須藤先生の平凡なる非日常

如月あこ

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第二章 5、渡月は望まぬ己を知る

4、

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 長く生きてきた人生の大先輩たちは、その命の輝きを、顕著に日々を過ごしている。「生きる」ことを意識して、生きている人たちが、美しくないはずがない。そのなかでも、私にとって竹中さんは、特別に輝いてみえた――それだけの話だ。
「さて、と。そろそろお風呂溜まってると思うので、先生お先にどうぞ」
 夕食づくりのあとに、湯を張り始めておいたのだ。
 花材を片付けた先生は、やや考える素振りを見せてから、首を横に振った。
「あの風呂は、きみ専用にするといい」
「もったいないです。湯をはるのに、水道代もかかりますし。せっかくですし、入ってくださいよ」
 それに、先生の休憩にもなる。
 先週ほどではないにしろ、やはり先生からは疲労が見てとれる。少しでも体が休まればよい。
「私は、銭湯に行く」
 先生の声音は追言を許さない強さがあった。
 風呂に行くのなら休憩にもなるかな、と私は大人しく引き下がる。
 風呂の湯を止めて、夕食の後片付けをしてから、もう下がっていいという先生を押し切って、事務作業を少しだけ片付けた。メールでの問い合わせは、初見の方や、急ぎではない連絡事項などが中心ゆえに、即返事をしなければならないというわけではない。
 先生が筆不精なのは知り合いであれば知っているため、親しい顧客や取引先からは、携帯電話に直接連絡がくるという。とはいえ、初見で勇気を出して問い合わせをしてくださった方々には、なるべく早く返事をしたい。
「終わったか?」
 気が付くと、先生のほうが片づけを先に終わらせていた。
 私は、作業場の端にある、パソコン専用に使っている(私が勝手に専用にした)小さな机から、休憩室で長い足を組んで座っている先生を見た。
「はい」
「ならば、早く休め。レポートは終わったのか?」
「あっ!」
 しまった、忘れていた。
 苦笑する先生に、思い出させてくれたことのお礼を言って、辺りを軽く片付けたあと、二階へあがった。風呂に入り、湯冷めしないうちに布団に潜り込む。寝ころんだまま、レポートを書いた。
 書き方さえわかれば、一ページくらいの連絡レポートは、そんなに時間がかからない。初日こそ、書き方云々よりも提出したあとの返事におびえていたが、帰ってきたレポートには丁寧に、書いた内容についてのアドバイスが書いてあった。
 レポートを鞄に片付けて、うとうとしたまま布団に入る。
 眠りに落ちる間際に、脳裏に美しい女性――須藤由紀子の姿が浮かんだ。彼女は妖艶に微笑んで、暖炉のある家で、私の頭を撫でている。
――『命はね。消える間際のものが、もっとも美しいのよ』
 由紀子の声は、うっとりと子守歌の用に脳裏に響いた。
 前にも、こんなことがあった気がする。眠りに落ちる間際になると、ときおり、由紀子の声がふわっと浮かぶのだ。けれど、眠る間際に思い出しても、朝起きると忘れている。
――『命は尊く、大切なものなの。なぜならば、死は誰しもが平等に迎える人生の終着点だから。その先はね、ないの。そして終着点へつくと、戻ることは決して出来ない。だから――』
 朝になると、私は忘れているだろう。由紀子が繰り返し、幼い私に聞かせてきた言葉を。
――『だから――まだまだ終着点へほど遠い命を、終着点へ向かわせてあげる私は、まさに神なのよ』
 朝になって、忘れても。
 私のなかでは、もう、つながっていた。
 点と点が。疑問と違和感が。
 だから、今はもう寝よう。今やるべきなのは、実習で。私自身の、将来を、見据えることなのだから。
***
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