あなたの傍に置いて下さい ~医者と奴隷~

如月あこ

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第二章

3、

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 セディルは、どうも、レックスが好きではないらしい。
 アイナと共に訪れた民家は、昨日出産のあった家からさらに離れた場所にあったが、家自体の規模は倍ほど大きく、やたら凝った作りとなっていた。どこがどう凝っているかはわからないが、とにかく他とは違うようだ。
 アイナも驚きをみせたが、レックスが現れると、破顔した。レックスは微笑んでアイナを抱きしめ、やたら親密そうに肩を抱いて家の中へ招く。
 その姿に、セディルはどす黒い感情を覚えた。
 アイナが嫌がるのならば、すぐにでもこの男を殴りつけて、二度と立ち上がらないようにしてやるのに。
 レックスはアイナに昨日の礼を言った。
 改めてお礼をというレックスに対して、アイナは首を横に振る。
 そこからは談笑を交えながら、家を譲る契約の話になり、アイナは幾つか確認したあとに契約した。
 二人は親密そうに握手をして、軽く抱きしめあった。……アイナが少しでも嫌がれば、殴りつけてやるのに。

「職業斡旋所と買出し?」
「ええ、そう。これからね」

 教えてやる必要もないのに、アイナはレックスに問われるまま、このあとの予定を告げた。アイナはいつだって正しいから、不満などないはずなのに、なんだか胸の底がチクチクする。
 嫌な予感がした。
 本能的な予感だったが、それが的中したと理解して顔をしかめたのは、すぐのことだ。

「俺が付き合ってやるよ、一人だと大変だろ?」
(一人?)

 セディルがレックスを睨みつけたのは、咄嗟だった。レックスは視線を感じたのか、はたまた殺気を覚えたのか、慌てたように顔をあげてセディルを見ると苦笑した。
 レックスは口を開いたが、彼が何かを言う前に、アイナが言葉を発する。

「お言葉に甘えてもいいかしら?」

 セディルは耳を疑った。 拒否するどころか、一人であることも否定しなかったのだ。
 アイナにとって、セディルはいてもいなくても大差のない存在なのだろうか。奴隷であったころがそうだったように。
 こんなことならば、お前は奴隷だと言い続けて欲しかった。
 身体が震えた。
 地面が崩れたような錯覚を覚えて、目眩さえする。

「セディルはまだ色々なことに慣れてないのよ。付き添って貰えると助かるわ。私は買出しに行ってくるから」
「……なんだって?」

 レックスは、きょとんと呟いた。
 驚きはセディルも同様だったが、驚いた以上に己を罵った。アイナは決して、セディルを見捨てない。わかっていたはずなのに、たった今、アイナを疑ってしまった。
 セディルは自分を殴りつけたい衝動を覚えたが、殴ったくらいでは済まされないことも承知していた。レックスに対して嫉妬したがゆえに、猜疑心が生まれてしまったのだ。それさえ言い訳でしかないが、セディルはこのときになって、やっと、不愉快な気分が嫉妬によるものであると知った。
 遥かに幼い頃、仲の良い親子を見ては、羨望の眼差しを投げていたときのことを唐突に思い出す。

「セディル」

 己に対して罵詈雑言を吐いていたセディルは、アイナの呼びかけに我に返った。

「レックスが案内してくれるって。私より町に詳しいから、仕事についても善し悪しを判断してくれるわ」

 レックスが肩を竦めてみせたのを視界の端に捉えながら、セディルは告げる。

「アイナの傍にいたい」
「私は一人でも平気よ。大体だけど、何がどこに売ってるかわかるもの」
「……」

 心配なのは勿論だが、セディル自身が傍にいたいのだ。
 しかし、それはただの我儘だろう。
 昨日の朝頃、何度も肌を合わせた末に衰弱したアイナを思い出した(ぐったりしていたのは、疲労していたかららしい)。
 やりたいことばかりしていては、アイナに迷惑がかかってしまう。アイナはセディルを見捨てたりはしないが、愚か者だと思われたくなかった。

「無理に仕事を決めなくていいわ。どんなところか、どんな職種があるのか見てきて。帰ってから、一緒に食事にしましょう」

 一緒に、という言葉に、セディルの気分は上昇した。わかった、と頷くと、アイナは微笑んだ。
 レックスといくつか言葉を交わし、アイナは出ていく。当然のようにそのあとをついていこうとして、腕を掴まれた。力強い腕の力に顔を顰めて振り返ると、レックスがにやにやと胸糞悪い笑みでそこにいる。

「離せ」
「俺だって野郎なんか触りたくないんだよ。だが、アイナは俺にお前に付き合えと言った。俺はアイナに借りがある。だから、お前を斡旋所まで案内しなきゃなんねぇ」

 そうだった。
 セディルはこれから、このいけ好かない男と職業斡旋所に行かなければならないのだ。
 セディルが「頼む」と心にもない言葉をつげると、レックスは苦笑して歩き出しす。家の鍵を閉めると、レックスは格好をつけるように鍵を真上に投げて、片手でパシッと受け止めた。

(……今の動作は必要か?)

