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【7】ストーカー
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ステュアートは、部屋のベッドにうつ伏せで寝転んでいた。
さながら海岸に打ち上げられた海月のように、ぐったりとしている。
(……あれほど口説いたのは生まれて初めてでしたのに)
どうしてアリアドネは、ステュアートの告白を断ったのだろうか。
惚れている相手(ステュアート)にあそこまで言わせて、好みではないなどと突っぱねるなんて。
(やはり私を試しているのでしょうね。平凡女の分際で……いい加減素直にならないと捨ててしまいますよ、まったく)
「うわっ!」
悲鳴が聞こえて、少し頭をずらす。
軽く睨むように見れば、アランがドン引きしたような顔で立っていた。
「どうかしましたか?」
「いやいや、どうかしたのはあなたですよ! なんでそんな、くたくたになって捨てられたぬいぐるみみたいになってるんですか!」
長年愛される存在ということだろう。
ステュアートは、溜息をつきながら体を起こすとベッドの縁に座り、足を投げ出した。
「アラン」
「な、なんです?」
「今回の遠征は、あと半月ほどで終えます。そうすれば、私は祖国に戻らねばなりません」
「そうですけど。……もしかして、アリアドネさんに振られたことが堪えてます?」
「いえ、振られては無いのですが、ただ彼女がとても遠慮しているようなのです」
アランは、目を瞬いた。
「そうなんですか? 俺、てっきり大神官様が振られたんだと思ってました。アリアドネさんは慎ましい方なんですね。さっきも徒歩で帰るとおっしゃったので、強引に馬車に乗っていただいたんですよ」
(……ん?)
ステュアートは、アランの言葉を頭の中で反芻した。
(帰ったのですか? なぜ?)
てっきり、アリアドネは隣の部屋にいると思っていた。
内心ではステュアートに嫌われたらどうしようと不安がっているに違いないからだ。
ステュアートとしては、せっかくだから明日まで放置して反省させよう、とまで考えていたのに、なんとアリアドネは帰宅したという。
「アラン」
「はい?」
「アリアドネさんのことを調べて貰えますか?」
アランは心底嫌そうな顔をしたが「わかりました」と答えた。
立場上、頷くしかないのである。
もしかしたら、アリアドネには何か事情があるのかもしれない。
アリアドネに言ったように、彼女は他者に優しいが自分には厳しいのだ。ステュアートの愛を受け入れることを、甘えや弱さと受け取っている可能性がある。
翌朝、定期検診として皇太子の様子を見たあと、ステュアートは民間の馬車を雇った。
王宮の馬車を借りることは容易いが、少しばかり目立つのである。
そうして、ステュアートはアリアドネの部屋が見える位置に馬車を停めさせて、彼女の部屋をじっと見つめた。
二日が経つ頃、アランからアリアドネに関する情報が届き始めた。
書類に目を通していたステュアートは、馬車の外を見る。
ぼろぼろの集合住宅の二階にあるアリアドネの部屋から、アリアドネが現れたのだ。
今日も仕事らしい。
手元の書類と、ステュアート自身が見た情報を照らし合わせ、どれほど書類に信ぴょう性があるかを確認する。
(出勤時刻は合っていますね。利き手も正解です。職場が服飾関係というのも正しい)
プロの調査屋を雇ったらしく、迅速且つ丁寧且つ正確な情報のようだ。
この書類によると、アリアドネは孤児院育ちだという。
身寄りのない子どもたちを集めて住まわせていたのは、現役を引退した元伯爵で、かつて犯した悪事を償うため、晩年は慈善事業に尽くしたらしい。
だが決して裕福な生活ではなく、牧師と名乗っていた元伯爵の貯蓄も底を尽きかけた頃、流行病が起きた。
「これは……」
ステュアートは息を呑む。
今から約十三年前だ。
カーン帝国で飢饉が起き、さらに疫病が蔓延した年である。
帝都がほぼ壊滅状態となり、当時副都であったヒルツが新たな帝都になったのだ。元々遷都を計画していた最中に起きた災害だったことで、国家そのものの機能は想定よりスムーズに立ち直らせることができたという。
(たしか、現在のカーン帝国都……ここが、その元ヒルツでしたね)
カーン帝国の『都』を『帝都』と呼ばないのは、当時のフューリア教の幹部がそのような神託を受けたためだと聞いていた。
――遷都二十年は、新たな帝都を帝都と呼んではならない。名前をつけてもならない。
そうして現在も、カーン帝国の中心地でありながら、元副都ヒルツは『都』とだけ呼ばれているのである。
(アリアドネさんは、かの大災害の生存者として『元帝都』から『都』に移住されたのですね)
その後の生活は孤児院にいた頃より貧しく、今の仕事に就くまでに多大な苦労をしたと、淡々と書類に情報が記載されている。
「……ん?」
しみじみとアリアドネの境遇に胸を痛めていると、書類のある項目に気づいた。
都にきたあと、平民街で共同生活をしていたそうだが、その際に同じ年頃の少年が一緒だったというのだ。
現在でもアリアドネと関わりがあるようで、名前をラティスというらしい。
窓の向こう、アリアドネが馬車から十分離れた頃に、ステュアートが乗っている馬車が滑るように動き出す。
御者にカネを握らせてあるため、いちいち命じなくても自動アリアドネ追跡馬車となっていた。
ステュアートは、書類すべてに目を通すとため息を落とした。
悩ましいため息は、人を惑わすほどの色香に満ちている。ステュアートの禁欲的でありながらも麗しい美貌と雰囲気は、人々を虜にするのだ。
(過去に、何かあったのでしょうか。だから、自分は幸せになってはいけないと思い込んでいるのでは)
ステュアートは、これまでに感じたことのないもやもやした気持ちを抱えてさらに数日を過ごした。
アランから続々と情報が届けられて、たまに皇太子の様子を確認に行って報告書をちょちょっと済ませ、またアリアドネを見つめる。
そしてついに、半月が経とうとしていた。
皇太子は順調に回復しており、黒魔術の痕跡は見られない。経過観察は十分だ。ただ、誰が何のために皇太子を呪ったのか、原因は不明なままだ。
これについてはステュアートにある種の推測があったが、確信がないために報告は避けている。
「……アリアドネさんは、どのようにすれば頷いて下さるのでしょう」
今日もステュアートは、馬車の窓からアリアドネの部屋を見上げていた。
とっくに日は沈みかけている。
紅茶をこぼしたような橙色から薄墨の色に変わる時刻は、ステュアートの心にもの悲しい感情を植え付けるため、あまり好きではない。
(私は、どれだけの人を救えるのでしょうか)
たった一度の短い人生のなかで、奇跡のように救われた命だ。
しかも、ステュアートには『聖力』が宿っている。
きっと、生涯人々を救済すべく生かされたのだろう。
(おや?)
アリアドネの部屋の前に男がいた。
先程集合住宅の二階に上がっていく姿を見たが、アリアドネとは関係のない人物だと意識していなかったのだ。
だが、もしかして知り合いだろうか。
かろうじて夕暮れに照らされた顔を、目を細めてじっと見る。
よくよく見れば、アリアドネの幼馴染であるラティスという男だ。
調べさせた情報とともに各関係者の似顔絵が添えてあったため、もう一度手元の資料と見比べる。
間違いなくラティスだ。
彼は近々伯爵令嬢と結婚するという話だが、単身で一人暮らしの女性の家にやってくるとは非常識にも程がある。
(アリアドネさんはお疲れですのに、一体何の用があるというのでしょうか)
先程、アリアドネは帰宅した。
職場からずっと馬車ごとあとをつけてきたから、間違いない。
今日のアリアドネは、仕事でヘトヘトになった姿でふらふらとしながら帰宅途中の露店で夕食の包み焼を買っていた。そのあとじっと団子屋を見つめ、じゅるりとよだれを飲み込みながら、串団子を衝動買いしている。
持ち帰るつもりだったようだが、我慢できず集合住宅が見えてきた辺りで貪るように食べていた。
ほどよく満足し、にまにまと嬉しそうな姿で帰宅する――ところまで、ステュアートはしっかりと見ているのだ。
もし来客の予定があるのならば、アリアドネはもてなすための甘味を買っていただろう。
自分の分の串団子を買って食べた時点で、来客の予定はないと予測できる。
それに、アリアドネは結婚を控えている男を部屋に招くような愚行はしない。
平凡な女だが、真っ直ぐで清らかな心を持っていることをステュアートはよく理解しているのだ。
――ずっと好きだった方に振られたんです
ふと。
なぜかアリアドネの言葉を思い出した。
――好みじゃないので、ごめんなさい!
