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【1】朝起きると××がありました
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床に逸物が落ちていた。
逸物とはつまり、男性の局部である。
「……は?」
アリアドネは思った。
普通に怖い、と。
朝目が覚めて、ぐっすり眠って気持ちよく起きた。
ベッドから降りたら、なんと床に男性のアレが落ちていたのである。
怖い。
気持ち悪い。
もしかしたら見間違いかもしれない。
そもそもアリアドネは二十歳になった今も男性のそこ――つまり局部をきちんと見たことがないのだから。
ぼやっとしているが、過去に一度だけ見たことがあった。
あれはアリアドネが六歳の頃。
記憶すら無いほど幼い頃に引き取られた孤児院で暮らしていたアリアドネは、怖い夢を見た。
化け物に食べられてしまう夢である。
ほかの子ども達は皆眠っていて、誰もしゃくりあげて泣くアリアドネに気づかない。
近くの子を起こそうとしたが、遊び疲れていたその子は揺すっても起きなかった。
アリアドネは世界にひとりぼっちになったような感覚がして、本当にこのまま化け物に食べられてしまうような気がしたのだ。
だから、助けを求めて養父でもあった牧師のもとに駆けて行った――が、牧師はちょうど風呂の真っ最中だったのである。
慌てる牧師の姿が珍しくて、恐怖などあっという間に忘れてしまったあの晩のことは、よく覚えていた。
(細部の記憶はぼやっとしてるけど、でも確かにこんな形と色だったような……うーん)
アリアドネは、寝室の窓を見た。
それから玄関まで行ってドアを、続けて他の窓も確認する。
(確かに閉まってるわよね……?)
アリアドネは集合住宅の二階に住んでいるが、ドアの鍵はもちろん窓もすべて閉まっていた。
何者かが侵入した形跡は見られない。しかし、アリアドネは泥棒のプロではないから、見つけられないだけかもしれない。
でも確かに、昨夜は寝る前には何も落ちていなかった。
こんな異物があったら、間違いなく気づくはずである。
(……誰かが入ってきた感じでもないし、悪戯? にしては意味がわからない……)
アリアドネはため息をついた。
先程は慌ててしまったが、よく考えれば朝起きて床に男性のアレが落ちているなどありえないではないか。
本物のブツだと猟奇事件だが血痕も見当たらないし、誰かが侵入した様子もない。
ブツを象った玩具だとしても、なぜこんなところに転がっているのかサッパリだ。
アリアドネはもう一度ため息をついた。
ベッド脇のテーブルからリボンを取り、漆黒の髪を頭上で結ぶ。
気合いを入れるように腕まくりをして、床からソレを拾い上げた。
不審なものが落ちていたと、職場である服飾店のオーナーに見てもらおうと思ったのだ。
しかし。
「え……暖かい……」
人肌のように。
手のひらに乗せて、まじまじと見つめる。
ぴく、とソレが震えた。
「ひっ!」
とっさに投げてしまう。
それはベッドの布団の上にぼとりと落ちた。
アリアドネは青くなり、わなわなと拳を握りしめる。
「動いた……動いたわ。私、どうして気づかなかったのかしら」
窓もドアも閉まっているから、人は入ってこられない。
そしてこのブツは人肌のように暖かい。
この二つから考えれば、すぐにブツの正体に気づけたはずなのに。
アリアドネは、ハッとするとすぐに桶を持ってきた。
持っているなかで特別にふかふかの布を敷いて、その上にブツを乗せる。
これは男性のアレでもなければ、アレを象った玩具でもない。
「これ、魔獣だわ」
魔獣とは、犬や猫などの愛玩動物とは違い、魔力を帯びた生物全般のことをいう。
しかし魔獣は人に危害を加える種族が多いため、飼育売買共に禁じられているのである。
ここカーン帝国は、皇帝を頂点とする貴族社会だ。
身分制度が確立しているため、平民であるアリアドネは望むままに知識を得ることが難しい。
そのため、魔獣という奇想天外な生き物が存在するという話は聞いたことがあるが、詳しいことは何も知らないのである。
最近、違法に魔獣を売買する業者が摘発されたという。
かなり規模の大きな商会だったため、関係者を捕らえるために平民地区にも大勢の兵士がやってきたのでよく覚えていた。
