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第一章 5、須藤先生は、やっぱり少し、変わっている
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おととし、亭主がなくなりましてね。
亭主とは、ここ奈良で知り合ったのです。私は、東北のほうの生まれでして、仕事の疲れを癒そうと、一人旅をしておりました。当時、私は何でも一人で背負い込んでしまっておりまして、逃げるような旅でした。
それなのに、旅行に出ても一向に心のもやもやは無くならないのです。夢のなかでも仕事をして、休んでいる間に過ぎていく時間が不安で仕方ありませんでした。それでも予約を取った旅行は最後まで行かなければならない、と思い、京都観光を終えて、奈良へ来たのです。
奈良といえば、奈良公園の鹿と大仏でしょう。見に行こうと思ったのですが、道がわからず、近くの男性に道を尋ねました。その男性が、一昨年なくなった亭主です。
亭主は、観光のさなか、私の身の上話を聞いてくれたんです。慰めるでも励ますでもなく、ただ、聞いてくれて。それが嬉しくてね。旅行を終えても連絡を取り合って、やがて、結婚したんですよ。
残念ながら子宝には恵まれませんでしたが、とても幸福な結婚生活でした。おととし亭主が亡くなったのは病気でして、見送ることもできました。そして、亭主には内緒にしておりましたが、亭主が亡くなる二か月ほど前に、私もまた、ほかの病気で余命宣告を受けました。
死ぬとわかると、不思議と、すべてが懐かしくて、暖かく見えてきたのです。季節の流れが見えて、風の優しさに心躍って、日の高さに安堵して。私は、この一年半、やりたいことをやってまいりました。本当に気の向くまま、貯蓄を崩して、ただ、やりたいことだけを。
そろそろ、身体もつらくなってまいりましてね。自分でわかるのです、そろそろだと。そしたらね、私、タンスの奥からこの服を引っ張り出していたんです。これは、亭主と出会ったときに着ていた服なのです。この服を見ていると、一人旅で困りながらも亭主に道を聞き、大仏殿を通って奈良公園を散歩して、猿沢池のほとりで沢山お話をした、あの奈良旅行を、思い出すのです。
私は、当時に戻ったような気がして、いろいろな方に道を尋ねました。皆さんとても丁寧に教えてくださって、そのたびに、やはり亭主を思い出すのです。いけないことだとは思っていました。知っている道を尋ねるのですから、相手様にもご迷惑でしょう。それでも辞められなかったのです。私に向けてくださる皆さんの笑顔、考えて選んでくださる言葉、地図を広げて懸命に目的地を探してくださる視線、すべてに向いていることが嬉しかった。
亭主を失ってから、私は一人の時間が多かったのです。
こうして道をきくことで、亭主のぬくもりを思い出すことが出来て、人々の優しさにも触れることができる。人生の最後を過ごすにはもったいないくらいの贅沢ですね。
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おととし、亭主がなくなりましてね。
亭主とは、ここ奈良で知り合ったのです。私は、東北のほうの生まれでして、仕事の疲れを癒そうと、一人旅をしておりました。当時、私は何でも一人で背負い込んでしまっておりまして、逃げるような旅でした。
それなのに、旅行に出ても一向に心のもやもやは無くならないのです。夢のなかでも仕事をして、休んでいる間に過ぎていく時間が不安で仕方ありませんでした。それでも予約を取った旅行は最後まで行かなければならない、と思い、京都観光を終えて、奈良へ来たのです。
奈良といえば、奈良公園の鹿と大仏でしょう。見に行こうと思ったのですが、道がわからず、近くの男性に道を尋ねました。その男性が、一昨年なくなった亭主です。
亭主は、観光のさなか、私の身の上話を聞いてくれたんです。慰めるでも励ますでもなく、ただ、聞いてくれて。それが嬉しくてね。旅行を終えても連絡を取り合って、やがて、結婚したんですよ。
残念ながら子宝には恵まれませんでしたが、とても幸福な結婚生活でした。おととし亭主が亡くなったのは病気でして、見送ることもできました。そして、亭主には内緒にしておりましたが、亭主が亡くなる二か月ほど前に、私もまた、ほかの病気で余命宣告を受けました。
死ぬとわかると、不思議と、すべてが懐かしくて、暖かく見えてきたのです。季節の流れが見えて、風の優しさに心躍って、日の高さに安堵して。私は、この一年半、やりたいことをやってまいりました。本当に気の向くまま、貯蓄を崩して、ただ、やりたいことだけを。
そろそろ、身体もつらくなってまいりましてね。自分でわかるのです、そろそろだと。そしたらね、私、タンスの奥からこの服を引っ張り出していたんです。これは、亭主と出会ったときに着ていた服なのです。この服を見ていると、一人旅で困りながらも亭主に道を聞き、大仏殿を通って奈良公園を散歩して、猿沢池のほとりで沢山お話をした、あの奈良旅行を、思い出すのです。
私は、当時に戻ったような気がして、いろいろな方に道を尋ねました。皆さんとても丁寧に教えてくださって、そのたびに、やはり亭主を思い出すのです。いけないことだとは思っていました。知っている道を尋ねるのですから、相手様にもご迷惑でしょう。それでも辞められなかったのです。私に向けてくださる皆さんの笑顔、考えて選んでくださる言葉、地図を広げて懸命に目的地を探してくださる視線、すべてに向いていることが嬉しかった。
亭主を失ってから、私は一人の時間が多かったのです。
こうして道をきくことで、亭主のぬくもりを思い出すことが出来て、人々の優しさにも触れることができる。人生の最後を過ごすにはもったいないくらいの贅沢ですね。
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