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第二章
2、
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馬に乗って移動を始めたのは、昼を過ぎたころだった。朝食も取らずに本能のままアイナを求めたセディルは、夢中でアイナと肌を合わせ、知ったばかりの「口づけ」を口内が擦れて痛くなるほど求めた。
何度奥で爆ぜても、欲求は身体の奥から湧いてくる。夢中になっていた情事をやめたのは、何度目かわからない射精を終えたときだった。口づけを交わそうと唇を合わせたとき、アイナが「待って」と告げたのだ。もっと触れたかったが、そのときやっと、アイナがぐったりしていることに気づいた。慌ててアイナを寝かせて、その上から抱きしめた。抱きしめなければ繋がった部分がずるりと抜けてしまうからだ。
己をアイナの奥に沈めたまま、恐る恐るアイナを見下ろした。
――「大丈夫か?」
セディルの問いに、アイナは苦笑した。大丈夫、でも、そろそろ行かないと。アイナはそう言って、セディルの頭を抱きしめるとそっと撫でた。優しい手つきとアイナが無事だったことに安堵したセディルは、アイナを益々強く抱きしめた。 その後、遅すぎる朝食をとって、アイナとともに馬で移動をはじめたのだ。
馬上で、セディルはアイナ自身の匂いに包まれていた。昨夜や先ほどの行為の最中も喜びを感じたが、あの行為をアイナと行った、という事実がセディルの心を浮かせた。
心身ともに、セディルは幸福だった。
だから、今こうして、アイナの背中に抱き着く状態で何もしないのは難しいことだ。それでも、先ほどのぐたりとしたアイナの姿を思い出しながら、ぐっと我慢する。
肌を合わせたら、アイナの身体は弱ってしまうのだろうか。今後も、交わるたびにアイナはどんどん衰弱するのだろうか。
アイナがなぜあのようにぐたりとしたのかわからないが、アイナが辛い思いをするのなら、セディルは己の欲望を我慢しようと決めた。
町についたのは、夕方ごろだった。まだ橙色が辺りを染める前だったこともあり、町で一番大きいという商店街は賑わっている。アイナがすぐに馬を売ったので、セディルは驚いた。移動手段を手放すということは、この町に住まうということだ。
セディルが見たところ、町は然程大きくない。村と呼ぶには規模が大きくて人口も多いが、「街」と表現するほどではなかった。セディルの先のあるじであった領主が暮らしていた街よりも、遥かに田舎である。
アイナは馬を売って得たカネをしまうと、真っすぐに青い屋根の建物へ入って行く。セディルもあとに続いた。
青い屋根の建物では、セディルの知らない取り決めが行われた。アイナは若い男と綿密な話をしており、その会話に入れないもどかしさと苛立ちを覚えた。何より、相手が若い男、というのが気に入らなかった。
やがてアイナは若い男に対して頷き、室内の端に置かれた椅子へ移動した。アイナはやや疲れた表情をしており、セディルはそんなアイナの顔を覗き込む。
「辛いか?」
「久しぶりの旅だったから、少し疲れただけよ。今ね、家の買い手を探している家主を紹介してもらったの。もうすぐ家主がくるから、そしたら一緒に家を見に行きましょう」
「この町に腰を据えるのか」
「そう、治安がいいのよここ。領主の管理がいいから町の責任者も色々な制度を作って住みやすくしてくれてるの。昔はもっと小規模な町だったらしいんだけど、領主が代替わりしてから繁栄を始めた、新しい街なの。心機一転、生活を始めるには丁度いいでしょ。もっと遠くで暮らすにしても、旅費を稼せがないといけないし」
アイナが苦笑して、セディルを振り返った。
「セディルが自立したら、好きな地方に移住するといいわ。世界を見て回るのもいいし、どこか好きなところに腰を据えるのもいいと思うの」
なるほど、とセディルは頷く。アイナと世界を旅するのも楽しいだろう。二人きりで、お互いを必要としながら、見たこともない場所へ行き、驚きや喜びを共有するのだ。
どこだろうと、アイナが傍にいたらそれだけでセディルの心は穏やかになり、同時に獣のように興奮する。勿論それは、この町でも同様だった。
ややのち、四十代ほどの男がやってきた。濃い金髪をした細身の男で、露骨に笑みを作っているようだったが、あまり笑みになっていない。男はセディルに手を差し出そうとしたが、アイナが制するように口を開いた。
「ミスター。お忙しいなか、ありがとうございます」
男はアイナを振り返ると、アイナが手を差し出しているのを見て握手を交わした。男は「レックスです。レックス・ナーガス」と自己紹介をすると、アイナもまた名乗る。レックスは深く頷き、ちらりとセディルを見た。