(その業者から逃げてきたのかしら)
魔獣のなかには、不思議な力を持つものもいるという。
アリアドネは、この小さな魔獣が命からがら、やっとの思いで飛行している姿を想像する。魔獣はふらふらとしながら窓に激突。不思議な力を使ってすぅっと窓を通り抜けたところで、力尽きた――。
「そこが、私の部屋だったのね」
あくまで想像でしかないが可能性がないとは言い切れないし、どのような理由にせよ弱っている生き物を放り出すなんてアリアドネには出来なかった。
寝床――桶と布だが――は用意したけれど、このまま飼育するわけにはいかない。
何を食べるのか、どうすれば元気になるのか、人に危害を及ぼさないのか。
アリアドネは、魔獣について何も知らないのである。
(魔獣って、どこに報告すればいいのかしら)
見回りの兵士に聞けばいいのでは、と考えたがすぐに思いとどまった。
朝起きたら魔獣が部屋に居ました、ではあまりにも信憑性にかける気がするのだ。
例の魔獣の違法売買摘発以後、兵士たちの間にはピリッとした独特の雰囲気が漂っているのである。
(……私が魔獣を囲い込んでいたとか、拾って育てていたとか、そういう疑いをかけられるかも……)
アリアドネは顔をあげた。
いいことを思いついたのだ。
にっこりと微笑んだアリアドネは夜着から普段使いのドレスに着替えて、引き出しからいつも使っている便せんを取り出した。
(ラティスに頼むしかないわ)
ラティスは、アリアドネと同様に孤児院で育った幼なじみだ。
腕っぷしがよいラティスは、飄々としたどこでも馴染むことができる性格もあって、平民出身の者を集めた兵士団に所属している。
平民出身の兵士団とはいえ、王宮に士官している立派な兵士だ。
給料もアリアドネたち平民街で暮らしている者と比べると破格のため、兵士を希望する平民は多い。
そんな競争率の高い職についたラティスは、当然のようにアリアドネよりも知識が豊富なのだ。
元々勉強家だったうえに、兵士になってから更に博識になったというし、彼に尋ねればこの魔獣がどんな種類かわかるかもしれない。
種類がわからなくても、今のアリアドネがどういった行動を取れば良いのか、アドバイスをくれるだろう。
急ぎの話があるから今日の仕事が終わったら来て欲しい、と手紙に書いた。
アリアドネは桶のなかでぐったりしている魔獣を見て、そっと頭を撫でてやる。
かなり元気がない。
(……ずっと着いててあげられなくてごめんね)
アリアドネは朝食にチーズを食べると、支度をして仕事に向かった。
途中、馴染みの兵士に急いでラティスに届けてほしいと手紙を渡すことを忘れない。
今夜、ラティスに会える。
ドキドキと落ち着かない心地と甘い胸の高鳴りに、アリアドネはこっそりと頬を染めた。
逸物とはつまり、男性の局部である。
「……は?」
アリアドネは思った。
普通に怖い、と。
朝目が覚めて、ぐっすり眠って気持ちよく起きた。
ベッドから降りたら、なんと床に男性のアレが落ちていたのである。
怖い。
気持ち悪い。
もしかしたら見間違いかもしれない。
そもそもアリアドネは二十歳になった今も男性のそこ――つまり局部をきちんと見たことがないのだから。
ぼやっとしているが、過去に一度だけ見たことがあった。
あれはアリアドネが六歳の頃。
記憶すら無いほど幼い頃に引き取られた孤児院で暮らしていたアリアドネは、怖い夢を見た。
化け物に食べられてしまう夢である。
ほかの子ども達は皆眠っていて、誰もしゃくりあげて泣くアリアドネに気づかない。
近くの子を起こそうとしたが、遊び疲れていたその子は揺すっても起きなかった。
アリアドネは世界にひとりぼっちになったような感覚がして、本当にこのまま化け物に食べられてしまうような気がしたのだ。
だから、助けを求めて養父でもあった牧師のもとに駆けて行った――が、牧師はちょうど風呂の真っ最中だったのである。
慌てる牧師の姿が珍しくて、恐怖などあっという間に忘れてしまったあの晩のことは、よく覚えていた。
(細部の記憶はぼやっとしてるけど、でも確かにこんな形と色だったような……うーん)
アリアドネは、寝室の窓を見た。
それから玄関まで行ってドアを、続けて他の窓も確認する。
(確かに閉まってるわよね……?)
