76 / 128
第二章 5、渡月は望まぬ己を知る
4、
しおりを挟む
長く生きてきた人生の大先輩たちは、その命の輝きを、顕著に日々を過ごしている。「生きる」ことを意識して、生きている人たちが、美しくないはずがない。そのなかでも、私にとって竹中さんは、特別に輝いてみえた――それだけの話だ。
「さて、と。そろそろお風呂溜まってると思うので、先生お先にどうぞ」
夕食づくりのあとに、湯を張り始めておいたのだ。
花材を片付けた先生は、やや考える素振りを見せてから、首を横に振った。
「あの風呂は、きみ専用にするといい」
「もったいないです。湯をはるのに、水道代もかかりますし。せっかくですし、入ってくださいよ」
それに、先生の休憩にもなる。
先週ほどではないにしろ、やはり先生からは疲労が見てとれる。少しでも体が休まればよい。
「私は、銭湯に行く」
先生の声音は追言を許さない強さがあった。
風呂に行くのなら休憩にもなるかな、と私は大人しく引き下がる。
風呂の湯を止めて、夕食の後片付けをしてから、もう下がっていいという先生を押し切って、事務作業を少しだけ片付けた。メールでの問い合わせは、初見の方や、急ぎではない連絡事項などが中心ゆえに、即返事をしなければならないというわけではない。
先生が筆不精なのは知り合いであれば知っているため、親しい顧客や取引先からは、携帯電話に直接連絡がくるという。とはいえ、初見で勇気を出して問い合わせをしてくださった方々には、なるべく早く返事をしたい。
「終わったか?」
気が付くと、先生のほうが片づけを先に終わらせていた。
私は、作業場の端にある、パソコン専用に使っている(私が勝手に専用にした)小さな机から、休憩室で長い足を組んで座っている先生を見た。
「はい」
「ならば、早く休め。レポートは終わったのか?」
「あっ!」
しまった、忘れていた。
苦笑する先生に、思い出させてくれたことのお礼を言って、辺りを軽く片付けたあと、二階へあがった。風呂に入り、湯冷めしないうちに布団に潜り込む。寝ころんだまま、レポートを書いた。
書き方さえわかれば、一ページくらいの連絡レポートは、そんなに時間がかからない。初日こそ、書き方云々よりも提出したあとの返事におびえていたが、帰ってきたレポートには丁寧に、書いた内容についてのアドバイスが書いてあった。
レポートを鞄に片付けて、うとうとしたまま布団に入る。
眠りに落ちる間際に、脳裏に美しい女性――須藤由紀子の姿が浮かんだ。彼女は妖艶に微笑んで、暖炉のある家で、私の頭を撫でている。
――『命はね。消える間際のものが、もっとも美しいのよ』
由紀子の声は、うっとりと子守歌の用に脳裏に響いた。
前にも、こんなことがあった気がする。眠りに落ちる間際になると、ときおり、由紀子の声がふわっと浮かぶのだ。けれど、眠る間際に思い出しても、朝起きると忘れている。
――『命は尊く、大切なものなの。なぜならば、死は誰しもが平等に迎える人生の終着点だから。その先はね、ないの。そして終着点へつくと、戻ることは決して出来ない。だから――』
朝になると、私は忘れているだろう。由紀子が繰り返し、幼い私に聞かせてきた言葉を。
――『だから――まだまだ終着点へほど遠い命を、終着点へ向かわせてあげる私は、まさに神なのよ』
朝になって、忘れても。
私のなかでは、もう、つながっていた。
点と点が。疑問と違和感が。
だから、今はもう寝よう。今やるべきなのは、実習で。私自身の、将来を、見据えることなのだから。
***
「さて、と。そろそろお風呂溜まってると思うので、先生お先にどうぞ」
夕食づくりのあとに、湯を張り始めておいたのだ。
花材を片付けた先生は、やや考える素振りを見せてから、首を横に振った。
「あの風呂は、きみ専用にするといい」
「もったいないです。湯をはるのに、水道代もかかりますし。せっかくですし、入ってくださいよ」
それに、先生の休憩にもなる。
先週ほどではないにしろ、やはり先生からは疲労が見てとれる。少しでも体が休まればよい。
「私は、銭湯に行く」
先生の声音は追言を許さない強さがあった。
風呂に行くのなら休憩にもなるかな、と私は大人しく引き下がる。
風呂の湯を止めて、夕食の後片付けをしてから、もう下がっていいという先生を押し切って、事務作業を少しだけ片付けた。メールでの問い合わせは、初見の方や、急ぎではない連絡事項などが中心ゆえに、即返事をしなければならないというわけではない。
先生が筆不精なのは知り合いであれば知っているため、親しい顧客や取引先からは、携帯電話に直接連絡がくるという。とはいえ、初見で勇気を出して問い合わせをしてくださった方々には、なるべく早く返事をしたい。
「終わったか?」
気が付くと、先生のほうが片づけを先に終わらせていた。
私は、作業場の端にある、パソコン専用に使っている(私が勝手に専用にした)小さな机から、休憩室で長い足を組んで座っている先生を見た。
「はい」
「ならば、早く休め。レポートは終わったのか?」
「あっ!」
しまった、忘れていた。
苦笑する先生に、思い出させてくれたことのお礼を言って、辺りを軽く片付けたあと、二階へあがった。風呂に入り、湯冷めしないうちに布団に潜り込む。寝ころんだまま、レポートを書いた。
書き方さえわかれば、一ページくらいの連絡レポートは、そんなに時間がかからない。初日こそ、書き方云々よりも提出したあとの返事におびえていたが、帰ってきたレポートには丁寧に、書いた内容についてのアドバイスが書いてあった。
レポートを鞄に片付けて、うとうとしたまま布団に入る。
眠りに落ちる間際に、脳裏に美しい女性――須藤由紀子の姿が浮かんだ。彼女は妖艶に微笑んで、暖炉のある家で、私の頭を撫でている。
――『命はね。消える間際のものが、もっとも美しいのよ』
由紀子の声は、うっとりと子守歌の用に脳裏に響いた。
前にも、こんなことがあった気がする。眠りに落ちる間際になると、ときおり、由紀子の声がふわっと浮かぶのだ。けれど、眠る間際に思い出しても、朝起きると忘れている。
――『命は尊く、大切なものなの。なぜならば、死は誰しもが平等に迎える人生の終着点だから。その先はね、ないの。そして終着点へつくと、戻ることは決して出来ない。だから――』
朝になると、私は忘れているだろう。由紀子が繰り返し、幼い私に聞かせてきた言葉を。
――『だから――まだまだ終着点へほど遠い命を、終着点へ向かわせてあげる私は、まさに神なのよ』
朝になって、忘れても。
私のなかでは、もう、つながっていた。
点と点が。疑問と違和感が。
だから、今はもう寝よう。今やるべきなのは、実習で。私自身の、将来を、見据えることなのだから。
***
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。



とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。

セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる