……だが、望んでくれるのならば、それはとても喜ばしいことだ」
(……ん?)

 子、と言ったのか、今。
 メリアが、ゲオルグからの想定外の言葉に思考停止している間にも、話は続く。

「話は戻るが、それが妻を娶らねばならない理由だ。仕事的にも独身を貫くことが厳しくなってきておってな。私の血筋を望む声も多い。だが、私は女嫌いだ」
「はい」
「回りくどい言い方は好まん。ゆえに、はっきりと言おう。私の結婚相手にきみが適していると言ったが――」

 メリアは、両手を握り込む。
 何を言われても、笑顔で応えなければならない。
 ゲオルグは一度言葉を切って、思案したあと、言葉を選ぶように告げた。

「きみがよいと、思ったのだ」
「……はぃ?」

 間抜けな返事をしてしまう。
 ゲオルグは、ゆっくりと視線を合わせたあと、僅かに頬を朱に染めて、視線を外した。

「信じられんだろうが、私にはメリア、きみが必要だ」
「え、あ、あの」
「戸惑うのもわかる。私のような父親ほど歳の離れた男に、好いていると言われたとて気持ち悪いだけだろう。だが以前にも話したように、私はきみを離さない。決して」

 つと。
 獲物を狩る肉食獣のような、ぎらりとした視線がメリアを射抜く。

(い、いま、好いている、って……おっしゃった?)

 身体をすくませて小さくなるメリアは、野ウサギのようだ。
 酷く混乱した。
 メリアは、形だけの妻ではなかったのか。
 あの騎士軍師という特別な地位を賜っている硬派で女嫌いのゲオルグが、頬を朱に染めてメリアを見ているなんて、これは夢かもしれない。

「きみは、生涯私の妻だ。他の誰にも渡さん」

 誠実さに溢れた、真っ直ぐな言葉だった。
 だが、あまりにも唐突過ぎて、素直に喜ぶには心の準備が出来ていない。

(……あっ、返事を、しないと)
「わ、私も、閣下を離しません!」

 咄嗟に口から出た言葉に、ひゃあああと心のなかで絶叫する。
 失礼な言い方をしてしまった。
 それに、何を言っているのかメリア自身訳が分からない。露骨に混乱してしまった自身の失態と、ゲオルグから伝えられた予想外の言葉を徐々に理解することで、メリアの頬が赤くなる。
 ぽかぽかと熱くて、顔から湯気が出ているのではないかと思えるほどだ。

「ふっ」

 突然、ゲオルグが噴き出して、自らの口元を押さえると、横を向いた。

「随分と心地よい口説き文句だ。きみは常に私の想定の上をいくな」
「え、あ、あの」
「褒めているのだ、きみの素直さを見習わねばならん」

 ゲオルグは視線を戻すと、メリアの頬に触れた。
 白い手袋越しに、温かなぬくもりが伝わってくる。

「卑怯な私は、利己的な考えでしか動けん。きみとの結婚も早々に終えて、私から離れられなくしてやろうと思っていたが」

 ゲオルグは一度言葉を切って、ふと、不器用に微笑んで見せた。

「医務室で真っ直ぐに私へ言葉をくれたきみを見て、改めていこうと考えた。こんな卑怯で愚かな、歳の離れた私でもついてきてくれるというのなら、私はすべてをかけて……きみを愛したい」
「ついていきます、どこまでも、ずっと」

 頬の手に、メリアは自らの手を重ねる。
 ゲオルグは笑みを深めて、もう片方の手でメリアの腰を撫でた。
 優しく、壊れ物を扱うように。

「よかった」

 ゲオルグは、そう言って身を屈めると、メリアの髪に口づけを落とす。

「今日は、忘れられない日にしよう。大切な記念になるように」
「……あの、王城のチャペルを式場に選んでくださったのって、もしかして」
「ここが、一番人気だと聞いたのだ。地位や名誉は有効活用せねばな。国王陛下も喜んでお力添えくださった。式場でも最高のプランになっている」

 そう言って、にやりと笑うゲオルグは悪人のようだ。
 腰を撫でていた手が臀部まで降りてくるのだから、尚の事、悪い男に思えてしまうのに、そんなゲオルグが愛しくてたまらない。

(私のために、このチャペルを……?)

