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背中合わせの運命
紡ぐ赤い糸【前編】
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みうは、ふっくらとした唇から長いため息を漏らした。
『都会の星は良く見えない』と、よく聞く。
誰の言葉かも分からないそれを〝 そうなのだろう 〟と鵜呑みにして、夜空を見に出かけたことはなかった。
イベント事…つまり流星群やら、金環日食だとか特別のつく日以外は特に皆無だ。
夜、外に出ていても建物より上に視線を上げることはない。
常に地面と自分の目線の高さでしか世界を見ていなかった。
それが悪いこととは思わない。
思わないけど…今日、いまのこの瞬間、私はなんて勿体無いことをしていたんだろう、と感じている。
夜になってもまだ蒸し暑い…本格的な夏がやってきていた。
伊上さんと みうが同居している家から車で20分ほど離れた郊外の近くにある小高い地形の公園。
そこに紺色のセダンに寄りかかりながら空を眺めている、2人の姿があった。
みうは目の前の夜景にただ、ただ…圧倒されていた。
ほんの少し暗く見える雑木林の向こう側に都会の街灯りが煌々と輝く。
その灯りは建物の上を覆うように反射し、夜の闇を押しのけ薄い光の膜を張っていた。
そんな街灯りのすぐ頭上、宇宙(そら)には漆黒の闇。
吸い込まれそうなぐらいの闇が街をすっぽりと包む。
注意深く漆黒の闇の中に視線を彷徨わせると小さな星が何個か浮かぶ。
街の夜空から自分の頭の上までへと視線を動かしていくと見える星も増えていった。
輝く小さな星達の瞬きは〝 そこに在る 〟それだけで心を揺らす…。
時折、伊上さんが星や宇宙の話をしてくれた。
その声の心地よさと、素人にも分かるようにと噛み砕いて簡素に教えてくれる話がとても面白い。
夏のぬるい空気、虫の声、緩く点在して光る星達が形作る星座…。
そして隣にいる伊上さんの声と体温、ほんのりと香るこの人の独特の匂い。
全てに居心地が良く、気付けば1時間近く夜景を眺めていた。
突然のことだった。
夢中になりすぎていたためなのか…車に寄りかかっていたにもかかわらず、身体がふらつく。
「っ!」
倒れる!そう思ったのと同時に、ふわっと暖かく強い力に抱き込まれ、言葉に詰まった。
「…、みうちゃん。疲れた?」
そう言う、伊上さんの顔が近い。
腰と肩をしっかりと抱きかかえられた状態で目の前の伊上さんの茶色の瞳が揺れた。
彼の汗と、いつもの甘い煙草の匂い…。
強い腕の感触とそこから伝わる熱。
心配している表情をしつつ、品のある香立つ振る舞いに、心が小さく高鳴る。
こういう時…いやでも伊上さんを男性なんだと意識する自分がいる。
いや、最初から思っていなかったわけではない。
男の人だと分かっていて同居しているのだから…。
好意を感じている?のだろうか…。
自分の気持ちがまだ分からない。
伊上さんは素敵な人だから惹かれない人はいないんじゃないかと思う。
それにこうして守ってくれると…どうしたって勘違いしそうになる。
もしかしたら…って。
「? みうちゃん?? どうしたの。」
伊上さんは顔を覗きこみながら声を掛けてきた。
みうが自力で立てるのを確認すると、車に寄りかからせたまま助手席の扉を開き車の中に座らせる。
「あ、ご、ごめんなさい。
少しボーッとしてしまって。」
みうは本当のことを伏せて謝った。
伊上さんのことを考えていたなんて…。
彼はトラブルに巻き込まれたから私を守ってくれているだけ、なのに。
そう、だよね…私もこんな状況だから、変に意識しちゃってるんだ。
だって私が好きなのはKAI。そうでしょう?
