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第三章 結婚式からの初夜
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頬を蹴られた怪我は、思いのほか酷かった。
夜も眠れないほどに痛むうえに、話すだけで皮下組織が引きつるような激痛に見舞われるため、食事をとるのも億劫なのだ。
メリアが近々、結婚退職する話はあっという間に広まり、侍従長は当然のようにフィーアをメリアの世話係につけてくれた。おかげでゆったり療養できて、さほど不自由はない。
一介の使用人に専属の世話係をつけるなどあり得ないことだが、ゲオルグと婚約しているメリアを放っておくわけにもいかなくなったのだろう。
旧友と過ごす時間は、とても穏やかに過ぎた。
三週間が過ぎたころには、頬の傷もほとんど治り、やや青い部分が残る程度になった。足の捻挫も痛みが引いて、無理は禁物だと医者に釘を刺されはしたが、松葉杖なしに自力で歩けるようになっていた。
「来月は、フィーアの結婚式ね。結婚後も仕事を続けるんでしょう?」
努めて明るく言うと、フィーアが嬉しそうに微笑んだ。
「そうなの! 仕事はギリギリまで続けようと思ってて。あっ、そうだ。結婚式場も決まったの!」
「おめでとう、順調みたいね」
「ありがとうメリア。ぜひ式には来てね、約束よ。あたしもメリアの結婚式に――」
フィーアが、言葉を途切れさせて、黙り込んだ。
これまでも、お互いの結婚式に呼ぼうねと約束してきたのに、何を戸惑うことがあるのだろう、とメリアは首を傾げた。
「フィーア?」
「……私みたいな平民が、行ってもいいのかな」
おずおずと、遠慮がちに呟いたフィーアに、メリアは目を見張る。
「あ。……私、騎士様と結婚するのね」
「メリア⁉ なんでそんな忘れてたみたいに言うのっ、凄いことなのに!」
照れたと思ったら落ち込んで、今度は焦ったように怒る。ころころと表情の変わるフィーアの愛らしさに、メリアは目を細めて微笑んだ。
「なんだか、実感がなくて」
「ゲオルグ・グートハイル様といえば、あの『騎士軍師』なのよ? 叡智で国を救った方なのよ? 伯爵家の出身で、家督こそ継いでおられないけれど、そんなことどうでもいいくらい名誉と地位がある方なんだから!」
「……詳しいのね」
「そりゃあ、有名人だもの。未だに独身で浮いた噂一つないグートハイル閣下は、禁欲的なところが魅力だって、閣下を慕う女性も多いんだから。そんな凄い方のところへメリアが嫁ぐなんて、なんだか鼻が高いわ」
フィーアのほうが、メリアより現実的に受け止めていることが不思議だった。
メリアは未だにゲオルグとの結婚話が、偽りではないかと思うときがある。ゲオルグに会ったのは二度で、どちらもメリアを危険から助けてくれたせいか、ふわふわと夢のように非現実的なのだ。
メリアは無邪気なフィーアにつられて、くすりと微笑んだ。
「私、貴族とかよくわからないんだけど。閣下にお願いして、フィーアたちも呼んで貰えるようにするから」
「嬉しい。メリアのウエディングドレス姿を見たら、あたし泣いちゃうかも」
「私だって、フィーアの結婚式で沢山泣いちゃうと思うから、ハンカチを沢山持って行かなきゃ」
二人で笑い合ったあと、ふと、フィーアが真剣な表情をした。
「ねぇ、メリア。メリアは、本当に、グートハイル様と結婚したいの?」
突然の質問に、メリアはぽかんとした。
あまりに唐突過ぎて、驚くことすら忘れてしまったのだ。
そんなメリアをどう思ったのか、慌ててフィーアが付け足した。
「メリアってどっちかというと、恋より仕事に生きるタイプだと思ってたから」
なるほど、とメリアは頷く。
確かに、これまで『いつか結婚したら』という夢物語を話し合ったことはあっても、メリアのほうから好みのタイプだとか、憧れや理想の男性について語ったことはなかった。
メリアはほんのりと頬を染めて、両親が他界したあと、いつの間にか自分の深くへ沈めていた、かつての夢を話すことにした。
「私ね、実は元々、結婚願望がとても強かったの」
「えっ、ええ⁉ 仕事人間のメリアが⁉」
「両親が死んでから、悲しみを忘れるためと生計をたてるために働き続けて、いつの間にか今に至ったけれど。私ね、元々お嫁さんになりたかったの。諦めていた夢が叶うなんて、こんなに嬉しいことはないわ」
フィーアは、少し考え込むように俯いたあと、戸惑いがちに口をひらく。
「そうじゃなくて、メリアはグートハイル様と、結婚したいの? メリアは美人だし、もっと歳が近い人だっていると思うの。メリアって、あんまり地位とか名誉にこだわるタイプじゃないでしょ?」
「そうね、地位や名誉は……」
理想の結婚相手を想像した瞬間、真っ先に浮かんだのはハクモクレンの花を差し出す男性の姿だった。
あれは、メリアがまだ宮廷使用人見習いだった頃、実家の庭で、一度だけ会った人だ。名前も知らず、顔さえ忘れた初恋の人は、結局あれ以後一度も会うことがなかった。
今では、とても優しく温かい想い出だ。
(そういえば、グートハイル閣下のお姿を見たとき、一瞬、ハクモクレンの花を思い出したけれど)
もしかして、という想像をして、頬を染めた。
初恋の人がゲオルグだった、などという運命的なことが現実に起こるはずがない。
乙女にもほどがある妄想に顔が火照って、ぱたぱたと手で仰いだ。
「メリア、今何考えたの?」
にまっとにやけたフィーアの表情に、メリアは唇を尖らせる。
「……初恋の人を想い出したの。顔も名前も覚えてないんだけど、その、ちょっと、グートハイル閣下と似てるなと思っただけで」
「つまり、初恋の人が閣下ならいいなって思ったのね。ふふん、何よメリア。とっくに閣下に惹かれてるんじゃない~」
明るく微笑んだフィーアに、メリアは口を開いて閉じた。
先ほどより頬が熱い。
(惹かれてる? 私が、そういう意味で、グートハイル閣下に?)