(もしかして、あの言葉は事実だった……なんてことは……)
ステュアートの手から、アリアドネに関する資料がばさりと落ちる。
視線は彼女の部屋を向いたままだ。
(幼馴染が結婚……振られた……好みじゃない……)
もし、アリアドネに好きな男がいたとすれば、それはあの幼馴染だろう。
少なくともアリアドネともっとも親しいといえる相手なので、可能性としては高いはずだ。
(しかし、あの男は……お世辞にも……いえ、あまりにも不細工……)
目は細いし、軽薄そうだし、体臭も臭そうだ。
着ている私服も、彼の給金ならもっとよいものを着ることが出来るだろうに、あまりにもみすぼらしい。
平民街に合わせているのかもしれないが、彼の給金のほとんどは彼の酒や博打代に消えていることは資料に書いてあった。
(やはり、ありえません)
アリアドネはステュアートに「好みじゃない」と言ったのだ。
その言葉が事実ならば、ラティスは好みということになってしまう。
(ありえません、絶対に……あのような男が好みで、私が好みではないなど……まさか)
ステュアートは息を呑む。
(重要なのは、外見では無い……?)
なぜ気づけなかったのか。
外見は、完璧に優っているのだ。
実際に、アリアドネはステュアートに一目惚れをした。このことに関してはステュアートは自信を持って頷ける。
彼女は遠慮深いから、ステュアートの愛を受け取れずにいるのだろう。その推測もきっと間違ってはいない。
元々、ステュアートの外見や性格に問題などないのだ。完璧なのだから。
ともすれば。
原因は――リリアンだ。
それ以外に考えられないではないか。
なぜならば、アリアドネとステュアートは出会って時間があまりない。彼女の知るステュアートといえば、見た目や地位、男根の見た目や色なのである。
(あぁ、なぜ気づかなかったのでしょう!)
見目も性格も地位も完璧なステュアートだが、男根だけはアリアドネの好みから外れていた。
それならば、アリアドネの言っていた《好みじゃない》という言葉も頷ける。
魔獣としては愛らしいリリアンも、ステュアートの男根としては大変未熟なのかもしれない。小鳥も雛のほうが可愛いというし。
そもそもステュアートはこれまで女性と関係を持ったこともなければ、同性のそれをまじまじと見たこともないのだから、ステュアートが基準を知らないのも当然である。
(私の局部は、それほど残念な……)
「やめて!」
ふいにアリアドネの悲鳴が聞こえた。
ステュアートは、ぞわりと背筋に冷たいものを感じた瞬間に馬車を飛び出していた。
さながら海岸に打ち上げられた海月のように、ぐったりとしている。
(……あれほど口説いたのは生まれて初めてでしたのに)
どうしてアリアドネは、ステュアートの告白を断ったのだろうか。
惚れている相手(ステュアート)にあそこまで言わせて、好みではないなどと突っぱねるなんて。
(やはり私を試しているのでしょうね。平凡女の分際で……いい加減素直にならないと捨ててしまいますよ、まったく)
「うわっ!」
悲鳴が聞こえて、少し頭をずらす。
軽く睨むように見れば、アランがドン引きしたような顔で立っていた。
「どうかしましたか?」
「いやいや、どうかしたのはあなたですよ! なんでそんな、くたくたになって捨てられたぬいぐるみみたいになってるんですか!」
長年愛される存在ということだろう。
ステュアートは、溜息をつきながら体を起こすとベッドの縁に座り、足を投げ出した。
「アラン」
「な、なんです?」
「今回の遠征は、あと半月ほどで終えます。そうすれば、私は祖国に戻らねばなりません」
「そうですけど。……もしかして、アリアドネさんに振られたことが堪えてます?」
「いえ、振られては無いのですが、ただ彼女がとても遠慮しているようなのです」
アランは、目を瞬いた。
「そうなんですか? 俺、てっきり大神官様が振られたんだと思ってました。アリアドネさんは慎ましい方なんですね。さっきも徒歩で帰るとおっしゃったので、強引に馬車に乗っていただいたんですよ」
(……ん?)
ステュアートは、アランの言葉を頭の中で反芻した。
(帰ったのですか? なぜ?)