セディルは黙ったままじっとレックスを見つめ返したあと、アイナを見た。レックスを見つめるよりも、アイナを見つめていたいと思ったからだ。
アイナは微笑むと、レックスにセディルを紹介した。レックスはセディルに再び手を差し出そうとしたが、途中で辞めた。セディルの視線がアイナに向いたままだったからだ。
「じゃ、行こうか」
レックスが肩をすくめて言う。アイナは頷いて、レックスについて歩き出した。当然、セディルもあとに続く。
二人が和やかに会話しているのを後ろから見つめると、腹の底が重く感じた。今すぐにでも間に割って入り、アイナを抱きしめたい衝動を懸命に堪える。なぜ隣にいるのがセディルではないのか。つい先ほどまで、アイナの隣にはセディルがいたのに。
レックスが案内したのは、大通りから一つ逸れた路地にある戸建ての家だった。表は小さいが、奥へ広がっている家屋らしい。外観は、木造のよくある雰囲気を放っていたが、アイナはぱっと微笑んだ。
「あら、いいじゃない!」
アイナは戸建ての外観を見て、両手を口元に当てた。レックスが自慢げに腰に手を当てて、玄関ドアをひらいた。
「どうぞ、マドモアゼル」
「ふふ、ありがとう」
アイナは微笑んでドアをくぐると、レックスがセディルを見た。
「お前も入れよ。お前のガタイからしたら、ちょっと狭いかもしれないけどな」
セディルもアイナのあとに続き、戸建ての家に入った。玄関はなく、そこはこじんまりとした小部屋だった。突き当たりにドアがあるので、アイナに続いてそちらへ向う。
「すごい! ここ理想的だわ!」
アイナは喜びの声をあげ、さらに奥の部屋たちを見て回り始める。セディルは二つ目の部屋で立ち止まり、辺りを見回した。
そこはまたしても小部屋だった。
先ほどの部屋と違うのは、壁に窓があり、文机と一対の一人掛けソファが置かれているため、開放感と生活感があることだろう。
だが、ここは居間ではないはずだ。なぜならば、文机とソファが部屋の半分を占めており、まさに小部屋、というにふさわしい広さしかなかった。
小部屋が続けて二つ。ではこの先には、少し大きめの部屋が繋がっているのか? そこが居間なのか? そんなことを考えていたセディルのもとへ――もとい、セディルがいる部屋へアイナが戻ってきた。
アイナは至極嬉しそうで、セディルには見向きもせずにレックスに向かって駆け寄った。
「素敵ね!」
「だろ? 玄関はないが、作っちまえばそれなりの玄関になる」
「いいえ、あっちは受付と待合室にするわ。この部屋が診察室」
レックスはかなり驚いた顔をした。セディルも表情にこそ出さなかったが、アイナが医者であると知って息を呑んだ。なるほど、手当の手際がよかったことにも納得がいく。
医者には知識が必要であり、それなりに重宝される立場故に、医者となる者は男が多い。女は助産婦や医者の補助を行うこととされ、女医者は基本的に修道院に配置されている――らしい。
らしい、というのは、以前に商人と商人が懇意にしている医者の話を聞いたことがあったからだ。あのとき、商人はあざ笑った。女の医者など役に立つわけがない、身の程知らずもいいところだ、と。
商人の言葉を思い出して、セディルは苛立ちを覚えた。アイナは女だが、よい医者だ。セディルに様々なことを教えてくれる。怪我も見てくれたし、傍にいてくれる。セディルを見捨てない、素敵な女性だ。
だから、あの商人の言葉は間違っている。アイナに謝罪するべきだ。
「お前、医者なのか?」
レックスの問いに、アイナは肩を竦めた。
「一応ね。問題でも?」
「ああ、大ありだ。この町は人不足なんだよ、特に職人や専門職に携わる者がな。急成長したせいで、人口の比率に追いつかねぇんだ。医者なら、すぐにフィダんとこの嫁さんを見てやってくれないか」
レックスの声音は、セディルが聞いても切羽詰まっているのがわかった。
アイナは目をぱちくりさせたが、すぐに厳しい表情になって頷いた。
「患者の容態は?」
「逆子だそうだ」
逆子。セディルは初めて聞く言葉だったが、アイナには理解できたらしい。眉を潜めて、厳しく問う。
「いつから始まったの」
「昨夜だ。すげぇ難産だと思ったら、逆子だったらしい」
「産婆は?」
「ばあちゃんは先月死んだんだよ」
レックスは悔しさを隠すことなく、呟いた。
「急死だった。今看てんのは、シリンとこの若いのだ。まだ産婆の経験もねぇ、医者見習いだよ。とにかく医者が足りてねぇんだ。お前も若いが、開業するくらいなら経験あるんだろ?」
「勿論。医者で生計をたててるんだから。――すぐに案内して」
レックスは頷いて、アイナと共に駆け出した。当然、セディルもついていく。先ほどからアイナにはセディルが見えていないようだったが、彼女にとって、今はとても重要な局面なのだろう。