親子ほど歳の差があるし、しかもこれは契約結婚だ。愛のない結婚だ。ならばどんな相手が理想なのかと考えると、浮かぶのはなぜかゲオルグの姿だった。
二度も危険な所を助けられて、男らしい力強い腕に抱きかかえられたのだから、惹かれないほうがおかしいのかもしれない。
しかもメリアから見たゲオルグは、紳士的で優しく、とてつもなく素敵な男だった。
(私が、グートハイル閣下を、好き? で、でも、それって仕方がないことだと思うの。閣下は、本当に本当に、素敵な方だもの)
自分にごにょごにょと言い訳をしていると。
「なんだか、心配いらなかったみたい」
フィーアが、ふふっと笑った。
安堵と揶揄いの混ざった視線を向けられて、メリアは益々顔を赤くした。
そのとき、医務室のドアをノックする音がして、フィーアは部屋を出て行った。
一人になったメリアは、熱い頬を冷ますため、顔に枕を押しつける。ひんやりとした枕カバーの冷気が心地よい。
メリアが三週間過ごしていたのは、医務室の奥にある小部屋だ。
宮廷使用人の寮へ戻らなかったのは、ゲオルグがメリアに会いにきても、すぐに会うことが出来るようにという配慮からだった。
(……でも、閣下が会いにくるかも、なんて心配はいらなかったな)
三週間、ゲオルグは一度もメリアに会いに来ていない。
彼が多忙なのは知っているし、元々愛のない契約結婚なのだから、彼がメリアのもとへ足を運ばないのは当然だろう。
ゲオルグが定期的に言付けを寄越してくれるので、かろうじて自分はいずれゲオルグと結婚するのだと理解できている。言付けの内容はいつも同じで、メリアを気遣う言葉と婚姻と婚礼の手続きについての進捗報告だ。
真面目な人、なのだろう。
会いにこなくても、充分すぎるほどゲオルグの優しさが感じられることが、不思議だった。二度しか会ったことがないのに、ゲオルグを想うと、愛しさと同時に、懐かしい温かさを感じるのだ。
つい先ほどまで自覚はなかったが、どうやらメリアは既に十分すぎるほど、ゲオルグに惹かれているらしい。
(一方的に想いを募らせて、迷惑かけないといいけど)
あくまでゲオルグとの結婚は契約で行われるもので、彼には彼の事情がある。
メリアの危機を察したゲオルグが、気遣って自分の事情にメリアを組み込んでくれたに過ぎないのだ。
愛されていると勘違いしないようにしよう、とメリアが気を引き締めたとき。
コンコン、とドアがノックされた。
フィーアが戻ってきたのだろうと返事を返すと、現れたのはゲオルグだった。
(え……えっ、えええっ!)
思わず背筋が伸びる。
今のメリアは、すっぴんな上に、髪も簡単に梳かしただけの状態だ。
着ている服もいつものお仕着せではなく、メリアが個人的に外出する際に着ている私服で、デザイン性のないシンプルなロングドレスである。
とてつもなく私的な姿を見られてしまい、恥ずかしさで茹蛸のように真っ赤になるメリアを見て、ゲオルグが軽く咳ばらいをした。
「あの、椅子へどうぞ」
「あ、ああ」
部屋に一つだけある椅子をすすめると、ゲオルグは無駄のない騎士らしい動きで椅子に座った。
(あれ、そういえばフィーアは?)