 メリアを気丈に振る舞わせていた壁が、ボロボロと崩れていく。
 これは契約結婚で、愛されることなど生涯ないと覚悟しなければならなかったのに。

(離さないって……好いているって、言って、下さったっ!)

 瞳にうっすらと涙を溜めたメリアを、ゲオルグはそっと抱き寄せた。

「ああ、たまらんな」

 耳元で囁く低い声は、熱い熱を孕んでいた。
 押しつけるように身体を抱きしめられて、ドレスの上から臀部を、腰を、じれったいほどの動きで撫でられる。反対の手はメリアの首筋を、つつっと辿り、胸の膨らみにそっと触れた。

「この身体は、私のものだ。あの子爵にも、他の誰にも触らせん」

 吐息が耳を犯し、きゅう、と下腹部が切なくなる。ゆるゆると撫でまわされる大きくて硬い手の動きが、優しいのに酷く卑猥で、胸に添えてある反対の手がほとんど動かないのも、もどかしい。

「メリア」
「は、はい」

 名前を呼ばれて、いつの間にかもぞもぞと自ら身体を動かしていたことに気づいた。
 羞恥で真っ赤になるメリアに、ゲオルグが低く笑う。

「今夜、早めに屋敷へ戻るぞ。きみの全部を知りたい。……いいな?」

 拒絶を許さない声に、メリアは頷く。
 もとより拒絶などするつもりはない。
 ただ、女嫌いのゲオルグとの契約結婚なので、まさか自分が求められるとは思っていなかった。
 初夜などあってないようなものだと考えていたため、今夜夫婦の営みをするのだと仄めかされて、メリアの頬は真っ赤になり、全身が火照ってしまう。

「ありきたりの言葉になるが、きみを幸せにすると誓う」
「……ありがとうございます」

 ゲオルグはもう一度、メリアの髪に口づけをした。




 荘厳な雰囲気を醸す式場は、ステンドグラスにパイプオルガンのある大聖堂のような場で、国王や騎士たち、貴族らやメリアの知り合いの宮廷使用人たちまで、大勢の人が参列しており、祝福を示すフラワーシャワーを浴びながら、メリアはゲオルグの妻となった。
 国王エトヴィンはもっともよい席に陣取って満足げに式を眺めており、参列した女たちが羨望の瞳でうっとりとメリアを見ている。フィーアは目を真っ赤にしてぼろぼろと涙を流し、彼女の傍で婚約者のアランがフィーアを優しく見守っている姿があった。
 なぜか、騎士団長バルバロッサだけは、泣いたり悔しがったり苦い顔をしたりと、美しい顔による顔芸で忙しそうだったが、フラワーシャワーを誰よりも沢山、両手で撒いていたので、心から祝福したいがために出てしまった顔芸なのだろう。
 大広間へ場所を移動しての披露宴は、ゲオルグの招待客に加え、ゲオルグを取り立てたエトヴィンが呼んだ賓客もいる。
 大貴族や上流貴族、重役の任にある者などが殆どで、メリアは緊張のために笑顔を張り付けるだけで精一杯だった。
 残念ながら、メリアの知り合いは披露宴には出席していない。
 彼らは今夜も仕事があるため、挙式を終えてすぐに帰って行ったのだ。本来ならば、挙式でさえ出席が難しいだろうに、予定を変更してまで出席してくれた皆には、感謝しかない。
 ゆえに、披露宴に出席している人々は皆、メリアが面識のない偉い人ばかりだ。
 披露宴序盤、堅苦しい挨拶が終えて、立食式の食事会になった頃、食事もほどほどにメリアは休憩のために庭に出た。
 ゲオルグは未だに忙しなく挨拶を交わしているので、そっとしておいた方がいいだろう。
 この大広間に近しい場所で、いつもは使用人として働いていることを考えると不思議な気分だ。
 ぬるい風に当たっていると、ふいに、声が聞こえてきた。
 聞こえてきたのは女性の声で、なんとなく、メリアは声のほうへ歩き出す。