自分の心に問いかけて、まだ名前もつかない伊上さんへの気持ちに蓋をする。
そういうんじゃ…ない。と何度も繰り返した。
伊上さんだって勘違いされたら困るはずだ。
こんなに良くしてくれているのに…迷惑をかけられない。
「それじゃ、そろそろ戻ろうか。
ほんの少しでも気分転換になったかい?」
運転席に乗り込みながら薄く微笑む伊上さんの態度はいつもと変わらない。
「はい…。とても綺麗でした。」
そう言いつつ、さっき抱き留めてくれた腕を見つめていた。
私を抱き留めている時も伊上さんはいつもと変わらなかった…。
意識しているのは私だけだ。
それは、つまり…彼は私のことを何とも思っていない。
そ……っか。
火照った頬を車の冷房が冷やし、少しだけ冷静さを取り戻す。
今日のこの行動は明日の為のリハビリ。
ずっと引きこもっていたから外の空気に慣れるための…。
そういう伊上さんの優しさ…なんだ。
「そう。良かった。
明日の夜はKAIに会いに行こうね。」
伊上さんは みうを優しく見つめハンドルを切った。
車はゆっくりと公園から離れていく。
みうは窓の外へ視線を動かし唇を結んだ。
伊上さんの、その言葉を聞き何故か複雑な気持ちが膨らむ。
KAIに、ずっと会いたかった、はずなのに変に気持ちが沈んでいる。
自分の中に生まれつつある別の感情…。
それが今までシンプルだった思考を掻き乱し始めていた。
「…。」
言葉が見つからず、ただ頷く。
「…。今日の みうちゃんは大人しいね。」
車は今日に限ってゆっくりと家に向かって走っている。
過ぎていく民家やマンションの灯りはほとんどが消えていた。
車の時計を覗くと深夜を示す。
「あ…。き、緊張しちゃって(苦笑)。
KAIとはスマホで話した以来だから…。」
作り笑いが咄嗟に出た。
「そうだったね。
KAIの記憶テストも順調だったからスマホにいた時の事も覚えているはずだよ。
ただ少しだけ曖昧(あいまい)というか…。」
彼が見せる複雑な横顔。
「? 曖昧ですか。」
「そう。スマホにいた時の記憶は後から脳に書き込まれたものだから…。
現実味が無いと言えば分かりやすいかな。覚えているけど夢の中のような感じ。」
一般道を抜け住宅街へと進行する。
「…じゃぁ、時間が経つと消える?」
「YESともNOとも言えない。
記憶を共有している みうちゃんが鍵だと思っているよ。」
セダンは静かに車庫に入った。
車から降りて玄関に向かう途中で、みうはふと空を眺めた。
住宅街の庭から見える景色はどこに視線を移しても、建物や電線が視界に入り込む。
見つけようとすれば星はあるが微かで存在感が薄い。
庭に出て見ても、さっきの公園と同じようだと思っていたけど…違うんだ。
伊上さんが夕食の後、急にドライブに行こうと誘ってきた意味がやっと分かる。
「…さっきの場所は高台になっていたからね。
ほんの少し視点が変わる。それだけで景色はこんなに違うんだよ。
みうちゃんとデートできて楽しかった。…ありがとう。
さ、お家に入ろうか。明日の夜も出かけるのだから、今日はよく寝ること。」
扉の前で鍵を開けて待っていた伊上さんが小声で話す。
みうはその言葉に全て考えを見透かされているようで恥ずかしくなった。
真っ赤に耳を染めたまま、伊上さんと一緒に家に入っていく。
静かな住宅街に扉が閉まる音がし、暗かった家の中に次々と灯りが点る。
その柔らかな光は、今日見た星にも負けないほど暖かい色をしていた。
『都会の星は良く見えない』と、よく聞く。
誰の言葉かも分からないそれを〝 そうなのだろう 〟と鵜呑みにして、夜空を見に出かけたことはなかった。
イベント事…つまり流星群やら、金環日食だとか特別のつく日以外は特に皆無だ。
夜、外に出ていても建物より上に視線を上げることはない。
常に地面と自分の目線の高さでしか世界を見ていなかった。
それが悪いこととは思わない。
思わないけど…今日、いまのこの瞬間、私はなんて勿体無いことをしていたんだろう、と感じている。
夜になってもまだ蒸し暑い…本格的な夏がやってきていた。
伊上さんと みうが同居している家から車で20分ほど離れた郊外の近くにある小高い地形の公園。
そこに紺色のセダンに寄りかかりながら空を眺めている、2人の姿があった。
みうは目の前の夜景にただ、ただ…圧倒されていた。
ほんの少し暗く見える雑木林の向こう側に都会の街灯りが煌々と輝く。
その灯りは建物の上を覆うように反射し、夜の闇を押しのけ薄い光の膜を張っていた。
そんな街灯りのすぐ頭上、宇宙(そら)には漆黒の闇。
吸い込まれそうなぐらいの闇が街をすっぽりと包む。
注意深く漆黒の闇の中に視線を彷徨わせると小さな星が何個か浮かぶ。
街の夜空から自分の頭の上までへと視線を動かしていくと見える星も増えていった。
輝く小さな星達の瞬きは〝 そこに在る 〟それだけで心を揺らす…。
時折、伊上さんが星や宇宙の話をしてくれた。
その声の心地よさと、素人にも分かるようにと噛み砕いて簡素に教えてくれる話がとても面白い。
夏のぬるい空気、虫の声、緩く点在して光る星達が形作る星座…。
そして隣にいる伊上さんの声と体温、ほんのりと香るこの人の独特の匂い。
全てに居心地が良く、気付けば1時間近く夜景を眺めていた。
突然のことだった。
夢中になりすぎていたためなのか…車に寄りかかっていたにもかかわらず、身体がふらつく。
「っ!」
倒れる!そう思ったのと同時に、ふわっと暖かく強い力に抱き込まれ、言葉に詰まった。
「…、みうちゃん。疲れた?」
そう言う、伊上さんの顔が近い。
腰と肩をしっかりと抱きかかえられた状態で目の前の伊上さんの茶色の瞳が揺れた。
彼の汗と、いつもの甘い煙草の匂い…。
強い腕の感触とそこから伝わる熱。
心配している表情をしつつ、品のある香立つ振る舞いに、心が小さく高鳴る。
こういう時…いやでも伊上さんを男性なんだと意識する自分がいる。
いや、最初から思っていなかったわけではない。
男の人だと分かっていて同居しているのだから…。
好意を感じている?のだろうか…。
自分の気持ちがまだ分からない。
伊上さんは素敵な人だから惹かれない人はいないんじゃないかと思う。
それにこうして守ってくれると…どうしたって勘違いしそうになる。
もしかしたら…って。
「? みうちゃん?? どうしたの。」
伊上さんは顔を覗きこみながら声を掛けてきた。
みうが自力で立てるのを確認すると、車に寄りかからせたまま助手席の扉を開き車の中に座らせる。
「あ、ご、ごめんなさい。
少しボーッとしてしまって。」
みうは本当のことを伏せて謝った。
伊上さんのことを考えていたなんて…。
彼はトラブルに巻き込まれたから私を守ってくれているだけ、なのに。
そう、だよね…私もこんな状況だから、変に意識しちゃってるんだ。
だって私が好きなのはKAI。そうでしょう?