「共についてきたバルバロッサの相手をしている」
「あ、あの、閣下はやはり、心が読めるのですか」
考えを言い当てられ、驚くメリアを、ゲオルグは片眉をあげて見下ろした。背の高い彼は、椅子に座ってもメリアより視線が高くなるのだ。
「きみがわかりやすいだけだ」
「……初めて言われました」
メリアの考えはわかりにくいと言われることはあるが、ゲオルグほどの男からすれば、赤裸々も同然なのかもしれない。
彼はあの、騎士軍師なのだから。
「それで、具合はどうだ。見たところ、腫れは引いているようだが……まだ、頬が少し青いな。痛むか?」
「ほんの少しだけ。でも、もう平気です。あの、閣下。お気遣いありがとうございます。閣下には助けて頂いてばかりで、感謝してもしきれません」
「これから返してもらうと、以前話したはずだが」
はっ、と顔をあげる。
結婚の件だ、とすぐにわかったが、メリアはなんと返事をしてよいか迷ってしまい、結局黙り込んだ。
借りを返すも何も、ゲオルグにとって有益になりそうな事柄は何一つ思い浮かばないのだ。彼ならば引く手数多だろうし、使用人のような女が望ましいのならば、メリアより若くて美しい使用人は大勢いる。
やはり結婚の件に関しては、メリアだけが美味しい思いをしているとしか考えられない。
申し訳なさから、ぎゅっとドレスを強く握り締めた。
「きみにとっては、非常に不本意だろう。きみの危険は去ったのだし、改めて考えるまでもなく、私のような者と婚姻を結ぶことに抵抗があることは想像に難くない」
「そんなことはありません!」
思いのほか大きな声が出てしまい、慌てて口を押えた。
このままでは、婚約を解消されてしまうのではないかと焦り、慌ててしまったのだ。
突然叫んだメリアに目を瞬いたゲオルグを見て、メリアは一度大きく深呼吸をした。
ゲオルグは、メリアを、メリアの大切な人たちを守ってくれた。本来なら関わる必要もない使用人であるメリアを気遣ってくれる、とても優しい人なのだ。
この気持ちを伝えたくて、握り締めた拳を震わせながら、真っ直ぐにゲオルグの漆黒の瞳を見つめた。
「不肖ながら、生涯、閣下に尽くしたく存じます」
ゲオルグの瞳が揺れて、徐々に見開かれていく。
「……私との結婚が、嫌ではないのか」
「閣下ほど素敵な方によくして頂いて、これ以上の悦びはありません。誠心誠意、閣下の意に沿う相応しい妻になる覚悟です」
惚れているという露骨な態度は控えるし、仮初の夫婦である態度を崩さないと固く誓う。
決して自惚れたりせず、ゲオルグの望む契約結婚に身を投じることが、ゲオルグが望む結婚なのだ。
もしかしたら、ゲオルグは自分に惚れるような面倒な女が嫌で、メリアを選んだのかもしれない。
それならば尚更、メリアは自分に与えられる役割を全うするまで。
唖然としていたゲオルグは何度か目を瞬くと、白い手袋をはめた手をメリアの頬に添えた。
手袋越しに、ほんの僅かだけぬくもりが伝わってくる。
その熱の心地よさに目を細めた次の瞬間、視界にはゲオルグだけとなった。小さく跳ねたメリアの身体を、ゲオルグが反対の腕で抱き寄せる。
何が起きたのか理解したのは、唇に触れる柔らかい感触が、ゆっくりと角度を変えて、はむようにメリアの上唇を啄んだときだ。
すぐ近くにゲオルグの漆黒の瞳がある。
意志の強いゲオルグの視線に僅かな情欲を感じた瞬間、メリアの身体を甘い痺れが襲った。腰を引き寄せられた腕から伝わる体温に誘われるよう、そっとゲオルグの胸に手を置いて、目を閉じた。
それが合図のように唇を強く吸われて、気持ちよさにほんの少しだけ、口を開く。熱い吐息がかかり、僅かだけ顔を離したあと、どちらからともなく唇を合わせる。
まるで、最初からこうなる運命だったかのように口を開き、差し込まれた舌を受け入れた。
「んっ、う、ふっ」
入り込んできた舌は、メリアの舌を絡めて吸い上げ、お互いに噛みつくように大きく口を開き、唾液ごとお互いの口内を吸い合う。
舌を絡めて舐めあうなんて汚いと思うのに、身体は歓喜に震えて心地よさに思考がぼんやりとしてくる頃には、お互いの呼吸と唾液が混ざり合う水音だけが、部屋に響いていた。
まるで水中にいるかのように、途中何度か息が苦しくなって、空気を求めて顔を引くたびに、ゲオルグが追って唇を合わせてくる。
キスというには激しく獣のようなそれを受け入れているうちに、どさりとベッドに横たわっていた。
「あ……」
腰に回していた手を離すと、ゲオルグはメリアの顔の横に肘をついて、格子のように閉じ込めてしまう。
唾液で唇をぬらぬらとさせた男は、自分の腕の中にいるメリアを見て、目を細めて笑った。草食動物を追い詰めた肉食動物のように野性的で、酷く扇情的な笑みに、メリアはこれまでにない激しい痺れを下腹部に感じた。
ゲオルグの顔が近づいてくると、メリアは目を閉じる。
優しいキスだった。
けれどそれは一瞬で、差し込まれた舌がメリアの上顎を執拗に舐め、歯列をなぞり、念入りに口内へゲオルグの感触を教え込んでいく。
心地よい刺激にとろんとしているうちに舌を絡め取られ、呼吸が困難なほどに激しく吸い上げられた。
(これ、気持ちいい……)
与えられるだけでは駄目だとメリアも精一杯吸い返そうとするが、上手く出来ない。
「ん、ふぅ」
それでも、こうしていればメリアの気持ちが伝わるような気がして、懸命に舌を絡ませた。
ふと、ゲオルグが顔をあげた。
お互いの唇の間に、つつ、と銀の糸が引いた。
ゲオルグは舌で唇を舐めることで、銀の糸を断つ――いや、舐めとったというべきか。
荒い呼吸がかかる距離に彼の顔があり、二度の出会いでは見たことのないほど頬を上気させている。
潤んだ漆黒の瞳に、とろけた表情をしたメリアが映っていた。
「愛いな、きみは本当に」
みたび唇が合わさり、これまでよりもずっと深く唇を重ねた。