 鍵はポケットにしまい、何事もなかったかのように歩き出すレックスを、セディルは改めて眺めた。
 顔の善し悪しはわからない。だが、レックスは美男子に入るのだろうと思った。なぜならば、周囲の女が意味ありげにレックスを振り返るのだ。そこには、セディルの嫌悪する色香が混じっており、自分に向けられたものではないというのに、吐き気がこみ上げてきた。

「どうした?」
「なんでもない」

 毅然と告げたセディルに、レックスは面白いものを見るように目をすがめた。

「なぁ、お前とアイナはどういう関係なんだ? 夫婦ってわけじゃなさそうだが」
「なぜそう思う」

 アイナと夫婦には見えていない。そう言われたのだから、セディルが腹を立てるのは当然のことだった。アイナと夫婦になりたいと思ったことはなく、考えさえ及ばなかったが、夫婦がツガイであり、お互いにとって特別な男女であることは知っている。

「お前、無職だろ?」
「? そうだが」
「あのなぁ、夫婦なら嫁さん養ってやるもんだろ。女房にばっかり働かせんじゃねぇよ」

 レックスのため息混じりの言葉を、セディルは理解するように務めた。レックスの言葉は、セディルの知っている常識とは異なっていたためだ。最初のあるじの元では、セディルが働いていた。男はいつも酒を飲んで他人を殴り、妻は男から隠れるように内職の帽子を作って売りに出ていたのだ。
 商人は特定の妻を持っていなかったし、領主の貴族に至っては仕事をしているところなど見たことがなかった。同じような奴隷は皆独り身で、夫婦で奴隷になっている者など知らない。

「女が働きたいっていうんなら、働かせてやりゃいいけどな。甲斐性は大事だぜ。少なくとも、なんもしないままおんぶに抱っこが続くと、いつか負担になって捨てられるぞ。……ああ、夫婦じゃないんだったな」
(捨てられる。俺が、アイナに)

 想像しただけで、目の前が暗くなって身体が強ばった。捨てられるくらいなら殺して欲しい、と以前に思ったことは決して大袈裟ではない。
 アイナがいない日々など、なんの意味があるのだろう。これまでは生きることに意味など必要かなかった。動物の本能で、ただ生きなければならないと、毎日与えられた命令をこなしてきた。

(俺は、変わった)

 わずか数日のうちに。
 アイナと共にいるうちに。
 アイナの傍にいることが、セディルの生きる意味になっていた。

「ま、夫婦のカタチはそれぞれだけどな。だが、俺は愛する妻が出来たら養って守ってやりたいねぇ」
「妻はいないのか」
「俺は一人に囚われるタイプじゃないのさ」

 にやり、とレックスが笑う。レックスは望んで独身でいるようだ。セディルも独身だが、望む望まないに関わらず、様々な過去があって、今に至っている。奴隷ではなくなり、仕事や希望をもってよいのなら、セディルは独りでは生きたくない。傍に誰か――いや、誰か、ではなく、アイナがいて欲しい。
 セディルは一人で頷く。
 自分は、アイナと夫婦になりたいのだ。
 前を歩くレックスを呼び止めると、彼は肩越しに振り返った。

「どうやったら、夫婦になれる?」
「は?」

 レックスは間の抜けた返事を返した。まじまじとセディルを眺めて、首を捻る。

「一般的には、誓いをたてたら夫婦だろうな」
「誓いとは?」
「生涯傍にいるとか、生涯愛するとか? そんなもんじゃねぇ? とにかく、お互いに好きならそれでいいんだよ」

 愛する。お互いに好き。
 それは、セディルにはかなりの難題だった。そもそも愛を知らないし、何をもって好きに該当するのか想像もつかない。
 世の中の夫婦は、こんなに難しい問題を知り得ているのか。

(好きとは、どういうものなのか)

 セディルはアイナの傍にいたい。アイナに見つめて欲しいし見つめていたい。できる限り沢山触れたいし、触れてほしい。アイナの全部を知りたい。そして、過去も未来もすべてが欲しい。……セディルがアイナに対する想いはまだまだある。だが、そこに「好き」と断定できる感情はない。

(人を好きになる、とは、どういう意味か聞いてみよう)

 セディルが口を開きかけたところで、レックスが先に言葉を紡ぐ。

「お前たちが一緒にいるのに、そういう関係にならないんなら、アイナのほうに他に好きな男がいるのかもなぁ……ああ、ついた。結構近いだろ? ここが、斡旋所。通称、職安」