てっきり、アリアドネは隣の部屋にいると思っていた。
内心ではステュアートに嫌われたらどうしようと不安がっているに違いないからだ。
ステュアートとしては、せっかくだから明日まで放置して反省させよう、とまで考えていたのに、なんとアリアドネは帰宅したという。
「アラン」
「はい?」
「アリアドネさんのことを調べて貰えますか?」
アランは心底嫌そうな顔をしたが「わかりました」と答えた。
立場上、頷くしかないのである。
もしかしたら、アリアドネには何か事情があるのかもしれない。
アリアドネに言ったように、彼女は他者に優しいが自分には厳しいのだ。ステュアートの愛を受け入れることを、甘えや弱さと受け取っている可能性がある。
翌朝、定期検診として皇太子の様子を見たあと、ステュアートは民間の馬車を雇った。
王宮の馬車を借りることは容易いが、少しばかり目立つのである。
そうして、ステュアートはアリアドネの部屋が見える位置に馬車を停めさせて、彼女の部屋をじっと見つめた。
二日が経つ頃、アランからアリアドネに関する情報が届き始めた。
書類に目を通していたステュアートは、馬車の外を見る。
ぼろぼろの集合住宅の二階にあるアリアドネの部屋から、アリアドネが現れたのだ。
今日も仕事らしい。
手元の書類と、ステュアート自身が見た情報を照らし合わせ、どれほど書類に信ぴょう性があるかを確認する。
(出勤時刻は合っていますね。利き手も正解です。職場が服飾関係というのも正しい)
プロの調査屋を雇ったらしく、迅速且つ丁寧且つ正確な情報のようだ。
この書類によると、アリアドネは孤児院育ちだという。
身寄りのない子どもたちを集めて住まわせていたのは、現役を引退した元伯爵で、かつて犯した悪事を償うため、晩年は慈善事業に尽くしたらしい。
だが決して裕福な生活ではなく、牧師と名乗っていた元伯爵の貯蓄も底を尽きかけた頃、流行病が起きた。
「これは……」
ステュアートは息を呑む。
今から約十三年前だ。
カーン帝国で飢饉が起き、さらに疫病が蔓延した年である。
帝都がほぼ壊滅状態となり、当時副都であったヒルツが新たな帝都になったのだ。元々遷都を計画していた最中に起きた災害だったことで、国家そのものの機能は想定よりスムーズに立ち直らせることができたという。
(たしか、現在のカーン帝国都……ここが、その元ヒルツでしたね)
カーン帝国の『都』を『帝都』と呼ばないのは、当時のフューリア教の幹部がそのような神託を受けたためだと聞いていた。
――遷都二十年は、新たな帝都を帝都と呼んではならない。名前をつけてもならない。
そうして現在も、カーン帝国の中心地でありながら、元副都ヒルツは『都』とだけ呼ばれているのである。
(アリアドネさんは、かの大災害の生存者として『元帝都』から『都』に移住されたのですね)
その後の生活は孤児院にいた頃より貧しく、今の仕事に就くまでに多大な苦労をしたと、淡々と書類に情報が記載されている。
「……ん?」
しみじみとアリアドネの境遇に胸を痛めていると、書類のある項目に気づいた。
都にきたあと、平民街で共同生活をしていたそうだが、その際に同じ年頃の少年が一緒だったというのだ。
現在でもアリアドネと関わりがあるようで、名前をラティスというらしい。
窓の向こう、アリアドネが馬車から十分離れた頃に、ステュアートが乗っている馬車が滑るように動き出す。
御者にカネを握らせてあるため、いちいち命じなくても自動アリアドネ追跡馬車となっていた。
ステュアートは、書類すべてに目を通すとため息を落とした。
悩ましいため息は、人を惑わすほどの色香に満ちている。ステュアートの禁欲的でありながらも麗しい美貌と雰囲気は、人々を虜にするのだ。
(過去に、何かあったのでしょうか。だから、自分は幸せになってはいけないと思い込んでいるのでは)
ステュアートは、これまでに感じたことのないもやもやした気持ちを抱えてさらに数日を過ごした。
アランから続々と情報が届けられて、たまに皇太子の様子を確認に行って報告書をちょちょっと済ませ、またアリアドネを見つめる。
そしてついに、半月が経とうとしていた。
皇太子は順調に回復しており、黒魔術の痕跡は見られない。経過観察は十分だ。ただ、誰が何のために皇太子を呪ったのか、原因は不明なままだ。
これについてはステュアートにある種の推測があったが、確信がないために報告は避けている。
「……アリアドネさんは、どのようにすれば頷いて下さるのでしょう」
今日もステュアートは、馬車の窓からアリアドネの部屋を見上げていた。
とっくに日は沈みかけている。
紅茶をこぼしたような橙色から薄墨の色に変わる時刻は、ステュアートの心にもの悲しい感情を植え付けるため、あまり好きではない。
(私は、どれだけの人を救えるのでしょうか)
たった一度の短い人生のなかで、奇跡のように救われた命だ。
しかも、ステュアートには『聖力』が宿っている。
きっと、生涯人々を救済すべく生かされたのだろう。
(おや?)