その重要な局面とやらをセディルが目の当たりにしたのは、レックスが案内した、小さいながらも庭付きの戸建てについたときだった。
最初に驚いたのは、家から聞こえてくる悲鳴に近い叫び声だった。まるで拷問にあっているかのようだ。女が狂ったように叫んでいる。
アイナに続いて家に入った瞬間、血の匂いがした。家の中に満ちた禍々しい雰囲気は、商人を襲う盗賊と戦ったセディルでさえ、ぞっと感じるものがある。死の匂いや絶望といった、負の空気が漂っていた。
アイナはそんな雰囲気を切り裂くが如く、素早い兎のように家の中を横断して、悲鳴のもとへと向かった。
居間の先にある部屋を覗いたアイナの顔色が変わるのを、セディルははっきりと見た。セディルは咄嗟にアイナへ駆け寄ろうとしたが、それより早く、アイナが室内へ飛び込んだ。
アイナは、現場の悲愴さに愕然としたのだろう。少なくともこのときのセディルはそう思った。実際、セディルが部屋を覗くと、青い顔をした女が足を開いている姿が目に入った。
大量の血が床に広がっている。女は汗を溢れさせながら悲鳴をあげているにも関わらず、気絶したように目を閉じていた。
アイナは現場にいた若い女に何やら告げる。若い女はほっとしたように頷くと、てきぱきと動き始めた。
アイナが、今度は青い顔の女に声をかける。 セディルの知らない、医者としてのアイナがそこに居た。
セディルは、肩を叩かれた。振り向くとレックスがおり、顎で「向こうへ行こう」と示される。アイナの傍にいたかったが、邪魔にしかならないことも承知していたため、渋々とレックスに従った。
家にある別の部屋に移っても、女の声は聞こえてくる。それでも、先ほどとは声音が違い、ただの悲鳴とは違う、意志のある叫び声となっていた。
セディルが連れていかれた部屋には、レックスと同年代ほどの男と少年がいた。男はレックスと同じ金髪で、少年は赤毛をしている。
「フィダと、ショーンだ。ショーンはミナルの連れ子なんだが、兄弟が出来るってすげぇ楽しみにしててな。でも、ミナルがあの様子だから、心配なんだろ」
セディルは黙って頷いた。あのお産をしている女がミナルというらしい。その夫がフィダで、連れ子の息子がショーンか。
レックスの言う通り、ショーンは青い顔で小さくなって震えている。六歳か七歳ほどに見えるが、目の前で怯える子どもは赤子のようにも見えた。そんなショーンを抱きしめるように、フィダがしゃがみ込み、両手を合わせて何かに祈りを捧げている。
家族、という言葉が浮かんだ。目の前に広がる光景、この家で行われているコト、すべてがセディルにとって未知のものだった。
新しい命が生まれるかどうかの瀬戸際であることは、わかっていた。セディルは自らの手を見る。商人のもとにいるとき、盗賊と何度も戦った。商人は高価な品を売買するため、狙われやすいのだ。当然専用の護衛もいるが、奴隷は護衛の盾となる役割があるため、何度も戦いに連れ出された。この手で、何人もの盗賊を屠ってきた。
セディルは祈るフィダを見つめながら、家族や命について、様々なことを考えた。
何を求めているのか、何を結論付けたいのかわからないまま、ただただ、考え続けた。
アイナは額の汗を拭うこともせずに、歯を食いしばり、両手で赤子を取り上げた。すぐに医者の卵であるリンナが布を差し出すが、アイナは赤子が泣かないことに気づいて、赤子の背中を叩く。
逆さまにして、強引に呼吸を促し続けた。
泣かなければ、呼吸が出来なければ、折角生まれた命が消えてしまう。
無我夢中で処置をすると、やがて、赤子はか細い声を出した。すぐに赤子の声は、生きる力が漲った大きな声音に変わっていく。
アイナは安堵の息をついて赤子を清め、布に包む。すぐに母体へ赤子を見せた。母体はぐったりしており、意識があるのかも怪しかった。出血も多く、心身ともに衰弱しすぎている。
それでもアイナは、母体の手を取って赤子に触れさせた。
「無事に生まれたわ、安心して。だから、あなたも生きるのよ。この子のためにも」
母体が微かに微笑んだ、ように見えた。錯覚かもしれないが、アイナは幾分も安心して、赤子をリンナへ渡す。
その後は母体の調子を確認して、赤子の元気な姿を見てから、リンナに全てを任せた。仕方なくとはいえ、彼女が請け負った仕事なのだから、出来る限りはリンナが行うべきだろう。
アイナは、駆けつけてきた赤子の父親だろう男を見た。
「妻は」
「赤ちゃんは生まれたわ。母体は衰弱してるから休ませてあげて。今の段階では、はっきり無事だとは言えない。でも、現状での最善の処置はした。……頑張った奥さんを褒めてあげて」
夫の男が母体に駆け寄るのを見送ったあと、ふらつきながらセディルの元へ向かった。セディルに抱きついた瞬間、膝から崩れる。アイナもかなり疲れていた。 お産に立ち会ってから、何時間経過したのだろう。