 レックスが、角張った屋根をした木造の建物に入っていく。両開きのドアの前には、葉っぱのようなマークの看板がぶら下がっており、レックスは迷うことなくドアをくぐっていった。
 セディルもあとを追おうとしたが、身体がふらついて、咄嗟に踏みとどまった。
 アイナには好きな相手がいるのかもしれない。 結婚したいと、傍にずっといてほしいと、思う男が。
 そうだ。
 レックスは、お互いに好きなら、と言ったのだ。
 片方だけ「好き」というものがあっても、駄目ということだろう。
 そのあと、セディルはずっとぼうっとしていた。まるで、眠いのに無理やり起こされ、半分眠ったまま行動しているかのように、思考回路が壊れてしまっていた。
 レックスが「おい、俺一人でしゃべってたぞ!」と不機嫌そうに戻ってきて強引に中に連れていかれ、職種について説明を受けた。
 経験や希望職種などをざっと答えてから、壁一面に張り出されている募集中の仕事一覧に目を通す。セディルは字が読めないので、何が書いてあるのかわからない。ただ、何気なく張り紙を見つめながら、アイナの「好きな相手」について考えた。
 レックスが「これなんかどうよ?」と荷物運びの仕事を指差したとき、ふと、見知らぬ男が声をかけてきた。
 男はレックスと少しだけ会話をしたあと、セディルを紹介してくれとレックスにせがむ。
 男はセディルに、よい案件の仕事があるから働かないかと勧めてきた。
 内容としては悪くないどころか、他よりも若干待遇がいい。そのころになって、ようやくまともに頭が動き始めたセディルは、仕事を見つけるために男の話を真剣に聞いた。だが、満面の笑みで「しかも、住み込みで働ける集合住宅つきだ!」と男が自慢げに言った瞬間、セディルは即断った。
 住み込みで仕事を決めてしまえば、すぐにでもアイナの家を出なければならないではないか。そんな恐ろしいこと、できるはずがない。




 結局仕事は決まらないまま、セディルは帰宅した。レックスは「俺このあと約束があるんだ」とどこかへ行ったので、一人で帰宅する。家までレックスがついてきたらどうしようと思ったが、杞憂だったようだ。
 土地勘がよいほうのセディルは、迷うこともなく、住むことになった一軒家の家屋に辿り着く。家に入った瞬間、いい香りがした。
 香ばしくて、空腹を刺激する匂いが、唾液を溢れさせる。奴隷のころは一日一食食べられればよいほうだったが、アイナが三食食べさせてくれるので、最近はすぐに腹が減るようになった。
 セディルは匂いに誘われるまま、奥にある、居間と台所が一緒になった部屋に向かう。
 アイナが台所に立っていた。備え付けの窯でパンを焼き、火の当てた鍋をぐるぐると混ぜている。

「あら、おかえり」

 振り向いて微笑むアイナの姿を見た瞬間、無性に泣きたくなった。今、この瞬間が掛け替えのないものだと、セディルは理解している。

「……ここに帰りたい」

 ぽつり、と呟いた。
 仕事を見つけても、働いたあとここに帰りたい。アイナのいる家に戻って、彼女と食事をして、ともに眠りたい。自分の望みを告げることは恐ろしい。歴代のあるじたちからの折檻を待つ時間より、アイナから望みを拒絶されることが恐ろしいのだ。
 昼食は豪華だった。焼きたてのパンに、ジャガイモの沢山入った鴨のシチュー、温野菜のサラダだ。どれもアイナの手製であり、手早く料理をこなすアイナを、改めて尊敬した。
 うまい、と告げると、アイナははにかんだ。どこか照れたように、シチューを食べる姿に、下腹部が引きつり始める。アイナのふっくらとした唇に視線が吸い寄せられた。たまに見える赤い舌が煽情的で、硬くなり始めた己を誤魔化すために、食事に集中する。
 アイナが作ってくれた美味な昼食にも関わらず、セディルには途中から味がわからなかった。 己を堪えなければなかったのだ。気を抜くと、アイナのふっくらとした唇にむしゃぶりついて、柔らかな身体を堪能するために、飛びかかりそうだ。
 自制心は、アイナが食器を洗う後ろ姿を見つめたときに、ぷつりと切れた。
 股間は大きく膨らみ、衣類を押し上げて主張していた。
 飛び越える速さで机を回り込み、アイナの背後から彼女の身体を抱きしめる。暖かくて柔らかい感触に身体が震え、アイナの匂いを吸い込みながら、腰を押しつけた。ただ押しつけるだけに留まらず、ぐりぐりとこすりつけて、アイナに訴えた。
 アイナが微笑む気配がした。

「今、片づけてるでしょう? 少し待ってて」
「わかった」

 セディルはがっちりとアイナを抱きしめ、硬い部分を押しつけたまま、アイナが終わるのを待つ。アイナは皿を洗うと、ちらっと窯を見てため息をついた。

「まぁ、いいか」
「終わったか」
「ええ、終わったわ」

 アイナを抱き上げると、食事をした机に座らせた。さっきから欲しくて堪らなかった唇に吸いつき、口内まで侵入する。舌を絡ませながらも、唇同士を触れ合わせてアイナを味わった。
 空いている手でアイナの腰を撫でたとき、彼女の手がセディルの首筋に回される。優しく引き寄せてくれる手が、セディルの興奮を煽った。拒絶されていない。受け入れて貰えている。

(なんて、幸福なんだ――)

 ずっと、アイナを抱いていたい。
 アイナが他の誰かのモノになるなんて、考えるだけで嫌だった。仕事を見つけて自立してからも、ここを出て行きたくなんかない。出て行くときは、アイナも一緒だ。
 心地よい興奮に包まれながら、繰り返しアイナの名前を呼んだ。

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