アリアドネの部屋の前に男がいた。
先程集合住宅の二階に上がっていく姿を見たが、アリアドネとは関係のない人物だと意識していなかったのだ。
だが、もしかして知り合いだろうか。
かろうじて夕暮れに照らされた顔を、目を細めてじっと見る。
よくよく見れば、アリアドネの幼馴染であるラティスという男だ。
調べさせた情報とともに各関係者の似顔絵が添えてあったため、もう一度手元の資料と見比べる。
間違いなくラティスだ。
彼は近々伯爵令嬢と結婚するという話だが、単身で一人暮らしの女性の家にやってくるとは非常識にも程がある。
(アリアドネさんはお疲れですのに、一体何の用があるというのでしょうか)
先程、アリアドネは帰宅した。
職場からずっと馬車ごとあとをつけてきたから、間違いない。
今日のアリアドネは、仕事でヘトヘトになった姿でふらふらとしながら帰宅途中の露店で夕食の包み焼を買っていた。そのあとじっと団子屋を見つめ、じゅるりとよだれを飲み込みながら、串団子を衝動買いしている。
持ち帰るつもりだったようだが、我慢できず集合住宅が見えてきた辺りで貪るように食べていた。
ほどよく満足し、にまにまと嬉しそうな姿で帰宅する――ところまで、ステュアートはしっかりと見ているのだ。
もし来客の予定があるのならば、アリアドネはもてなすための甘味を買っていただろう。
自分の分の串団子を買って食べた時点で、来客の予定はないと予測できる。
それに、アリアドネは結婚を控えている男を部屋に招くような愚行はしない。
平凡な女だが、真っ直ぐで清らかな心を持っていることをステュアートはよく理解しているのだ。
――ずっと好きだった方に振られたんです
ふと。
なぜかアリアドネの言葉を思い出した。
――好みじゃないので、ごめんなさい!
(もしかして、あの言葉は事実だった……なんてことは……)
ステュアートの手から、アリアドネに関する資料がばさりと落ちる。
視線は彼女の部屋を向いたままだ。
(幼馴染が結婚……振られた……好みじゃない……)
もし、アリアドネに好きな男がいたとすれば、それはあの幼馴染だろう。
少なくともアリアドネともっとも親しいといえる相手なので、可能性としては高いはずだ。
(しかし、あの男は……お世辞にも……いえ、あまりにも不細工……)
目は細いし、軽薄そうだし、体臭も臭そうだ。
着ている私服も、彼の給金ならもっとよいものを着ることが出来るだろうに、あまりにもみすぼらしい。
平民街に合わせているのかもしれないが、彼の給金のほとんどは彼の酒や博打代に消えていることは資料に書いてあった。
(やはり、ありえません)
アリアドネはステュアートに「好みじゃない」と言ったのだ。
その言葉が事実ならば、ラティスは好みということになってしまう。
(ありえません、絶対に……あのような男が好みで、私が好みではないなど……まさか)
ステュアートは息を呑む。
(重要なのは、外見では無い……?)
なぜ気づけなかったのか。
外見は、完璧に優っているのだ。
実際に、アリアドネはステュアートに一目惚れをした。このことに関してはステュアートは自信を持って頷ける。
彼女は遠慮深いから、ステュアートの愛を受け取れずにいるのだろう。その推測もきっと間違ってはいない。
元々、ステュアートの外見や性格に問題などないのだ。完璧なのだから。
ともすれば。
原因は――リリアンだ。
それ以外に考えられないではないか。
なぜならば、アリアドネとステュアートは出会って時間があまりない。彼女の知るステュアートといえば、見た目や地位、男根の見た目や色なのである。
(あぁ、なぜ気づかなかったのでしょう!)
見目も性格も地位も完璧なステュアートだが、男根だけはアリアドネの好みから外れていた。
それならば、アリアドネの言っていた《好みじゃない》という言葉も頷ける。
魔獣としては愛らしいリリアンも、ステュアートの男根としては大変未熟なのかもしれない。小鳥も雛のほうが可愛いというし。
そもそもステュアートはこれまで女性と関係を持ったこともなければ、同性のそれをまじまじと見たこともないのだから、ステュアートが基準を知らないのも当然である。
(私の局部は、それほど残念な……)
「やめて!」
ふいにアリアドネの悲鳴が聞こえた。
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