すべてを暴くかのような噛みつく激しいキスに、身体が甘く痺れて、下腹部がこれまで感じたことのない熱で潤みはじめる。
ドレスの下、ドロワーズに覆われた部分がじんわりと蕩けて、甘い心地を感じると同時に、酷く寂しくて、メリアは無意識に太ももを擦り合わせていた。
秘部が潤むということがどういう状態なのか、知識としては知っている。
だからこそ、濡れてしまっていることを知られたくないのに、疼く身体を鎮めてほしくて、下半身をくねらせるように動かすことを止められない。
はしたない行為だとわかっているのに、下腹部の痺れは止まらないどころかさらに甘くメリアを襲い、愛液を溢れさせてしまう。
「んっ、んんっ、ふぅ」
「っ、はぁ、駄目だ、止まらなくなる」
顔を離したゲオルグは、そう言って袖で乱暴に口元を拭った。
ゲオルグはメリアに覆いかぶさったまま、メリアの額や頬に軽い口づけを降らせ、最後に軽いキスを唇に落としてから、名残惜しそうに身体を離した。
「メリア」
「は、はい」
ぼうっと夢身心地だったメリアは、慌てて身体を起こす。すかさずゲオルグが、メリアを強く抱きしめた。
力強い男の腕に、メリアの心拍はさらに加速する。
好きな人に抱きしめられることがこんなに嬉しいなんて、知らなかった。このままもっと深いところまで重なってしまいたい。
「陛下に結婚の許可を貰ったゆえに、この結婚はもう翻りはしない」
メリアは、ゲオルグの腕のなかで目を見張る。
破廉恥なことを考えてしまっていた自分に対する戸惑いと、そして、結婚が確定しており、ゲオルグ自身翻す意志がないことを知った喜びで、自分でも理解しがたい感情が胸のなかで濁流のように押し寄せてきた。
「どれだけきみが嫌がっても、きみは私の妻になるのだ」
力強く言い放たれた言葉は、メリアの心で渦巻く激情を徐々に穏やかにさせる。気づけば、メリアはゲオルグの広い背中に手を回し、抱きしめ返していた。
「嬉しいです。お傍に置いてください、閣下のお傍に」
震える唇で告げた言葉は、やはり震えてしまった。
ゲオルグはそんなメリアの頭を大きな手で撫でて自らの胸に押しつけるように抱きしめたあと、ゆっくりとメリアの身体を離した。
「メリア、今後について話をしよう」
初めて会ったとき鋭利だと思ったゲオルグの瞳が、柔らかく弧を描いてメリアを見つめている。
こんな幸せがあってもいいのだろうか。
メリアは頬を染めてはにかみながら、ベッドで座り直した。
ゲオルグの報告は淡々としており、とてもわかりやすかった。
結婚式は、急ではあるが来週とのこと。ゲオルグ側の招待状は完成しているため、メリアも呼びたい者がいれば呼んでもよいということ。式のあとに披露宴をして、その後は暫く、新婚として屋敷で過ごすことになること。
ゲオルグも、急な呼び出しがない限り、休暇を満喫できるそうだ。
「早く、夫婦になりたいものだな。このまま離れるのが惜しい」
ゲオルグはそう言うと、メリアの赤茶色の髪をひと房掴んで、口づけを落とした。
「綺麗な髪だ。変わらないな」
「……変わらない?」
反芻すると、ゲオルグが目を伏せた。
「ああ。きみは覚えていないだろうが、以前、きみに会ったことがあってな」
メリアが息を呑むと、ゲオルグは苦笑をして、話を戻した。
明後日には医務室を出られるだろうから暫くは宮廷使用人の寮へ戻り、そのまま結婚式の日まで待機するように。結婚式が終えると、そのまま屋敷へ移動するという手筈になっているため、荷物の整理は予めしておくように。
メリアは、ゲオルグの言葉を聞き逃すまいと頭のなかで必死に書き留める。
宮廷使用人の仕事に関しては、続けても構わないと言われたが、「閣下さえよければ」と伺ったあと、メリアの希望で寿退社をすることになった。メリアとて、貴族夫人が使用人をすることが醜聞に繋がることくらい理解している。気遣いだけで十分だ。
ゲオルグが去ったあと、メリアはベッドに倒れ込む。
夢身心地だった結婚話が現実に起きていることだと、やっとのこと感じられるようになったのだ。
(それに、キス、しちゃった)
舌を絡ませ合うキスは、メリアが想像していたふわふわしたものではなかったが、嫌ではなかった。
相手がレイブランド子爵だと思うと吐き気を催すほど嫌悪するのに、ゲオルグだったから、もっとしてほしくなってしまったし、ドロワーズを濡らしてしまったのだ。
まだ、下腹部が疼いている。
ゲオルグに、はしたないと思われなかっただろうか。
(そうだ。閣下は、以前に会ったことがあるっておっしゃってたわ)
もしかしたら、あの初恋の人は本当にゲオルグなのかもしれない。そんな期待に胸を高鳴らせていると、フィーアが戻ってきた。
メリアはすぐに、ゲオルグから伝えられた予定を話す。
頷いて聞いていたフィーアは、ふと思い出したように顔をあげた。
「さっき、騎士団長様がいらしてて……メリアの働きぶりについて聞かれたんだけど」
「えっ!」
それは、『うちの大事な騎士軍師に相応しい女か確かめる』という意味合いのアレだろうか。
騎士団長は遠目からしか見たことがないが、とても甘い美丈夫だ。騎士として優秀な男で、部下たちからの信頼も厚いという。
ゲオルグは、騎士団長バルバロッサにとって特別な存在なのかもしれない。遠征に出た際は、いつも一緒にいるというし。
青くなったメリアに、フィーアは慌てて手を振った。
「メリアは凄く働き者で、気のつく最高の宮廷使用人だって伝えたの。そしたら騎士団長様、『そうでしょう、そうでしょう。メリアはこの世の誰よりもかわいく美しく気の利く女性なのですよ』から始まって、延々とメリアを褒め始めたのよ。ねぇ、メリアと騎士団長様って、どんな関係なの?」
「……会話すらしたことがないけど」
「向こうはメリアについて詳しそうだったし、やけに好意的だったけど」