「苦しいのか?」
セディルのほうが苦しいんじゃないか、と思える声音で聞いてきた彼に、アイナは微笑んだ。
「少し疲れただけよ」
誰かが絶倫過ぎたから、ずっと休めていなかったの。とは、言わない。セディルが抱き上げてくれたとき、心の底から安堵した。アイナは、ありがとう、と呟いて意識を手放した。
眠っている間、アイナは夢を見た。かつてより、やや老けた女がお産の最中だった。老けても、壮絶なお産のさなかでも、彼女の美貌は健在だ。いや、子を産むという神秘的な行為を行っているからこそ、彼女は神々しく女神のようにも見えた。
アイナは、愛する人の子どもを産むことを望んでいた。夫と我が子と、幸せな家庭を築くのだと信じて疑わなかった。
涙がこぼれた。
アイナは、瞼をあげた。溢れる涙のせいでぼんやりした視界が広がる。見覚えのない天井があった。背中が痛いので、どこか硬いところ――恐らく床に寝転んでいるのだろう。
首を横に向けると、額からしめった布が落ちる。振り向いた先にはセディルがいた。座ったまま眠っているようで、彼の傍らには、水を汲んだ桶があった。
ふふ、とアイナは微笑む。
ただ疲れて眠っていただけなのに、風邪だとでも思ったのだろうか。額の布を握りしめて、セディルを眺めた。窓の外が明るいということは、一晩中傍にいてくれたのだろう。
嬉しいはずなのに、セディルを見つめていると、涙がさらに溢れた。
(私だって、幸せになりたかった)
アイナは、ただの夢見る子どもでしかなかった。現実と理想は違うことを知らなかった。すべてを失って初めて己の愚かさを知ったが、後悔するには手遅れだった。
「苦しいのか」
セディルの声音は、焦りを帯びていた。アイナは苦笑する。
「起きていたの?」
「……今起きた。眠ってしまった」
「疲れてるんでしょう、眠って」
セディルはアイナの涙を拭う。 強引に目元をこする彼の手の大きさに、不思議な安心感を得る。
「ありがとう、でも、なんでもないの」
微笑んでみせた。
セディルは奴隷だったという。何も知らない無垢な男を手元に置き続けることはできるだろう。辛い時に甘えて、好きなように利用すればいい。
だがその末に待っているのは、孤独だとアイナは知っている。 セディルがいずれ社会の常識を知り、己の悲運を理解したとき、彼はアイナを置いて去っていくだろうから。
アイナには、失ったものが多すぎた。だからこそ、すべてを失うことを前提に、行動し、考える。
捨てられる前に、自分からセディルを離さなければ。依存してしまえば、彼がアイナを捨てたときの衝撃に心が壊れてしまうだろう。何より、アイナに囚われている時間が長いほど、セディルの人生を潰してしまうことにもなる。
(もう、誰にも依存しないって決めたのに)
セディルにとって、アイナは奴隷から庶民へ導いてくれる教師なのだろう。彼が望むことは余すことなく教えてあげようと決めていた。セディルが必要なのは教師であって、アイナ自身ではない。
それを忘れてはならない。
また、愚か者にならないように。
「疲れたでしょう? 少し眠ったら?」
アイナは身体を起こすと、自分が眠っていた床を見て驚いた。見覚えのない布が敷いてあった。おかげでドレスが汚れずに済んだが、この布はなんだろう。
「これはどうしたの?」
「レックスがくれた。アイナに」
よく見るまでもなく、それは上等なスカーフだった。床に広げたために、土や誇りで汚れてしまったけれど、昨日のお礼だとすれば役に立ってくれた。……レックスの想像とは違う使い方だろうけれど。
「私は必要なものを買出しに行ってくるわ。レックスに家を譲ってもらう契約もしないと」
「俺も行く」
「でも」
「俺は大丈夫、丈夫さだけが取り柄だ」
真面目に言うセディルに、アイナは微笑んだ。
「だけ、じゃないでしょう。セディルは素敵なものを沢山持ってるわ。……じゃあ、二人で出掛けましょう。せっかくだし、職業案内所へ行ってみる?」
職業案内所は、文字通り仕事を斡旋してくれる場所である。国の法律で、町単位で一つの設置が義務付けられているため、この町にもあるだろう。
「仕事を見つけたら、俺は出ていくのか」
セディルの言葉に、呼吸が止まるのを感じた。すぐに何事もなかったかのように笑みを作って口を開く。
「そうよ。あ、でも、初任給が出てからで構わないわ。住み込みの仕事なら、すぐに出ても構わないし」
努めて明るく告げたが、セディルの表情は硬い。最初こそ無表情に近かった彼だが、船着場で再会してから、少しずつ感情を見せるようになっていた。
「どうかした?」
「……なんでもない」
セディルの呟きに、そう、と答えて出掛ける支度をした。
幸い、鞄もアイナと共に戻ってきており、中身もすべて揃っていた。貯蓄は、医者で稼いだものがあと少しある。これで家具を揃えて、日用品を集めなければ。