アリアドネは集合住宅の二階に住んでいるが、ドアの鍵はもちろん窓もすべて閉まっていた。
何者かが侵入した形跡は見られない。しかし、アリアドネは泥棒のプロではないから、見つけられないだけかもしれない。
でも確かに、昨夜は寝る前には何も落ちていなかった。
こんな異物があったら、間違いなく気づくはずである。
(……誰かが入ってきた感じでもないし、悪戯? にしては意味がわからない……)
アリアドネはため息をついた。
先程は慌ててしまったが、よく考えれば朝起きて床に男性のアレが落ちているなどありえないではないか。
本物のブツだと猟奇事件だが血痕も見当たらないし、誰かが侵入した様子もない。
ブツを象った玩具だとしても、なぜこんなところに転がっているのかサッパリだ。
アリアドネはもう一度ため息をついた。
ベッド脇のテーブルからリボンを取り、漆黒の髪を頭上で結ぶ。
気合いを入れるように腕まくりをして、床からソレを拾い上げた。
不審なものが落ちていたと、職場である服飾店のオーナーに見てもらおうと思ったのだ。
しかし。
「え……暖かい……」
人肌のように。
手のひらに乗せて、まじまじと見つめる。
ぴく、とソレが震えた。
「ひっ!」
とっさに投げてしまう。
それはベッドの布団の上にぼとりと落ちた。
アリアドネは青くなり、わなわなと拳を握りしめる。
「動いた……動いたわ。私、どうして気づかなかったのかしら」
窓もドアも閉まっているから、人は入ってこられない。
そしてこのブツは人肌のように暖かい。
この二つから考えれば、すぐにブツの正体に気づけたはずなのに。
アリアドネは、ハッとするとすぐに桶を持ってきた。
持っているなかで特別にふかふかの布を敷いて、その上にブツを乗せる。
これは男性のアレでもなければ、アレを象った玩具でもない。
「これ、魔獣だわ」
魔獣とは、犬や猫などの愛玩動物とは違い、魔力を帯びた生物全般のことをいう。
しかし魔獣は人に危害を加える種族が多いため、飼育売買共に禁じられているのである。
ここカーン帝国は、皇帝を頂点とする貴族社会だ。
身分制度が確立しているため、平民であるアリアドネは望むままに知識を得ることが難しい。
そのため、魔獣という奇想天外な生き物が存在するという話は聞いたことがあるが、詳しいことは何も知らないのである。
最近、違法に魔獣を売買する業者が摘発されたという。
かなり規模の大きな商会だったため、関係者を捕らえるために平民地区にも大勢の兵士がやってきたのでよく覚えていた。
(その業者から逃げてきたのかしら)
魔獣のなかには、不思議な力を持つものもいるという。
アリアドネは、この小さな魔獣が命からがら、やっとの思いで飛行している姿を想像する。魔獣はふらふらとしながら窓に激突。不思議な力を使ってすぅっと窓を通り抜けたところで、力尽きた――。
「そこが、私の部屋だったのね」
あくまで想像でしかないが可能性がないとは言い切れないし、どのような理由にせよ弱っている生き物を放り出すなんてアリアドネには出来なかった。
寝床――桶と布だが――は用意したけれど、このまま飼育するわけにはいかない。
何を食べるのか、どうすれば元気になるのか、人に危害を及ぼさないのか。
アリアドネは、魔獣について何も知らないのである。
(魔獣って、どこに報告すればいいのかしら)
見回りの兵士に聞けばいいのでは、と考えたがすぐに思いとどまった。
朝起きたら魔獣が部屋に居ました、ではあまりにも信憑性にかける気がするのだ。
例の魔獣の違法売買摘発以後、兵士たちの間にはピリッとした独特の雰囲気が漂っているのである。
(……私が魔獣を囲い込んでいたとか、拾って育てていたとか、そういう疑いをかけられるかも……)
アリアドネは顔をあげた。
いいことを思いついたのだ。
にっこりと微笑んだアリアドネは夜着から普段使いのドレスに着替えて、引き出しからいつも使っている便せんを取り出した。
(ラティスに頼むしかないわ)
ラティスは、アリアドネと同様に孤児院で育った幼なじみだ。
腕っぷしがよいラティスは、飄々としたどこでも馴染むことができる性格もあって、平民出身の者を集めた兵士団に所属している。
平民出身の兵士団とはいえ、王宮に士官している立派な兵士だ。
給料もアリアドネたち平民街で暮らしている者と比べると破格のため、兵士を希望する平民は多い。
そんな競争率の高い職についたラティスは、当然のようにアリアドネよりも知識が豊富なのだ。
元々勉強家だったうえに、兵士になってから更に博識になったというし、彼に尋ねればこの魔獣がどんな種類かわかるかもしれない。
種類がわからなくても、今のアリアドネがどういった行動を取れば良いのか、アドバイスをくれるだろう。
急ぎの話があるから今日の仕事が終わったら来て欲しい、と手紙に書いた。
アリアドネは桶のなかでぐったりしている魔獣を見て、そっと頭を撫でてやる。
かなり元気がない。
(……ずっと着いててあげられなくてごめんね)
アリアドネは朝食にチーズを食べると、支度をして仕事に向かった。
途中、馴染みの兵士に急いでラティスに届けてほしいと手紙を渡すことを忘れない。
今夜、ラティスに会える。
ドキドキと落ち着かない心地と甘い胸の高鳴りに、アリアドネはこっそりと頬を染めた。
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