メリアはフィーアと顔を見合わせて、同時に首を傾げた。
嫌われていないようなので、とりあえずはよかったと思うことにしよう。
夜も眠れないほどに痛むうえに、話すだけで皮下組織が引きつるような激痛に見舞われるため、食事をとるのも億劫なのだ。
メリアが近々、結婚退職する話はあっという間に広まり、侍従長は当然のようにフィーアをメリアの世話係につけてくれた。おかげでゆったり療養できて、さほど不自由はない。
一介の使用人に専属の世話係をつけるなどあり得ないことだが、ゲオルグと婚約しているメリアを放っておくわけにもいかなくなったのだろう。
旧友と過ごす時間は、とても穏やかに過ぎた。
三週間が過ぎたころには、頬の傷もほとんど治り、やや青い部分が残る程度になった。足の捻挫も痛みが引いて、無理は禁物だと医者に釘を刺されはしたが、松葉杖なしに自力で歩けるようになっていた。
「来月は、フィーアの結婚式ね。結婚後も仕事を続けるんでしょう?」
努めて明るく言うと、フィーアが嬉しそうに微笑んだ。
「そうなの! 仕事はギリギリまで続けようと思ってて。あっ、そうだ。結婚式場も決まったの!」
「おめでとう、順調みたいね」
「ありがとうメリア。ぜひ式には来てね、約束よ。あたしもメリアの結婚式に――」
フィーアが、言葉を途切れさせて、黙り込んだ。
これまでも、お互いの結婚式に呼ぼうねと約束してきたのに、何を戸惑うことがあるのだろう、とメリアは首を傾げた。
「フィーア?」
「……私みたいな平民が、行ってもいいのかな」
おずおずと、遠慮がちに呟いたフィーアに、メリアは目を見張る。
「あ。……私、騎士様と結婚するのね」
「メリア⁉ なんでそんな忘れてたみたいに言うのっ、凄いことなのに!」
照れたと思ったら落ち込んで、今度は焦ったように怒る。ころころと表情の変わるフィーアの愛らしさに、メリアは目を細めて微笑んだ。
「なんだか、実感がなくて」
「ゲオルグ・グートハイル様といえば、あの『騎士軍師』なのよ? 叡智で国を救った方なのよ? 伯爵家の出身で、家督こそ継いでおられないけれど、そんなことどうでもいいくらい名誉と地位がある方なんだから!」
「……詳しいのね」
「そりゃあ、有名人だもの。未だに独身で浮いた噂一つないグートハイル閣下は、禁欲的なところが魅力だって、閣下を慕う女性も多いんだから。そんな凄い方のところへメリアが嫁ぐなんて、なんだか鼻が高いわ」
フィーアのほうが、メリアより現実的に受け止めていることが不思議だった。
メリアは未だにゲオルグとの結婚話が、偽りではないかと思うときがある。ゲオルグに会ったのは二度で、どちらもメリアを危険から助けてくれたせいか、ふわふわと夢のように非現実的なのだ。
メリアは無邪気なフィーアにつられて、くすりと微笑んだ。
「私、貴族とかよくわからないんだけど。閣下にお願いして、フィーアたちも呼んで貰えるようにするから」
「嬉しい。メリアのウエディングドレス姿を見たら、あたし泣いちゃうかも」
「私だって、フィーアの結婚式で沢山泣いちゃうと思うから、ハンカチを沢山持って行かなきゃ」
二人で笑い合ったあと、ふと、フィーアが真剣な表情をした。
「ねぇ、メリア。メリアは、本当に、グートハイル様と結婚したいの?」
突然の質問に、メリアはぽかんとした。
あまりに唐突過ぎて、驚くことすら忘れてしまったのだ。
そんなメリアをどう思ったのか、慌ててフィーアが付け足した。
「メリアってどっちかというと、恋より仕事に生きるタイプだと思ってたから」
なるほど、とメリアは頷く。
確かに、これまで『いつか結婚したら』という夢物語を話し合ったことはあっても、メリアのほうから好みのタイプだとか、憧れや理想の男性について語ったことはなかった。
メリアはほんのりと頬を染めて、両親が他界したあと、いつの間にか自分の深くへ沈めていた、かつての夢を話すことにした。
「私ね、実は元々、結婚願望がとても強かったの」
「えっ、ええ⁉ 仕事人間のメリアが⁉」
「両親が死んでから、悲しみを忘れるためと生計をたてるために働き続けて、いつの間にか今に至ったけれど。私ね、元々お嫁さんになりたかったの。諦めていた夢が叶うなんて、こんなに嬉しいことはないわ」
フィーアは、少し考え込むように俯いたあと、戸惑いがちに口をひらく。
「そうじゃなくて、メリアはグートハイル様と、結婚したいの? メリアは美人だし、もっと歳が近い人だっていると思うの。メリアって、あんまり地位とか名誉にこだわるタイプじゃないでしょ?」
「そうね、地位や名誉は……」
理想の結婚相手を想像した瞬間、真っ先に浮かんだのはハクモクレンの花を差し出す男性の姿だった。
あれは、メリアがまだ宮廷使用人見習いだった頃、実家の庭で、一度だけ会った人だ。名前も知らず、顔さえ忘れた初恋の人は、結局あれ以後一度も会うことがなかった。
今では、とても優しく温かい想い出だ。
(そういえば、グートハイル閣下のお姿を見たとき、一瞬、ハクモクレンの花を思い出したけれど)
もしかして、という想像をして、頬を染めた。
初恋の人がゲオルグだった、などという運命的なことが現実に起こるはずがない。
乙女にもほどがある妄想に顔が火照って、ぱたぱたと手で仰いだ。
「メリア、今何考えたの?」
にまっとにやけたフィーアの表情に、メリアは唇を尖らせる。
「……初恋の人を想い出したの。顔も名前も覚えてないんだけど、その、ちょっと、グートハイル閣下と似てるなと思っただけで」
「つまり、初恋の人が閣下ならいいなって思ったのね。ふふん、何よメリア。とっくに閣下に惹かれてるんじゃない~」
明るく微笑んだフィーアに、メリアは口を開いて閉じた。
先ほどより頬が熱い。
(惹かれてる? 私が、そういう意味で、グートハイル閣下に?)