いずれセディルが出ていくことを想定して、家具は一人分でよいだろう。ひと月ほど、セディルが暮らせるだけの日用品は必要だろうけれど。
何度奥で爆ぜても、欲求は身体の奥から湧いてくる。夢中になっていた情事をやめたのは、何度目かわからない射精を終えたときだった。口づけを交わそうと唇を合わせたとき、アイナが「待って」と告げたのだ。もっと触れたかったが、そのときやっと、アイナがぐったりしていることに気づいた。慌ててアイナを寝かせて、その上から抱きしめた。抱きしめなければ繋がった部分がずるりと抜けてしまうからだ。
己をアイナの奥に沈めたまま、恐る恐るアイナを見下ろした。
――「大丈夫か?」
セディルの問いに、アイナは苦笑した。大丈夫、でも、そろそろ行かないと。アイナはそう言って、セディルの頭を抱きしめるとそっと撫でた。優しい手つきとアイナが無事だったことに安堵したセディルは、アイナを益々強く抱きしめた。 その後、遅すぎる朝食をとって、アイナとともに馬で移動をはじめたのだ。
馬上で、セディルはアイナ自身の匂いに包まれていた。昨夜や先ほどの行為の最中も喜びを感じたが、あの行為をアイナと行った、という事実がセディルの心を浮かせた。
心身ともに、セディルは幸福だった。
だから、今こうして、アイナの背中に抱き着く状態で何もしないのは難しいことだ。それでも、先ほどのぐたりとしたアイナの姿を思い出しながら、ぐっと我慢する。
肌を合わせたら、アイナの身体は弱ってしまうのだろうか。今後も、交わるたびにアイナはどんどん衰弱するのだろうか。
アイナがなぜあのようにぐたりとしたのかわからないが、アイナが辛い思いをするのなら、セディルは己の欲望を我慢しようと決めた。
町についたのは、夕方ごろだった。まだ橙色が辺りを染める前だったこともあり、町で一番大きいという商店街は賑わっている。アイナがすぐに馬を売ったので、セディルは驚いた。移動手段を手放すということは、この町に住まうということだ。
セディルが見たところ、町は然程大きくない。村と呼ぶには規模が大きくて人口も多いが、「街」と表現するほどではなかった。セディルの先のあるじであった領主が暮らしていた街よりも、遥かに田舎である。
アイナは馬を売って得たカネをしまうと、真っすぐに青い屋根の建物へ入って行く。セディルもあとに続いた。
青い屋根の建物では、セディルの知らない取り決めが行われた。アイナは若い男と綿密な話をしており、その会話に入れないもどかしさと苛立ちを覚えた。何より、相手が若い男、というのが気に入らなかった。
やがてアイナは若い男に対して頷き、室内の端に置かれた椅子へ移動した。アイナはやや疲れた表情をしており、セディルはそんなアイナの顔を覗き込む。
「辛いか?」
「久しぶりの旅だったから、少し疲れただけよ。今ね、家の買い手を探している家主を紹介してもらったの。もうすぐ家主がくるから、そしたら一緒に家を見に行きましょう」
「この町に腰を据えるのか」
「そう、治安がいいのよここ。領主の管理がいいから町の責任者も色々な制度を作って住みやすくしてくれてるの。昔はもっと小規模な町だったらしいんだけど、領主が代替わりしてから繁栄を始めた、新しい街なの。心機一転、生活を始めるには丁度いいでしょ。もっと遠くで暮らすにしても、旅費を稼せがないといけないし」
アイナが苦笑して、セディルを振り返った。
「セディルが自立したら、好きな地方に移住するといいわ。世界を見て回るのもいいし、どこか好きなところに腰を据えるのもいいと思うの」
なるほど、とセディルは頷く。アイナと世界を旅するのも楽しいだろう。二人きりで、お互いを必要としながら、見たこともない場所へ行き、驚きや喜びを共有するのだ。
どこだろうと、アイナが傍にいたらそれだけでセディルの心は穏やかになり、同時に獣のように興奮する。勿論それは、この町でも同様だった。
ややのち、四十代ほどの男がやってきた。濃い金髪をした細身の男で、露骨に笑みを作っているようだったが、あまり笑みになっていない。男はセディルに手を差し出そうとしたが、アイナが制するように口を開いた。
「ミスター。お忙しいなか、ありがとうございます」
男はアイナを振り返ると、アイナが手を差し出しているのを見て握手を交わした。男は「レックスです。レックス・ナーガス」と自己紹介をすると、アイナもまた名乗る。レックスは深く頷き、ちらりとセディルを見た。
セディルは黙ったままじっとレックスを見つめ返したあと、アイナを見た。レックスを見つめるよりも、アイナを見つめていたいと思ったからだ。
アイナは微笑むと、レックスにセディルを紹介した。レックスはセディルに再び手を差し出そうとしたが、途中で辞めた。セディルの視線がアイナに向いたままだったからだ。
