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第一章 5、須藤先生は、やっぱり少し、変わっている

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 女性はそう言って、視線を足元に落とした。
 好みの相手を物色しているわけでも、認知症なわけでも、相手をからかって遊んでいるわけでもなかった。女性の目じりや口元、頬に刻まれた皴は、彼女が生きてきた年月の貴重さを私に見せつけおり、ぐっとこぶしを握りしめた。体の奥底に、火玉がたぎっているような、苦しさを覚えたのだ。
 女性に道を聞かれたときに感じた視線、あれは、人生の最後を見据えた者の目だったのだ。どこか卓越しており、そのなかにわずかな欲望がともった、どこまでも純粋な「人間」の目。
 それを、私は「違和感」だと胸中で眉をひそめたのだ。
「貴重なお話、ありがとうございました。なんと言ってよいかわからないのですが、それでも、あなたが大切にされているものを知ることができて、嬉しく思いました」
 先生は、女性にそう言って頭をさげた。深く、深く。……座ったままだけれど。
「まぁ、そのようなことを言っていただけるなんて。お声をかけて頂けただけでも、大変喜んでおりますの。本当に、ありがとう」
 女性は私に視線を向けた。私も口をひらこうと思ったけど、言葉が見つからず、ただ、「ありがとうございます」とだけ言った。
 女性は、にこやかに微笑んで立ち上がると、私の傍までやってきて、「ありがとう」ともう一度お礼をいうと、大仏殿の向こうへ歩いて行ってしまった。
「単純な謎だったな」
「ねぇ、先生」
「なんだ」
 女性の姿が見えなくなった途端、先生は足を組んで、えらそうに鼻をならす。
「先生は、自分の命があと一年だとわかったら、何をします?」
「どうだろうな。これまでやりたくても出来なかったことをするんじゃないか。欲しいものを買ったり、旅行へ行ったり」
「私は、日記をつけます。それから、歴史上、もっとも大きな事件を起こすと思います」
 ぴく、と先生は眉をひそめる。
 女性が余命宣告されていると聞いたとき、私ならどうするかと考えた末に出た、ついさっきでた、結論だった。
「私は犯罪者として逮捕され、日記もまた、世間に公開されることでしょう。歴史上稀に見る凶悪犯罪者として、名前を残すことになるんです」
「随分と普通の考えだな。安心した」
 犯罪者になりたい、だなんて、異端だ。そう思っていたから、わりと緊張して話したことだったのに、先生の態度は軽い。軽すぎる。
「まぁ、座れ。自分の生きた証を残したい。そう思うのは、本能だ。孤独であればあるほど、考えることでもある。欲望のまま大量殺人をしたい、などと言い出したらすぐさま通報するが、きみは、名を残したいからと言った。犯罪は許されるべきではないし、決して容認できない。だが、もし、ほかに別の手で名を遺すことができるとしたら、きみはそちらを選ぶのではないか」
「それは、はい、もちろん」
「ならば。犯罪者として世間に名を遺すか、私一人の記憶にずっと居座るか。きみが死んだあと、どちらかしか選べないとすると、どちらを選ぶ? 前者だと私はきみを忘れるし、後者だと世間はきみを知らないままだと仮定する」
「後者です。先生が覚えていて下さるのなら、犯罪を犯してまで名前を残す必要ないじゃないですか」
 そんな当たり前のことを、どうして先生は聞くんだろう。
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