親子ほど歳の差があるし、しかもこれは契約結婚だ。愛のない結婚だ。ならばどんな相手が理想なのかと考えると、浮かぶのはなぜかゲオルグの姿だった。
二度も危険な所を助けられて、男らしい力強い腕に抱きかかえられたのだから、惹かれないほうがおかしいのかもしれない。
しかもメリアから見たゲオルグは、紳士的で優しく、とてつもなく素敵な男だった。
(私が、グートハイル閣下を、好き? で、でも、それって仕方がないことだと思うの。閣下は、本当に本当に、素敵な方だもの)
自分にごにょごにょと言い訳をしていると。
「なんだか、心配いらなかったみたい」
フィーアが、ふふっと笑った。
安堵と揶揄いの混ざった視線を向けられて、メリアは益々顔を赤くした。
そのとき、医務室のドアをノックする音がして、フィーアは部屋を出て行った。
一人になったメリアは、熱い頬を冷ますため、顔に枕を押しつける。ひんやりとした枕カバーの冷気が心地よい。
メリアが三週間過ごしていたのは、医務室の奥にある小部屋だ。
宮廷使用人の寮へ戻らなかったのは、ゲオルグがメリアに会いにきても、すぐに会うことが出来るようにという配慮からだった。
(……でも、閣下が会いにくるかも、なんて心配はいらなかったな)
三週間、ゲオルグは一度もメリアに会いに来ていない。
彼が多忙なのは知っているし、元々愛のない契約結婚なのだから、彼がメリアのもとへ足を運ばないのは当然だろう。
ゲオルグが定期的に言付けを寄越してくれるので、かろうじて自分はいずれゲオルグと結婚するのだと理解できている。言付けの内容はいつも同じで、メリアを気遣う言葉と婚姻と婚礼の手続きについての進捗報告だ。
真面目な人、なのだろう。
会いにこなくても、充分すぎるほどゲオルグの優しさが感じられることが、不思議だった。二度しか会ったことがないのに、ゲオルグを想うと、愛しさと同時に、懐かしい温かさを感じるのだ。
つい先ほどまで自覚はなかったが、どうやらメリアは既に十分すぎるほど、ゲオルグに惹かれているらしい。
(一方的に想いを募らせて、迷惑かけないといいけど)
あくまでゲオルグとの結婚は契約で行われるもので、彼には彼の事情がある。
メリアの危機を察したゲオルグが、気遣って自分の事情にメリアを組み込んでくれたに過ぎないのだ。
愛されていると勘違いしないようにしよう、とメリアが気を引き締めたとき。
コンコン、とドアがノックされた。
フィーアが戻ってきたのだろうと返事を返すと、現れたのはゲオルグだった。
(え……えっ、えええっ!)
思わず背筋が伸びる。
今のメリアは、すっぴんな上に、髪も簡単に梳かしただけの状態だ。
着ている服もいつものお仕着せではなく、メリアが個人的に外出する際に着ている私服で、デザイン性のないシンプルなロングドレスである。
とてつもなく私的な姿を見られてしまい、恥ずかしさで茹蛸のように真っ赤になるメリアを見て、ゲオルグが軽く咳ばらいをした。
「あの、椅子へどうぞ」
「あ、ああ」
部屋に一つだけある椅子をすすめると、ゲオルグは無駄のない騎士らしい動きで椅子に座った。
(あれ、そういえばフィーアは?)