「――でも意外ですわ。グートハイル閣下には想い人がおありだと聞いておりましたのに」

 ぴた、とその場で足を止める。

「閣下と同期の女性でしょう? けれど、前々から結婚については言及があったようですから、やっと想い人を忘れる覚悟をなさったのでは」
「それにしても、なぜあんな、使用人の年増女を選んだのかしら? まぁ、あの身体で誘惑したに決まっているけれど、まさか閣下に愛されているとでも思っているのかしらね。結婚式での、あの誇らし気な顔。憎らしいわ」
「ふふ。あなたは、あのチャペルでの結婚が羨ましいのでしょう?」
「それもありますけれど」

 貴婦人がふたり、雑談をしながら庭を散策している。
 美しくドレスを着こなし、ゆったりとした上品な所作をしている彼女たちは、正真正銘の貴婦人だ。
 メリアは自分の身体をみた。
 ウエディングドレスから着替えたのは、薄い桃色のドレスだ。胸元を覆うフリルにキラキラとしたカットガラスの繊細な意匠を散らした美しいデザインで、胸元と同じフリルが袖にあしらわれている。
 これでは袖が邪魔で給仕が出来ない、と着替えた際に真っ先に思ってしまった自分自身に苦笑したものだ。それでも、こうして着飾ることで、少しでもゲオルグに近づけた感覚がして嬉しかった。
 けれど。
 本物の貴婦人たちを目の当たりにすると、メリアは酷く浮いている。
 ゲオルグの選んだ仕立て屋がオーダーで作ってくれたので、とてもメリアに似合う装いになっているにも関わらず、言動が壊滅的に貴族ではないのだ。
 メリアには、彼女たちのようなおっとりとした振る舞いや、歩き方はできない。
 そうやって強引に意識を、ドレスや自分自身、彼女らの麗しさへ向けるけれど、本当は、彼女たちが話していた内容が気になって仕方なかった。
 ゲオルグには想い人がいたのだ。
 すぐに踵を返して、メリアはその場を立ち去った。

(でも、閣下は私を想っていると言ってくださったわ)

 肩で息をしながら足を止めたのは、会場の入り口近くだ。ここは人の出入りが激しいため、メリアは急いで会場に入り、奥の休憩室へと向かう。
 挨拶は終えているため、あとは自由に過ごしてよいことになっていた。
 だが、メリアはここに――貴族の世界に、知り合いはいない。
 幸せいっぱいだった挙式前の心地は、どこへ行ってしまったのだろう。休憩室の近くにやってくると、中から笑い声が聞こえて、メリアははっとドアから離れた。
 休憩室は他にもある。
 別の場所を使おう。

「――まぁ、すぐに第二夫人を娶ることになるさ」

 聞こえてくる会話は、メリアが望まぬものだと本能が警告を鳴らす。

「グートハイル殿ほどの策士は早々おらぬ。血筋は多い方がよいし、陛下とて、グートハイル殿には第四夫人まで娶らせるつもりだとおっしゃっておられたはずだ」

 メリアは、震える足を動かして、転ばないよう壁に手をつきながら休憩室を目指す。
 やっとのこと休憩室に辿り着くと、倒れるようにカウチへ横になった。

(……見ているのと、全然違うのね)

 宮廷使用人として貴族たちを見てきたが、いざ自分が貴族社会の扉を開いてみると、想像していたよりも居心地が悪い。
 貴族でも身分ある者は、妻を複数娶ることがある。
 これは、愛人という存在が疎まれる風習にあるためだ。愛人を持つくらいならば、正式に妻にしてしまえということらしい。
 知識として知っていたことだ。
 そして、少し考えれば、ゲオルグの血筋を残したいと切望する者が多いことにも気づけただろう。なぜ、妻は自分一人だと思い込んでいたのだろうか。

(でも、閣下は結婚を望まれていないはず。……いいえ、そもそも、私と結婚したいと望んでくださったのよ)

 ゲオルグがくれた言葉を思い出して、微かに笑った。

(なんだか、嬉しかったり、哀しかったり、辛かったり、忙しない……疲れているのかも)

 早朝から準備を始め、昼をとっくに過ぎた時間になっている。
 そう思った途端、目がとろんとして、睡魔がやってきた。
 一人になり、緊張の糸が切れたのだろう。

(……少しだけ、寝よう。起きたらきっと、噂なんてどうでもよくなってる。だって、例え事実でも、私が閣下を愛していることに変わりはないもの)

 何より、ゲオルグ本人から愛を囁かれたのだ。
 他の誰よりも、信じられる。
 やがてメリアは、そっと意識を手放した。


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