「じゃ、行こうか」
レックスが肩をすくめて言う。アイナは頷いて、レックスについて歩き出した。当然、セディルもあとに続く。
二人が和やかに会話しているのを後ろから見つめると、腹の底が重く感じた。今すぐにでも間に割って入り、アイナを抱きしめたい衝動を懸命に堪える。なぜ隣にいるのがセディルではないのか。つい先ほどまで、アイナの隣にはセディルがいたのに。
レックスが案内したのは、大通りから一つ逸れた路地にある戸建ての家だった。表は小さいが、奥へ広がっている家屋らしい。外観は、木造のよくある雰囲気を放っていたが、アイナはぱっと微笑んだ。
「あら、いいじゃない!」
アイナは戸建ての外観を見て、両手を口元に当てた。レックスが自慢げに腰に手を当てて、玄関ドアをひらいた。
「どうぞ、マドモアゼル」
「ふふ、ありがとう」
アイナは微笑んでドアをくぐると、レックスがセディルを見た。
「お前も入れよ。お前のガタイからしたら、ちょっと狭いかもしれないけどな」
セディルもアイナのあとに続き、戸建ての家に入った。玄関はなく、そこはこじんまりとした小部屋だった。突き当たりにドアがあるので、アイナに続いてそちらへ向う。
「すごい! ここ理想的だわ!」
アイナは喜びの声をあげ、さらに奥の部屋たちを見て回り始める。セディルは二つ目の部屋で立ち止まり、辺りを見回した。
そこはまたしても小部屋だった。
先ほどの部屋と違うのは、壁に窓があり、文机と一対の一人掛けソファが置かれているため、開放感と生活感があることだろう。
だが、ここは居間ではないはずだ。なぜならば、文机とソファが部屋の半分を占めており、まさに小部屋、というにふさわしい広さしかなかった。
小部屋が続けて二つ。ではこの先には、少し大きめの部屋が繋がっているのか? そこが居間なのか? そんなことを考えていたセディルのもとへ――もとい、セディルがいる部屋へアイナが戻ってきた。
アイナは至極嬉しそうで、セディルには見向きもせずにレックスに向かって駆け寄った。
「素敵ね!」
「だろ? 玄関はないが、作っちまえばそれなりの玄関になる」
「いいえ、あっちは受付と待合室にするわ。この部屋が診察室」
レックスはかなり驚いた顔をした。セディルも表情にこそ出さなかったが、アイナが医者であると知って息を呑んだ。なるほど、手当の手際がよかったことにも納得がいく。
医者には知識が必要であり、それなりに重宝される立場故に、医者となる者は男が多い。女は助産婦や医者の補助を行うこととされ、女医者は基本的に修道院に配置されている――らしい。
らしい、というのは、以前に商人と商人が懇意にしている医者の話を聞いたことがあったからだ。あのとき、商人はあざ笑った。女の医者など役に立つわけがない、身の程知らずもいいところだ、と。
商人の言葉を思い出して、セディルは苛立ちを覚えた。アイナは女だが、よい医者だ。セディルに様々なことを教えてくれる。怪我も見てくれたし、傍にいてくれる。セディルを見捨てない、素敵な女性だ。
だから、あの商人の言葉は間違っている。アイナに謝罪するべきだ。
「お前、医者なのか?」
レックスの問いに、アイナは肩を竦めた。
「一応ね。問題でも?」
「ああ、大ありだ。この町は人不足なんだよ、特に職人や専門職に携わる者がな。急成長したせいで、人口の比率に追いつかねぇんだ。医者なら、すぐにフィダんとこの嫁さんを見てやってくれないか」
レックスの声音は、セディルが聞いても切羽詰まっているのがわかった。
アイナは目をぱちくりさせたが、すぐに厳しい表情になって頷いた。
「患者の容態は?」
「逆子だそうだ」
逆子。セディルは初めて聞く言葉だったが、アイナには理解できたらしい。眉を潜めて、厳しく問う。
「いつから始まったの」
「昨夜だ。すげぇ難産だと思ったら、逆子だったらしい」
「産婆は?」
「ばあちゃんは先月死んだんだよ」
レックスは悔しさを隠すことなく、呟いた。
「急死だった。今看てんのは、シリンとこの若いのだ。まだ産婆の経験もねぇ、医者見習いだよ。とにかく医者が足りてねぇんだ。お前も若いが、開業するくらいなら経験あるんだろ?」
「勿論。医者で生計をたててるんだから。――すぐに案内して」
レックスは頷いて、アイナと共に駆け出した。当然、セディルもついていく。先ほどからアイナにはセディルが見えていないようだったが、彼女にとって、今はとても重要な局面なのだろう。
その重要な局面とやらをセディルが目の当たりにしたのは、レックスが案内した、小さいながらも庭付きの戸建てについたときだった。
最初に驚いたのは、家から聞こえてくる悲鳴に近い叫び声だった。まるで拷問にあっているかのようだ。女が狂ったように叫んでいる。