「共についてきたバルバロッサの相手をしている」
「あ、あの、閣下はやはり、心が読めるのですか」
考えを言い当てられ、驚くメリアを、ゲオルグは片眉をあげて見下ろした。背の高い彼は、椅子に座ってもメリアより視線が高くなるのだ。
「きみがわかりやすいだけだ」
「……初めて言われました」
メリアの考えはわかりにくいと言われることはあるが、ゲオルグほどの男からすれば、赤裸々も同然なのかもしれない。
彼はあの、騎士軍師なのだから。
「それで、具合はどうだ。見たところ、腫れは引いているようだが……まだ、頬が少し青いな。痛むか?」
「ほんの少しだけ。でも、もう平気です。あの、閣下。お気遣いありがとうございます。閣下には助けて頂いてばかりで、感謝してもしきれません」
「これから返してもらうと、以前話したはずだが」
はっ、と顔をあげる。
結婚の件だ、とすぐにわかったが、メリアはなんと返事をしてよいか迷ってしまい、結局黙り込んだ。
借りを返すも何も、ゲオルグにとって有益になりそうな事柄は何一つ思い浮かばないのだ。彼ならば引く手数多だろうし、使用人のような女が望ましいのならば、メリアより若くて美しい使用人は大勢いる。
やはり結婚の件に関しては、メリアだけが美味しい思いをしているとしか考えられない。
申し訳なさから、ぎゅっとドレスを強く握り締めた。
「きみにとっては、非常に不本意だろう。きみの危険は去ったのだし、改めて考えるまでもなく、私のような者と婚姻を結ぶことに抵抗があることは想像に難くない」
「そんなことはありません!」
思いのほか大きな声が出てしまい、慌てて口を押えた。
このままでは、婚約を解消されてしまうのではないかと焦り、慌ててしまったのだ。
突然叫んだメリアに目を瞬いたゲオルグを見て、メリアは一度大きく深呼吸をした。
ゲオルグは、メリアを、メリアの大切な人たちを守ってくれた。本来なら関わる必要もない使用人であるメリアを気遣ってくれる、とても優しい人なのだ。
この気持ちを伝えたくて、握り締めた拳を震わせながら、真っ直ぐにゲオルグの漆黒の瞳を見つめた。
「不肖ながら、生涯、閣下に尽くしたく存じます」
ゲオルグの瞳が揺れて、徐々に見開かれていく。
「……私との結婚が、嫌ではないのか」
「閣下ほど素敵な方によくして頂いて、これ以上の悦びはありません。誠心誠意、閣下の意に沿う相応しい妻になる覚悟です」
惚れているという露骨な態度は控えるし、仮初の夫婦である態度を崩さないと固く誓う。
決して自惚れたりせず、ゲオルグの望む契約結婚に身を投じることが、ゲオルグが望む結婚なのだ。
もしかしたら、ゲオルグは自分に惚れるような面倒な女が嫌で、メリアを選んだのかもしれない。
それならば尚更、メリアは自分に与えられる役割を全うするまで。
唖然としていたゲオルグは何度か目を瞬くと、白い手袋をはめた手をメリアの頬に添えた。
手袋越しに、ほんの僅かだけぬくもりが伝わってくる。
その熱の心地よさに目を細めた次の瞬間、視界にはゲオルグだけとなった。小さく跳ねたメリアの身体を、ゲオルグが反対の腕で抱き寄せる。
何が起きたのか理解したのは、唇に触れる柔らかい感触が、ゆっくりと角度を変えて、はむようにメリアの上唇を啄んだときだ。
すぐ近くにゲオルグの漆黒の瞳がある。
意志の強いゲオルグの視線に僅かな情欲を感じた瞬間、メリアの身体を甘い痺れが襲った。腰を引き寄せられた腕から伝わる体温に誘われるよう、そっとゲオルグの胸に手を置いて、目を閉じた。
それが合図のように唇を強く吸われて、気持ちよさにほんの少しだけ、口を開く。熱い吐息がかかり、僅かだけ顔を離したあと、どちらからともなく唇を合わせる。
まるで、最初からこうなる運命だったかのように口を開き、差し込まれた舌を受け入れた。
「んっ、う、ふっ」
入り込んできた舌は、メリアの舌を絡めて吸い上げ、お互いに噛みつくように大きく口を開き、唾液ごとお互いの口内を吸い合う。
舌を絡めて舐めあうなんて汚いと思うのに、身体は歓喜に震えて心地よさに思考がぼんやりとしてくる頃には、お互いの呼吸と唾液が混ざり合う水音だけが、部屋に響いていた。
まるで水中にいるかのように、途中何度か息が苦しくなって、空気を求めて顔を引くたびに、ゲオルグが追って唇を合わせてくる。
キスというには激しく獣のようなそれを受け入れているうちに、どさりとベッドに横たわっていた。
「あ……」
腰に回していた手を離すと、ゲオルグはメリアの顔の横に肘をついて、格子のように閉じ込めてしまう。
唾液で唇をぬらぬらとさせた男は、自分の腕の中にいるメリアを見て、目を細めて笑った。草食動物を追い詰めた肉食動物のように野性的で、酷く扇情的な笑みに、メリアはこれまでにない激しい痺れを下腹部に感じた。
ゲオルグの顔が近づいてくると、メリアは目を閉じる。
優しいキスだった。
けれどそれは一瞬で、差し込まれた舌がメリアの上顎を執拗に舐め、歯列をなぞり、念入りに口内へゲオルグの感触を教え込んでいく。
心地よい刺激にとろんとしているうちに舌を絡め取られ、呼吸が困難なほどに激しく吸い上げられた。
(これ、気持ちいい……)
与えられるだけでは駄目だとメリアも精一杯吸い返そうとするが、上手く出来ない。
「ん、ふぅ」
それでも、こうしていればメリアの気持ちが伝わるような気がして、懸命に舌を絡ませた。
ふと、ゲオルグが顔をあげた。
お互いの唇の間に、つつ、と銀の糸が引いた。
ゲオルグは舌で唇を舐めることで、銀の糸を断つ――いや、舐めとったというべきか。
荒い呼吸がかかる距離に彼の顔があり、二度の出会いでは見たことのないほど頬を上気させている。
潤んだ漆黒の瞳に、とろけた表情をしたメリアが映っていた。
「愛いな、きみは本当に」
みたび唇が合わさり、これまでよりもずっと深く唇を重ねた。
すべてを暴くかのような噛みつく激しいキスに、身体が甘く痺れて、下腹部がこれまで感じたことのない熱で潤みはじめる。
ドレスの下、ドロワーズに覆われた部分がじんわりと蕩けて、甘い心地を感じると同時に、酷く寂しくて、メリアは無意識に太ももを擦り合わせていた。
秘部が潤むということがどういう状態なのか、知識としては知っている。
だからこそ、濡れてしまっていることを知られたくないのに、疼く身体を鎮めてほしくて、下半身をくねらせるように動かすことを止められない。
はしたない行為だとわかっているのに、下腹部の痺れは止まらないどころかさらに甘くメリアを襲い、愛液を溢れさせてしまう。
「んっ、んんっ、ふぅ」
「っ、はぁ、駄目だ、止まらなくなる」
顔を離したゲオルグは、そう言って袖で乱暴に口元を拭った。
ゲオルグはメリアに覆いかぶさったまま、メリアの額や頬に軽い口づけを降らせ、最後に軽いキスを唇に落としてから、名残惜しそうに身体を離した。
「メリア」
「は、はい」
ぼうっと夢身心地だったメリアは、慌てて身体を起こす。すかさずゲオルグが、メリアを強く抱きしめた。
力強い男の腕に、メリアの心拍はさらに加速する。
好きな人に抱きしめられることがこんなに嬉しいなんて、知らなかった。このままもっと深いところまで重なってしまいたい。
「陛下に結婚の許可を貰ったゆえに、この結婚はもう翻りはしない」
メリアは、ゲオルグの腕のなかで目を見張る。
破廉恥なことを考えてしまっていた自分に対する戸惑いと、そして、結婚が確定しており、ゲオルグ自身翻す意志がないことを知った喜びで、自分でも理解しがたい感情が胸のなかで濁流のように押し寄せてきた。
「どれだけきみが嫌がっても、きみは私の妻になるのだ」
力強く言い放たれた言葉は、メリアの心で渦巻く激情を徐々に穏やかにさせる。気づけば、メリアはゲオルグの広い背中に手を回し、抱きしめ返していた。
「嬉しいです。お傍に置いてください、閣下のお傍に」
震える唇で告げた言葉は、やはり震えてしまった。
ゲオルグはそんなメリアの頭を大きな手で撫でて自らの胸に押しつけるように抱きしめたあと、ゆっくりとメリアの身体を離した。
「メリア、今後について話をしよう」
初めて会ったとき鋭利だと思ったゲオルグの瞳が、柔らかく弧を描いてメリアを見つめている。
こんな幸せがあってもいいのだろうか。
メリアは頬を染めてはにかみながら、ベッドで座り直した。
ゲオルグの報告は淡々としており、とてもわかりやすかった。
結婚式は、急ではあるが来週とのこと。ゲオルグ側の招待状は完成しているため、メリアも呼びたい者がいれば呼んでもよいということ。式のあとに披露宴をして、その後は暫く、新婚として屋敷で過ごすことになること。
ゲオルグも、急な呼び出しがない限り、休暇を満喫できるそうだ。
「早く、夫婦になりたいものだな。このまま離れるのが惜しい」
ゲオルグはそう言うと、メリアの赤茶色の髪をひと房掴んで、口づけを落とした。
「綺麗な髪だ。変わらないな」
「……変わらない?」
反芻すると、ゲオルグが目を伏せた。
「ああ。きみは覚えていないだろうが、以前、きみに会ったことがあってな」
メリアが息を呑むと、ゲオルグは苦笑をして、話を戻した。
明後日には医務室を出られるだろうから暫くは宮廷使用人の寮へ戻り、そのまま結婚式の日まで待機するように。結婚式が終えると、そのまま屋敷へ移動するという手筈になっているため、荷物の整理は予めしておくように。
メリアは、ゲオルグの言葉を聞き逃すまいと頭のなかで必死に書き留める。
宮廷使用人の仕事に関しては、続けても構わないと言われたが、「閣下さえよければ」と伺ったあと、メリアの希望で寿退社をすることになった。メリアとて、貴族夫人が使用人をすることが醜聞に繋がることくらい理解している。気遣いだけで十分だ。
ゲオルグが去ったあと、メリアはベッドに倒れ込む。
夢身心地だった結婚話が現実に起きていることだと、やっとのこと感じられるようになったのだ。
(それに、キス、しちゃった)
舌を絡ませ合うキスは、メリアが想像していたふわふわしたものではなかったが、嫌ではなかった。
相手がレイブランド子爵だと思うと吐き気を催すほど嫌悪するのに、ゲオルグだったから、もっとしてほしくなってしまったし、ドロワーズを濡らしてしまったのだ。
まだ、下腹部が疼いている。
ゲオルグに、はしたないと思われなかっただろうか。
(そうだ。閣下は、以前に会ったことがあるっておっしゃってたわ)
もしかしたら、あの初恋の人は本当にゲオルグなのかもしれない。そんな期待に胸を高鳴らせていると、フィーアが戻ってきた。
メリアはすぐに、ゲオルグから伝えられた予定を話す。
頷いて聞いていたフィーアは、ふと思い出したように顔をあげた。
「さっき、騎士団長様がいらしてて……メリアの働きぶりについて聞かれたんだけど」
「えっ!」
それは、『うちの大事な騎士軍師に相応しい女か確かめる』という意味合いのアレだろうか。
騎士団長は遠目からしか見たことがないが、とても甘い美丈夫だ。騎士として優秀な男で、部下たちからの信頼も厚いという。
ゲオルグは、騎士団長バルバロッサにとって特別な存在なのかもしれない。遠征に出た際は、いつも一緒にいるというし。
青くなったメリアに、フィーアは慌てて手を振った。
「メリアは凄く働き者で、気のつく最高の宮廷使用人だって伝えたの。そしたら騎士団長様、『そうでしょう、そうでしょう。メリアはこの世の誰よりもかわいく美しく気の利く女性なのですよ』から始まって、延々とメリアを褒め始めたのよ。ねぇ、メリアと騎士団長様って、どんな関係なの?」
「……会話すらしたことがないけど」
「向こうはメリアについて詳しそうだったし、やけに好意的だったけど」
メリアはフィーアと顔を見合わせて、同時に首を傾げた。
嫌われていないようなので、とりあえずはよかったと思うことにしよう。
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