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第二章 5、渡月は望まぬ己を知る

5、

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 実習期間は、二週間だ。
 決して短くはなかった。むしろ長すぎる期間だったが、配属場所によっては楽しく過ごせる日もあった。
 最終日、希望するユニットへ行ってもよいということで、私は竹中さんのユニットを選んだ。もう一度、竹中さんに会いたかった。
 そして今、私は竹中さんの居室の前にいる。ドアを三回ノックして、部屋に入った。
 竹中さんは、やはり、ベッドの淵に座っていた。窓に背を向けて、無表情で。
「おはようございます、竹中さん」
 竹中さんは、ちらりとも視線をくれない。その目はただ一か所、というよりも、ぼうっと空中を眺めている。
「今日で、実習最終日です。こちらのユニットで勉強させていただくことになりました。少し、お話させていただいてもよろしいですか」
「話なんか、あらへん」
 ここで、これまでは引き下がっていた。
 けれど、今日が最終日。実習が終われば、もう、竹中さんと会うことがない。
「五分だけ。お願いします」
「せやったら、殺してんか」
 椅子に座って居座ってやろう、と一歩踏み出した私は、竹中さんの言葉に、目を瞬いた。
「殺す?」
「わしを殺してんか。もう、生きとうないわ」
「わかりました」
 私は大きく頷いて、「失礼しますね」と断りを告げてから、椅子に座らせてもらった。
「では、五分だけお話をさせてください。そのあとに、殺して差し上げます」
 竹中さんと、初めて、視線を合わせた。椅子に座ることで、目線がさがったため、彼女の表情がよく見える。無表情だった竹中さんは、私の目を見ると、徐々に目をみはっていく。
「……本気なんね」
「お約束は守ります。必ず」
「ほかの人、理由聞いてきたり、そんなん言わんといてとか、言うてくるんや。まるでわしが、構ってほしいから、死にたい言うてるみたいや」
「竹中さんのお言葉は、本気でした」
「あんた、この仕事、向いてへんのんちゃうか」
 唐突な言葉に、え、と小さく呟いた。
「わしみたいなやつの頼み聞いて、いちいち犯罪を犯しとったら、自分の人生台無しになるで」
 何かを言わなければと思うのに、言葉が浮かばない。竹中さんの言葉は正しいだろうし、そもそも「竹中さんを殺す」という言葉を実行できるのか、自分が恐ろしい。
 殺人を犯すことが恐ろしいのではなく、竹中さんとの約束を反故にして、竹中さんを傷つけて嫌われてしまうことが、恐ろしいのだ。
「……ごめんなさい。今更ですが、なかったことにしてください。いくら望んでおられても、私は竹中さんを殺せないと思います」
「せやろ。みてみいな。仕事やて、割り切りぃや。せやないと、しんどいで」
 竹中さんは、はじめて、少しだけ笑みを見せてくれた。
「どうにもならんことも、ぎょうさんあるんや。わしは、もう、死にたい。なんでや聞かれても、答えたってしゃーないねん。みんな死んでもうた。わしがやりたいのは、また、あの家に戻って、うちの主人と一日畑仕事して、野良猫に囲まれて、過ごすことや。どうあがいても、でけへん」
「ありがとうございます」
 私は、小さく会釈をした。
 答えたって仕方がない、と言いながらも、死にたいと思う理由を話してくださった。死を渇望するのは、今の生活に満足できていないからだ。心身が満たされていないからだ。
 だからといって、必ずしも欲求を満たせるわけではない。
「人生は、妥協や。わしは死にたいけど、自殺はせぇへん。娘は、好きで死んだわけちゃうしな。主人もな、病気やってん。その分、わしが生きてやろう思ったけどな、もう、ええねん。二人にも、妥協してもらわんと」
 苦笑する竹中さんを見て、思わず笑みがこぼれた。
 こんなふうにお話できるだけでも、この数分はとてつもなく価値がある。人生の大先輩の言葉は深みがあって、心に深く残るのだ。
「疲れたし、寝るわ」
「はい。では、これで失礼します」
 立ち上がって、深く頭をさげた。
 ベッドに横になりながら、竹中さんが口をひらく。
「あんたにも、戻りたい時代が、あるんやな」
 まるで、すべてと悟ったかのような声音だった。
 私は、微かに微笑むと。
 もう一度会釈をして、居室をあとにした。
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