アイナに続いて家に入った瞬間、血の匂いがした。家の中に満ちた禍々しい雰囲気は、商人を襲う盗賊と戦ったセディルでさえ、ぞっと感じるものがある。死の匂いや絶望といった、負の空気が漂っていた。
アイナはそんな雰囲気を切り裂くが如く、素早い兎のように家の中を横断して、悲鳴のもとへと向かった。
居間の先にある部屋を覗いたアイナの顔色が変わるのを、セディルははっきりと見た。セディルは咄嗟にアイナへ駆け寄ろうとしたが、それより早く、アイナが室内へ飛び込んだ。
アイナは、現場の悲愴さに愕然としたのだろう。少なくともこのときのセディルはそう思った。実際、セディルが部屋を覗くと、青い顔をした女が足を開いている姿が目に入った。
大量の血が床に広がっている。女は汗を溢れさせながら悲鳴をあげているにも関わらず、気絶したように目を閉じていた。
アイナは現場にいた若い女に何やら告げる。若い女はほっとしたように頷くと、てきぱきと動き始めた。
アイナが、今度は青い顔の女に声をかける。 セディルの知らない、医者としてのアイナがそこに居た。
セディルは、肩を叩かれた。振り向くとレックスがおり、顎で「向こうへ行こう」と示される。アイナの傍にいたかったが、邪魔にしかならないことも承知していたため、渋々とレックスに従った。
家にある別の部屋に移っても、女の声は聞こえてくる。それでも、先ほどとは声音が違い、ただの悲鳴とは違う、意志のある叫び声となっていた。
セディルが連れていかれた部屋には、レックスと同年代ほどの男と少年がいた。男はレックスと同じ金髪で、少年は赤毛をしている。
「フィダと、ショーンだ。ショーンはミナルの連れ子なんだが、兄弟が出来るってすげぇ楽しみにしててな。でも、ミナルがあの様子だから、心配なんだろ」
セディルは黙って頷いた。あのお産をしている女がミナルというらしい。その夫がフィダで、連れ子の息子がショーンか。
レックスの言う通り、ショーンは青い顔で小さくなって震えている。六歳か七歳ほどに見えるが、目の前で怯える子どもは赤子のようにも見えた。そんなショーンを抱きしめるように、フィダがしゃがみ込み、両手を合わせて何かに祈りを捧げている。
家族、という言葉が浮かんだ。目の前に広がる光景、この家で行われているコト、すべてがセディルにとって未知のものだった。
新しい命が生まれるかどうかの瀬戸際であることは、わかっていた。セディルは自らの手を見る。商人のもとにいるとき、盗賊と何度も戦った。商人は高価な品を売買するため、狙われやすいのだ。当然専用の護衛もいるが、奴隷は護衛の盾となる役割があるため、何度も戦いに連れ出された。この手で、何人もの盗賊を屠ってきた。
セディルは祈るフィダを見つめながら、家族や命について、様々なことを考えた。
何を求めているのか、何を結論付けたいのかわからないまま、ただただ、考え続けた。
アイナは額の汗を拭うこともせずに、歯を食いしばり、両手で赤子を取り上げた。すぐに医者の卵であるリンナが布を差し出すが、アイナは赤子が泣かないことに気づいて、赤子の背中を叩く。
逆さまにして、強引に呼吸を促し続けた。
泣かなければ、呼吸が出来なければ、折角生まれた命が消えてしまう。
無我夢中で処置をすると、やがて、赤子はか細い声を出した。すぐに赤子の声は、生きる力が漲った大きな声音に変わっていく。
アイナは安堵の息をついて赤子を清め、布に包む。すぐに母体へ赤子を見せた。母体はぐったりしており、意識があるのかも怪しかった。出血も多く、心身ともに衰弱しすぎている。
それでもアイナは、母体の手を取って赤子に触れさせた。
「無事に生まれたわ、安心して。だから、あなたも生きるのよ。この子のためにも」
母体が微かに微笑んだ、ように見えた。錯覚かもしれないが、アイナは幾分も安心して、赤子をリンナへ渡す。
その後は母体の調子を確認して、赤子の元気な姿を見てから、リンナに全てを任せた。仕方なくとはいえ、彼女が請け負った仕事なのだから、出来る限りはリンナが行うべきだろう。
アイナは、駆けつけてきた赤子の父親だろう男を見た。
「妻は」
「赤ちゃんは生まれたわ。母体は衰弱してるから休ませてあげて。今の段階では、はっきり無事だとは言えない。でも、現状での最善の処置はした。……頑張った奥さんを褒めてあげて」
夫の男が母体に駆け寄るのを見送ったあと、ふらつきながらセディルの元へ向かった。セディルに抱きついた瞬間、膝から崩れる。アイナもかなり疲れていた。 お産に立ち会ってから、何時間経過したのだろう。
「苦しいのか?」
セディルのほうが苦しいんじゃないか、と思える声音で聞いてきた彼に、アイナは微笑んだ。
「少し疲れただけよ」
誰かが絶倫過ぎたから、ずっと休めていなかったの。とは、言わない。セディルが抱き上げてくれたとき、心の底から安堵した。アイナは、ありがとう、と呟いて意識を手放した。