自分の心に問いかけて、まだ名前もつかない伊上さんへの気持ちに蓋をする。
そういうんじゃ…ない。と何度も繰り返した。
伊上さんだって勘違いされたら困るはずだ。
こんなに良くしてくれているのに…迷惑をかけられない。
「それじゃ、そろそろ戻ろうか。
ほんの少しでも気分転換になったかい?」
運転席に乗り込みながら薄く微笑む伊上さんの態度はいつもと変わらない。
「はい…。とても綺麗でした。」
そう言いつつ、さっき抱き留めてくれた腕を見つめていた。
私を抱き留めている時も伊上さんはいつもと変わらなかった…。
意識しているのは私だけだ。
それは、つまり…彼は私のことを何とも思っていない。
そ……っか。
火照った頬を車の冷房が冷やし、少しだけ冷静さを取り戻す。
今日のこの行動は明日の為のリハビリ。
ずっと引きこもっていたから外の空気に慣れるための…。
そういう伊上さんの優しさ…なんだ。
「そう。良かった。
明日の夜はKAIに会いに行こうね。」
伊上さんは みうを優しく見つめハンドルを切った。
車はゆっくりと公園から離れていく。
みうは窓の外へ視線を動かし唇を結んだ。
伊上さんの、その言葉を聞き何故か複雑な気持ちが膨らむ。
KAIに、ずっと会いたかった、はずなのに変に気持ちが沈んでいる。
自分の中に生まれつつある別の感情…。
それが今までシンプルだった思考を掻き乱し始めていた。
「…。」
言葉が見つからず、ただ頷く。
「…。今日の みうちゃんは大人しいね。」
車は今日に限ってゆっくりと家に向かって走っている。
過ぎていく民家やマンションの灯りはほとんどが消えていた。
車の時計を覗くと深夜を示す。
「あ…。き、緊張しちゃって(苦笑)。
KAIとはスマホで話した以来だから…。」
作り笑いが咄嗟に出た。
「そうだったね。
KAIの記憶テストも順調だったからスマホにいた時の事も覚えているはずだよ。
ただ少しだけ曖昧(あいまい)というか…。」
彼が見せる複雑な横顔。
「? 曖昧ですか。」
「そう。スマホにいた時の記憶は後から脳に書き込まれたものだから…。
現実味が無いと言えば分かりやすいかな。覚えているけど夢の中のような感じ。」
一般道を抜け住宅街へと進行する。
「…じゃぁ、時間が経つと消える?」
「YESともNOとも言えない。
記憶を共有している みうちゃんが鍵だと思っているよ。」
セダンは静かに車庫に入った。
車から降りて玄関に向かう途中で、みうはふと空を眺めた。
住宅街の庭から見える景色はどこに視線を移しても、建物や電線が視界に入り込む。
見つけようとすれば星はあるが微かで存在感が薄い。
庭に出て見ても、さっきの公園と同じようだと思っていたけど…違うんだ。
伊上さんが夕食の後、急にドライブに行こうと誘ってきた意味がやっと分かる。
「…さっきの場所は高台になっていたからね。
ほんの少し視点が変わる。それだけで景色はこんなに違うんだよ。
みうちゃんとデートできて楽しかった。…ありがとう。
さ、お家に入ろうか。明日の夜も出かけるのだから、今日はよく寝ること。」
扉の前で鍵を開けて待っていた伊上さんが小声で話す。
みうはその言葉に全て考えを見透かされているようで恥ずかしくなった。
真っ赤に耳を染めたまま、伊上さんと一緒に家に入っていく。
静かな住宅街に扉が閉まる音がし、暗かった家の中に次々と灯りが点る。
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