眠っている間、アイナは夢を見た。かつてより、やや老けた女がお産の最中だった。老けても、壮絶なお産のさなかでも、彼女の美貌は健在だ。いや、子を産むという神秘的な行為を行っているからこそ、彼女は神々しく女神のようにも見えた。
アイナは、愛する人の子どもを産むことを望んでいた。夫と我が子と、幸せな家庭を築くのだと信じて疑わなかった。
涙がこぼれた。
アイナは、瞼をあげた。溢れる涙のせいでぼんやりした視界が広がる。見覚えのない天井があった。背中が痛いので、どこか硬いところ――恐らく床に寝転んでいるのだろう。
首を横に向けると、額からしめった布が落ちる。振り向いた先にはセディルがいた。座ったまま眠っているようで、彼の傍らには、水を汲んだ桶があった。
ふふ、とアイナは微笑む。
ただ疲れて眠っていただけなのに、風邪だとでも思ったのだろうか。額の布を握りしめて、セディルを眺めた。窓の外が明るいということは、一晩中傍にいてくれたのだろう。
嬉しいはずなのに、セディルを見つめていると、涙がさらに溢れた。
(私だって、幸せになりたかった)
アイナは、ただの夢見る子どもでしかなかった。現実と理想は違うことを知らなかった。すべてを失って初めて己の愚かさを知ったが、後悔するには手遅れだった。
「苦しいのか」
セディルの声音は、焦りを帯びていた。アイナは苦笑する。
「起きていたの?」
「……今起きた。眠ってしまった」
「疲れてるんでしょう、眠って」
セディルはアイナの涙を拭う。 強引に目元をこする彼の手の大きさに、不思議な安心感を得る。
「ありがとう、でも、なんでもないの」
微笑んでみせた。
セディルは奴隷だったという。何も知らない無垢な男を手元に置き続けることはできるだろう。辛い時に甘えて、好きなように利用すればいい。
だがその末に待っているのは、孤独だとアイナは知っている。 セディルがいずれ社会の常識を知り、己の悲運を理解したとき、彼はアイナを置いて去っていくだろうから。
アイナには、失ったものが多すぎた。だからこそ、すべてを失うことを前提に、行動し、考える。
捨てられる前に、自分からセディルを離さなければ。依存してしまえば、彼がアイナを捨てたときの衝撃に心が壊れてしまうだろう。何より、アイナに囚われている時間が長いほど、セディルの人生を潰してしまうことにもなる。
(もう、誰にも依存しないって決めたのに)
セディルにとって、アイナは奴隷から庶民へ導いてくれる教師なのだろう。彼が望むことは余すことなく教えてあげようと決めていた。セディルが必要なのは教師であって、アイナ自身ではない。
それを忘れてはならない。
また、愚か者にならないように。
「疲れたでしょう? 少し眠ったら?」
アイナは身体を起こすと、自分が眠っていた床を見て驚いた。見覚えのない布が敷いてあった。おかげでドレスが汚れずに済んだが、この布はなんだろう。
「これはどうしたの?」
「レックスがくれた。アイナに」
よく見るまでもなく、それは上等なスカーフだった。床に広げたために、土や誇りで汚れてしまったけれど、昨日のお礼だとすれば役に立ってくれた。……レックスの想像とは違う使い方だろうけれど。
「私は必要なものを買出しに行ってくるわ。レックスに家を譲ってもらう契約もしないと」
「俺も行く」
「でも」
「俺は大丈夫、丈夫さだけが取り柄だ」
真面目に言うセディルに、アイナは微笑んだ。
「だけ、じゃないでしょう。セディルは素敵なものを沢山持ってるわ。……じゃあ、二人で出掛けましょう。せっかくだし、職業案内所へ行ってみる?」
職業案内所は、文字通り仕事を斡旋してくれる場所である。国の法律で、町単位で一つの設置が義務付けられているため、この町にもあるだろう。
「仕事を見つけたら、俺は出ていくのか」
セディルの言葉に、呼吸が止まるのを感じた。すぐに何事もなかったかのように笑みを作って口を開く。
「そうよ。あ、でも、初任給が出てからで構わないわ。住み込みの仕事なら、すぐに出ても構わないし」
努めて明るく告げたが、セディルの表情は硬い。最初こそ無表情に近かった彼だが、船着場で再会してから、少しずつ感情を見せるようになっていた。
「どうかした?」
「……なんでもない」
セディルの呟きに、そう、と答えて出掛ける支度をした。
幸い、鞄もアイナと共に戻ってきており、中身もすべて揃っていた。貯蓄は、医者で稼いだものがあと少しある。これで家具を揃えて、日用品を集めなければ。
いずれセディルが出ていくことを想定して、家具は一人分でよいだろう。ひと月ほど、セディルが暮らせるだけの日用品は必要だろうけれど。
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